陽炎 何時かの記憶

袋陀 [たいだ]

金木犀の降る日

メルカリで本が売れた。丁度コーヒーケーキを作るのにサワークリームが必要だったので、散歩がてらコンビニとスーパーを廻ることにした。ついでに買い溜めのお菓子をカゴに放り込みセルフサービスのレジを済ませ、消毒液の匂いを漂わせながら店を出た僕は、ふと吸い込まれるように空を見上げた。そこで見た夕の帳の降りた憂愁の空は、僕を哀感とさせるのに十分すぎるものだった。夕飯までは時間がある、僕はそれを深い記憶に昇華するため、懐かしき母校、小学校へ向かうことにした。とはいえ、僕は自分の母校舎は再築工事のため姿を消し、全く新しい建物に変わっていることを知っていた。それでも、当時の通学路を歩き、ただ記憶を喚起するその時間は、必ず有意義なものになると確信を持っていたのだ。幼き頃苦労した最後の急登を登りきり、潮の匂うグラウンドに着いた頃既に辺りは夜の影を落としていた。じんわりとした汗を拭い、学校の象徴、悠然と聳える一本欅を見晴らした時、僕の脳は時を飛んだ。欅の影でお弁当を食べた運動会の昼休み、逆上がりが出来なくて有耶無耶に誤魔化した体育の授業、酸素検知管を触って火傷しかけた理科の授業。夜風に囁かれ正気を取り戻した時僕は殆ど衝動的にカメラを構えた。この感情を忘れるまいと、いつか私を思い出せるようにと。一頻り記録を収め、この空気を心に染み込ませた僕は、遥かに縮んだ通学路を歩き、帰路に着いた。今日の夕飯はカレーライス、僕は異様に、健気な幸福を感じていた。

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