⑭キングスポート大連合



 11月1日。

 アメリカ合衆国・東海岸。

 マサチューセッツ州ダンバース。


 正午。



 ハソーン・アベニューに面した、ダンバース精神病院付近の森。


 その森の中に、ぽつんと建てられた空き家があった。


 空き家は平屋でそこそこの大きさだが、数十年は放置されているのが容易に見て取れる荒れ様だった。

 全ての窓に板を打ち付け、外からは中が見えない。



 その空き家の居間に、年代物のランプに照らされた11人の男女がいた。



 正確には、10人の男と1人の女。



 2つの向かい合ったソファの片方に座るイヴと父が、対面のソファを囲む9人の男達と見合っている。


 9人の男たちはどこか身体の造形がおかしく、発育も貧弱だった。

 両目にぎらぎらとした光を不気味に宿す、イヴと同じ一族。


 その9人の男達の長は言った。


「あんたらが俺たちを裏切らねえ、って保証はどこにある? キングスポートの」


 イヴの父は鼻を鳴らし、


「あんたらにエネルギーを与えず、俺たちだけ行くって意味か? そんなことして俺たちになんの旨味ある? 俺たちだけで天の国に行けるんなら、最初からここには来てねえよ」

「じゃあなんで俺たちに声をかけた?」

「だから言っただろ、俺たちの8億キロジュールだけじゃ天の国に行けないかもしれねえから、手を組もうって話だ」


 ダンバースの長の問いかけに、イヴの父はうんざりした口調で返す。


「8億の話は聞いた。実物もさっき見た。そこを疑う気はねえよ」

「じゃなんなんだ、何が気に入らねえんだ。はっきり言えよダンバースの」


 ダンバースを根城とする一家の長は、ひしゃげたキャメルの箱からタバコを一本取り出し、仰々しくマッチで火をつけた。


「俺たちは別に来年でもいい。アリアナって気違い女が暴れまってんなら、今年は見送るのが正解だろ? 気違い女とやり合う時、あんたらの弾除けに使われるなんざまっぴらごめんなんだよ」

「弾除けだぁ?」

「その8億を来年に回しゃいいのに、今年強行する理由が分かんねえ」


 ゆっくりと紫煙を吐き出し、ダンバースの長はキングスポートの者たちを眇める。


「あんたらだってアリアナがいなくなりゃ、もう敵はいねえ。栄光の天の国に一家だけで行ける。だろ?」

「……」

「なぁ、キングスポートの。教えてくれよ、なんで今年なんだ? 来年じゃダメなのか?」


 ダンバースの長は、キングスポートの父娘を睨み付ける。


 それに応じたのは、キングスポートの長ではない。


「――――来年なんて、ないよ」


 鈴を振るような澄んだ声が、荒れ果てた陰気な室内で場違いに流れる。


 父を含む10人の男の視線を集め、イヴは涼しい顔で向き合う。


「来年の今頃は、みんなきっと死んでるよ」


 さらりとしたその言葉に、ダンバースの一家が殺気立つ。

 家長がそれを片手で制し、


「どういう意味だ?」

「アリアナは暴れすぎたんだ」


 イヴは栗色の髪の毛をいじりながら、世間話のような軽い口調で言う。。


「キングスポートと、オンタリオの原発で大爆発を起こした。カナダは軍隊を出してるし、ステイツだって同じ。みんなアリアナを探してる」

「それこそ今年は大人しくしてりゃいいだろ? アリアナがクリスマスにキングスポートで天の国に行こうが、ジョン・フーヴァーの子飼いにぶっ殺されようが、俺達には関係ねえ。今年中にあいつが消えてくれるんなら、むしろ大助かりだ」

「………アリアナは、爆発の調査委員会のメンバーと接触してた、カナダで。キングスポートと原発の、両方の爆発を調べてる人と」

「なに?」


 イヴの言葉に、ダンバースの家長は眉を跳ね上げる。


「アリアナが昔アーカムでお世話になってた人。その人と、カナダで会ってたよ。その人は爆発の犯人に目星がついてる感じだった。だから、私達のことも知ってるし、アリアナが協力するかもしれない。私達は全員殺されるかもしれない」


 だから、とイヴは告げる。


「だから来年なんて待ってる場合じゃないの」

「……その調査のメンバーってのは、なんて奴だ?」

「ワーズワース教授。ミスカトニック大学の先生。アーカムに行けば会えるかも」

「―――…っ!」


 イヴがその名前を呟いた途端、ダンバースの一家に強い緊張が走る。


「ワーズワース、だと……?」


 ダンバースの一家がざわつく。互いに顔を見合わせ、焦燥と強い敵愾心に塗れていた。


「あいつが関わってんのか?」

「ヤバいぜ、マジでFBIとかが来ちまう」

「殺すか?」

「無理だ。ミスカトニックに戻ってんなら、あそこの飼ってる犬どもが邪魔する。こっちが殺されかねねえ」


 尋常ではない反応に、イヴが首をかしげる。


「知ってるの?」

「忌々しいことにな。ワーズワースとその仲間は、この街のも含めてカルトを少なくとも4つは潰してる。俺たちとも付き合いのあった連中さ。仕事を依頼してきて、ガソリンや金をくれた。それを、くそがッ」


 ダンバースの家長は吐き捨てて言う。


「ワーズワースの野郎は顔が広い。もし本当に俺たちのことを知ってて、イカレたアリアナのやらかしたことを一族全部のせいだと思ったら、役人や警察が押し寄せてきやがる」

「私が思ってたよりも、ずっと深刻っぽいね」

「ああ、鬱陶しいことにそこは認めてやる」


 ダンバースの家長は床にタバコを投げ捨て、靴底で踏み潰しながら言った。


「手を打ってやるよ、キングスポートの。同盟を組んでやる」


 おお、と表情の緊張を崩しかけるイヴの父へ、


「ただし」


 ダンバースの長は冷たい瞳で父娘を睨む。


「一家が味わうはずだった、俺達だけが選ばれる栄光を捨てるんだ。その対価は頂戴させてもらう」

「具体的には?」


 節くれだって歪んだ指が、向けられる。



 イヴへ。



「この女を抱かせろ。俺だけじゃない。一家の者全員にだ」



「なに?」


 イヴの父は驚きと不安、脅威が綯い交ぜになった表情で娘を見やる。


「……」


 当のイヴの表情は僅かも動かなかった。

 涼しい顔で小首をかしげている。


 ダンバースの長は続けた。


「なんで一族が今まで同盟を組んで、一気に天の国に行かなかったか分かるか?」

「分かんない」

「他の分家どもを蹴散らして、俺達だけがキングスポートの神に選ばれる法悦が欲しいからだ」

「じゃなんで今回は?」


 何も考えていないような軽い口調のイヴへ、ダンバースの長は舌打ちする。


「アリアナとワーズワースは、それだけの脅威だからだ。そっちのキングスポートのも、そう思ったから嫌々俺達と手を組む話をしてきた。そうだろ?」


 イヴの父は鼻を鳴らす。へっ、と笑うダンバースの家長。


「俺も親父も、俺の息子たちにも、昔から神に選ばれる栄光と勝利、選ばれなかった連中への優越を夢見て育った。それをふいにしようって言ってんだ。息子たちに肉の法悦を振る舞ったってておかしかねえだろ?」


 その言葉に、家長の後ろに控えていた8人の男たちが一斉にイヴを見詰める。

 視線に含まれる感情は様々だったが、どれもイヴの爪先から髪までつぶさに値踏みしていた。


 ダンバースの長が口を歪め、嗤う。


「むしろ光栄に思えよ。その肉はそんだけの価値があるってことなんだから」



「いいよ」



 その嘲弄へ、イヴはなんの粘り気もない声で応じた。


 彼女の声があまりに涼しく場違いなので、男たち全員が強い困惑に顔色を変える。


 イヴは指で髪先をもてあそびながら、足を組み直し、


「でもここでゆっくり足止めされちゃたまんないから、父さんはあの塊もって他の一族のとこ行っててね」

「お前……」


 イヴの父親は娘を見やる。

 イヴは瞳を細め、薄く微笑んだ。


 それだけで、父親は青ざめ、息を呑む。

 彼の手が、怯えに震える。理解できない存在を見る目とともに。


「次はどこに行くんだ」


 そんなことに気づかないダンバースの家長が問う。

 その言葉で我に返った父親は、咳ひとつし、


「ニューベリーポートだ。息子たちはジョンストンやマーブルヘッドに行ってる」


 キングスポートの一家は1台しかトラックを持っていなかったが、イヴが金を出し、裏で商売をしている者から中古のトラックを購入した。その札束をどうやって稼いだのかイヴは言わなかった。


「ならあんたは明日の朝、迎えに来りゃいい。ダンバースが組んだことを伝えりゃ、ニューベリーポートの連中だってすぐ話がつくだろうよ」

「ああ、そうさせてもらう」


 イヴの父はソファから立ち上がり、部屋を出ようとした。


「あと名前はどうする」

「キングスポート大連合(Kingsport Grand Union)でいいだろ」


 長たちのやり取りに、イヴの眉が少し跳ねる。


「名前?」

「地下の川を渡る前に、参加するチームの名前を入れる。普通は一家の名前を入れるが、今回は連合だからな」

「ふうん」


 父親の言葉に何の気もなく頷く。


 そしてふと思い出したように「あ」と声をあげるイヴ。


「父さん」


 娘の呼びかけに父親は足を止め、苦々しい表情で振り返る。早くここから去りたい、という気持ちを隠そうともしない。


 イヴは愛らしく笑み、父の持つトランクへ指差し、


「ネコババしたら、襲いに行くから」

「……」


 蒼白の顔で、父親はその家から去った。


 壊れたようなエンジン音が遠ざかる中、イヴは10人の男たちへ向き直る。


「ここまでやってクリスマスに来なかったら、密告するから」

「約束は守るさ。安心して、こっちに集中してくれよ」

「はいはい」


 イヴはソファから立ち上がり、するりするり、と服を脱いでいく。


 古ぼけた頼りないランタンの光が、イヴの真っ白な身体を照らす。しなやかであり柔らかな肉体。男たちが色めき立つ。




*****



 そうして彼らはイヴを貪り始めた。



 最初は触れたこともない肉の豊満さに興奮したが、いざことに及ぼうとした時、彼らは凍りつく。



 イヴの茶色の瞳が、笑っていた。溢れんばかりの憐れみを伴って。



 色欲に溺れるでも、屈辱に恥じるでもなく、ただ憐れんでいた。優しく。


 10人を超える男たちに囲まれても、彼女は欠片も怯えていない。

 それどころかひどく余裕だった。彼らには自分を傷つけることなどできないと言わんばかりに。


 男たちが逆に屈辱的と感じてしまうほど、これ以上ないほど零れさせている憐憫の色。



 ――――それと同時にイヴの双眸にあるのは、絶対強者の余裕だった。



 子供と大人というより、巣穴を掘り返されて混乱するアリで遊ぶ巨象のような。

 アリたちがどれだけ必死になろうが、いつでも原型なく踏み潰せる、そんな遊び感覚で皆殺しにできるような。


 それほどの余裕をもって、イヴは男たちを憐れみ、抱かれていた。


 一体何が彼女をそこまで強くさせているのか、男たちは分からない。


 そして自分たちを完全に下に見ているイヴへ、憤怒、興奮、そして恐怖を振り払うため、彼らはより激しく責め立てていく。

 イヴは逆らわない。むしろからかうように従順だった。


 男たちはそれに煽られて、さらに彼女を苛もうとする。


 しかしイヴの艶美な傲岸は崩れない。


 物質や熱量を捕食する一族の男たちが、全員、イヴひとりに捕食されるような感覚に陥った。


 彼らは狂乱し恐慌し、イヴに挑み続ける。





 イヴがわらう。



*****




 翌朝、父親がトラックに乗ってやってきた時、イヴは外の玄関先で眠たげに体を伸ばしていた。


「おはよ」


 朝の日差しも届かないほど鬱蒼と茂った森の中、娘に純朴な笑顔で挨拶され、父親は鼻白む。

 運転席から降りない父親へイヴは尋ねた。


「そっちはうまくいったの?」

「あ、ああ。8億とダンバースの連中のことを話したら、すんなり話がついた。ニューベリーポートは連合に加わる」

「そう。良かった」

「ただ……」

「?」


 言い淀む父へ、イヴは首をかしげる。父親はイヴの顔色を窺い、


「………お前とダンバースの連中のことを話したら、『俺達にも味わわせろ。連合に不平等はよくねえ』って言ってきやがってな」

「ああ、やっぱり?」


 イヴはあくびをひとつして、トラックの助手席にすたすた入っていく。


「じゃ、行こっか」

「どこへだ?」

「ニューベリーポート。ご指名なんでしょ?」

「……」


 イヴの父親は何も返せず、アイドリングさせていたトラックのクラッチを踏み込む。アクセルを操作し、トラックを発進させた。草を踏み潰し、来た道を戻る。

 バックミラーに映る廃屋が遠ざかっていく。


「少し寝るから、ついたら起こして」

「……ダンバースの連中は」

「ん?」

「殺したのか?」

「シリアルキラーじゃないんだからさあ」


 イヴは助手席に置かれた毛布で全身をくるみ、丸まりながら、くすくす零す。


「なんか知らないけどみんなスタミナ切れちゃって、後半普通に寝ちゃった。出てくときも誰も起きてなかったよ」

「……何があったんだ」

「だから、すっごいがっついてきたんだけど誰も朝まで」

「お前のことだ」



 ハソーン・アベニューからメープル・ストリートへ抜け、父親が問いかける。


「キングスポートを出る前と、今のお前は、とても同じには見えねえ。アリアナと一緒にいて、何がお前をそこまで変えたんだ?」

「知りたい?」


 イヴが毛布で顔の半分を覆い、目を細める。眼底から燃える双眸。


 妖火の瞳。


「でもダメ」


 イヴがわらう。

 婀娜たる眼差しが、父親を貫く。寒気が彼を襲う。ステアリングが乱れた。イヴはふふっと体を揺らす。


「クリスマスになったら教えてあげる」


 トラックはニューベリー・ストリートを北上する。


「天の国に行く前に」







 イヴがわらう。










*****





 『ミスカトニックの名物教授エイブラハム・W・ワーズワース、カナダより帰還。新型原子力発電の検討委員会へ「太陽を真似するのは無理。三重水素で良い。それより加速器作りたい」』


 (アーカム・アドヴァタイザー新聞・11月2日号より)





*****





 『オンタリオ州ブルース郡の重水工場で貯蓄していた重水の一部が謎の喪失。原発での爆発と関係が?』


 (トロント・デイリー・スター新聞・11月16日号より)





*****





 『ハドソン湾の怪異! 海の水を貪る触手の悪魔!』


 (スピリチュアル・マガジン12月号(12月1日発行)より)





*****






 ………




 ……




 …






*****





 そして2ヶ月が過ぎて。







 彼らはクリスマスを迎えた。





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