第56話  クソガキと運動会

 1



 九月下旬。いよいよ秋も深まりを見せ始めた。蝉の声が止み、街を彩った緑は褪せていく。夏が去っていくこの時期、子供たちにとっての一大イベントが開催される。


 渇いた秋空の下、赤白帽をかぶった子供たちがわちゃわちゃと校庭を動き回る。外周では保護者たちが人の壁を作り、我が子の雄姿を目にしようとせめぎ合う。


 三角フラッグで飾られた遊具に白いテント。少し音割れしている放送席のアナウンス。時折鳴り響く太鼓の音に「天国と地獄」の軽やかな旋律。


 運動会である。


 懐かしい光景だ。


「おい勇、ちょっくらコーヒー買ってきてくれ」


「俺のも買っていい?」


「ああ、ダッシュな。未夜の出番まであと三分だ」


 春山太一たいちはプログラムを丸め、ビデオカメラを覗き込んでいた。次の演目は一年生によるダンスだ。


 太一は未夜の実父で、俺の親父の仲間でもある。その縁で、俺は小さい頃よく遊んでもらった。

 金髪に浅黒い肌、猛禽類のような鋭い眼光。チョイワル親父といった風貌だが、根は優しいおっさんだ。


 二人分の缶コーヒーを手に、太一の元に戻る。


「あ、こら二本ともカフェオレじゃねぇか。俺はブラックが飲みてぇんだ」


「いいじゃんか、どっちでも」


「どっちもカフェオレだろうが」


「あ、始まるってよ」


「ったく」


 ビニールで作った赤いポンポンを手にした一年生たちが入場し、運動場の中央に並び立つ。


「未夜はどこだ……未夜ああああああ」


 太一はビデオカメラを構えて人の壁の中へ突入していく。


 俺は階段の上の方に上がり、運動場を見下ろす。


 小さいが、こちらの方がよく見える。


 あ、未夜だ。あそこには眞昼。あれが朝華か。


 三人ともへたっぴだが、動きに愛嬌があっていい。三人とも赤軍だ。


 ダンスが終わり、一年生たちがはけていく。次はたしか六年生の大玉転がしか。これは別に見なくてもいいだろう。


 俺は足の向くままに校内を歩く。

 六年ぶりの母校だ。


 あちこちでレジャーシートや折り畳み式のキャンプテーブルが散見できる。


 それにしても最近の小学校は運動会でも保護者関係の人間じゃないと入れないらしい。春山家と一緒だから入場することができたのだ。


 中庭の池に渡された橋の上でカフェオレを飲む。


 そうそう、低学年の頃よくこの池に落ちたっけ。


 思い出の景色を頭の中で思い浮かべながら、俺は一息にカフェオレを飲み干す。


 やがて、正午の鐘が響き渡った。



 2


 

「勇にぃ、私の活躍をとくと見たか」


 体操服姿の未夜はおにぎりを頬張りながら言った。


「おう、見た見た。綱引きの途中で勢い余って後ろにすっ転んだのをしっかり見たぞ」


「それは見なくていいんだ! バカバカ」


 ぽかぽか叩いてくる未夜を無視して午後のプログラムを確認する。一年生が出場する競技は徒競走だけか。


「ちょっとタバコ吸ってくるぜ」


 太一が大儀そうに立ち上がると、未来がすかさず、


「喫煙所で吸ってきてよ。場所分かる?」


「分かってるって」


 未来のお手製弁当を食べていると、背後から聞き慣れた声がした。


「おーい、未夜」


「あ、勇にぃもいる」


 眞昼と朝華が連れ立ってやってきた。


「おう、おめーら」


「見に来てくれたんですか?」


 朝華が背中に抱き着いてくる。


「どうでした?」


「ダンスかっこよかったぞ」


「えへへ、いっぱい練習しました」


「あっちで遊ぼうぜ」


 眞昼に手を引かれ、俺は立ち上がる。


「未夜、もういい?」


 未来が聞く。


「うん、ごちそうさまー」


 裏庭で遊ぶことにした。それにしてもこいつら、午前中あんなに動き回ってたのに、よく体力が持つな。昼ぐらい休憩すればいいのに。


 遊具で遊ぶ三人を見守りながら、俺は聞く。


「おめーら、あとは徒競走だけか。リレーは一年は出ないんだよな」


「ふっふっふ、勇にぃ、見てろよ。あたしクラスで一番速いんだぞ」


「ほう」


「男子より速いんだから」


 自信たっぷりに眞昼は薄い胸を張る。


 たしかに眞昼は運動神経がいい。午前の競技でも眞昼は好成績を収めていた。


「見せてもらおうじゃねぇか。ちなみに俺は六年の時に選抜リレー選手だったけどな」


「勇にぃのくせに生意気な」


「あんだと」


「眞昼ちゃん、頑張ってね」


「おう」


「朝華も頑張れよ?」


「私、クラスで一番足遅いから……」


「遅くてもちゃんと応援してるから、頑張ってこいよ」


「はい!」


「勇にぃ、私は?」


「未夜も頑張れ」


「うん」


 クソガキたちはやる気がみなぎってきたようで、いっそう激しく遊具の中を飛び回る。


 ……体力温存しなくていいのかこいつら。



 3



 赤白両軍の応援団による応援合戦も終わり、いよいよ午後の部が開幕した。


『次は、一年生による、徒競走です』


 アナウンスが響く。


 ゴール付近のベストポジションを確保した俺は、三人の登場を待つ。


 第一陣には未夜の姿があった。


 長い茶髪をポニーテールにし、気合十分だ。


 やがて号砲が乾いた破裂音を響かせ、スタートした。


 一年生たちが砂ぼこりを巻き上げ、一斉に駆けだす。


 未夜、頑張れ。


 あ、ああ。


 未夜はおてんばなくせして運動神経がそこまでよくない。俺の心の声援もむなしく、あれよあれよと抜かされていく。


 未夜は六人中五位という結果だった。ゴールした未夜は俺に気づいたのか、照れくさそうに小さく手を振る。サムズアップを返すと、未夜はにっこり微笑んだ。


 朝華の出番は三組目だった。


 長い黒髪を振り乱しながら、朝華は必死に走る。大股で正直かなり遅いへなちょこ走りだが、ほかの子供もそこまで速いわけではなく、四位という大健闘だった。


 ゴール後、朝華も俺に気づいたのか、順位別の列に並ぶ前にこちらに駆け寄ってきた。


「勇にぃ、やりました」


「頑張ったな」


「えへへ」


 頭を撫でてやると、朝華は満足そうに戻っていった。


 五組目、いよいよ眞昼の出番だ。


 スタートから一気に先頭に躍り出た眞昼は、後続をぐんぐん突き放す。


 さすがに速いな。


 クソガキの中で一番運動神経がいいだけのことはある。


 なんというか、走り方を分かっているという感じだ。しっかり腕を振り、姿勢も崩れていない。ほかの子供たちが力任せに走っているのに比べると、そのセンスの差が窺える。


 これは余裕の一位だろう。大口を叩くだけのことはある。


 ゴールまであと数メートルというところで、それは起こった。



「あっ」



 勢い余って前のめりになりすぎたのか、それとも何かにつまずいたのか、眞昼は転んでしまった。


 どよめきが起こる。


 徒競走において、たとえ一秒でもロスがあれば、結果は大きく変わってしまう。眞昼が立ち上がるまでの数秒で、後続の子供たちはどんどん彼女を抜かしていく。


 眞昼は六人中六位という結果だった。



 *



「いいかげん、元気出せって」


「……」


「事故みてーなもんだ。しょうがないって」


 翌日、眞昼は朝から俺の部屋に遊びに来た……くせにずっとベッドに座ってどんよりしている。


「違うもん、あれはあたしの本気じゃないもん」


 擦りむいた膝には絆創膏が貼ってある。


「一番速かったことは分かってるから。な? 運が悪かっただけだって」


「あたし、速いんだもん」


 目に涙を浮かべ、鼻声になる。


「あたし、一番速かったんだもん」


 そんなことを言うために朝っぱらから来たのか、このクソガキは。


 自信たっぷりだった分、ショックも大きいのだろう。特に実力ではなく不慮の事故が原因であるがゆえに、余計に悔しいはずだ。


 全く、世話の焼ける。


 俺は眞昼を胸に抱き寄せる。


「頑張ったとこはちゃんと見てたぞ」


「でも、ビリだった……」


 俺の服を掴み、眞昼は涙で濡れた顔を押し付ける。


「最初に全員置いてきぼりにするくらい速かったのも見てたし、転んでも頑張って起き上がろうとするとこも見てた」


「……」


「そんなに悔しかったなら、次の運動会でちゃんと一位取ってみろ。それともなんだ? 自信がないのか?」


 そう挑発すると、眞昼はむっとした顔を見せた。


「うがー、やってやる。来年こそ一位だ」


「はーん、できるのかぁ?」


「できる!」


 いつもの元気が戻ってきた。


 涙を拭い、眞昼は立ち上がる。


「よし、勇にぃ、来年を楽しみにしてろよ」






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