「魔女としての直感」


 凄まじい轟音を聞きつけ――それがフェルエルが吹き飛ばされた音であることなど知る由もなく――倒壊した黒い塔の根本に飛んできたミリエは、そこで二つの驚くべき光景を目にした。


呪角じゅかく…………!?」


 一つは、恐らく音の発生源であろう、謎の少女の頭にあった

 つい先程出現したあの黒い塔も、思えばそれに酷似する。……まさか、この一連の騒動は、全て呪神の仕業だとでもいうのか。

 もしそうだとすれば待ち受けるのは絶望だ。

 呪神を相手に、ニンゲンの勝ち目などありはしない。

 今からでも手を引いて無関係な場所へ逃れてしまえば、自分一人だけは助かるかも知れないが――

 ミリエを驚かせたもう一つの光景が、それを許さなかった。



「――キリムに、何やってんだてめぇええええええッッ!!」


 呪角を生やした知らない女が踏みつけにしていたのが、他でもない、ミリエの一番の友人である不死鳥、キリムだったということだ。


 呪神を相手に戦って勝てるわけなどない。

 シマから出るために挑んだことはあるが、ウグメにもメロウにも、まるで相手にならなかった。

 こちらの全力など他愛のない子供のじゃれ合いみたいに簡単にねじ伏せられ、自分を含めて怪我人の一人さえ出すこともできなかった。手厚く、丁重に、あしらわれてしまった。

 今の自分はあの時とは違うが、それでも勝てる見込みはない。客観的に見てそれは揺るぎない事実。呪神に喧嘩を売るなど、命を捨てるに等しい行為であって――


 けれど彼女は、迷いなく強襲をかける。

 だって森の魔女ミリエにとって、数少ない友と呼べるその少女は、その命さえなげうつに値するのだから……!


「っ!? 何だ魔女! 揺らすな落ちるだろが!!」

「黙ってろ変態覆面男! あのやろうブチ焼いてやる……ッ!!」

「ッッ!? あっづぁッ!? 馬鹿てめこら魔女! 俺らまで焼けてるッッ!!」


 激情に呼応した魔素が、にわかに高熱を帯びる。

 魔女ミリエは全ての魔法属性に精通するが、その中で最も得意とするのは炎熱属性だ。切り払うかのようなケーンの一振りは、その莫大な魔力を瞬時に灼熱の龍へと豹変させ、キリムを踏みつけにする謎の敵を照準する。

 それは、国家魔術師が数十人がかりで、莫大なコストと時間を費やしてようやく成し得る程の強力な魔法攻撃。紛れもなくこのシマにおいて――否、この惑星においてニンゲンが行使し得る最大級の魔法であることは、疑う余地もない。

 直撃すれば並大抵の魔法防御などまるで無視して、対象を跡形もなく焼き尽くす。

 相手が、呪神でさえなければ……。


 空中に置き去られたアーティたちはそこでようやく姿と、その頭にが備わっていることを目視した。


 ――歪だ。

 髪は真っ白く染まり、呪角が生え、雰囲気と魔力量が激変しているが、あれは間違いなくアーティの中からいきなり現れた不審人物、今回の事件の主犯――歪だった。


「おい、何の冗談だありゃあ。、あいつ」


 と、言いながらアーティの横顔に視線を向けたウロノスは、その見開かれた瞳の奥底に蒼き炎の猛りを見る。


「――…………歪ぅぅぅぅぅううううッッ!」


 アーティが飛び出したのは刹那の直後。

 ミリエの繰り出した灼熱の龍を追い越し、構えた創世神器にかつてないほどの感情を乗せ――(そのためだけに蹴り飛ばされたウロノスが彼方へ吹っ飛んでいくことなどお構いなしに)飛び出していく……!


「うごぁッ!? てめぇこのガキッ……くそやべぇこれ何処まで……うぉぉぉおおおおおおおおい!!??」


 そりゃあ空中で進路を変えるならば、なにかを蹴り飛ばす以外に方法はない。そのための都合の良い位置にいた自分と、まさか自分が足場にされるなどという不敬な出来事を想定していなかった浅はかさを、今はただ呪うしかなかった。などと他の者に常々言い続けていた自分がまさかこのような目に遭おうとは――!


「う、ウロノスさーーーーーーーーん!?!?!」


 群生する世界樹の海へと消えていくウロノス。


「だっ、誰かウロノスさんを救出に!」

「くくくく。いくら女王の頼みとて、それは無理というものかと」

「なんでですか! それが原初のシマモノのルールだからですか?!」


 ユハビィの言葉をやんわりと受け流したスカーハットは、真顔で答える。


「いえ、誰が好き好んであんな変態に関わろうと???」

「それはそう!」


 その通りだった。あまりにも明確な道理であった。

 納得したユハビィは気持ちを切り替え、アーティの方を見やる。

 失ったものは戻らない。切り替えていくしかない。それにまだ、失ったと決まったわけではない。セイバーズ最強の男が、あの程度で死ぬはずがないのだ。いつかひょっこり帰ってくるに決まっている。いい感じのタイミングで戻ってきて、美味しいところを掻っ攫っていくに違いない。その時を静かに、期待して待てばよい。本当に、戻って来るのならば。


 そうこうしている間にアーティと歪は、それぞれの武器をもって凄まじい速度で斬り結ぶ。アーティの創世神器と、歪の魔剣精製リヴァーシェは、こともあろうにその強度が互角だった。


「ひぇ……! 神器と同じ硬さの魔剣が出せるって……っ、本当に呪神クラスじゃないですか!?」


 狼狽えるユハビィを、原初のシマモノたちが取り囲んで守る。それぞれが浮けるタイプのシマモノの背に乗るなりして、空中で安全を確保する。彼女は器。大事な女王の器。いずれこのシマのあらゆる権限を手にし、この星の全てを支配する存在。しかし今は、ほんの少しヒトよりも丈夫かも知れないだけの、非力な少女。だから原初たちはここにいる。彼女を守るために。


「アレはアーティから出てきたもの。だからアーティが決着をつけるべき」


 自分はどうするべきか。守られてばかりで他にできることはないのか。考えを巡らせるユハビィの隣で、腐滅の宝刀魚フランディッシュは真剣な声で呟いた。


「一つの体に、相容れない二つの心は同居できない。どちらが残り、どちらが消え去るのか。あれは、それを決めるための、とても大切な決闘。だから私達は、それを邪魔しない。戦いの結末が、どちらへ転がっていこうとも」


 歪は、外の世界と、そして自分自身という独立した存在を、知ってしまった。ヘビの誘惑の負けて、知恵の実を齧ってしまった。だからもう、後戻りはできない。アーティの中はもう、彼女の帰る場所ではない。


「殺し合うしか、ないんですか……?」


 ユハビィは問う。


「ワタシはイヤです、アーティさんにそんなことさせたくないっ……! みんなが幸せになる方法は、ないんですか……!?」


 その顔は苦痛に歪む。

 誰かが幸せになるためには、誰かが犠牲にならなければならない。それは確かにこの世界の真理の一つかも知れない。

 だけど。だけどそれは……


「それを見つけないと、ワタシたちは……! 何度も何度もッ、……!」


 本当は、みんなで幸せにならなければいけなかった。

 誰一人欠けても、ゴールへは辿り着けない旅だった。

 ……なのに誰かがその身を呈して、誰かのために犠牲になってしまったから。

 残されたモノは、自分たちを許せなくて。あの子はそんなこと、望んでないのは分かっているのに。分かっているのに。分かっているのに。分かっているのに。

 いつしか、それが、信じられなくなる。小さな疑心の種が、芽吹いてしまう。

 私達には罪がある。

 私達には罪がある。

 私達には罪がある。

 真っ白で、綺麗な楽園に、少しずつ影が落ちる。

 白の世界に、黒の領域が生まれてしまう。

 黒は、全ての終わりに辿り着く色。どんなに薄めても、白は白ではいられない。

 だから……地の底に封じ込めた。誰も届かぬ深淵に、薄暗い感情の全てを閉じ込めた。

 楽園は光に満ちる。再び白き世界を取り戻す。

 けれどそれは、仮初の箱庭。汚いモノに蓋をして、見て見ぬふりをする嘘と偽りの世界。

 私達には、罪がある。

 なのにその罪から目を背け、嘘で塗り固めた箱庭の中に、あの子のための楽園を生み出した。

 楽園に招かれるべきあの子は。

 私達の罪を赦してくれるあの子は。

 もう、どこにもいないのに……。


 罪と嘘に塗れた楽園は、やがて少しずつ歪んでいく。

 まるで赦しよりも罰を求めるように、悪意と狂気の炎に焼かれ爛れていく。

 黒き領域は力を増し、シマは呪いに満たされた。


 アーティと歪が殺し合うのは、その惨劇の再現だ。 

 ユハビィは今日初めて出会った歪について『腐滅の宝刀魚フランディッシュが部屋にやってくる原因になった正体不明の女』であることくらいしか知らないが、代わりにアーティのことはよく知っているから、分かることが一つだけある。

 二人には戦う理由なんてない。ただお互いがそこにいるだけでよかったはずだ。

 だって歪と話している時のアーティの声は、彼が家でリラックスしている時のそれと変わらない――決して敵対する相手に向けるようなものではなかったのだから――。



 *



 ――僅かに遅れて着弾したミリエの魔法攻撃が、爆炎を巻き上げて二人の姿を隠す。それを意にも介さず、アーティの追撃はあっという間に歪を追い込んでいく。

 これだけ超規模の魔法攻撃を間近に浴びて、それでも尚戦い続けられるなど、尋常ではない。呪神と化した歪はともかく、アーティがただの人間でないことはもはや誰の目にも明らかだった。


(――ユハ子が信頼してるっぽいし敵じゃないんだろうけど……何なのだわあのマフラー少年。こわっ!)


 ミリエは二人の激闘の隙間を縫い、爆炎に紛れてキリムを救出する。


「キリム! しっかりなさい! あんたは死なないでしょ、こんなことで!!」

「……お花畑が見えたわ。とても綺麗な薔薇庭園。私の黄金のカニ味噌スープは……?」

「寝惚けてんじゃないわよ!? しゃんとなさいっ!!!」


 上空まで引っ張り上げられる頃には全身の再生を終えていたキリムだが、隠し切れない疲弊の色と意味不明な発言がダメージの深刻さを物語る。

 ひょっとしたらキリムにはもう、普通のニンゲンとして生きていくだけの余力すら残っていないかもしれない。そんな焦燥がミリエの心臓を締め付けた。


「――あー、大丈夫……。ごめん、大丈夫だから……思い出した。死んでたのね私……」

「キリム……」

「だいぶ消耗したのは事実だけど、向こう数十年かけてちょっとずつ消化していく予定だった予備燃料よ……。ヒトとしての寿命なら問題ないわ。今は私のことよりも……」

「…………」


 ――二人は揃って、バケモノ同士の戦いに目線を落とす。

 創世神器と呪神。

 どちらも世界を壊し、作り直す規模の力だ。

 シマが今の形になって以来、これほどの戦いは恐らくなかった。

 シンプルな肉弾戦ではあるものの、そこにかかる過剰な負荷にシマを構成する空間が悲鳴を上げている。

 まるで何かが鳴いて、或いは啼いているかのような異音が響き渡る。


「ミリエ!!」

「ユハ子! 危ないから下がってなさい!!」

「今はそれどころじゃないです、このままじゃ……このままじゃシマが、」

「えぇ、えぇ分かってる、分かってるのだわ…………!」


 歯噛みするミリエ。

 女王の器ではなくとも、魔女としての彼女の、研ぎ澄まされた感覚は告げていた。


 ――


 このままでは、シマが。世界が。システムが。

 取り返しのつかない状態に、なってしまう。


 いや、それは少し正確ではない。

 ……ここは、本来ならばとっくに壊れていた世界だ。

 遙か遠い過去の時代に徹底的な破壊を受け、死んでしまった星だ。

 それが、小さな願いとささやかな魔法で閉ざされ、辛うじて延命されているだけ。


 シマはいずれ、目を覚ます。

 自らが既に死んでいたことを思い出し、終わりの時を迎える。

 それは数千年先の話かも知れないし、今日かも知れない。

 どちらにせよ、その時が訪れたのなら……誰にも止めることは出来ない。


「……ヤバい気がする。あの二人の戦いを止めないと……全員死ぬかも……」


 類稀なる魔法の才を持つミリエは、ニンゲンを超越した魔法的感覚によりうっすらと、いずれ必ず訪れる災厄を予見した。

 来るべき日にシマを脅かす、破滅の未来を知覚した。

 漠然とではあるが。明確な解答が出せたわけではないが。

 このままでは、誰も生き残れないということだけが間違いなくて。


 ユハビィが隣で、不安げな眼差しを向けてくる。

 彼女の言わんとしていることは分かっている。あの二人の戦いを止めなければならない。今ここにいてそれが可能なのは考えるまでもなく、他でもない、ミリエ自身だ。


 どうすればいい?

 どうすればこの破滅を回避できる?

 思考を巡らす。過去の経験を掘り下げる。このシマに来てから理解した魔法理論を脳内に全て展開する。呪いとはなにか、不死鳥とはなにか、悪魔病とはなにか、シマモノとは――ありとあらゆる知識を総動員し、彼方に揺らめく朧げな惨劇回避の未来図を、もっと近くに手繰り寄せようとした、その瞬間だった。





『――や。繋がったわね。久しぶり、あたし』


 ミリエの視界にもう一人の、小さな子供の頃の姿の、ミリエ自身が映り込んだ。





 *




「アミリ、エ…………」


 幼女の姿を、ミリエは

 今の今まで忘れていたその姿を、存在を、一目見た刹那。

 記憶の奥底に沈んでいた全てが、頭痛とともに掘り起こされる。


 脳内世界。

 精神空間。

 現実の時間概念に干渉されない、特別な領域。

 それはさながらリアルタイムで進行する盤上の戦いを、時を止めて上層より俯瞰し、次の一手を思考することが可能なプレイヤーの視界。

 はいつも、そういう場所を作り出して姿を見せた。

 こことは違うどこかにいる、誰かの意識の欠片のように。ミリエが運命の分かれ道に立たされるたびに、いつもこうして言葉を交わしにやってきた。そして交わした言葉でミリエの行動に、ささやかなる変化を与えてきたのだ。


 最後に会ったのは一年半前、立ち寄った地方の小国と、隣国とのいざこざに巻き込まれる前夜だった。アミリエの助言がなければ、ミリエは宿泊していた宿屋ごと爆破されていた。流石の魔女とて眠っている間にそんなことになれば、命を落としていたはずだった。


 今回も何らかの予言を残して、助けてくれるのだろうか。

 そんなミリエの期待は、しかし即座に打ち砕かれる。


『ゲームはもうじき終局を迎えるのだわ』


「え……?」


『これはもう、の段階。お疲れ様。ま、最初から勝ち目なんてなかったのよ。結局シマから出ることなんて不可能だった。そういうわけだから後は適当に流していいわよ、


 適当に流すとは。

 つまりもう結果は変わらないから、好きにしろということか。

 いったいこれの何がゲームなのかは分からないが、それでハイそうですかと納得できるミリエではない。

 或いは信頼。アミリエがただ何の意味もなく姿を現すはずがないという、確信にも似た――


「……やっぱりアーティでも呪神には勝てないから、それであたしたちが全滅するってこと?」


『んー? あっは。折れないんだ。もう、限りなく終わってる盤面なのに。くすくす。それを聞いてどうするつもり? ここからまだ運命に抗おうとでも?』


「あんたは適当に流していいって言ったけど、あたしはどんなゲームでも最後までちゃんと遊びたい派だからね」


『くすくすくすくす。あっはははははは! そうね、そうねぇ。あんたはあたしだもんね。どんなクソゲーでも最初の一回目は真面目にやり切っちゃう性格なのよね。だからあたし、それが面白くていっつも記憶を引き継がないのよね。じゃ、教えてあげる。賢いあたしが特別に教えてあげる。この先に起こることを』


 アミリエはご機嫌に笑いながら、よく分からないことを言いながら、くるりと回って振り返った。


『まず、このまま二人が戦いを続けると、歪――あのが死ぬのだわ』


「アーティは、呪神にも勝てるの……?」


『盤上の結果だけを見ればそういうことになるかしら。くすくす。凄いわよね、創世神器。よ。紛い物の、呪われた神とは、やっぱり比べ物にならない。それでも普通は勝てるはずないんだけどね。呪神には』


「……アーティが勝ってあの呪神が死ぬなら、なんでそれが終局なのよ」


『紛い物とはいえ、神は神。それも。わかる? ちゃんとわかりなさい? この世界においてとはどういうことなのか。彼女はね、既になの。のだから、相応の跳ねっ返りがあるに決まってるでしょう?』


「…………延命。……壊す。跳ねっ返り…………」


『本当ならとっくの昔に死んでいたはずのこのシマは――呪神たちの存在によって辛うじて生前の姿を保ち、支えられているこの仮初の楽園は――誰かの願いの詰まった、ちっぽけな箱庭は――。砂で描かれた淡い夢は、打ち寄せる波に綺麗さっぱり洗い流され、後には何も残らない。それが終末。ゲームの終わりに起こること。それはもう決まっていることで、この世界の誰にも、それを覆すことはできない』


「……あんたがワケの分かんないことを言うのには慣れっこのつもりだったけど。またサラッとあたしの知らない情報を出すわね……」


? のだわ。あんたはあたし。あたしたちは同じ魂を分かつ存在。アーティにとっての歪のような。女王にとっての器のような。気付いて。気付きなさい。。本当はもう、とっくに分かっていたことのはず。あんたが無自覚に無意識に理解していたからこそ、の。シマから出るために、ありとあらゆる可能性を模索する過程で、あんたは答えの一つに辿り着いていたはず。ここで会うたびいつも言ってるはずよ。。誰かがシナリオに描き込んだ都合のいい幻想なんかじゃない。あたしは、あんたを写す鏡。夢でも幻でもない、明確な事実。


「……………………あたしの、知っていた……」



 このシマに流れ着いた時から、ずっと。ミリエはシマを出ることを一つの目標として暮らしてきた。

 調査と検討。

 可能性の模索。

 時には呪神にも挑み。

 時には呪神とも仲良くなって情報を引き出し。

 彼女はこのシマの中で誰よりも、シマと呪神の関係、その真相に近いところまで迫っていた。


 そんな彼女だからこそ、頭の中には数多の打ち捨てられた仮説があって。

 そして彼女自身は気付けなかったけれど。

 その雑多に打ち捨てられた情報が重なり合った時、そこには限りなく真実に近い、一つの答えが……。


『超一流の魔法使いであるミリエあたしの、魔女としての直感。それが具現化した存在であるアミリエあたしは……その答えを、見逃さない。たとえミリエあたしが見逃しても、あたしなら見つけられる。歴戦の探偵が、時として遺留品のを聴くように。熟練の法医学者が、時として遺体のを聴くように。


「……あんたは、何がしたいの。あたしに何をさせたいの。終局なんでしょ。もう、どうにもならないんでしょ? 適当に流していいって、諦めの言葉を口にしたのはあんたの方じゃない」


と言ったのだわ。まだ。生きながらえる道はある。――だけどね』


「躱してみろ、と?」


『どっちでもいいのよ? リザインの催促と捉えてもいいし、忠告と捉えるのもあたしの自由。だってあたしはあたしなんだから。難局を前に諦めが過ぎって、それからどうするかなんて――自分で勝手に決めれば良いのだわ』


「…………自分で勝手にって、そんな無責任な……」



 ミリエがジト目を向けると、アミリエは急に厭悪に満ちた顔を浮かべ、盛大なため息を付いた。


「え? …………ぁ……」


 それを見てようやく、彼女はまた一つ思い出す。


『……………………ここでのやり取り、あんたはいつも忘れちゃうから。もう一度言うわ。何度でも言うわ。あのね。



 そういえば。

 そうだった、かも知れない。

 小国のいざこざに巻き込まれたあの夜だって。

 確かにアミリエは、宿を離れた方が良いと助言してくれていた。それは観光目的で街をぶらついていたり、酒場で久方ぶりに料理と呼べるものを口に運んでいた時、無意識のうちに鼓膜を、網膜を通過していたあらゆる情報が、無自覚に脳内で整理され集積された結果、明確なる根拠を伴う推理が脳内に具現化し、アミリエという存在を介して意識と思考に働きかけてきたものだった。

 なのに当のミリエはとその提案を蹴り、耐衝撃結界を張ってベッドに潜り込んだのだ。だって温かな布団に入るなど数ヶ月ぶりだったから。その誘惑に抗うのは、歴戦の魔女とて容易ではなかった。

 その前も、その前の前も……。

 思い返せばだいたいいつも、何だかんだ理由をつけて――



『だから、勝手になさい。あんたは助言さえあれば、だいたい自分で何とかするでしょ』


「……………………はい。ごめんなさい……」



 そう。勝手にすればいい。

 強い意思の力があれば、出来ないことなんて何もないはず。


 何だって出来るわ。

 何にだってなれる。

 それがこの世界の【Law】なのだから。



『躱せば開ける道もある。その先には望んだ未来が――あるかどうかなんて、知らないけどね』



 カードは揃えた。

 駒は並べた。

 後はあんたが、それを信じるだけ。


 ――くすくす。


 あんたに、それが出来るかしら?


 アミリエは再び眠る。

 彼女が眠ると、この精神空間は暗闇に閉ざされ、ミリエの意識は現実に回帰する。

 ここでのことは記憶に残らない。ミリエはまた、アミリエのことなど忘れてしまう。

 しかし、

 それはさながら、より高い次元の存在がミリエという駒を動かしたかのように映ったことだろう――この世の、ヒトならざるモノたちの目には……。





 *




 ――ゼンカの姿は、高い木の枝の上にあった。

 立ってはいない。

 例えるならば、物干し竿に引っ掛けられた洗濯物。

 ……即ち、そこにあったのは大見得を切ってシマモノに挑み、絶賛返り討ちに遭った男の末路だった。


 四匹いた獅子型のシマモノの姿はないが、逃げられてはいない。

 獅子型は今も全て。ただ形が異なるだけで間違いなく、四匹は確かに存在している。

 合体して一つとなった、新たなるとして――。


『――起きなさい、ゼンカ……しっかりするのです……!』

「……ぐ、げほっ、ごぼっ……! あ゛ー……わりぃ、一瞬トんでた……」


 かつて海産物のシマモノがそうしたように――或いは元々この獅子型のシマモノも一体の巨大シマモノだったわけで、と言えばそれはそう。

 なのに、あんなにも大きかったモノの7分の4が再結集したにしては、その姿はあまりにも小さく、元々の雄々しき獅子の姿よりも遥かに小さく、背格好はゼンカとさほど変わらない。

 それはつまり、圧縮され、密度が高まったということだ。

 魔力操作の世界において密度の高さはそのまま魔法としての強度に直結するが、源泉を等しくする呪詛もまた同様の性質を持つ。あの巨体が一般的な青少年並に圧縮されたとなれば、その強度は計り知れない。

 何よりゼンカにとって致命的だったのは、巨大シマモノの分離した姿こそがあの複数体の獅子型シマモノであるという事実を、知らなかったことだ。

 仮に知っていたならば、四匹が合体して生み出されたヒト型シマモノとの交戦にどれほどのリスクが眠っているのかについて、もっと正確な警戒ができていたはず。

 小さくなった分だけ密度が上がり、より強靭になっているところまでは分かっていた。だからこそ事前にそれを知っていたのなら、具体的にどの程度強靭になっている可能性があったのかを測り間違えることも、なかったはずなのだ。

 セイバーではないが一時期はウロノスに師事し、鍛えられていた。警戒の度合いが適正でさえあったなら、少なくとも初手から致命的なダメージを受け、その後の戦闘に多大な影響を与えてしまうこともなかったはず……たとえ勝ち目が無かったとしても、勝ちの目がどこからかやってくるまでの間、なんとか場を繋ぐことくらいはできたに違いない。

 今となっては、後の祭りだ。


(こいつは、思ってたよか全然つえーな…………ちょっと勝てる気がしねー……)


 これほどの力の差を感じたのは、プラチナ級と手合わせした時以来だろうか。

 今まさに近接格闘でボコボコにされたばかりなので、嫌でも脳裏に思い浮かんだのはフェルエルの姿だった。

 彼女に限りなく近い実力を感じた。客観的に見てまだ彼女の方が強そうな印象ではあるが、それは自分がこのシマモノの本気を引き出せていないだけかも知れない。本当はもっと強いのかも。


(……いや、勝てない敵では、決してなかった……)


 一方のナインルートは、魂の奥底でそう分析していた。

 負け惜しみではない。

 フェルエルに匹敵するくらいの相手であれば、不死化による戦闘能力補正を受けたゼンカとは少なくとも同格。ここまでの惨敗を喫することはないはずだった。

 現在のナインルートにとっての本体であり生命線――フルコキリムが死に瀕するという異常事態さえ、起きていなければ……。


 所詮は借り物の、一時的な不死性。

 永遠の命には程遠い、限度つきの反則技。

 それでも不死化が解かれない限り、その生命力が尽きない限り、幸いなことにどれだけの致命傷を受けようとも、ゼンカが死ぬことはないのだった。

 たとえその力が既に、ゼンカ自身の命を食い潰す段階まで達しているとしとも……。


(――ナインルート。おまえは、キリムのところに帰れ……)


 敗色濃厚の状況下。ゼンカは心の声で、そう指示した。

 彼にはキリムの置かれた致命的な状況を理解できていないはずである。……或いはひょっとすると、不死化で繋がっていたがために、超常的な感覚によりそれを悟っていたのかも知れないが……。


『何を馬鹿な。本当にそうしますよ……?』

(だぁから、そうしろっつってんだよこの狐……ここで俺と一緒に死ぬつもりか?)


 ゆっくり、ゆっくりとゼンカが木の枝の上で起き上がっていくのを。

 ヒト型シマモノはまだ、無表情の黒い頭部でジッと観察している。……

 全身真っ黒。ただニンゲンのシルエットだけが無機質にそこにあるだけのような不気味な存在は……目と、口の中にだけ、その内側に抱く激情を具現化するかのような、い輝きを溢れさせ――身構えてくれている。


 どうやらまだ、あとほんの少し。もう少しの間だけ、この戦いを楽しんでくれるつもりらしい。

 これだけの力の差を見せつけ、ボロ雑巾になるまで一方的に打ち負かしたにも関わらず、それでもまだ起き上がろうとするのであれば、それを待ってくれる心の広さがあるらしい――。

 

 

 ……ああ、なんてありがたい。

 もはや勝ちの目の存在しない戦いであろうとも、その意気には応えなければ。


「……っ、来いよバケモノ……! 村には絶対ぇ、行かせねぇぞッ……!!」




 だが、死ぬ。

 このまま手を指し続ければ、ほんの数手先には敗北と、凄惨な死の未来が大口を開け待ち構えている。

 それはもう、誰の目にもわかりきっていることだった。












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