ニュースペーパー・シャーク〜〜新聞鮫〜〜

武州人也

新聞鮫とは?

 八月某日、夕日新聞社の記者である松岡エリが、自宅で遺体となって発見された。

 遺体には頭部がなく、何か大きな獣に齧られたような跡があった。クマではない、もっと大きな口を持つ肉食動物の残した歯型である。

 捜査関係者は、皆一様に首を捻った。獣害にしても、「何が彼女を食い殺したのか」という疑問が常に付き纏う。

 結局、答えは出せそうになかった。


***


 警視庁本部庁舎の一室。その中の一つの白いテーブルに、腰まで伸びた長い金髪の美青年と、中年の男性が向かい合うように着席していた。


「彼女を食い殺したのは、サメです」


 金髪美青年メイスンの言葉に、向かいに座る中年の刑事――有島時雨は飲んでいたコーヒーを噴き出しそうになった。


「馬鹿な、彼女は家にいて死んだんだぞ」


 時雨も、今回ばかりは彼の言葉を信じる気にはなれなかった。あまりにも、荒唐無稽に過ぎる。


「時雨サン、こんな話をご存じですか? 「サメは遺伝子が不安定で、突然変異を起こしやすい」ということを」

「……サメのことはあまり詳しくないんだ」

「ワタシの祖国アメリカでは、様々な事例が報告されています。電気を帯びるサメ、砂浜や沼地を泳ぐサメ、人をゾンビ化させるサメ……枚挙にいとまがありません」

「お前……大丈夫か?」


 時雨は決して、メイスンのことをはなから疑っているわけではない。寧ろ、彼のことは何かと頼りになる男だ、とさえ思っている。けれどもこの時は流石にメイスンの語る話が馬鹿馬鹿しすぎて、時雨は最早これ以上聞く気になれなかった。


 元々警視庁捜査一課の刑事であった有島時雨は、政府の依頼を受けたアメリカ出身の私立探偵メイスン・タグチと共に、日本中を震撼させた「お化けダイコン事件」を解決した。

 警視庁は「特殊生物捜査課」という部署を新設し、時雨をそこの課長に任命した。課長とはいっても所属しているのは時雨ただ一人であり、メイスンのような外部協力者と共に事件捜査に当たるのが常だ。

 それからというもの、彼はことある毎にメイスンと組まされ、奇怪な生物が引き起こす様々な事件を解決してきたのである。


***


 何はともあれ、情報を得なければならない。時雨は聞き込みを開始した。

 松岡は社会部の記者であったが、最近は与党政治家のことをやたらと嗅ぎ回っていたという。さらに、記事の内容のことで上司に強い口調で詰め寄る様も目撃されていた。

 彼女の母親はベトナム出身で、母から祖国が一党独裁で自由が制限されがちな国であることを聞かされ続けており、そのためか権力というものに殊の外敏感であったという。そのような人物像も浮かび上がってきた。


「中々、厄介な問題に首を突っ込むことになりそうだ」


 朝、時雨は食卓で茶を飲みながら、新聞を広げた。

 およそ報道という業種というのは、一般の人々が踏み込まないような場所にまで踏み込んでは情報を集める。その点では刑事と似通った部分もあろう。刑事の仕事は往々にして危険性を帯びるが、新聞記者というのまた然りなのだろう。

 そのようなことを考えていた、その時であった。突然、家のインターホンが連打された。


「どちらさまですか」


 腰を上げ、苛立ち紛れにインターホンに応答しようとした時雨。そのインターホンの画面に映ったのは、メイスンの姿であった。白地にサメの絵がプリントされたTシャツを着たその姿は如何にも着の身着のままといった様子で、表情には焦りが見える。


「時雨サン! 早く新聞を燃やしてください! 早く!」

「え? 新聞?」


 メイスンがそう叫ぶのを聞いて、時雨は食卓の上に置いた新聞の方を振り向いた。


 その時、新聞の紙面が。そこから、魚の背びれのようなものが突き出ている。


「まさか……」


 その時、時雨はメイスンが以前言い放った言葉を思い出した。


「彼女を食い殺したのは、サメです」


 ――まさか。で、というのは――


 時雨の予感は的中した。新聞の紙面から、


「うわっ!」


 サメはそのまま大口を開け、時雨に向かって飛来した。時雨は咄嗟に体を捻り、何とかそれを回避した。


「この! こいつめ!」


 時雨は部屋に置いてあったゴルフバッグからアイアンを取り出すと、それを振り上げ、サメに向かって力任せに叩きつけた。何度も叩きつけてやると、サメはそのまま動かなくなった。


***


「ニュースペーパーシャーク?」

「そうです。時雨サン」


 耳慣れない単語に、時雨は目を丸くした。


「ニュースペーパーシャーク、知り合いのサメ被害専門家に連絡したのですが、アメリカで二例だけ見つかりました。小さな町の新聞からサメが飛び出して、それぞれ四十代と五十代の男性が死亡しています」

「アメリカって国は何でもありだな」

「アメリカが不思議なのではなく、サメという生物が不思議なのです。何故あのように多様なのか……」


 時雨もようやく、メイスンの与太話を信じる気になった。目の前で新聞からサメが飛び出る様を見せられては、今後何が出てきても驚かないだろう。


***


「オオメジロザメですね」


 死体を科捜研に回して、職員から帰ってきた答えであった。

 オオメジロザメ。メジロザメ科の大型種であり、ホオジロザメやイタチザメと並んで「人食いザメ」と恐れられる種である。このサメの一番の特徴は何と言ってもその行動範囲の広さにあり、海洋のみならず淡水域でも活動し、川を遡上したり湖で発見された例もある。


「行動範囲の広いオオメジロザメなら……確かに新聞紙の中に潜むことは可能でしょうね」

「なるほど、その理屈は分からん」

「実はワタシの所にもサメ入り新聞は送られてきました。問題は、誰が何の目的でワタシと時雨サンの所にサメ入り新聞を送ってきたか、ということです」

「ほほう」

「ワタシたちのことが嗅ぎつけられている。そう考えられるでしょう。真相を知られたくない何者かがワタシたちを妨害している」


 メイスンの眼差しは、いつにも増して真剣そのものであった。


「明日ワタシの知り合いのサメ被害専門家が到着します。取り敢えずそれを待ってから再び行動しましょう」

「サメ専門家?」

「心強い味方です。力になってくれるでしょう」


 そうして、二人は一旦別れ、時雨は帰路に就いた。


「俺たちを消しに来る相手か……」


 その晩、時雨は布団の中で考えごとをしていた。首を回して隣の妻の顔を覗いてみると、すでに妻の雪は熟睡していた。


 刑事の仕事には危険が付き纏う。自分自身はそれを承知でこの仕事を選んだ。しかし、今の自分には妻もいる。中学生の息子もいる。彼らに累が及ばないとどうして言い切れよう。自分ならともかく、大事な係累の身が危険に晒されるなど承服できようはずもない。もしやすれば、自分だけでなく家族全員がサメ入り新聞の犠牲者になっていたかも知れないと思うと恐ろしい。


 ――そのような卑劣な相手だからこそ、野放しにはできない。


「こうなったら、絶対に尻尾を掴んでやる」


 この時、時雨の胸中に、烈心が抱かれた。


***


 翌日、黒い中折れ帽をかぶりサングラスをかけたメイスンが庁舎に現れた。時雨以外が見たら怪しい人物にしか見えないため、時雨が玄関口まで迎えに出た。彼の白い肌と碧眼は紫外線に弱いため外ではこのような格好をしているのだという。

 メイスンは、一人の男を連れてきていた。


「オレがサメ被害専門家のマークだ。ヨロシク」


 メイスンに伴われて時雨の目の前に現れたのは、漁師のような格好をした、体格のいい黒人男性であった。


「ニュースペーパーシャークの退治だな。オレに任せとけ」

「時雨サン、彼が例のサメ被害専門家です」

「あ、ああ、こちら有島時雨刑事。よろしく頼む」


 そうして、時雨とマークは握手を交わした。マークの手は大きく、そして握る力は強かった。


「さて、我々の向かう場所ですが……」


 庁舎の一室で、メイスンはタブレットの画面を時雨とマークに見せた。そこには地図が表示されている。


「なるほど。そこか」

「早く行こうゼメイスン」


 二人は、一目でメイスンの意図を察した。


 三人が向かったのは、夕日新聞社の新聞を印刷する印刷所であった。夕日新聞社は関東地方に七箇所の印刷拠点を持つが、メイスンと時雨の家にサメ入り新聞を送りつけたのはこの場所だろう、とメイスンが目星をつけたのである。


「誰もいないみたいですね」


 外から内部を覗いたメイスンが開口一番に言い放った。


「これじゃあ中に入りようがないな……」

「そうカヨ、なら力ずくしかネェよな」

「その通りですね、マークサン!」


 メイスンはリュックから遠隔起爆型の爆弾を取り出し、マークは鎖付きの鉄球を取り出して構えた。二人とも、意気揚々、といった様子である。


「はぁ……結局これかよ……」

「まぁまぁ、それじゃあマーク、頼みますよ」

「おう、オレに任せとけ!」


 マークは鎖付き鉄球を振りかぶり、ガラスに向けて何度も振るった。ガラス張りの壁は粉砕され、人が通れるほどの破れ目ができた。


「確かに、メイスンの言う通り誰もいないみたいだ」

「おいおい黒幕さんヨ、早く姿を現しやがれ」

 

 中はがらんとしていた。大きな機械があるものの、それは稼働していないようである。てっきり今の時間は夕刊を印刷するためにフル稼働しているのかと思ったが、そうではないらしい。新聞も発行部数が減っているらしいから、この印刷所は増産の必要性が生まれた時のためのリザーバーのような存在なのだろうか。時雨は内部を見回りながら、そのようなことを考えていた。


 内部を見て回っていると、一階の一番奥に、銀色の扉を見つけた。時雨がドアノブを回してみたが、鍵がかかっているのかびくともしない。


「おやおや、これはワタシの出番ですねぇ」

「よぅしメイスン、やっちまえ!」


 ニヤリと笑みを浮かべるメイスンに、囃し立てるマーク。それを、時雨は生温い視線を送りながら眺めていた。


「はい、爆破!」


 銀色のドアに爆弾を取り付けたメイスンは、リモコンの起爆スイッチを押した。爆音とともに、ドアは粉微塵に吹き飛んだ。

 ドアの向こうには、地下へ続く階段があった。ここは、先に進むしかない……三人は階段を降りていった。

 階段を降りた先には、無機質な白い壁に覆われた部屋があった。その部屋の真ん中から、何かの機械がうなる音が聞こえる。


「印刷機の音だな、これ」

「ああ、そのようですね」


 部屋の中に踏み込んでみると、やはりそこには大きな印刷機があり、新聞印刷の最中であった。


「見るからに怪しいな……」

「そうだゼメイスン。早くこんなんぶっ壊して新作サメ映画の『マウンテンシャーク』一緒に見ようゼ」

「怪しいのは分かりますが……今は様子を見ましょう」


 メイスンは稼働中の印刷機を隅から隅まで眺めた。印刷機は尚も変わらず新聞紙を吐き出し続けている。吐き出された新聞が、台車つきのプラスチック箱の中にどんどん積み上がっていく。箱の中身が一杯になると、台車が自動的に何処かへ走り去っていき、代わりの台車がまた新聞紙を受け止めた。流れは全てオートメーション化されているようだ。

 三人はその様子を暫く眺めていた。すると、その時、機械の動きが止まった。

 そして、積み上がった新聞紙の一番上から、一匹のサメが跳びかかってきた。


「うわっ! 来たぞ!」

「こいつ!」


 マークは鎖付き鉄球を構え、横薙ぎに振るった。鉄球はサメの頭部にめり込み、そのまま弾みでかっ飛ばされたサメが壁に激突した。


「これは完全にクロ、ですねぇ」

「そうみたいだな……」

「なら話は早ぇ。さっさと爆破して帰ろうや」


 この施設こそ、あのサメ入り新聞の出所だ。三人はそう確信した。

 その時、靴の音とともに、印刷機の向こう側から何者かが姿を現した。


「お前たちか。ウチを嗅ぎ回っているという不埒者たちは」


 真っ白な髪をした老齢の男性が、そこに立っていた。その視線には敵意がこもっており、友好的な雰囲気ではないのは確かである。


「夕日新聞社の社長……自社の記者をサメの餌食にしたのは、お前なのか!?」

「刑事……国家の犬め。ああ、そうだ。奴は無能なばかりか、我が社に盾突く愚か者だったのだ。組織を乱すようなものなど不要だろう? 刑事のお前も分かるはずだ」


 そう前置きして、目の前の男――夕日新聞社の社長は、事の顛末を語った。

 松岡はとある政治家に対する記事を「悪質なデマゴーグ記事」と切って捨て、ゴーサインを出した編集長に詰め寄っていた。


 ――この女は、組織の不穏分子だ。


 そう判断された松岡の所に、試験段階のサメ入り新聞を送った。目論見通り、彼女はサメの潜んだ新聞を読み、サメの餌食になって死んだ。


「バカとハサミは使いよう、だよ。組織にとって無能なクズでも、ニュースペーパーシャークの試験には使えたんだからな」

「そんなことで人の命を……」


 この時、時雨は嚇怒かくどした。職業柄、人間のクズとしか言いようがない者たちを多く見てきた時雨出会ったが、目の前の男の身勝手さは筆舌に尽くしがたい。

 松岡という記者は融通の利かない直情型の記者で、権力というものには人一倍に敏感であったという。だが、彼女が最も憎むべき「権力」が、身内のそれであったことは何たる皮肉であろうか……


「このニュースペーパーシャークの力があれば、この日本国は我が社の意のままだ。我々こそが、この国の支配者となるのだよ」


 確かに、ニュースペーパーシャークの力があれば、要人暗殺などお茶の子さいさいだろう。この会社に取って気に食わない人物を、速やかに葬り去ってしまえる代物だ。


「おいおい、イカレてやがるゼェコイツは」

「もはや躊躇うことはありませんね。このような危険な設備は解体させていただきます」

「馬鹿どもめ、お前たちを生きて帰すものか。やれ!」


 社長が指を慣らすと、積み上げられた新聞が震え出した。そして、そこからサメが溢れ出した。


「サメの大群だ!」

「くっ……やるしかありませんね!」


 時雨は懐から拳銃を、メイスンはリュックからクロスボウを取り出しサメに応戦した。銃弾とクロスボウの矢を撃ち込み、立て続けに二匹のサメを撃墜してしまった。


「サメ相手ならオレの出番だゼ。覚悟しな!」


 マークはいつの間にか、鎖付き鉄球からチェーンソーに武器を持ち替えていた。チェーンソーの回転刃が唸り、飛来するサメを鼻っ面から真っ二つにしてしまう。

 

「ち、チェーンソー!?」

「おいシグレとやら、チェーンソーを舐めるなよ。こりゃ対サメ用の必殺兵器なんだゼ」

「マークの言う通りです。我が国ではチェーンソーを手にサメと戦った英雄の逸話がありますからねぇ」


 勢いに乗ったマークは、チェーンソーを唸らせながらサメを斬って斬って斬りまくった。そのチェーンソー捌きは、明らかに手慣れている。


「すげぇもんだな……」 

「サメを相手にすることにかけてはマークの右に出る者などいません。さて……」


 メイスンは爆弾起爆用のリモコンを取り出した。

 実は先程、印刷機を調べていた時に、メイスンはちゃっかり印刷機に遠隔起爆型の爆弾をセットしていたのである。


「マーク! 早くこちらへ!」

「おう、メイスン、終わらせるんだな!」


 マークが後退すると、メイスンは向かってくるサメ一匹をクロスボウの矢で撃ち落とし、起爆スイッチを押そうとした。


「させるか!」


 社長が構えた拳銃の銃口が、メイスンの方を向いている。社長の狙いは手に持ったリモコンであった。その銃撃によって、メイスンの握っていたリモコンは叩き落とされてしまった。


くなる上は……時雨サン」

「何だ?」

「その拳銃で、あそこにセットした爆弾を撃ち抜いてください」


 メイスンが指差した先には、印刷機に貼り付いた爆弾がある。


「残り一発……できるか」


 計算では、拳銃の残弾は一発しかない。これを外せば、爆破は成功しない。成功しなければ、サメの大群に押し潰されてしまうだろう。

 四匹のサメが、こちらに向かってきていた。もう猶予はない。時雨は、拳銃の引き金を引いた。


 放たれた銃弾は、見事爆弾にヒットした。

 凄まじい爆音を立てて、印刷機が粉微塵に爆破されてゆく。サメたちも、新聞紙も、爆発に巻き込まれ灰燼に帰していった。


「二人ともこちらへ」


 メイスンの導きで、時雨とマークは階上へ逃げた。爆風を浴びないためである。


「……これで、一件落着でしょうね」

「ああ、そうだな……」

「オレは戦い足りネェな。もっとサメとバトルしたかったゼ」

 

 こうして、夕日新聞社社長の野望とその道具たるニュースペーパーシャークは、爆風とともに塵芥と化したのであった。




 

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