⑨ 世界を灼け


 ホムラは両手をココミの頬に当てた。柔らかい感触が伝わって、愛しい熱が手の平に帯びていく。


 ゆっくりとホムラの前でココミは顔を上げ、姉妹の目線が同じ高さになった。


 ホムラの両手がココミの頬に触れている。


――とは、逆ね。


 そんな言葉がホムラの中からふと生まれた。


――……あれ、あの時ってだっけ?


「ッ」


 ココミの声が聞こえた。


 ホムラは何かを忘れていた。


 大事な事だった気がする。


 大切な出来事だった気がする。


「ごめんなさい、ココミ。わたしは何かを忘れているみたい」


「……うん」


 ココミは頷いた。蘇生符の奥の綺麗な瞳が泣きそうに潤んでいる。


「泣かないで、ココミ、わたしが忘れてしまったことが原因なら絶対に思い出すから。泣かないで。お願いよ」


 ココミは頷かなかった。泣くのを我慢しているようにも見えた。


「ココミ、逃げて逃げて逃げ切って、そこでゆっくりと色んなお話をしましょう。綺麗な花畑とか、まん丸のお月様とか、海に落ちていく夕暮れとか、そんな物を見ながら一緒に居ましょう?」


 ココミは首を縦に振らなかった。


 ゆくりとココミは首を左右に振り、ホムラは意外そうに眼を丸くした。


「ココミ、もしかして、逃げたくないの? それならそれで良いわ。わたしはあなたがしたいことを手伝うから。どこまでもいつまでもあなたと一緒に居るもの」


 ホムラは優しく微笑んだ。


「ね、安心して言って。あなたがしたいことは何?」


 ココミの沈黙は長くは続かなかった。


 十秒かそこらの短い時間をかけて、ココミは搾り出す様な声を出した。


「……おねえちゃんと、空を、見たい」







 そして、ホムラとココミは空を見ていた。


 場所はホムラ達が居た建物の屋上。貯水槽と幾らかのパイプが生えている見晴らしの良いスペース。転落防止用のフェンスに背中を預けて、ココミと左手を繋いだホムラはジッと空を見上げていた。


 ホムラ達の傍らには三体のキョンシーが立っていて、それらはボウッと地面を見ている。


 青空だった。どこまでも透明で宇宙の果ても見えてしまいそうな、綺麗な青い空だった。


「……そう言えば、こうしてゆっくりと空を見たことは無かったわね」


「……うん」


 これからは、こう言うゆっくりとした時間をもっと作ろう。ホムラはそう決意した。


 風が心地良く、落ちてしまえそうなほどの青い空。世界は無音ではなかったけれど、静寂に包まれていた。


 眼下ではココミが操っている自動車や重機、そしてヘリコプター等が複雑な螺旋軌道を描いてグルグルグルグルと動き回っている。それに対して今ホムラ達が居る場所は静かだった。


「ずっとここに居たいわね」


「そう、だね」


 それから時間にして一分か三分か、風を感じながらホムラはココミと空を見上げていた。


「ああ、ココミ、来たわよ」


「うん」


 ホムラは聴覚で、ココミはテレパシーで下階から来訪者を察知する。


 ココミが戦ったという、そしてホムラが一度廃工場で戦ったあのマント姿のキョンシーだ。


 視線を空から前方の扉へホムラ達は動かした。


 それと同時だった。


 ガァン! 屋上の扉は蹴破られ、そこからキョンシーと人間の二人組みが現れた。


 キョンシーはホムラの思ったとおりマント姿のエレクトロキネシストだ。


 左半身を中心に身体へダメージがあり、左腕は肘から先が消失している。


 人間は若い女だった。肩口までの茶髪で不機嫌そうな目つきをした女だ。


 右手に銃、左手にアタッシュケースを持っている。


「ハハハハハハハハハ! 見ろ京香! 殊勝にもこの場で吾輩達を待っていたぞ! 素晴らしい心がけでは無いか! 撲滅の手間が省けるという物だ!」


 マントの姿のキョンシーが軽く帯電しながら大仰に笑う。


 その声で屋上にあった静寂は壊れてしまった。


「うるさいわね。黙りなさいよ」


 ホムラの声は相手に届いたのか。どうせ聴覚も強化しているだろうから届いたに違いない。


 マントのキョンシーを黙らせて、京香と呼ばれた人間の女が口を開いた。


「キョンシー犯罪対策実行部第六課、清金京香よ。あなた達には野良キョンシーの疑いと暴走キョンシーの疑いが掛けられているわ。投降しなさい」


「もしも、あんた達に下ったとして、わたし達はどうなるの?」


 いつの日か似た質問を誰かにホムラはした気がした。


「役に立つなら使ってあげる。役に立たないなら壊されるでしょうね。どちらにせよ、頭を弄らせてもらうわ」


「……そう」


 ホムラは眼を瞑った。それは駄目だ。ココミの体にメスを入れるなど許せない。


 ホムラはココミの右手を強く握った。


――いくわよ。


(うん)


 ホムラは瞳を強く見開いた。




「わたしの愛よ、――」




 ホムラの周囲で強力なPSI反応が生まれた。


「ハハハハハハハハハハハハハハハ! 京香、行くぞ! 撲滅の時間だぁ!」


「そうね」


 バチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチ!


 スチャ。


 前方のキョンシーが紫電に染まり、傍らの人間が銃を構えた。


 ズガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!


「ハッハッハッハッハッハッハァ!」


 キョンシーが紫の稲妻と成ってホムラ達へと落雷する




「――世界を灼けえええええええええええええええええええええええええええええええええ!」




 ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!


 叫びを、世界への叫びを発し、愛を象った炎がホムラの視界を包み込んだ!

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