第2話 天城山に眠る宝

「なあ、知ってるか。3ヶ月前に練馬のみずは銀行で起きた現金輸送車強奪事件」

 片岡はヤニ臭い組事務所の応接セットのテーブルに脚を乗せ、タバコの煙を吐き出す。同じ頃に盃をもらった、いわば同期の太田が知らねえと首を振る。

「現場にいた警備員3人をボコボコにしてさ、車ごと持って行っちまったんだよ、3億円をよ」


 片岡は当日の新聞に踊る三億円の文字を見たときの興奮を思い出す。こんな稼ぎができたら、と新聞を持つ手が震えた。

「はあ、景気の良い話だな。かたや俺たちはしょうもないシノギばかり、嫌になるぜ」

 太田はクッションのくたびれた古いソファに身体を投げる。2人は事務所の電話番だった。兄貴分がいないのをいいことにダラダラと暇を持て余している。


「それがさ、俺の昔の連れから聞いたんだけどよ」

 片岡の話によると、3億円を奪った男たちはほとぼりが覚めるまで山奥にその金を埋めた。しかしいつしか仲違いがあり、男たちは拳銃を持ち出した。生き残った男も重症を負い病院へ運ばれ、死に際に金の在処を言い残して死んだという。


「何だよ、くだらねえ。眉唾じゃねえか」

 太田は片岡の話を笑い飛ばす。

「それがさ、金を埋めた山の名前が分かったらしいんだ。その情報を3万で買ったんだよ」

「情報に3万て、パチンコの攻略法かよ。お前、騙されてるぞ」

 太田は相手にしない。バカにされた片岡はムキになる。


「3億だぞ、掘り当てたら俺たちこのクソみてえな弱小事務所のチンピラヤクザから卒業できるんだぜ」

 片岡は思う。こんなはずでは無かったと。高校ではケンカに明け暮れ、ろくに勉強もしなかった。そのまま町工場に就職するも、仲間と折り合いが合わず主任を殴って退職。

 肉体労働の職を転々として、辿りついたのがこの世田谷区にある小さな組、橋本組だった。鳳凰会二次団体で、構成員15名。組長の橋本は器の小さなケチな男で、組を大きくしようという気が無い。こんなところにいても腐るだけだ、いつか抜けだそうとチャンスを覗っていた。


「ほう、クソみてえな弱小事務所だと、言ってくれるじゃねえか片岡」

 若頭が額に青筋を浮かべて給湯室から出てきた。くっきりしたラインの派手なピンストライプの黒のスーツに、蛇皮の靴。ヤクザを体現したような男だ。片岡と太田は青ざめる。

 さっきの話はすべて筒抜けだったのだ。武闘派の若頭、江口の鉄拳が飛び、片岡はソファからひっくり返って床に転がった。頭に白いものが混じる50歳手前のこの男は傷害事件で懲役合計15年を食らった猛者だ。ついでとばかりに太田も頬に拳を食らった。

「テメエらは親に対する敬意が無さすぎるんだよ」

 江口は吐き捨てるように言う。


「で、その3億円はいつ手に入れるんだ」

 江口が片岡と太田を睨み付ける。年季の入ったその眼光に、2人は竦み上がる。

「それはただの噂で・・・」

 江口が片岡の襟首を持ち上げ、首を締め上げる。

「今、情報を買ったと言っていただろうが。俺の耳に入ったからにはこれは組の仕事だ。下のモン連れて山を掘り返して来い」

「は、はい、頭」

 江口の怒号に片岡と太田は逃げるように事務所を出て行った。


「3億か、それだけあれば組の格上げも夢じゃねえな」

 江口は組長席の背後にある水牛の角の置物を撫で、ほくそ笑む。黒い角はいつも組長が磨き上げているため艶やかに光っている。確かにこの組には金が無い。この雑居ビル2階の事務所も家賃を滞納して5ヶ月は経つ。ケチな強請りやたかりではもうやっていけない。

「頼んだぞ、若人よ」

 江口は壁に掲げた組の看板を見つめ、呟いた。


***


 はらはらと白い花びらが気まぐれな風に舞っている。小さなその一枚を手の平に受け止める。それはまた風に吹かれてふわりと空へ飛んでゆく。

「ああ、綺麗だ。日本の桜は美しい」

 ライアンは見事な枝振りの桜を見上げる。頭上には満開の桜。どこまでも澄んだ青空と白い花弁のコントラストはまるで幻想的な絵画のようだ。目の前には紺色のシャドウストライプのスーツを着こなした榊が立っている。


 不意に榊の手がライアンの艶やかなブロンドの髪に伸びる。優しい手つきで髪に落ちた花びらを払った。

「お前が桜に隠れてしまわないか、心配になる」

 そう言いながら榊はライアンの頬を撫で、微笑む。

「そうならないよう、私をずっと見ていてくれないか」

 ライアンもうっとりと微笑んだ。


「とんだ茶番だな」

 感情の無い低い声。榊の背後に黒いコートに身を包んだ曹瑛が立っていた。榊が振り返る。

「何が言いたい」

 榊は鋭い眼光で曹瑛を睨む。曹瑛はただ冷たい眼差しで唇を一文字に引き結んでいる。

「回りくどい、見ていて虫唾が走る」

 曹瑛はライアンの腕を掴み、その身体を引き寄せた。榊は不快感を露わにする。

「欲しいものは欲しいと言えばいい」

 曹瑛は唇の端を吊り上げて笑う。一陣の風に桜の花びらが一気に舞う。


「やめてくれ、私のために2人が争うのを見るのは辛い」

 ライアンが睨み合う榊と曹瑛の間に割って入る。しかし2人は殺気を漲らせて、どちらも譲らない。榊が腰に隠していたドスを取り出し、構える。曹瑛も背中から赤い柄巻のバヨネットを取り出す。

「俺に勝てると思っているのか、思い上がりもほどほどにしておけ」

 曹瑛もバヨネットを逆手に握って構えた。

「お前は俺を怒らせた」

 榊も身体の中心でドスを構える。互いの刃がギラリと光る。ああ、もうやめてくれ・・・


「というところで目が覚めたんだよ。あのまま君たちの戦いを見ていたい気もして、とても複雑な気分だった」

 軽井沢へ向かう道中、榊のBMWの後部座席に座るライアンが額に手を当て、眉根を寄せている。その話を隣で聞かされていた曹瑛は血の毛が引いた顔で窓に寄りかかっている。神保町を出発してから間も無いのに、突如始まったライアンの夢の話で曹瑛はかなりの精神的ダメージを負っていた。


 ハンドルを握る榊はリアミラーでその様子をのぞき見て、気の毒になった。ライアンの夢語りは榊も毎度ビデオチャットで嫌というほど聞かされている。よくもまあそんな甘いストーリーが思い浮かぶものだと、もはや感心してしまう。

「曹瑛さんまで出てくるなんて、ライアンはどこまで欲張りなんだよ」

 助手席の高谷もライアンの勝手な夢の内容に呆れている。こんなにも自分に都合の良い夢が見られる方法があるなら教えて欲しいものだ。


「曹瑛大丈夫か、気分が悪そうだ」

 太ももをさすろうとするライアンの手を曹瑛が叩き落とす。

「お、お前のせいだ」

 曹瑛は深いため息をついた。今回は榊のBMWと劉玲が九龍会のつてで用意した黒塗りのベンツで目的地へ向かっている。当初、BMWにはライアンと千弥が乗るはずだったが、劉玲が孫景と一緒がええやろと気を利かせてひっぱっていってしまったため、このフォーメーションになってしまったのだ。先が思いやられる。


 同じ頃、BMWについて孫景はベンツを走らせていた。急ぐ旅でもなし、横には千弥を乗せているので運転は至って穏やかだ。後部座席の伊織も安心している。

「獅子やんは連絡つかへんかったな」

 劉玲が残念そうに呟く。獅子堂には何度か電話をかけたが、繋がらず折り返しもないという。

「ま、仕事が忙しいんやろ」

 仕方ない、と劉玲は笑っている。獅子堂は裏社会でフリーの用心棒で食いつないでいる。伊織は一抹の不安を覚えたが、劉玲が心配していないところをみれば、大丈夫なのだろう。


「今回はどうやって宝を探すんですか」

「せやな、この天城山という山には城跡がある。鏡で浮かび上がった地図の城跡の部分にバツ印があったやろ、そこを掘りにいくで」

 計画が大雑把なところが劉玲らしい。それもまた醍醐味なのかもしれない。


 猛スピードで車高を落とした旧型のマジェスタが横を走り抜けていく。黒いアルファードがその後を追うようにベンツを追い抜いていった。

「ずいぶん運転が荒いな」

 孫景がそれを言うか、と伊織は内心ツッコミを入れた。

「次のサービスエリアで休憩しよか」

 劉玲の言葉に、伊織は曹瑛のスマホに電話をかける。

「次のサービスエリアで落ち合おうって、榊さんに伝えてくれる?」

 電話に出た曹瑛の声は何故か憔悴しきっていた。

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