第27話 境界ぶっ壊し

 職員室の扉を開けて、大きな声で呼ぶ。


「若宮先生!」


 一日の授業が終わり、書類仕事をしている先生たちが何ごとかと振り返った。

 若宮先生は、突然の事態に驚いているようだ。

 固まっている彼女の元に近づく。


「後で様子を見に行こうと思っていたが、もう大丈夫なのか?」

「はい、少しおでこが腫れて痛いですがなんともないです」

「それは良かった」


 若宮先生は、僕に大事がないことが分かると説教に移ろうとした。

 先生の言いたいことは分かる。

 授業中に、しかもサッカーの試合をしている途中にボーっとしていたことは僕の落ち度だ。

 スポーツには危険がともなう。上手い下手にかかわらず、集中して取り組む必要がある。

 僕が悪いので、本来ならその説教を甘んじて受けるところだけれど、手を突き出して説教をさえぎった。


「なんだ?」

「僕には今、やるべきことがあります」


 圭吾くんや御厨さんの励ましで少し冷静になり、分かったことがある。

 おそらく桜子さんは、僕のために関係を解消しようとした。

 昨日の夜、若宮先生が桜子さんを説得したのだろう。僕のために関係を終わらせろと。

 もちろん先生の立場ではそうすることが正しいのだろう。僕が教師でもそうする。

 でも――僕にとっては間違っている。


「僕は誰に反対されようとも桜子さんとの関係を続けます。反対意見は聞きません。それでは!」


 今はとにかく行動したい。

 さすがに職員室で走る訳にはいかないので、ぎりぎり歩くの範疇に入る速さで外に向かう。


「待て、笹内。それはお前の本心からの選択か?」

「はい」


 振り返って頷いた。

 誰のためでもない。ほかならぬ僕自身のために。


「自分自身を誤魔化していないか?」

「はい! 僕の目が嘘をついているように見えますか!?」


 目には感情が表れるという。

 嘘をつけば、目に嘘が宿るのだ。

 であれば、今の僕の目には真実しか宿っていないだろう。


「……分かった。なら私は止めない」

「ありがとうございます」

「言っておくが、あいつは手がかかるぞ」

「分かってますよ。だから好きなんです」


 手のかかる子ほど可愛いと思う。


「最後に一つ。昨日のことがあったから心配になって桜子にLINEしたが、会社を休んで家にいるらしい」

「ありごとうございます!」

 

 僕との関係を解消したことを、それだけショックに思ってくれているということだろうか。そうであれば嬉しい。いや、そうに違いない。

 

 僕は足早に職員室を出て、学校を飛び出た。

 やるべきことは決めている。後は実行あるのみだ!




    ◆




 私は何もやる気が起きず、ベッドに横になっていた。

 今は何時だろう。もう夜になっただろうか。

 スマホの画面を見ると、午後4時と示されている。

 まだ夕方か……。

 もうとっくに夜中になっていると思っていた。


「はぁ……」


 ため息をついていたら、はじめくんから電話が来た。

 電話のコール音が鳴っても無視していると、やがて音は止まった。

 もう連絡をとる気はないという意志が伝わっただろうか。電話を無視するたびに心が切り裂かれるようだ。はやく諦めてほしい。

 

「ん?……壁から離れていてください?」


 はじめくんからLINEが来た。

 もう一度話をしようという内容だろうかと思ってメッセージの内容を読んでみると、その内容は壁から離れるという不思議なものだった。


「かべ……?」


 辺りの壁を見回したが特に何もない。

 一体なんのことだろう。


「ッ!?」


 突如、部屋の中に大きな音が響き始める。

 近くで工事をしているときに聞く音だ。しかも、ものすごく大きい。

 すぐ傍で作業をしているのだろうか。

 普通、そういうときは何らかのお知らせがポストに投函されたりすると思うけれど、特に記憶になかった。


 音が反響していて分かりにくいけれど、どうやらはじめくんの部屋から聞こえているようだ。

 何が起こっているのか。

 彼のLINEと関わりはあるのだろうか。


 はじめくんの部屋がある方を見ていると、突如壁から円型の薄い金属板が現れた。

 金属板は高速で回転していて、壁のコンクリートを切断している。

 工事業者が使うようなものだけど、まさか自分の部屋の壁に使われることになるとは思ってもみなかった。

 何も聞かされていなければ、泥棒や不審者を疑うところだ。

 でもはじめくんから関係していると思われるLINEが来ている。


「壁から離れてってそういうことなの!?」


 部屋の中で叫んだけれど、コンクリートを切断する音にかき消されてしまう。

 はっきり言って状況に頭が追い付いていない。

 ただ茫然とたちつくし、私とはじめくんの部屋を隔てる壁が切断されていくのを眺めていた。


 壁が四角に切り取られて、はじめくんの部屋と私の部屋が繋がった。

 物々しい工具を床に置いて、私の部屋に入ってくる。


「ただいま、桜子さん」

「え、えーっと……お帰りなさい?」


 状況が呑み込めず、疑問で返す。


「これくらいしないと、桜子さんは会ってくれないと思ったので」

「確かに会う気はなかったけど、だからってこんなことする!?」


 強引にもほどがある。めちゃくちゃだ。

 私の都合なんて一切考慮していない。後始末だって大変だ。

 でも――凄く嬉しい。

 はじめくんとの関係を終わらせるために、毅然とした態度をとる必要があるのに、顔がニヤけてしまう。


「どうしても桜子さんに会いたかったんです」


 力強く、真っすぐに私を見ている。

 はじめくんの新しい一面だ。

 優しくて可愛いだけじゃない。強引で力強い姿だ。


 ――桜子さんのタイプはどんな人なんですか?

 ――可愛くて優しくて、でも時々強引で……そんな人がいいかな。


 前に一緒にカフェに行ったとき、好みのタイプについて話したときのことを思い出した。


「僕はもう桜子さんを逃がしません」


 心臓が破裂しそうだ。

 鼓動の音が自分でも感じられるくらい、バクバクと脈打っている。

 私はどうなってしまったのだろうか。

 

「ダメだよ、はじめくん」


 ゆっくりと、確実に近づいてくる。

 はじめくんが一歩踏み出せば、私は一歩後ずさった。

 しかしすぐに壁にぶつかる。これ以上後ろに行くことはできない。


「だ、ダメだって言ったでしょ!?」

「関係ありません」


 静止しても、はじめくんは止まらない。

 徐々に近づいてくる彼の顔から、目をそらすことができなかった。

 そして、はじめくんは私を抱きしめた。


「あっ」


 これダメなやつだ。

 はじめくんの身体の熱を感じて、抵抗する意志が消え去ってしまう。

 

「ダメ……だよ」


 抱きしめられた瞬間、私は自分の感情をはっきりと自覚した。

 ――はじめくんのことが好き。

 異性として、恋愛感情として、好きなんだ。


「どれだけ迷惑に思われてもいいんです。僕と家族になってください」


 耳元ではじめくんが言う。

 なんという熱烈な告白だろうか。

 マンションの壁を破壊しての告白だ。ロマンチックかどうかは分からないけれど、その熱意は十二分に伝わる。

 これだけ無茶をしてでも、私が欲しいと彼は言ってくれているのだ。


「は、はい……。よろしくお願いします」


 まるで十代の乙女のように、顔を赤くしながら頷くのであった。






※隣の住人との間の壁は大体防火区画になっているのでかなり頑丈です。簡単に壁を貫通できませんし、埃も尋常じゃないでしょう。というかそもそも防火区画なので開けてはいけません。違法です。配管や電線をぶった切ってしまうかもしれませんし、良い子はマネしちゃだめですよ!

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