第27話 教育


「イルナス様、絶対に本気出しちゃ駄目ですよ」

「う、うむ……わかった」


 出発前、ヤンは何度も何度もイルナスに言い聞かせる。今日は授業初日である。コシャ村には学校がある。

 平民では、ある村とない村があるらしいが、ゼ・マン候がさすがに教育を受けさせないのはどうかとコシャ村を居住地に選んでくれていたらしい。


「あー、もう。なんだって……気が利かないなぁもう」

「や、ヤン。せっかくの好意なのだから」


 そう言ってイルナスが抑えるが、ヤンはかなり頭を抱える。完全に誤算だった。ゼ・マン候は下位領地の領主だから、皇族がどのような厳しい教育を施されているのかをまったく知らないらしい。

 学力の格差は、中央に行くほど高く、田舎に行くほど低い。当然だが、身分が高いほど高く、低いほど低い。またまた当然だが、聡明な人ほど高く、アホな人ほど低い。


 総合して考えると、イルナスの教育レベルはヤバい。


 さすがにヘーゼンなどのような狂人コースを受けたヤンであれば、イルナスと張り合えるのかもしれない。

 しかし、下位領地の田舎の平民の村の子どもたちとは次元が異なる。同じ教育を受けたとしても、そもそも勉強になるはずもないのだ。そんなことはわかってくれていると思っていたが、ゼ・マン候はかなりの天然さんらしい。


「ヤン、僕は結構楽しみだぞ」

「そ、そうですか? まあ、イルナス様がそう言うなら……お気をつけて」


 ハラハラした気持ちでヤンはイルナスを見送った。まあ、まったく教育レベルとしては上がらないが、元皇子が平民の学力レベルを見ることだけでもいいことなのかとヤンは思い直す。


 イルナスが学校に到着した。と言っても、建屋は一部屋しかない。壁も吹き抜けで、10人がやっと入れると言ったところ。イルナスはドキドキしながら入っていたが、すでにそこには子どもたちが揃っていた。


 人数は8人程度。ジッとしていることがどうやら苦手らしく、滅茶苦茶暴れている。泣き声や笑い声、奇声などが飛び交っている。正直言って、面食らった。ここまで混沌とした空間が平民たちなのか、とイルナスはある意味感心する。


「おい、剣士ごっこしようぜ! 俺は剣聖バドワーク。お前は竜騎兵ドラグーンのラシード」

「……僕?」


 いきなり声をかけてきた子どもは、イルナスに木の棒を差し出す。部屋の中でいいのかなと思いつつ立ち上がると、いきなり襲ってきた。

 しかし、子どもの速度なのでかなり遅い。なにも考えていないのか、モーションも見え見えである。


 ええっと……これって倒してしまっていいのだろうか。


 イルナスは一般の5歳よりもかなり背が小さいほうだ。だから、この男の子に選ばれたのだろうが、そもそも家庭教師がリアル元剣聖の称号を持つヴァイヴァ=ラードである。

 特に得意でもないが教養としては仕込まれているし、その剣速は比べるべくもない。加えて、南紀猫ナビクナなどの魔獣のような殺されるほどの恐怖もない。


 とりあえず、自称バドワークの突進を躱して足払いをした。ゴロゴロ、と転んだ自称剣聖は「うわああああああっ、うわあああああっ!」と全力でガン泣きする。受け身も取れていなかったので痛いとは思うが、そんなに泣かなくても、とイルテスはドン引きした。


 やがて、教師が入ってきて、その子とイルテスが呼び出された。一層、泣き声がうるさくなり、「あのね、あのね、あいつがね……」と要領を得ない男の子の説明に対し、イルナスは冷静に事の顛末を説明する。


「先ほど剣士ごっこしようと誘われまして、彼が突進してきたので躱して、足をかけました。受け身がとれなかったのでしょう。彼は泣いてしまいました」

「……」


 イルナスは首を傾げた。なにか、おかしかっただろうか。


「それで、イルナス君は反省してるの?」

「反省……ですか」


 いったい、今の点でなにを反省すべきことがあるのかをイルテスは熟考した。


「室内で剣士ごっこをしたのは、確かに責められるべきかもしれませんね。

 しかし、僕にはそのことはわかっていましたし、断るつもりでした。この子が、剣聖バドワークを自称して、僕の返答を聞く前に襲ってきたのです。

 木の棒で防ごうかと思いましたが、体重をのせて突進してきたので、それを受ければ僕が怪我してしまいますし、後ろには机がありましたから、止めないと彼が怪我をします。なので、足払いを選びました。

 受け身を取れないことは気の毒だとは思います。しかし、剣聖を自称するのなら、受け身くらいはとれると思いますし、それぐらいはできるべきかと。でないと、剣聖の名を貶めることになります。

 多少の罪悪感はありますが、反省はしていません。時間を巻き戻して再び同じことになったとしても、僕は同じ選択をするでしょうから。なので、反省すべきはこの子かと思いますが違うでしょうか?」

「……」


 イルナスは極力わかりやすく説明したつもりだったが、なぜかポカンとしている教師を不審に思った。なぜ、理解できないような表情を浮かべているのだろうか。


「それに、むやみに泣き出すのも教育すべきだと思いますよ。痛くて涙が出るのは仕方ないとしても、あのように大きな声を出すのは少し見苦しいと思いますし、我慢すべきだと思います。

 僕も先日馬から飛び降りて、転びました。当然、すごく痛かったですが、我慢しました。人は忍耐力を鍛えれば多少は我慢できると思います。だから、先生。彼に忍耐を教えてあげてください」

「……」


 とりあえず、イルナスは、廊下に立たされた。

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