家じゃない温もり
駅前の繁華街にある高級ホテル。温水プールや大浴場もついてて学生じゃ泊まるなんて考えられない場所。
夜景が見渡せる広いツインの部屋。こんな部屋を取れるなんて冬壁は何者なんだろう。
受付でなにやらアタシに隠しながら小さな紙切れを見せていたけどあれはなんだったんだろう。
疑問をよそに、冬壁はタオルを何枚か取り出してアタシに押し付けた。
「ほら、シャワー浴びてきなさい」
凍えていたアタシは大人しくバスルームに向かった。
「冬壁は? 後でいいの? 寒いでしょ?」
シャワーとはいえ水、連想しちゃうから一緒に、という甘えを込めたつもりだったけど、
「風邪引くって言ったのはそっちでしょう、シャワーくらい一人で浴びてちょうだい」
すげなく切り捨てられ、アタシはしょぼくれてバスルームに引っ込んだ。
熱いお湯を頭から浴びると、かじかんでいた指先がちょっと痺れたようになって、それからじんわり温まっていく。やっと、アタシが助かったんだということが実感できた。
そうして、ちょっとツンツンした冬壁だけど、頼めばこうしてしぶしぶ言うことを聞いてくれるし、冬壁といればなんとでもなるような、ふわふわと上機嫌な感じになって、体を洗いながら鼻歌なんか歌ってみたりした。
息の詰まるうちのお風呂では全然やらないようなことだと思って、アタシはまた家出同然に飛び出してきたことを思い返して途端に顔をしかめた。
――どうしてあなたのためにこんなに働いてるのに分かってくれないの。どうしてがんばってくれないの。
「うるさい、うるさい!」
頭にこびりついた母さんの傷ついたような声と顔を忘れたくて、蛇口を音がするくらい捻ってもっともっと勢いのいいお湯を出して浴びまくった。
アメニティのパジャマに着替えると、冬壁はベッドに腰掛けて黒いハサミをタオルで丁寧に拭いていた。
「ねえ、教えてよ。あの生首の大タコはいったい何なの? 人の顔そっくりのタコなんて見たことも聞いたこともないし、ダイオウイカくらいバカでかかったじゃない」
人心地ついたアタシは冬壁を質問攻めにした。
「……あれは実験台ね。適当な人間を化け物に変えて、どれだけ暴れるかの研究の」
「何よその研究って」
「あのドローンの言う『高尚な探求』ってやつでしょうね。私に言わせれば迷惑以外の何物でもないけど。アイツらはあちこちで似たようなことを繰り返してるのよ」
「公園が水浸しになったのはなんなの? 目が覚めたら水がなくなってたし、洪水や津波じゃないよね?」
「特定の場所の環境を任意に操作する能力ね。あのドローンを操作してしゃべってた研究者の仕業よ。あの怪物がタコの姿と特性を持ってるから、一番能力を発揮できる環境を整えるために水没させたんだと思うわ。データを取るためにね」
すらすら答える冬壁。
「それで、どうしてアタシが襲われたわけ?」
「あの怪物は女子学生ばかり狙っているようだから、それでじゃないかしら。多分元になった人間の性質でしょう」
「何それキモい、許せない」
アタシは拳を握りしめた。ハサミを灯りにかざしながら、冬壁が紅い瞳をちらりとこちらに向ける。
「あなた、本当に帰らないつもりなの?」
「当たり前だよ。あんなお母さんのいる家なんて……」
食い気味に言うと、冬壁は鋏を磨く手を止めた。
「何があったか知らないし興味もないけど。会って話せるなら言いたいこと全部言わないと、後悔してもしらないわよ。あの怪物に殺されていたらどうするつもりだったの」
冷たく突き放すような声音が、だけど少し寂しげに聞こえて。アタシは口を開いたけど、何を聞きたいのか、何か言いたいのか分からなくて、黙っていた。
「さっさと寝て、朝になったら帰りなさい。またアイツらに襲われたくなかったら、あの公園に近づかないことね。あの怪物は必ず仕留めておくから」
彼女はそれだけ言うと、ベッドに横になって背中を向けてしまった。
アタシも仕方なく寝転がる。眠れるわけがないと思っていたけど、すぐに瞼が重くなっていった。
溺れたときと違って、夢は見なかった。顔は見えないけど、そばに誰かがいること、かすかに息を吸って吐く音が聞こえてきたから、安心できたんだと思う。
でも、目を覚ますと――冬壁は部屋から姿を消していた。
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