第5話

「あんたたちは一体」

 柳伯章は呆然として伊織と郭皓淳を見比べる。

「青華書店の宮野伊織といいます。約束は無かったのですが、今日は先生のところに取材の申し入れに来ました。そうしたら突然追い返されてしまって、何か妙だと思って様子を伺っていました」

 伊織は柳伯章に自己紹介をする。柳伯章は伊織を見て、眉間に皺を寄せ、フンと鼻を鳴らした。作家というのは気難しい。

「俺は鍼治療の施術で来たんだよ」

 郭皓淳はピザ屋の赤いつなぎを脱ぎ捨て、ド派手な柄シャツ姿になる。柳伯章は怪訝な顔をして郭皓淳を見やる。どう見ても胡散臭い。


「さて、どうするかな。伊織はその格好で戦えるのか」

 郭皓淳はネクタイまできっちり締めたスーツ姿の伊織を見て首を傾げる。

「そりゃ動きにくいよ」

 伊織は肩を竦める。いつも曹瑛や榊はスーツをきっちり着込んで戦っているが、よくズボンの尻が破れないなと思う。身体に合わせて仕立てたオーダースーツだから身軽に動けるのだろうか。


「お、あれは」

 郭皓淳がダイニングルームの窓の外に注目する。庇がついたウッドデッキになっており、洗濯物が吊してあった。郭皓淳がハンガーごと一着を取り込む。

「これだ、伊織。これしかない」

「ええっ、これ着るんですか」

 伊織が郭皓淳に手渡された服を手にして口をへの字にしている。郭皓淳は至って真面目に伊織の両肩に手を置いて強く頷いた。

「ここは俺たちがどうにかする。あんたは隠れていてくれ」

 郭皓淳に指示されて、柳伯章はキッチンに身を潜める。ダイニングルームのドアを蹴破ろうとする音が大きくなる。


 伊織は急ぎスーツのジャケットとワイシャツを脱いで服を着替える。

「郭皓淳さん、これじゃコメディアンだよ」

 伊織は郭皓淳に文句を言う。

「いや、お前ならできる。考えるな、感じろ」

「えぇ、今それ言う」

 伊織は頭を抱える。

「ハッタリは得意だろう。まかせておけ、俺が援護する」

 郭皓淳の謎の自信もあり、伊織はどうにでもなれと覚悟を決めて奮起する。


 バン、と派手な音がしてダイニングルームのドアが破られた。ドアノブが弾けとび、絨毯に転がる。ドカドカといかつい黒服の男たちが侵入してくる。激痛ピザを食わされた男たちは特に怒りを露わにしている。

「お前ら、ふざけた真似しやがって。ぶちのめしてやる」

 サングラスがサングラスを取って胸にしまい、拳を突き出す。太い眉を中央に寄せて、額には血管を浮き上がらせている。


 伊織は黒服たちの中央に立ちはだかり、見よう見まねでカンフーの構えを取る。その格好があまりに滑稽で、黒服たちは思わず吹き出した。

「なんだお前、その格好」

 伊織は黒いラインが両脇に入った黄色いつなぎを着ていた。その格好から思いつくのは、カンフー映画で有名な香港の俳優、ブルース・リーだ。しかし、伊織の姿はあまりに迫力が無い。

「ははは、やるのか」

 太眉はどう見ても無力なカタギの伊織をからかってやろうと思ったのだろう。同じように構えを取る。


「オラァ」

 太眉が大股で踏み込んできた。伊織はヒッと小さく叫んで脇をすり抜ける。二人が交錯した瞬間、太眉が白目を剥いて絨毯に倒れ込んだ。

「な、何だ。何が起きた」

「あいつは何もしていないぞ」

 余裕の表情で見守っていた仲間の黒服たちは、一瞬の出来事に唖然としている。伊織の額からも脂汗がつっと流れ落ちる。


「こいつはな、ブルース・リーの大ファンで、それが高じて詠春拳を極めた。見えなかっただろう、奴の拳は」

 郭皓淳が背後で腕組をしながらしたり顔で解説をする。この人の良さそうな男が、詠春拳の使い手とは。

「さあ、次はどいつだ」

 郭皓淳は黒服たちを煽る。伊織はやめてくれと内心涙目だ。

「俺が相手だ」

 腕に自信がありそうな金髪が拳を鳴らしながら前に歩み出る。スーツを脱ぎ、見事な胸筋と上腕筋をひけらかす。


「あいつは地元で負け無しの荒くれ者だ」

「空手は黒帯らしいぜ」

 金髪は唇を歪めて笑う。背後の黒服の脅しと金髪の威圧感に気圧されるも、伊織は唇を一文字に引き結び、構えを取る。

「ボコボコにしてやるぜ」

 金髪が拳を繰り出す。伊織はそれを慌ててバックステップでかわす。その動きは見るからに素人だ。


 金髪はさらに大きく踏み込んで、伊織の顔面を狙う。伊織はしゃがんでそれをかわす。まるで小動物が怯えて逃げ惑っているようだ。

「あいつは動体視力がいい」

 観戦していた郭皓淳は胸元から針を取り出す。それを指で弾いて飛ばした。細い針が金髪の首筋に刺さった。それに気が付く間も無く、即効性の麻酔が効いて金髪は白目を向いてその場に膝をついて倒れた。

 黒服の誰もが、郭皓淳の援護には気がついていない。伊織の目に見えない拳が急所にヒットしたと思い込んで恐れをなしている。


「口だけのようだな」

 郭皓淳が鼻を鳴らして笑う。黒服たちはざわめき始めた。

「こんな奴に舐められてたまるか」

 苛立ちを露わにした長髪と坊主頭が二人同時に伊織に襲いかかる。拳が伊織に届く前に、二人揃って絨毯に仰向けに倒れた。

「拳が全然見えなかった」

「恐ろしい奴だ」

 黒服たちは青ざめている。拳が見えないのは当然だ、何もしていないのだから。郭皓淳のおかげで今はハッタリが効いている。しかし、針の数は限られていると言っていた。


「カンフーだか北斗神拳だか知らねえが、こいつには敵わねえだろう」

 髭面の男が胸元から銃を取り出した。その手があったか、と他の男たちも銃を手にする。

「郭皓淳さん、これはマズイよ」

 伊織は青ざめる。

「うーん、もうちょっと引っ張れると思ったんだがな」

 郭皓淳もさすがに真剣な面持ちで身構える。

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