第97話 細い糸

「ああ! そんな名前だったな! ってどうかしたのか? 」


 エルネストさんが俺の呟いた名前に思い出したように声を上げるが、呆然とする俺たちに気付いて不思議そうに顔を覗き込んでくる。俺は咄嗟に「い、いえ」と曖昧に答える。


「それよりこの名前はこの辺りでは珍しい名前ではないんでしょうか? 」


「うーん、確かにあんま聞かないが珍しいってほどでもないよな? 」


 俺が不自然にならないように訊ねる。エルネストさんは特に気にした様子もなく答えると周りのパーティーメンバーを見回した。他のメンバーも同意する様に頷く。その反応に俺は「そうですか……」と答えながら、チラリと隣のスギミヤさんを見る。彼は未だに目を見開いて固まっていた。


(とりあえず一旦解散してスギミヤさんと情報の擦り合わせをしたほうが良さそうだな)


「あっ! 長々とお引止めしてすみません! 皆さんお時間は大丈夫ですか? 」


 スギミヤさんの表情から一旦この場を解散したほうがいいと考えた俺は不振に思われない様に話を変える。


「むぅ? そういえばすっかり話し込んでしまったな。そろそろ解散するか」


「ああん? それもそうだね。とりあえず話も終わったことだしあたいたちもお暇するよ」


 俺の言葉にアルバンさんがそう言うとスヴェアさんも同意して席を立った。


「今回は本当にご迷惑をお掛けしました」


 俺も2人に合わせて立ち上がるともう一度改めて頭を下げた。


「終わった話だ」


「そうだね。あたいも水に流すさ」


 2人はそう言うと入り口へと歩いていく。他のパーティーメンバーも口々に、「またな!」「何かあれば声を掛けろよ!」と俺たちに声を掛けて部屋を出ていった。


「……」


「……」


 2組が部屋を出た後も俺たちは暫く声を発することが出来なかった。


「……すみませんでした……」


 長い沈黙の後、俺は漸くそれだけ口にした。


「ん? 何がだ? 」


 スギミヤさんは俺の謝罪に首を傾げる。


「俺がおとといのうちにきちんと確認しておけばもっと早く情報を掴めたかもしれないのに……」


 自分の至らなさに俺は肩を落とす。


「今その話をしてもしょうがない。それで調査はどこまで進んだんだ? 」


 スギミヤさんは何でもないことのようにそう言うと調査の状況を訊ねてきた。


「ええと……おとといはスギミヤさんからのアドバイスどおりパールの冒険者を調べてみました。数は多くなくて18人、全員が以前から冒険者登録している人たちでした。それ以上のランクとなると数は更に少なくなると思います」


 俺は慌てて調査状況を説明する。


「そうか。ちなみにパールに限定した理由を聞いてもいいか? 」


「俺たちもそうですが期間を活動期間を半年くらいに限定した場合にランクを上げられるのはパールが限界だろうと考えました。それとそれだけ短期間でパールよりも上に上がっているのであればもっと噂になっているとも考えました」


 俺が理由を告げるとスギミヤさんは少し考え込んだ。


「……そうだな。妥当なところだろう。それでこのマサキという人物についてはどう思う? 」


 やがて彼は自分の中で納得したのか俺の告げた理由に納得するように頷くと、先ほどの上級職の人物について意見を求めてきた。


「正直なところどちらとも判断が付きません。この街に現れた時期や登録時点で上級職だったことやそれに見合わない実力を考えれば怪しく思えます。ですが、それはこの世界の住人でもありえる話の範疇ではないかと」


 俺は思ったことを正直に述べた。先ほどの話だけで判断するには情報が少な過ぎる気がするのだ。


 俺の見解にスギミヤさんは「そうか」と呟いて再び考え込んだ。俺は黙って彼の中で考えが纏まるのを待つ。


「俺はその人物が勇者候補だと思っている」


 暫くするとスギミヤさんはいきなりそう呟いた。


「えーと……その根拠は? 」


 俺はやや困惑しながら訊ねる。スギミヤさんは「かなり印象を含んだ話になるがいいか? 」と確認をしてきたので俺は頷く。


「まずは人との距離感の取り方だ。この世界の人間に比べると明らかにあちらの世界、もっと言えば現代人のような印象を受けなかったか? 」


 確かに俺もそんな印象を持った。少なくともこの世界で、しかも冒険者で件の人物のような態度を取れば舐められるし侮られる。アルバンさんが言っていたように冒険者とは実力主義で自己責任の世界だ。何の保障もない世界で孤立するのは危険であり、事実彼は疎まれていたようでもある。


「でも、例えばもっと辺境で育ってこういう環境に慣れてなかったとも考えられませんか? 」


「だが、この大陸で普人オーパスが生活しているのはどこもここと同じようにフェルガントの国が作った港町だろう?どこも似た様な雰囲気だと考えると彼のような態度を取るか? 」


「それは……ですが、例えばフェルガントやクロギアから流れてきたのであればどうです? 」


 確かにアーリシアで生まれ育ったのであればスギミヤさんの言うことはその通りだと思う。しかし、他の大陸の辺境育ちであればどうだろうか? 俺がそう疑問を口にするとスギミヤさんは「それもほぼないと思う」と言った。


「何故です? 」


「もし、他の大陸で生まれ育ったのであればこの大陸で初めて冒険者登録をする理由が分からない。クロギアからならばフェルガントへ渡るほうが近いし費用も掛からないしフェルガントで生まれたのであれば大陸内の別の街に移動すれば住む話だ。だいたい大陸間を移動する費用をどうやって工面する? 」


 そう言われて俺は何も答えられない。

 自分たちが金銭面では比較的容易に大陸間を移動していたために忘れていたが、普通であればそれだけの金額を稼ぐのは若者には難しい。それこそ冒険者になって一攫千金でも狙わなければ選択肢はかなり限られてしまう。


 俺が考え込んでいるとスギミヤさんは「それに」と言って話を次に移した。


「この世界の人間にしては常識がないと思わないか? 」


 それは例の“暗黙のルール”のことだろうか?俺がそれを訊ねると彼は「ああ」と言って続きを話し始めた。


「この世界で生きている以上、素材の重要性は理解しているはずだ。あの“暗黙のルール”は冒険者でなくても常識に近い。それをこの世界の人間が簡単に無視するか? 」


「でも、それを言うなら俺たちには『異世界の常識』がありますよね? 勇者候補がわざわざそれを無視するでしょうか? 」


 その信憑性に疑問があるとはいえ、俺たちは『異世界の常識』という知識を与えられている。それをわざわざ無視するだろうか?


 そんな俺の疑問にもスギミヤさんは「常識だからじゃないか? 」と答えた。


「??? どういうことですか? 」


「俺たちが知っているのはあくまで“常識”だ。ルールじゃない上に実感もない。それを重要だと考えるかは本人次第だ。そして、彼はそれを重要なことだとは思わなかった、ということじゃないのか? 」


 俺が首を傾げるとスギミヤさんはそう付け加えるように言った。

 確かにルールではない以上、『異世界の常識』にはそれを守らなかった場合にどのような結果を招くかといった記述はない。しかし、だからと言ってそれを無視するだろうか?


 俺がやや釈然としない表情をしていると、それに気付いたのかスギミヤさんは「最後に」と言って次の説明を始めた。


「何故彼はこの街での活動にこだわったんだ? 」


「ええと? 」


 どういうことだろうか?


「彼はどう考えても周囲の冒険者と上手くいっていなかった。先ほどの話だけでは断定出来ないが彼自身もそれを改善しようとは思っていなかった様に思われる。にもかかわらず彼はこの街で活動を続けていた。普通は居心地が悪くなって他の街に移ろうとするんじゃないか?」


 俺の疑問を見て取ったのかスギミヤさんはそう続けた。


「うーん、単純にその費用がなかったから、とかではないですか? 」


 俺はとりあえず思ったことをそのまま口にしてみる。


 しかし、スギミヤさんはまたしても「それはないだろう」と即座に否定した。


「何故ですか? 」


 俺はこれも理由が分からずに再度首を傾げる。


「彼は“暗黙のルール”を破るほどの獲物を狩ったり採集したりしていたのだろう? そんな人物が街を移れない程度しか稼げてないとは思えない」


「っ!! 」


 これは確かにそのとおりだ。彼は狩場を荒らした結果として他の冒険者から反感を買っていた。そんな彼が稼げていないということはありえないだろう。つまり少なくとも彼にはこの街に残る何らかの理由があったということになる。


「まあ実際に費用が貯まってギルドには告げずこの街を出た可能性はある。だが、それならば今も彼が行方不明扱いである以上は冒険者を辞めてしまったか内陸に向かったことになる。だが、彼のジョブで冒険者を辞めるというのはデメリットのほうが大きいだろう。内陸に向かうとしても聞いた限りの彼の性格では獣人種と上手くやっていけるとも思えない以上、内陸に向かう理由も見えてこない。他に有力な手掛かりも見つからない以上はこの人物を調べてみてもいいんじゃないか? 」


「そうですね……」


 スギミヤさんの提案に俺は煮え切らない返事をしたまま考え込んでしまう。

 彼の言うことはもっともなのだ。しかし、確信が持てないためどうしても踏み出せない自分がいた。そんな俺の様子をどう思ったのか、スギミヤさんは「では、こうしよう」と別の提案をしてきた。


「このマサキという人物については俺のほうで調べてみる。ニシダは引き続き行方不明者のリストを調べてみてくれ」


「いいんですか? 」


「ああ。手分けしたほうが調査も早く進むだろう。それにその様子では調査に身も入らないだろうからな」


 おずおずと聞く俺にスギミヤさんは苦笑いを浮かべた。俺もその言葉に同意して早速それぞれで調査を行うことになった俺たちは漸く立ち上がると部屋を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る