第五章その3
呉服町電停近くのマンションに到着するとそこはかなり新しいマンションで、管理人のおじさん曰く「できて真っ先に景気良く一括で買った」らしい部屋は最上階にある部屋だった。
開けて中に入ると、最近人が入った形跡はないに等しく家具も必要最小限で殺風景だった。
広さは四~五人くらいの家族が暮らせるくらいでおばさんもリビングを見回す。
「そういえば洋彦ったら登記済証を見せなかったから、失くしたのかと思ってたから……隠してたのね」
「洋彦兄さん……ここで何を隠したんだろう?」
翔は呟きながら部屋の扉を開ける。布団の敷かれてないベッド、何も置かれてない机、、何もない本棚でまるで、ここを自由に使えと洋彦兄さんがメッセージを残してるようだった。
クローゼットを開けるといろんな物が入っていて、目に入ったのはイギリス軍のパッチが付いた軍用バックパックだった。取り出して見るとさすがに中身は入ってなかった。次に机の引き出しを開けると、ハードカバーの書籍が一冊入っていた。
『ナチス・ドイツと戦った青少年たち』
第二次大戦時代のドイツの本か? 翔はそれを持って廊下に出ると、向かいの部屋に扉が開いたままで彩が見回していた。
「神代さん、何か見つけた?」
「うん、クローゼットの中を開けてみたけどいろんな物が入ってるわ」
彩は肯きながら視線をクローゼットの中に移し、中を見ると自動小銃や突撃銃に散弾銃のトイガン、カラーボックスの中には拳銃のトイガン、ホルスター、一九三〇年代製のカールツァイス双眼鏡、ヴィクトリノックス製のマルチツールナイフ、シュアファイア製のフラッシュライト等々の便利なアイテムが入ってた。
「洋彦兄さん……こんな物を残してどうしろというんだろう?」
「なんか……ここ、秘密基地みたいだね」
「秘密基地……そういえば……父さんの実家がある田舎に行った時……その時、家の裏にある林で洋彦兄さんと……秘密基地を作ったんだっけ?」
なんでこんな時に思い出すんだ? 小さい頃、あの蒸し暑い夏の日に洋彦兄さんと親戚の子とみんなで秘密基地を作った思い出を。洋彦兄さん、あんた今どこで何してるんだよ? 女の子の友達もできたんだぜ、紹介して自慢したいくらいだ。
翔はベランダの扉を開けようと思ったが、外はまだ雨が降っていた。扉のガラスに薄っすらと映った自分の顔は苦い表情で何かを堪えてるようだった。
「真島君? 大丈夫?」
「ああ、洋彦兄さん……どこで何してるんだろう? 連絡くらい……してくれればいいのに、もう怒らないからさ」
翔は部屋のベッドに腰を下ろし、俯くと彩はしゃがんで励ます。
「大丈夫よ真島君、洋彦さん……きっと生きてるわ、だから……最後まで待って帰ってきたら、笑顔でおかえりなさいって言ってあげよう」
「……わかってるよ、まだ死んだと決まったわけじゃない」
それで少し楽になったような気がした。すると彩は翔が持ってる本に視線をやる。
「ねぇ、この本は?」
「あっこれ? 向こうの部屋にある机の引き出しの中にあったんだ」
翔は本を開いて少し読んでみる。
それによると戦前戦中のナチス政権下のドイツ、それまであった多種多様な青少年組織を強制的に一元化したのがヒトラーユーゲントであった。
しかし、厳しい統制生活に対抗した若者の自然発生的な運動として、ドイツ西部で一九三〇年代末に彼らは現れた。
彼らは主に一四歳から一八歳の若者で構成されていた。当時のドイツでは少年たちは一四歳で学校を卒業するとヒトラーユーゲントに入隊、一七歳でドイツ国家労働奉仕団に入り、兵役に就くことになっていたが、このグループの若者たちはこれを避けようとしていた。
類似したグループとして「モイテン」や「スウィング・ボーイ」が存在したという。
彼らはエーデルワイス海賊団と名乗っていた。
エーデルワイス海賊団……ヒトラー・ユーゲントに参加することを義務付けられ、厳しく統制された生活に嫌気が刺した人たちの集まり……まるで今の僕たちみたいだと思いながら本を閉じて鞄に押し込むと、おじさんが部屋に入ってきた。
「翔君、おじさんたちそろそろ帰るから……洋彦、この部屋を君に譲るっていうようなことを書いてたんだよね?」
「はい、そう書いてるようにも解釈できます」
翔はメッセージが書かれた紙を手渡すと、おじさんは何度も息子の筆跡を追うかのように、目で読み上げる。
「わかった……翔君が成人して、自分でお金を稼げるようになるまで……名義はおじさんが持っておくから、この部屋を自由に使いなさい」
「ありがとうございます!」
「但し綺麗に使うようにね、定期的に見に来るから」
おじさんから鍵を預かると、翔は微笑んで彩と目を合わせると、彩も微笑んで肯く。早速月曜日に太一と舞にも話そう! マンションを出て今日のところは解散することになるが、まだ時間はあった。
「神代さん……その、話してくれた本……帰りに買いに行こうと思うんだ。一緒に探してくれるかな?」
「うん、熊本駅に書店があるからそこに行こうか」
彩は笑顔で肯くと翔は思わず嬉しくて笑みがこぼれ、瞳をきらめかせながらおじさんに言う。
「おじさん、おばさん、僕はちょっと寄り道して自分で帰ります」
「ああいいよ、洋彦が見たら羨ましがるね」
おじさんは微笑み、おばさんも察してるのか羨ましそうに微笑む。
「若いっていいわね」
翔は恥ずかし気に顔を逸らすと「それではまた!」と言って歩き始めた。
呉服町電停で熊本駅行きの市電に乗り、雨の中を走る。その中で翔は彩と吊革に掴まりながら、エーデルワイス海賊団のことを話していた。
「これはあくまで僕の予想だけど、今の僕たちがエーデルワイス海賊団なら先生や大人たちがナチスで、僕たちのことを快く思ってない生徒がヒトラーユーゲントと言えるのかもしれない」
「そうね涼宮ハルヒも自分たちのための集まり、SOS団を作ったのよね……ねぇ、今度柴谷君や舞ちゃんにも提案してみようか?」
「うん、あのマンションの部屋……セーフハウスに使えるかも?」
翔はふと窓の外を見るとこの雨の中、小学生くらいの女の子がピンクの長靴を履いて青い傘を差し、一人で歩いていた。こんな雨の中を一人で歩いて大丈夫なのだろうか? 一瞬、女の子を視線で追いかけたが彩が訊くと意識を彼女に向ける。
「真島君、セーフハウスって隠れ家?」
「えっ? うん、そのままの意味で隠れ家だよ。特殊部隊や諜報機関とかが海外に拠点を置く時、家やアパートの一室をそのまま使ったりしてるんだ」
翔は次の瞬間には忘れて彩との会話を楽しんだ。
この後、僕と彩にとって、一生忘れることのない出来事が待っていることも知らずに。
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