第87話 足跡を探して
翌朝、いつもとそれほど変わらない時間に目覚めた俺は着替えを済ませると部屋を出た。
食堂に降りていくとまばらな客の中にレオナールさんを見つけた。俺は近付いて挨拶をする。
「おはようございます」
「ん? ああ、ニシダさん。おはようございます。昨日まで大変だったのに早いですね」
手元の資料に視線を落としていたレオナールさんは俺の挨拶に顔を上げると、やや眠そうに目を擦りながら言った。その仕草はどう見ても小学生にしか見えないが、この人は歴とした成人男性、しかも年上だ。数日会わなかっただけで感覚が狂ってしまった。いや、戻ってしまったと言うべきか?
「習慣で目が覚めてしまって。ご一緒しても? 」
「もちろんです」
俺は内心でそんな益体もないことを考えながら促されるまま彼の正面の席に座る。
「スギミヤさんとエリーゼちゃんは? 」
俺は軽く周囲を見回しながらレオナールさんに確認する。
「まだ降りてきてません。お2人ともまだ寝てるんじゃないですかね? スギミヤさんはもちろんエリーゼさんは精神的にかなり張り詰めていた様ですし」
レオナールさんは軽い口調で言ったが、エリーゼちゃんの話をするときにはやや心苦しそうな顔をした。
昨日の様子からもエリーゼちゃんが精神的にかなり厳しい状況だったことは想像出来る。だが、あの子のことだから他の人の前ではそんな素振りを見せなかったに違いない。そう考えると大半の原因は俺にあると言えたので心苦しかった。俺は今日改めて彼女に謝ろうと心に誓った。
「ニシダ早いな」
「あっ、スギミヤさんおはようございます! ――ん??? 」
暫くレオナールさんと話していると、俺たちの座るテーブルの横にスギミヤさんが来た。少し離れて後ろにエリーゼちゃんもいるのだが、何故だかお顔を俯かせてもじもじしている。彼女が何故そんな状態なのか分からなくて俺は首を傾げる。レオナールさんの方を見るが彼も俺と同じような仕草をしていた。
「ええと、スギミヤさん? エリーゼちゃんの様子は一体? 」
いくら考えても理由が全く分からないので、考えるのを諦めた俺は素直にスギミヤさんに理由を聞く。スギミヤさんは一瞬何のことか分からなかった様だが、すぐに「ああ」と声を上げるとチラリと後ろを見てからやや声を抑えて言った。
「昨日お前たちの前で大泣きしただろ? どうやらあれが恥ずかしかったらしい」
「えっ!? そんなことですかっ? あっ! 」
スギミヤさんから理由を聞いた俺は思わずそう言ってしまった。慌てて口を押さえてエリーゼちゃんを見たが時すでに遅し、彼女は耳まで真っ赤にして先ほどより更に深く俯いてしまった。
「ニシダさんっ!! 」
レオナールさんから非難の声が上がり、まばらな食堂の視線が一斉に俺に集まる。どうやら皆さん話は聞こえていた様で、『お前が悪い』と言わんばかりの視線が俺に突き刺さる。
「すっ、すみませんっ!!! 」
俺は慌てて頭を下げた。もちろん朝食の間中エリーゼが俺とは一切口を利いてくれなかったのは言うまでもない。
「本当にごめんっ! 」
『海の親父亭』の受付近く、俺はエリーゼに頭を下げた。
「えっ!? あ、あの、もう怒ってませんから! 頭を上げてくださいっ! 」
俺の頭上でエリーゼが困惑する気配が伝わってくる。
「さっきのこともそうだけど……その、今回のことは俺のワガママが原因なんだ。そのせいでスギミヤさんを危険に巻き込んだ上、何日も連絡出来なく本当にごめんっ! 」
「いや、確かにきっかけはお前かもしれないが撤退を提案したお前に残ると言ったのは俺だ。お前だけが悪い訳じゃない」
更に謝罪を重ねる俺にスギミヤさんは自分にも非があったと言ってくれた。
「分かりました! 許します! 許しますからもう顔を上げてくださいっ! 」
俺とスギミヤさんの間でおろおろしていたエリーゼちゃんが叫ぶ様に言う。それを聞いた俺が頭を上げると彼女は「ぜぇぜぇ」と肩で息をしていた。
「はぁはぁはぁはぁ、これから気を付けてくれればいいですから」
そう言った彼女に俺は「約束するよ。ありがとう」と返した。
「じゃあ俺たちはちょっと街を見てくる」
「分かりました。俺はギルドにいると思いますので何かあればそちらに来てください」
スギミヤさんは俺の言葉に頷くと、宿の前で別れてエリーゼちゃんと一緒に市街地の方へと歩いていった。その背中を見送った俺はギルドへ向かって歩き出した。
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やってきたギルドは昨日と同様に閑散としていた。
時刻はそろそろ二つ目の鐘が鳴ろうかという時間である。朝の受付ラッシュはとっくに終わっている。俺は殆ど人のいないフロアを抜けて受付の前にやってきた。
「すみません」
「いらっしゃいませ! ってニシダさんじゃないですか。本日はどうされました? 」
俺が話し掛けたのは昨日俺たちの対応をしてくれたおばさんだった。彼女は顔を上げると話し掛けたのが俺だと気付いて不思議そうな顔をする。
「ええと、昨日副ギルド長にお願いした件で来たんですが聞いてますか? 」
「副ギルド長に? 少々お待ちください」
彼女はそう言うとがさごそと手元のメモを漁り始めた。
暫く待っていると彼女が「あっ、ありました! 」と声を上げた。
「ええと、何々……ふむふむ、
彼女の後に続いてギルドの奥に入っていく。今まで通されていた個室を通り過ぎて更に奥、突き当たりにある二部屋のうちの一つへ通される。
入ったのは狭い部屋だった。
入り口を除く三方全てに書棚が置かれ、中にはぎっしりと本や羊皮紙が仕舞われている。床にも大量の木箱が置かれおり、軽く覗いてみたがこちらにも羊皮紙が無造作に詰め込まれていた。中央には本に埋もれるように小さなテーブルが置かれ、向かい合わせに椅子が置かれている。だが、奥の椅子は後ろに木箱が詰まれており座ることは不可能な様だった。
部屋には埃とインクと古い紙の臭いが混ざった何とも言えない臭いが充満していて1日いると体調を崩しそうだ。そんな部屋の様子に入り口で入室を躊躇う俺を残しておばさんはさっさと部屋に入っていく。
「ええと……ここは? 」
入室する決心がつかない俺はとりあえずこの部屋が何なのかを聞いてみた。
「ここは資料室、というよりは物置とでも言ったほうが正しいでしょうか? まあ職員用の資料室のようなものです」
「それは俺が入ってもいいものなんですか? 」
おばさんの回答を聞いて俺は更に入室を躊躇った。ここは所謂『関係者以外立ち入り禁止』と言われる部屋ではないだろうか?
そんな風に思ったのだが、おばさんはあっさりと「副ギルド長から許可が出てますから」と言う。部外者が入ることに特別抵抗はないらしい。
「し、失礼しま~す」
意を決した俺は小声でそう言うと恐る恐る部屋に入った。
「うっ!? 」
入り口でも凄い臭いだと思ったが、部屋の中は一層凄かった。俺は慌てて鼻と口を押さえる。そんな俺の様子におばさんは「すぐ慣れますよ」と言うと椅子を勧めてきた。
「座って待っていてください。すぐに用意しますので」
言われて俺は渋々部屋の中央まで進んだ。おばさんが引いてくれた椅子をまじまじと見る。さすがに『埃まみれ』なんてことはないがなんだか座るのが躊躇われる。
「さあ! 」とおばさんに急かされて仕方なく俺は椅子に座った。座り心地は意外と悪くない。少し落ち着いたので改めて部屋の中を見回したが、とにかく圧迫感が凄い。ただでさえ狭い部屋なのに書棚とその前に高く詰まれた木箱が更に圧迫感を強めている。
―ドスッ―
部屋を見回していた俺は重いものが置かれる音に視線をそちらに向けた。
「えっ!? これ全部ですかっ!? 」
振り返ったテーブルの上、そこには大きな木箱が置かれていてちらっと見えただけでも大量の羊皮紙が詰まっていた。
「ええ、
俺はそんなおばさんの説明を聞きながら、予想外のリストの多さに呆然としていた。
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