間話

世は死体全盛期時代

 およそ百年前、人類はキョンシーを発明した。


 キョンシーを知っているだろうか? 元々は道力と呼ばれる特殊な力で蘇り、額に貼られた札によって道士に従う、中国版ゾンビのことだ。


 現代版キョンシーは別に道力という非科学的な力は使っていない。とんでも理論で作られた叡智の結晶である。


 人間がどのようにして四肢を動かし、息をして、感情を揺らしているのかを考察した場合、結局の所、脳から電気信号へと終着する。


 毎日毎時間毎秒毎瞬、生きている限り、膨大な量の電気信号がやり取りされている。


 生者の定義をこの電気信号が飛び交う有機物とするならば、死者とはこの脳の電気信号が止まっている有機物と言えよう。


 では、もしも、死者の脳に生前と全く同じ電気信号パターンを与えれば、死者は生者と同じ様に動くのではないだろうか。


 そんなとんでもアイデアを実行し、理論化し、実用化したのが百年前の大天才、アルフレド・グッドシュタインだった。


 アルフレドは晩節にして人間の脳の電気信号パターンを完璧に解明し、それを模倣するデバイスを作製した。


 このデバイスを取り付けられた死者は生前と同じ様に動き、息をした。中には歌いだす個体さえあったと言う。


 アルフレドの死後、世の天才達はデバイスの小型化と薄型化に重視した。


 努力は実を結び、初めキングサイズベッド並みの大きさだったデバイスはついに厚さ一ミリかつ成人男性の手の平大のサイズまで小型化薄型化した。


 この札型デバイスは日本を含んだアジア圏では『蘇生符』と呼ばれている。


 当初、蘇生者の呼び方は色々あった。フランケンシュタイン、リバイバー、リビングデッド、ゾンビなど数えれば切りが無い。


 しかし、額に蘇生符を貼ることで動き出すその姿からいつの間にかキョンシーという言葉に落ち着いた。


 キョンシーは人間よりも遥かに強い力を持ち、かつどんな命令も聞く最高の労働力と成った。


 疲れず、文句を言わず、人間社会が続く限り半永久的に供給される動く死体。人類はアタッチメントで死体を労働力へと変えたのだ。


 それは正に労働革命であった。


 キョンシーが居れば人間では危険だったあらゆる作業が可能と成る。四肢が捥げても脳さえ無事ならば機械の代替パーツで置き換えれば良い。


 費用対効果が人間一人のソレを上回るまで時間は掛からなかった。


 どの様な集団であれ、人員の数が増えていけばいくほど単純作業の必要性は跳ね上がる。


 人口爆発を経験した人類にとって,単純作業を人間よりも確実に行えるキョンシーの価値が高まっていくのも当たり前だった。


 当然、倫理的な方向から反対意見が多数出た。


「死後でさえ人々を奴隷にするのか?」


「これは生命への冒涜だ!」


「死体と共に生きるなど汚らわしい!」


 しかし、少子高齢化を向かえた先進国やこれからの発展途上国にとって、この労働力というのは喉から手が出るほど欲しい物だった。


 そして、気付いたら二十三世紀の現代、一家に一体とは言わないまでも、一社に数体程度の割合でキョンシーは人類に受け入れられていた。




 この物語はそんな生者と死者が共に暮らす世界での、とあるキョンシー達に纏わる物語である。

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