「嫌な予感」
ユハビィは、セラたちと共に三人で暮らしていた。
村の家屋は全てシェアハウス構造が基本であり、年の近い者や気の合う者、普通に家族だったり恋人だったりする者などが一緒に暮らす形を取っている。一つの家に一人くらいセイバーがいた方が良いだろう、というウロノスの雑な判断によって生まれた文化である。
つまり村の中では「自分の家を持つ」のは珍しく、「自分の部屋を持つ」という考え方が主流だった。
もちろん望むなら空き地に家を建てることは許されているが、その場合は当然、DIYとなる。自分の城は頑張って建てろということだ。
さて、そんなセラたちの家は現状、空き部屋が四つほど残されている。
いずれ村の人口が増えれば、新たな入居者が来るかも知れないということだ。
果たしてどんな出会いがあるのだろうか? などとワクワクするユハビィやセラをよそに、やどりはあまり歓迎的ではなかった。自分のテリトリーによそ者が住み着くのは居心地がよくないらしい。
流石は猫である――
「――何してるですにゃ、ユハビィ?」
「ぎくり!!」
――夜。
共用の台所でコソコソと食器を片付けていたユハビィに後ろから声を掛けたのは、そのいかにも猫っぽい雰囲気を漂わせるやどりだった。
「……最近、ご飯の減りがちょっと早いなと思っていたですにゃ……。やっぱりユハビィ、おまえ……」
「いえっ、あの、これはですねその……!」
「問答無用――と言いたいところだけど、……はぁ。ま、セイバーズの仕事は、それだけ大変ってことにしておいてやるですにゃ」
「…………。……うへへ、ごめんなさい……」
「まったく…………それじゃ、やどりは寝るですにゃ。次からはちゃんとご飯の時におかわりでもするですにゃ。毎晩起こされたら堪ったものじゃないですにゃ」
「そういうやどりこそこんな時間に何をしに来たんです? さては盗み食いを……」
「しないですにゃ。そこまで食い意地は張ってないですにゃ」
呆れたように言いながら、やどりはユハビィの目をじっと覗き込む。
「……おまえ、何か隠してるですにゃ?」
「やっぱりバレちゃいますか?」
「何となく――そんな気がしたですにゃ」
「本当はあんまり言いたくないんですけど……」
「言いたくないなら別に言わなくても」
「実はワタシ、部屋でこっそりペットを飼ってまして」
「だいぶ衝撃発言ですにゃ!?」
「夜な夜なその子のためにご飯を少々ですね」
「ちょ、ちょっと待つですにゃ、ペットって何ですにゃ? いぬ? ねこ? とり? さかな? こ、このシマの中で何を拾ってきたですにゃ?! ま、まさか、シマ……」
「まぁ普通に嘘なんですけど」
「嘘かい!!」
思わず派手にすっ転ぶやどりだった。
「あはは、まさかシマモノなんて飼えるわけないじゃないですか」
「当たり前ですにゃ、あんな呪いの凝り固まったバケモノなんか飼育できるわけないですにゃ……」
「そうですよ。飼うなんてとてもとても。ではやどり、明日も早いのでワタシはもう寝ますね。おやすみなさい☆」
「あい、おやすみですにゃ。…………」
とてとてと軽めの足音を立てながら去っていく後ろ姿を、やどりは見送る。
…………やっぱり何か隠している気がする。でも、それはあまりにも巧みで、やどりには分からない。
これが
そんなことを思いながら。
ユハビィの姿が見えなくなると、自分もまた部屋へ戻っていくのだった。
*
「やっぱり、やどりは少し勘が良いですね。ヒヤッとしました……」
「えへへぇ……? やどり、じゃま? 溶かしちゃう?」
「駄目ですよフラン、やどりはワタシの友達です。おーけー?」
「おーけぇ……☆ ふらん、りょうかいー」
*
翌朝のことだった。
玄関をノックする音にやどりが応対すると、ドアの向こうにゴールド級セイバーのミカゲが立っていた。
いつ見ても不幸そうな顔だ。
疲れ切った人間の成れの果てみたいな姿だ。
ブラックな労働環境によって身も心も壊し尽くされた人間そのものだ。
防衛任務の後だけそういう顔なのかと思っていたが、まさかの朝っぱらからずっとだったことが発覚してしまった。
いや、逆に朝だからこそなのかも知れない。誰もが朝から元気でいられるわけではないのだ……。
「……私の顔を見ながら随分と失礼なことを考えていそうだな猫っ子」
「ソンナコトナイデスニャ」
「なぜカタコトなのかは敢えて聞かんよ――私もこう見えて暇というわけでは断じてないのだからな」
暇というわけでは断じてない男が、どうしてこんな場所にいるのだろうか。
セイバーズとして村を守るためにシマモノと日々戦い、その実績を重ねてゴールド級という地位についているこの男が、悪い男でないことは分かっている。
しかし同時に、この家を早朝から訪ねてくるような男ではないということもまた、分かる。
だからこれはきっとろくでもない理由なのだ。
何かは分からないが決して良くはないことの前触れなのだ。
漠然とした不安が、応対したやどりの頭を満たしていく。
「セイバーズとしてユハビィを呼びに来たのだ。まだ寝ているのならば申し訳ないが起こしてきてはくれまいかね」
――あ。
駄目だ、これ。駄目なやつだ。
この男にユハビィを会わせてはいけない。
根拠はない。ただ野生の直感だ。
理由もなく、ただただ強くそう思うのだ。
言葉や態度には決して現れることのない嘘の気配が――
その身の潜め方があまりに巧みだからこそ、不信と嫌悪が全身を駆け巡る。
この体にはかつて猫だった時のような尻尾はない。
しかしそれでも尻尾の毛が全て逆立つような感覚がした。
「ユハビィ? ちょっと待ってろですにゃ。昨日夜更かししていたからまだ寝ているですにゃ」
会わせるつもりは毛頭ない。
一先ずこの男をドアの向こうに隔離して、それから次の手を考える。
裏口か、二階の窓からか。いずれにしてもユハビィを脱出させなくてはならない。
「あぁ頼む。できるだけ早くな。この老体にはただ立って待つだけというのも実に堪えるのでな――目上の者は大事にするべきだよ猫っ子。セラ少女にもそう伝えておいてくれ。このしがない老人の戯言を」
――それにしても見た目の印象と違って滅茶苦茶喋るなこの人……とは思ったが口にはせず、やどりは容赦なくミカゲを外で待たせて玄関を閉めたのだった。
たぶん暗に「家の中で座って待たせろ」と言っていたのかも知れないが、こいつを家に入れてはいけないという危機意識が今は勝る。勘違いだったらごめんなさいとしか言いようがないのだが、今のところ、生前の記憶も含めても、この直感が勘違いだったことは一度もなかった。だからやどりはそれに従うことにした。
ただし結果的に、そこには何の意味もなかった。
事態は何日も前から動き出していて。
このミカゲの来訪も、何かの始まりなどでは決してない。
水面下での攻防は、既に中盤戦も佳境のところ。
一つでも手を誤れば、どちらか一方の致命的な敗北を招く――そういう状況まで進行していたのだから。
(悪い人じゃないはず……なのに死ぬほど疑わしいにゃ、あいつ。きっといつか裏切って悪役になるにゃ……? 大丈夫なのかセイバーズ……)
と、そんなことを思いながら階段に差し掛かった時、二階から血相を変えて駆け下りてくるセラと鉢合わせた。
階段は駆け下りるものではない。転んで怪我でもしたらどうするつもりなのだ。自分と違って人並みの強度しかない体のくせに。
「ご主人っ、危ないですにゃ!」
「――いや、ごめん、そのえっと、外での話が聞こえてて……。それでユハビィの様子を確認したんだけど」
息を切らせつつ、何とか顔を上げたセラだったが、まるで顔面蒼白。
それだけでもう、絶対に良くないことが起きたのだとやどりは理解する。
「ユハ子に、何かあったですにゃ……?」
「――それが……ユハビィが、」
昨晩、何かを隠していたユハビィ。
今朝になっていきなり彼女を呼びに来た
そして……何の言葉も残さない、突然の失踪。
ああ。
何となく、分かってしまった。
この嫌な予感の正体が何なのか。
自分の知らないところで何が始まってしまったのか。
これは、きっと。
「ユハビィが、何処にもいないの……!」
ユハビィが、死ぬ物語だ。
*
「いつまで私のような老体を走り回らせるつもりだ。いい加減に通信機器を
「っつってる割に息も切らせてねぇじゃねーか、どこが老体だよ。寝言は寝て言えクソジジイ。それと通信機器はダメだ。絶対にな」
「……ふん。どうせ理由を聞いても答えないのだろうが。そのやり方がいつまで続くかは見ものだな」
「あと一年も続きゃ十分だろ。一生続けるつもりなんざそれこそねーわ安心しろ」
ユハビィの不在を、ミカゲはその足で直接、ウロノスの自宅へと報告に来ていた。
全力ダッシュでものの数分の出来事である。ゴールド級セイバーの脚力は伊達ではない。
庭先にてそれを知ったウロノスは(いつもの奇怪な覆面の下で)渋い顔を浮かべながら、縁側の木目を不愉快そうにトントンと叩く。
「なぁミカゲ。先に謝っとくわ」
「なんだ藪から棒に。貴様が謝るなどこの星が滅ぶ前兆か何かか?」
「この俺様としたことが、もしかしたらユハ子に出し抜かれたくせぇんだわ……。あのガキンチョ、思ったよりだいぶキレやがる」
「見かけほど頭が悪くないというのは分かっていたはずだが」
「俺様の想定を超えた動きをする奴なんかここ十年見てねぇよ。それか或いは、誰かが暗躍してユハ子を唆したか、だな。ただそれはそれで結局同じことなんだよなぁ。つまり生意気にもこのシマで俺よりも暗躍が得意な奴がいやがるってことだろ? どう思うよ、いつか裏切りそうな奴ランキング殿堂入りのミカゲ氏?」
「そんな不愉快なランキングが存在していたことも――そしてこともあろうにこの私が殿堂入りしていたこともたった今初めて知ったところだよウロノス氏。そこのところもう少し詳しく掘り下げてみたい気もするがなるほどどうやらそうふざけていられる状況ではないようだな」
「正直、そこそこ参ったぜ。泳がせ過ぎちまった。あと二日は待てると踏んでたんだがな……ちっ、面白半分で魔導具職人に仕事を渡すんじゃなかったなぁ……」
「面白半分で――の部分は聞かなかったことにしておいてやる」
「おうおう聞き流しとけ。徹頭徹尾大真面目だよ」
そう言ってウロノスはしばらく沈黙する。
真っ先に思考を巡らせたのは、誰がユハビィを連れ出したのかについてだった。
只者ではないことだけが間違いなく。
何ならウロノスが内密に計画していた今日というエックスデーにドンピシャで、というのが極めて高評価だった。
このシマの中で、ウロノスの知る人物の中で、それだけのことができそうな人物といえば――
「――フェルエルか?」
同時に同じことを考えていたミカゲが、プラチナ級セイバーの名を挙げる。
傍から見れば確かにフェルエルはよくユハビィと仲良くしていた。しかしあれはフェルエルが入れ込んでいたというよりかは、単純にユハビィのコミュ力だろうというのがウロノスの分析だった。だからその可能性は、低い。
「……まぁ、一割ってとこだろ。あいつは俺のやり方が気に入らなきゃ手は貸さないタイプだが、同時に気に入らなくても俺の邪魔はしないタイプでもある。そのルールを捻じ曲げるほどユハ子のことを気に入っちまったのかどうかってとこだが、確率的には微妙なラインだな」
「ふむ……だとすると残り九割は」
「三割はてめーだよ」
「ならば存分に安心しろ私は無関係だ。となると残り六割は」
「それがマジで候補も浮かばねぇから、そこそこ参ってんだよなー。誰かが盤外から駒を置きやがった感じがするぜ。俺はてっきりこのゲームは二人プレイ用かと思ってたんだが、案外三人目がいやがるのかもな。……それとも俺らの遊びに釣られて、亡霊でも湧いて出たか?」
「そもそも私にはおまえが誰と戦っているのかすら理解が及ばないわけだが――それも聞くだけ無駄なのだろうな」
「それはどうせ想像ついてんだろ? まぁ今のところあいつが俺を対戦相手と認めてくれてんのかどうかは分からんけどな」
「……」
「ただ俺はユハ子がこの村に現れた時に、招待状が届いたって思ったぜ。宣戦布告の果たし状も兼ねてのな」
「…………」
ミカゲは古株で。
このシマにおけるウロノスの過去と、今のセイバーズの成り立ちを知る数少ない人物の中の一人である。
故に、ウロノスが誰かと戦っているとしたなら、それに該当する人物は確かに思い浮かぶのだ。
ウロノスに対し、強い憎悪を抱いているであろう、あの……今は村を離れ、森林区の山小屋で暮らしている少年のことが。
彼は村を去る直前、特に何も言わなかったけれど。
その切欠となった事件のあらましを知れば、誰だって想像はつく。
彼は必ず、ウロノスを憎んでいるだろう、と。
だから。いずれ彼が復讐に訪れることも、不思議ではない。
それはウロノスの過去を知る者ならば誰もが一様に考えていたことだった。
そしてユハビィという少女が村に送り込まれてきた時。
ウロノスは察した。招待状……或いは果たし状が届いたのだと。
「ウロノス」
「なんだ」
「……ここは地獄の底だ。外の世界の善悪の価値観など通る余地もない――それでも私はおまえの作ったこの村をそれなりに気に入っている」
「……そりゃどーも」
「故に――負けることは絶対に許されないと肝に銘じておけ。少なからずいるであろう私と同じようにこの村を気に入っている者のためにもな」
ウロノスの強さは知っている。
長いこと近くで見ていたから、よく鍛錬に付き合わされているフェルエルの次くらいには詳しいつもりだ。
しかしアーティと戦うということは。
それはつまり……彼の有する【創世神器】と戦うということを意味する。
一般的に知られる神器ではない。
世界の始まりに関わる力だ。
神々の力の残滓どころではない、純然たる神の力。
恐らくは呪神と同格かも知れない。少なくとも同質であることだけは確かな――。
果たして勝つのはどちらか。
もはやミカゲの想像の及ぶところではない。
一つ言えるのは、ウロノスが負ければ、村もセイバーズも、今のままではいられなくなるということ。
ウロノスという絶対者が君臨しているからこそ抑え込まれていた様々な火種が一斉に燃え上がり、シマの中に構築された文明は瞬く間に崩壊していくだろうということだけは、間違いない……。
(……もっともそれすら希望的観測に過ぎないのだがな――アーティがウロノスを恨んでいるのならその憎しみの対象はこの男の作り上げたもの全てに及ぶ可能性すらある……即ち【創世神器】の矛先は我々にも向かい得るのだから……)
――負けることは許されない、というミカゲの言葉にウロノスは長い沈黙を貫いたが。
やがて彼はいつも通りの尊大な声色で答えた。
「はっ。まさかこの俺様が万に一つでも負けるとかほざいたのか? 荒唐無稽な物言いも大概にしやがれクソジジイ。思わず理解すんのに時間食っちまったぜ」
けれどミカゲにはそれが、彼の精一杯の強がりのようにも見えたのだった。
*
ミカゲが訪問する少し前。
ユハビィが部屋を抜け出して森林区へと逃げ去っていくのを、アーティは観測していた。
「そうか。気付いたんだな、ユハビィは。自分がどういう存在なのか」
もう、村にはいられまい。
だってそれはこのシマに住む全ての人間を滅ぼす力。
そしてシマの結界を破れば、この星そのものを破滅へ導く権能。
その資格であり、権利であり、そして義務であるもの。
女王を構成する、【Law】の一端。
『ま、逃げたところで意味なんてないんだけどねぇ。生きている限り逃げ場なんてないんだから』
「そういう奴なんだよ。まだ諦めてないんだろ。この期に及んでみんなが助かる方法を、とか考えるタイプだからな」
『あっは。……きっと、アトリィもそうだったのかな』
「当たり前だろ。アトリィが……簡単に諦めるわけない」
失ってしまった大事な人のことを思いながら。
アーティは、いよいよ迫る復讐の時に目を細めた。
もはや自分でも、今、どういう感情なのかは分からない。
きっとこれは憎悪と呼ぶべき感情に違いないと、ずっと思っていた。
でも、色々なことを教えてくれたアトリィも、他人を憎むという感情は最後まで教えてくれなかった。
だから……分からない。
これが本当に、そうなのか。
自分ではもう、分かりようがない。
――なぁ、アトリィ。
(教えてくれ。おまえはオイラに、何をさせたかったのか)
このまま。
なるがままに、村を滅ぼせばいいのか。
シマのシステムを破壊して――この物語の全てを断ち切ってしまえばいいのか。
ヒトも、神も、何もかもを。
教えてくれ。
それができなきゃ、いっそ、もう――
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