待つ


 ヤンがゼ・マン候の屋敷に訪れてから一週間が経過した。予想通り、彼からの連絡は一向にない状態だった。

 焦れてきたイルナスが、手紙を書いているヤンに尋ねる。


「そろそろ行った方がいいのではないか?」

「うーん……まだ、早いような気がしますね」


 計画通り、ヤンはイルナスを連れていくのだが、『もう少し時間をかけた方がいい』と彼女は答える。相手は時間も暇も持て余した年寄りだ。自分たち若者よりも、長く大きく構えることができるとのことだった。


 時間は相手に考える時間を与える。一度判断した事柄だが、よくよく振り返って不安になり、また考える。そして、考えれば考えるほど、この件が気になってくる。若い人よりも時間的に余裕のある老人など、なおさらだ。


「時間的なことで言えば、40代以上を相手にするなら倍の感覚は待つ方がよいでしょう……あくまで、経験則ですけどね」

「ば、倍……ってことはあと、一週間くらい?」

「……十日というところでしょうか。ゼ・マン候は鷹揚なので、もう少し待てますが、下手すれば忘れてしまう危険もあります」


 交渉は、早すぎても遅すぎてもよくない――いや、どちらかと言うと、ド・ベスタという側近が焦れて、何かしらの行動を加える可能性もあるか。言いながら、ヤンは計画を9日前に修正した。


「知らなかった。そんなに綿密さを求めるんだな」

「この件は、重要ですからね。軽い雑事は迅速さが大事ですが、重要な交渉ごとは待つことが大事なのです。だから、私、向いてないんです」

「……十分に策を巡らしていると思うけど」

「全然です」


 ラスベルならば、一回の訪問で終わらせているだろうと、ヤンは思う。むしろ、師のもとにいた頃は、自分がイルナスの立場でよく失敗していたものだった。


「機を見るのは、師が優れてますね。あの人は本当に恐ろしいです。私の尊敬するラスベル姉様の百倍はすごい」

「ひゃ……それって、もはや想像がつかないんだが」


 イルナスは思わず後ずさる。ヤンは思い出したように、表情を暗くする。


「あの方の時間感覚っておかしいんですよ。20歳前後のはずなのに、考え方としたら90歳を超えた老獪な軍師よりも、待てます」

「……待てる?」


 あまり想像できないイルナスだったが、ヤンはひきつりながら頷いた。どうやら、なにかを想像して気分が悪くなったようだ。


「例えばですけど、ある戦があるとします。百戦負けて、最後の一戦だけ勝つというのが攻略の糸口だったとすると、師は平然とその手を打ちます」

「それは……そうじゃないか?」


 勝てる可能性がその1つだったら、誰しもがその手を打ちそうなものだと、イルナスは思った。

 しかし、ヤンは首を振る。


「普通は、その前に別の手を考えて自滅するんです。なぜなら、百戦するまでに途方もないほどの時間が流れるから。『1年計』って知ってます? 師がひたすら局地戦で負け続けたって言う戦場があったんですが、最後の最後で逆転して、結果小国が滅亡しました。イルナス様なら、1年間負け続けられますか?」

「……無理かもしれない」


 当時、ヘーゼンを解任せよと騒がれていたが、当の本人はまったく気にもしない。これで、負ければ解任と宣告され、更に十戦粘って負け続けてからの大逆転だった。実際、ヤンもラスベルも何度も『もういい加減にしてください!』と泣きながら懇願し続けたが、一向に聞く耳なし。


「無理ですよ。若ければ若いほどに無理なんです。時間というものは歳を経るごとに伸びていくのですから。100歳であれば、1年は100分の1ですが、20歳であれば20分の1です。密度が全然、異なるんです。なのに、師の考え方は下手をすれば200歳を超えます。何十年というスパンで待てる、異常者なんです」

「……い、異常者って」

「うっ……思い出すだけで吐きそうになってきました」


 もう考えたくないとばかりにヤンは頭を抱える。今まで、よほど恐ろしい目に遭ってきたのか、思い出すだけで取り乱すヤンもなかなか異常に見える。


「イルナス様……師だけは敵に回さないでくださいませ。私は、あくまでイルナス様の味方ですが、師を敵に回すことだけは考えたくありません」

「わ、わかった」


 元皇子は、なぜか自分で話しながら不安がるヤンの頭をなでた。



 






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