第23話 ライアン救出計画

 ロッジの裏手に回った伊織と高谷はキッチンの通用口前で身を屈めていた。

「俺、ライアンを助けに行くよ」

「伊織さん」

 伊織の思い詰めたような表情に、高谷はダメだと首を振る。

「今回のトラブルは俺のせいだ。俺が荷物を取り違えたから」

 伊織は悔しそうに唇を噛む。

「ライアンの荷物が多すぎなのも悪いんだから、気にしないで」

 高谷の気休めは伊織には効果が無いようだった。


「でも、何か作戦はあるの」

 高谷に言われて伊織は頭を抱える。プロの傭兵集団に何ができるのか。しかし、榊と曹瑛がニコライとアイザックを相手に戦っている。中にいるのはリーダーのミハイル一人だ。伊織は窓からロッジの中を覗き込む。

 ミハイルが暖炉の前の椅子から立ち上がった。出口の方へ歩いて行く。

「チャンスだ」

 伊織は通用口のドアを開け、中へ滑り込む。高谷も慌ててついて行く。厨房器具の間を身を屈めて進んで行く。ミハイルは扉の手前の廊下を奥の方へと進んでいく。壁にはトイレの看板がついていた。耳を澄ませ、ミハイルの足音に意識を集中する。ドアを開け、バタンと閉める音が聞こえた。


 伊織が呼吸を止めて廊下を覗き込むと、ミハイルの姿は無い。トイレに入ったのは確実だ。ライアンを助けるために時間を稼ぎたい。伊織は周囲を見回し、カウンター脇の土産物コーナーに目を留めた。

「高谷くん、あいつをトイレに閉じ込めて時間を稼ぐ。その間にライアンを」

「うん、分かった」

 伊織は妙策を思いついたようだ。高谷は急ぎキッチンの引き出しから果物ナイフを取り出し、ライアンのそばに駆け寄る。


 伊織は土産物コーナーで漬物を吊していたS字フックを取り外して、トイレに近付いていく。トイレは個室で、ドアはスライド式だ。伊織はしゃがみ込んでドアの隙間からS字フックを差し込み、それをストンと横に倒した。

 水を流す音がして、ミハイルは用を済ませたと見える。伊織は慌ててドアの前から離れ、廊下の端から様子を見守った。

 ミハイルはドアを開けようとするが、何かに引っかかって開かない。ドアを強く押してみるが、ゴリっと音がして数センチスライドするだけで止まってしまう。


 外国語でブツブツいう声がだんだん苛立ちの色を帯びてきた。何度押してもスライドドアは開かない。伊織が仕掛けたS字フックに引っかかってドアがつっかえた状態になっているのだ。ミハイルがトイレに閉じ込められたのを確認し、伊織は急ぎ高谷の元へ戻る。


「結紀、危険だ。ミハイルはすぐに戻ってくる」

 ライアンは伊織と高谷が助けに来たことに驚いている。

「伊織さんが時間を稼いでくれてる。ライアン、縛られた腕を見せて」

 高谷はライアンの後ろに回り込んで目を見開く。ライアンの腕は金属製の手錠で繋がれていた。結束バンドや紐ならナイフで切ることができるのだが。

「針金がいる」

 高谷はポケットをまさぐってみるが、そう都合良く針金など見つかるわけもない。


「ライアン、早く逃げよう」

 伊織が戻ってきた。まだ椅子に繋がれているままのライアンを見て、青ざめる。

「え、手錠なの。嘘だろ」

 伊織は悶絶して頭を抱える。高谷はキッチンに走り、針金の代わりになるものを探す。向こうでバキバキと不穏な音が聞こえてくる。ミハイルがドアを蹴破ろうとしているのだ。

「うおおお、ふざけた真似しやがって」

 トイレから咆哮が聞こえ、バキッとドアが破壊される音が響いた。ドスドスと廊下を踏みしめる軍靴の音が近づいてくる。


「高谷くん、間に合わないよ。ライアン、椅子ごと逃げよう」

 伊織がライアンの腕を引く。

「それは悪くないアイデアだね」

 ライアンは真面目な顔をして椅子から立ち上がった。しかし、椅子はそのままだ。見れば、手錠をかけられて座らされていただけのようだ。

「椅子に縛られたのかと思っていたよ」

 ライアンも驚いている。しかし、両手首には手錠がかけられており、自由の身ではない。


「よし、椅子は置いて逃げよう」

 伊織が出口に向かおうとした瞬間、背後でパンと乾いた破裂音がした。銃弾が厚い木の床を穿つ。

「動くな。動けば容赦なく撃つ」

 額にピキピキと血管を浮かび上がらせ、憤怒で顔を真っ赤にしたミハイルが銃で狙いをつけ、こちらを睨み付けている。トイレに閉じ込められてめちゃくちゃ怒っている。伊織は唇を噛む。


「アイザックはお前を気に入っているようだが、俺たちと組む気がないなら用は無い。そこの小僧たちもろともここで始末してやる」

 ミハイルの顔に走る傷跡は歴戦の勇士の証だろう。それが今は泥棒に成り下がり、歪んだ笑みを浮かべている。

「もう一度聞こう。ライアン・ハンター、俺たちと組む気はあるか」

 ミハイルの問いに、ライアンが一歩前に歩み出る。交渉に乗る気なのだろうか、伊織と高谷はライアンの背中を息を呑んで見つめる。


「いいや、ないね」

 ライアンは顔を背けた。高谷と伊織に目を合わせ、出口に視線を向けた。その時、ライアンが自分たちの楯になったのだと気が付いた。ミハイルは怒りに震えながら撃鉄を下ろす。

「待って」

 高谷が叫びながらポケットから取り出したものを掲げる。その手には失くしたはずのニコライのスマートフォンが握られていた。高谷は画面を操作して、ミハイルに示す。

「あんたたちが参加しているオークションサイトだよ」

 ミハイルは画面を見て目じりとピクリと動かした。スマホのロックを破り、オークションサイトにアクセスできたことに驚きを隠せないようだ。

「目玉商品のプリンセスティアラは六百万ドルまで競りあがっている」

 高谷が画面の数値を読み上げる。相当数の入札が入っており、関心の高さが伺えた。


「おお、そうか」

 ミハイルは入札金額を聞いて、喜びに唇を歪める。

「返すよ。もう必要ない」

 高谷がミハイルにスマホを手渡した。ミハイルはティアラの入札がどんどん伸びていることに笑いが止まらない。

 高谷はキッチンの方をチラリと見やる。高谷は伊織とライアンに目配せしてフードを被り、耳を塞いだ。伊織とライアンも高谷に倣い、耳を塞ぐ。ミハイルは3人の様子に気が付き、目を細める。

「ん、お前たち何を」


 突如、キッチンからバンと爆発音が轟いた。四角い鉄の箱が天井近くまで跳ね上がり、床に叩きつけられた。爆弾でも仕掛けられていたのか、ミハイルは条件反射で身を低くかがめた。爆音にやられて耳鳴りがひどく、顔をしかめる。

「くそっ、何をしやがった」

 狼狽するミハイルの背後でライアンがすっと音もなく立ち上がる。膝をついたミハイルのこめかみにライアンの強烈な膝蹴りがクリーンヒットした。

「がっ」

 ミハイルは白目を剥いてその場に倒れ、意識を失った。


「や、やった」

 伊織と高谷は顔を見合わせて安堵する。

「君たちは勇気がある、おかげで助かった」

 ライアンはにっこり笑う。ロッジ内には焦げ臭い匂いが立ち込めている。

「高谷くん、これは一体」

 伊織が床に転がったものを見て、思わず口元を抑える。そこには破壊された電子レンジが転がっていた。

「お店の人には悪かったけどね」

 高谷は申し訳なさそうに頭をかく。先ほど慌てながらもミハイルに捕まることを想定して、電子レンジに蓋つきのペットボトルを入れ、最長時間にセットしておいたのだ。温めOKのペットボトルでも、蓋をしたまま長時間加熱すれば蒸気の逃げ場がなく爆発してしまう。ミハイルにオークションサイトを見せて時間稼ぎをしたのはそのためだった。

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