第五章その1


 第五章、辛酸を舐める


 中間テストをそこそこの成績で終わらせると六月に入り、制服も夏服に変わる。この頃になってくると記録も集まって情報の処理とデータ化は舞が担当した。

 最初の土曜日は見つかることはなかったが、次の土曜日も上手くいくほど甘くない。

 単独行動や分散行動中に顔見知りの先生に見つかって注意されたこともあり、やはり自分たちのやってることは危ない橋を渡ることだと改めて思い知る。

 情報収集の成果としては次の通りだった。


・私服の生徒らしき同年代の人たちも声をかけられ、一五分以上足止めされた。

・先生や補導員の人たちは腕章のような物を着けておらず、普通の格好で帽子や眼鏡で目立たないように、それこそ一般市民に紛れ込んでる。

・目をつけられるとジロジロ見られ、逸らしたり避けようとすると呼び止められ、逃げると周囲の仲間を呼び、狼のように複数方向から襲ってくる。

・捕まったら一時間以上、長いと夕方まで身柄を拘束された人もいるらしい(裏サイトの情報だが)

・危険範囲は熊本市繁華街全域、休日の時間帯は一一時~二一時で特に一三時から日没前後はピーク時だという。


 これをクラスメイトの綾瀬玲子にメールを送信する、勿論事前に太一、彩は承諾して舞も渋々OKしてくれた、玲子には自分からだということを伏せるという条件付きで。

 玲子にメールを送った翌日、六月一〇日の朝、翔は学校に行く前にメールを見ると、健軍にいる親戚の叔母さんが産気づいたらしい。翔はいとこが無事に生まれることを祈りながら、学校に到着して教室に入ると玲子がすぐに駆け寄ってきた。

「おはよう真島君、昨日はメールありがとうね」

「ああ、今中沢さんが情報や記録を処理して誰でも見やすく、わかりやすいデータにまとめるって」

「へぇどこかで公開するの?」

「ネット上だ、綾瀬さん……ここの裏サイトは?」

「知ってるわ……書いてることの九割九分はどうでもいいことばかりだけどね」

 玲子の言う通り、裏サイトの掲示板には本名を名指しで誹謗中傷の書き込みだらけで、2ちゃんねるとたいして変わらない程だ。

「それと……本当かどうかわからない情報だからメールに書かなかったが、この前サッカー部にいる中学時代の先輩から聞いたんだ……放課後や休日、校則を破ってる生徒を見つけて、それを後日先生に報せると内申点を上げるという噂を聞いた」

「あたしもその噂を聞いたわ、お互いに監視し合って証拠が確実であれば確実であるほど内申点が貰えるって……先輩から聞いた話では先生は盗聴や盗撮を推奨してるとか? まあ本当かどうかわからないならなんとも言えないわね、メールで送ってくれた情報の見返りにいいこと教える。ゴールデンウィーク中神代さんの家に出入りしたよね? 先生にチクったの……上野君の可能性があるわ」

 玲子は周囲に聞こえないように言うと、翔の背筋に電撃が走るような気がした。

「……明確な証拠は?」

「聞きたい?」

 玲子は余裕の眼差しで見つめると、背後から突然舞が現れた。

「その話し、私にも聞かせてくれるかしら?」

「あら中沢さん、その聞いてどうするの?」

「綾瀬さんの話しを聞いてから決めるわ」

 舞は玲子の話しを聞いたらきっと上野本人に問い詰めるに違いない、翔は額から冷や汗がにじみ出るのを感じながら玲子と舞を見ると、玲子は肯いた。

「いいわ、これはあくまで推測よ。先週いつだったかしら? 二村君から聞いたのよ、土曜日の練習中に突然上野君がお祖母ちゃんが病気で倒れたと言って帰って、連休中連絡もなしに来なかったのよ……上野君、神代さんのこと以前から気があるみたいだから……あくまで噂の域よ」

「噂なら仕方ないわね、確かめようがないわ」

 舞は興味を失くしたかのように踵を反す、一触即発の事態は避けられて翔はホッと胸を撫で下ろした。


 お昼休みになり、翔は弁当と水筒を取り出すと鞄の隅にある白い封筒を見つける。何だろうと思って取り出すと洋彦兄さんの暗号のことをすっかり忘れていたことに気付く。

 それに気づいた太一も冗談半分で言う。

「どうした翔? ラブレターでも貰ったのか?」

「いや……親戚のお兄さんが残したものだ」

 翔は封筒から二枚の紙を取り出す、メッセージは遺言とも遺書とも言える。そうだ、みんなの力を借りよう!

「――ビッグ・ブラザーにゴールドスタイン、これは太一が教えてくれたジョージ・オーウェルの小説『1984年』の登場人物の名前だ」

 舞と彩が席に来ると二年前に消息を絶った洋彦兄さんのことをみんなに話し、早速暗号を見せてみんなに話す。

「そのビッグブラザーにマイナス〇、一、二、八、ゴールドスタインにマイナス〇、一、四、九、何の暗号かわからないけど……この数字の暗号も気になるわね」

 さすがの舞も首を傾げて難しい表情を見せ、細く白い人差し指を置いた暗号は「604 8×2 1×2」でさっぱりわからず、彩も首を傾げる。

「順番から見てこの数字の暗号を解かないと次に行けないのかな? この六〇四に八×二を一六にするわけじゃないみたい……この数字に付け足すみたいな感じになるのかも?」

「付け足すと数字の羅列は七つ、それにしてもビッグ・ブラザーとゴールドスタイン……なんでカタカナじゃなくてアルファベットにしたんだろう?」

 翔は両腕を組んで「BIGBROTHER-0,1,2,8」「GOLDSTEIN-0,1,4,9」の暗号を見下ろしていた時、二人の女子生徒が覗き込んできた。

「ねぇねぇそれもしかして何かの暗号?」

 塚本御幸つかもとみゆきだ。ライトブラウンの外ハネセミロングの派手なメイクに人懐っこく、常に笑みを絶やさないため太一と同様腹の底が読めない性格だが、玲子と一早く仲良くなって右腕のポジションを獲得、仲良く高森先生に目をつけられてる。

「ねぇねぇあたしたちにも見せてくれる?」

 もう一人の取り巻きである小坂愛美が手を伸ばして取ろうとすると、舞は紙を素早く取って睨み、刺々しい口調になる。

「やめてくれる? これは私たちの問題なのよ」

「あらあら相変わらず私たちには刺々しいのね、そんなんじゃいつまでも友達が少ないままよ」

 愛美は流し目で見つめ、相変わらず神経を逆撫でするような口調で言うと、舞は負けじと言い返す。

「別にいいわ。少なくとも常に誰かさんの陰口で盛り上がって成り立ってる友情なんて……最初からいらないわ」

「人の不満を言うくらいいいじゃない」

 愛美は口喧嘩に乗ると翔はまたか口喧嘩かと肩を落とす、舞も妙に嬉しそうな口調で立ち上がる。

「不満と陰口は別物よ。それに不満なら下品にゲラゲラ笑ったりするかしら?」

「ちょっと二人とも辞めなよ」

 御幸が間に入ろうとするが意に介する様子もなく睨み合うと、玲子の三人目の取り巻きで黒のショートポニーで玲子より背が低く、ほっそりしている陸上部の本島桜もとしまさくらが御幸を諭す。

「放っておきなよ御幸、中沢さんと愛美は喧嘩友達なんだから」

「悪いけど本島さん、小坂さんとはそういう関係じゃないから!」

 今度は本島桜に突っかかると、桜は呆れて苦笑しながら玲子に言う。

「はいはい、また始まったわよ玲子」

「放っておけば? そのうち収まるから」

 玲子も慣れた様子でさすがに愛美も苦笑しながら不満をを露わにする。

「人をにわか雨みたいに言わないでくれる? だいたい火種はいつもこいつよ!」

「それなら小坂さんは燃料を満載したタンクローリーね」

 舞は嘲笑して言う、やれやれもう放っておこう。玲子の言う通りそのうち収まるだろうと思っていた時、マナーモードにしてた携帯電話が震える。翔はそれを取り出すと、健軍にいる親戚からだ。

「……あっ!」

「どうした翔、何かあったのか?」

 太一が固まった翔の顔を覗き込み、翔はしばらく固まったまま携帯電話の画面を見つめ、そして呟いた。

「ああ、すまんが……今日の放課後抜けるよ……健軍にいる親戚の叔母さん、赤ちゃんがさっき生まれたって」

「あらまぁおめでとう! 男の子? 女の子?」

 彩はぱっと花を咲かせるかのように微笑ながら訊くと、メールを確認する。

「男の子だ……放課後、病院に行ってくる……暗号で何かわかったらメールしてくれ」

「ああ、それじゃあ撮らせてもらうよ」

 太一は携帯電話のカメラを作動させ、暗号を撮って保存した。


 その日の放課後、今日は急遽予定を変更して一人で市内の病院に行く。今日一日曇りだったのに放課後になると眩しい太陽が顔を出していた。

 翔は親戚の叔父さんには連絡済みで、翔はノックして病室に入る。

「失礼します……こんにちわ翔です」

 光射す部屋の中に入ると健軍の叔父さんが座っていて、ベッドには出産という大仕事を終えた叔母さんがリラックスした表情でベッドで横になっていた。

「やぁ翔君、久しぶり……また大きくなったね」

「いらっしゃい翔君……来てくれてありがとう」

 母親となった叔母さんの表情はとても穏やかで、その隣にある小さな赤ちゃん用のベッドには今日生まれたばかりの子が寝ている。窓から射す光は、まるで太陽が生まれた新しい命を祝福してるようだった。

 翔はゆっくりそこに歩み寄る。

「叔母さん、この子……」

「男の子よ……可愛いでしょ?」

 翔からすれば子猿のような顔をした赤ん坊だが、叔父さんや叔母さんからすれば天使みたいにかわいい赤ちゃんに違いない。ただ一つ言えることはとても可愛かった、翔は試しに訊いてみた。

「あの……名前、決めました?」

「ああ、決めたよ……名前は鷹という字に人で鷹人たかひとだよ」

 叔父さんは自慢げに言うと、叔母さんも誇らしげに言う。

「鷹のように強く、人を思いやれる優しい人になって欲しいっていう名前にしたのよ」

桐谷きりたに……鷹人たかひと

 翔は何度も名前を呟く、桐谷鷹人……桐谷鷹人……ふと翔は思ったままのことを口にした。

「叔父さん……僕が生まれた時も、こんな感じだったんですか?」

「そうだね、君が生まれた時も真っ先に洋彦君が一番乗りしたよ」

「洋彦兄さんが?」

「ああ……そうだよ、君のお父さんも苦笑してたよ。そういえば暗号は解けたかい?」

 叔父さんが訊くと翔は「いいえ」と首を横に振る。

「まだですけど、友達のみんなと一緒に解いて見つけてみようと思います」

「そうか……そういえば兄さん――君のお父さん、話してたよ君が生まれた時……親戚の中で一番乗りしたのは洋彦君で先を越されたって話してたよ。洋彦君、君のことよく可愛がってたね」

 叔父さんの言う通り、翔は幼い頃から洋彦兄さんとよく遊んだ。結婚してなかったがお盆やお正月にはお小遣いやお年玉をくれたし、いろんな所に連れて行ってくれた。一度だけだが家族みんなをハワイに招待してくれて、初めての海外旅行にも行った。

 じゃあなんで? どうしてこんな時に洋彦兄さんのことを思い出すんだろう? どうして僕を置いて消えたんだ? 翔は今日、生まれたばかりの鷹人を見つめながら思ってると、叔母さんは翔を見つめながら言った。

「もし、謎が解けたら洋彦君の家に行ってご両親にも伝えてあげてね」

「はい、勿論です……家に――」

 その時、翔はふと数列の暗号を思い出して閃いた。

「住所……そうか、あの数列はそうだったんだ!」

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