「それぞれの物語」




 咄嗟の判断で身を捩っていなければ、今頃は上半身がそれと同じ状態になっていただろう――イルフェはまだ辛うじて繋がっているらしい、肘のあたりからひしゃげて使い物にならなくなった片腕を横目に、すぐに体勢の立て直しを図る。


(……っ、痛過ぎて逆に何も感じなくなってきた……あー、脳内物質ドバドバで麻痺ったわね、悪くない……っ)


 

 セイバーズには優秀な治癒魔術師がいるし、ヒトツメ病院の集中治療室であれば二日で完治させられるはず。

 噂によれば片足を食われて失った戦闘員も一週間で元通りになったというではないか――今はそんな眉唾ものの話さえ心強い。


(体裁とか気にしてられない。逃げ一択でしょこんなの……問題は)


 問題はどうやって逃げ切るかだ。


 自分が――ではなくユハビィが、の話だが。

 例えば緊急脱出用の魔道具をユハビィに使わせて、自分は逃げるという作戦はどうだろうか?


(……ただ、試したことがないから、それでどうなるか知らないのよね……。最悪の場合は、あの子がここに一人取り残される可能性があるわけで……)


 セイバーズに加入して日が浅く、それを補う勤勉さも持ち合わせなかったイルフェには、脱出用魔道具の詳細な仕様が分からない。

 分かっているのは、これだけの強さを誇るシマモノの眼前に新米セイバーを置き去りにした場合に訪れるであろう、凄惨な結末だけだ。


 蘇ったシマモノは、一度死んだことで何かを振り切ってしまったのか、その凶暴性が一段と増していた。

 端的に言ってさっきより強い。あれだけの致命傷を幾度となく与えたというのに、それを全く感じさせないのは大した根性だ。動くほどに割れた呪殻の隙間から血を迸らせている。放っておけば失血死するかもしれないが、果たしてそれまでやり過ごせるかどうか……いや、待て。


「うっ…………!!!!」



 ……悪寒が走る。

 損傷した肉体の奥底から溢れだした赤い血が、呪殻の表皮にまとわりついて……その姿はまるで――



「赤い…………シマモノ…………」



 ……嘘だ。

 馬鹿な。

 有り得ない。

 ここは森林区。

 赤いシマモノは、禁足区に入ってくることは――




「――ぐッ、いっ!!!!!」



 鋭い爪の一撃。しかし今度は避ける。先程のようなヘマはしない。

 いくら強いとはいえ一度は無傷で倒した相手だ。

 いくら元気になったとはいえ一度は完全に絶命させた相手だ。

 落ち着いて対処すれば、どうということはな――


「あっ…………!!」


 攻撃を紙一重でかわすも、茂みを突き破った先に足場がない。

 隠れていて視えない段差が、イルフェの動作を狂わせる。なのに間髪入れず追撃が飛んで来るから、体勢を立て直す余裕もない。

 結果、小さな傾斜をごろごろと転落し、獣も通らない樹木の密集地へと追い込まれる。

 ――あんな派手な大振りの攻撃さえ無様に転がって避けるしかないなんて、などと負け惜しみを言う余裕も次の策を考える時間さえもなく、形勢は瞬く間にシマモノ有利へと傾いていく。


 もはや魔力切れよりも、失血で気を失う方が早いかも知れない。

 こうなってしまっては、使い物にならない右腕がまだ繋がっていることの方が返って邪魔だった。

 切り離して身軽になりたかったが、今はその手段すら存在しない。などと思っている間に、もう次の攻撃は目の前に迫っていて――


(あー、やばっ……死ぬ――)




 *



 繁栄とは、それに伴う数多の犠牲を、人々の目に留まらないところまで追いやってしまうことだ。

 しかし、あまねく事象は表裏一体。

 光があるから影があるように。

 どれだけ遠ざけようとも、切り離すことは決して、できない。



 とある大都市の片隅に、そのスラムはあった。

 綺羅びやかな大通りから、ほんのいくつかの古びた建物の隙間を抜けていく――たったそれだけのことで、おおよそ華やかさからは縁遠い雰囲気の、生臭いゴミの匂いと、あらゆる犯罪が我が物顔で闊歩する、血と硝煙と薬物に事欠かない暗黒の裏路地は広がっていた。

 好き好んで近寄る者は誰もいない。

 少なくとも素人が立ち入ってどうこうなるような場所ではないのだから、そういうのは治安維持組織の管轄のはずだ、と。

 ……そして同じようなことを、治安維持組織の人間たちもまた思っていて。責任は、上へ上へ。誰の手にも渡らないまま、誰の手も届かい彼方へと棚上げされて。

 気がついた頃には、もはや都市を管理する政府にさえどうすることもできない程に膿んでいた。

 残された道は、相互の非干渉。スラムの支配者たちは、栄華を極めた都市の表と裏、その両方に精通していて。そして自分たちの利権さえ失われないのであれば、都市の運営の邪魔はしないという暗黙の了解があった。

 だから誰にも、どうすることもできないまま、闇は深く、濃くなっていったのだった。


 そういう場所に、そういう目的のためだけに生を与えられた妖精族の亜人の少女。それがイルフェだった。

 少女と呼べる年齢まで生き延びることができたのは、単純に顔が良かったからだ。母によく似た、妖精族らしい整った顔立ちに感謝しろと、育ての親を自称するスキンヘッドの男に散々言われ続けてきた。

 顔が良いから、実験ではなく愛玩として、その体が使い物になる間だけは殺されずに済んでいた。

 そうでなければ裏社会に顔の利く怪しげな団体に、死んでも足の付かない便利な人体実験のサンプルとして買い取られ、数日以内には五体バラバラに。それぞれがよくわからない液体に漬けられたまま、永遠に辱められるところだったのだから。

 そんな末路と比べれば、男を喜ばせるためだけに十年以上費やすことなど、大した困難ではない。

 生きている限り、逆転のチャンスは必ずある。別にそう信じて希望を持っていたわけではないけれど。むしろこの不条理な現実を滅茶苦茶にしてやったら、きっとスカッとするだろうな、くらいの感情だったけれど。彼女は心折れることなく、淡々と、力を蓄えていったのだった。


 そして。恭順な雌として振る舞い続け、客も雇い主も、次第に油断を見せるようになってきた頃。

 ついに彼女は、店の上客の命と、そのポケットマネーの全てを奪って姿を消すという行動に出た。

 これには当然、店だけでなく客の関係者も激怒し、双方総力を挙げての追跡が始まった。

 育ててやった恩を忘れやがってだとか、飼い犬に手を噛まれるとはこのことだとか、様々な追手が次々現れてはそんなことを(死に際に)吐き捨てたが、真の自由を手に入れたイルフェには、どんな言葉も全く響かない。

 念願だった青空の下に広がる世界は、想像の何十倍も大きくて。

 どこまでも走っていけそうなこの感動を、誰に止めることなどできようか。

 この逃避行を邪魔するような悪いやつなんか、みんなみんな、死んでしまえばいい。

 ――だから殺す。死ねばいいような連中なのだから、むしろこちらがそれを手伝ってやる。

 過去から追いかけてくる全ての柵を断ち切ったその時こそ、本当の自由が得られるのかも知れない。漠然とそう思った瞬間から、モチベーションは高く、むしろ次の刺客が早く現れないものかという期待さえするようになっていたのだった。


 逃走から半年程が経った頃。

 それは彼女が、シマに流れ着くことになる前日で。


 最後に送り込まれた刺客は、彼女の生みの親だった。




 *




 あの女は、裏社会で薄汚い仕事に手を染め、身勝手な理由で自分を産んでおきながら、それが得体の知れない道具の大量に用意された密室の中でどのような目に遭おうとも、決して救いの手など差し伸べてなどくれない冷徹な奴だった。

 それがまさか刺客として差し向けられてくるなんて。

 あぁ、今日はなんて良い日だろう。こいつを殺せば、きっと楽園に至ることができる。

 だってこいつは全ての元凶だ。諸悪の根源だ。あらゆる原罪を身にまとった、この世から駆逐するべき、鬼なのだ。

 それを倒す自分は英雄だ。鬼を倒せば幸せになれると、御伽噺にも書いてあった!

 手加減などしない、容赦もない、必ず殺す、そのハラワタをぶちまけて大通りに投げ捨ててやる。無様な死に様を。その腹黒さを。せいぜい人々の笑いものにされるがいい――!


 ……と。

 威勢が良かったのは始めだけで。

 力の差は、歴然だった。

 培った技術も、積み重ねた経験も、何一つとしてイルフェは、彼女の領域に微塵も及ばない。

 ものの数秒で組み伏せられて、あっという間に死に体となっていた。

 死ぬ?

 殺される?

 コンナトコロデ……?

 嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ――!

 ――悲鳴にも似た絶叫を上げ激しく抵抗するイルフェを見下ろす目は、あまりにも冷たく。

 実の娘であろうと、使い物にならない商品は容赦なく廃棄する。そう言っているのが聞こえた気さえした。

 ただで死ねるか。このまま死んでなるものか。あと少しで自由になれた。こいつさえ。この女さえ現れなければ。こいつさえ殺せたなら、もう他に何も要らない――!

 首という人体の急所に、正確に振り下ろされる刃。しかし一瞬、イルフェの抵抗が勝り、彼女もまた同時に同じ場所を狙って刃を突き出す。

 ……しかし積み重ねた経験が、自身の敗北を悟らせた。

 この刃は、届かない。

 あたしの、負けだ――


 イルフェは、敗北を悟り、目を閉じていた。

 だから何が起きたのかは、今も分からない。

 結果だけを見れば、イルフェは生き残り、そしてその後、シマに流れ着いたという事実がある。


 交錯する太刀筋はイルフェには掠りもせず。

 逆にその女の首が完璧に射抜かれていた……。


「――…………」


 血に溺れた声の向こうから。

 微かに聞こえた『ごめんなさい』は、何に対しての謝罪だったのか。

 先程までの言葉や態度とは正反対の、温かな赤色の雫を滴らせながら。

 その女は目を閉じ、そして二度と開くことはなかった。



 ――親殺しは、この世に存在する罪の中でどれくらいの位置にあるのだろう。

 少なくとも上から数えた方が早そうだ。

 親より先に死ぬよりかはマシなのかも知れないけれど――などと、イルフェは投げやりに思う。

 もう二度と追手も現れることはない、海の上。

 気ままに流れて、流れ着いた場所で、静かに暮らそう。

 なんとなく、そう思った。

 あてもなく、目的もなく、ただ呆然と風と波に流されるだけの旅路。

 念願叶って掴んだ自由は、思ったよりも大したことはなくて。

 成し遂げた達成感よりも、終わってしまった虚無感の方が勝っていた。


 きっと、自由が欲しくて戦ったのでは、なかった。

 ただ、終わらせたかっただけなのだ。あの不条理を。

 そしてそれは、できることならば、自分の死という形でありたかった。

 全てが終わった時に自分が生きている未来なんて、微塵も考えていなかったのがいい証拠だ。


 これからどうするのか。

 母を殺め、血に染まったこの手で、何をつかめるのか。

 じっくり考えて、気持ちを整理するのにはまだまだ時間が必要で。

 だから船旅は、都合が良かった。足を止めたままでも、勝手に、何処かへ連れて行ってくれるから。波に揺られるのも、ゆりかごの中のようで心地よい。……いや。……ゆりかごの中に揺られていた記憶など……なかった、はず。あの女が私をそんなふうに大事にしてくれたことなんて……。


 久しく、彼女は深い眠りに落ちる。

 普段の、寝込みを襲われても対処できるような浅い眠りではなく。

 どれだけ船が揺られても目を覚まさない程の、それは安らかな眠りだった。

 それは彼女にとって必要な、休息の時間。身も心も、傷つき疲れ果ててしまった彼女には、絶対に……


 けれど運命は、彼女を許さなかった。

 乗り合わせた船は不運にも嵐に見舞われ、転覆。

 イルフェは、真っ暗な海に投げ出されてしまう。

 流石に飛び起きたが、そこは既に上も下も分からない海の中だった。

 沈みゆく船が作り出した渦に飲まれ、荒れ狂う水の力にただただ振り回されるばかりで、もう自力での脱出は不可能であると悟った時。


(あぁ)


 不思議と、彼女はこの結末に納得していた。

 むしろ、これこそが運命なのだと、感動に打ち震えさえした。


 やはり神様は見ているのだ。

 私の罪は、赦されなどしなかった。

 このまま冷たい海の底へと沈んでいくことが、私にできる唯一の贖罪。

 到底、天国に行けるような綺麗な体ではないのだから。

 罪に塗れた自分が次に目を覚ますことがあるとすれば、そこはきっと地獄の底に違いない。

 永遠の責め苦を受けながら、声なき声でなき続ける。それが私の全て。それだけが神様の、願い――



『――でも、あんたは知っているわ?』



 水をかき混ぜる音しか聞こえないはずの、水の中で。

 ……聞こえるはずのない。いるはずのない。悪魔が、呼びかけた。



『知っているでしょう? 地獄の、壊し方。くす、くすくす……』



 くすくすと、げらげらと、悪魔は誘う。

 破滅の道へ。

 惨劇の舞台へ。

 あぁ、そうだとも。

 私は確かに知っている。

 だって誰よりも地獄のような場所を生き抜いて来た。

 だから誰よりもよく、理解しているとも。

 地獄を、壊すには――



『みんなみんな、殺せばいいんだ。そうしたら、楽園になる――」



 そして悪魔の囁きは。

 イルフェの独り言と、重なった。




  *





「なん……で……?」


 イルフェは信じ難い光景を目の当たりにしていた。


 まるで期待などしていなかった新入りユハビィが、トドメを刺しに来たシマモノとの間に割り込んだのだ。

 この私が、大して親しくもない他人から助けられるなんて。或いは大して親しくもない他人を助けるような人間が、この世界に存在しているだなんて。……ということも信じられなかったが、目の前で起きていた出来事はそんな驚きを軽く吹き飛ばしてしまう。


 ユハビィが割り込んだ瞬間、シマモノが動きを止めたのだ。

 その爪が、彼女の細い体に当たる寸前のところで、突然、何の前触れもなく……。

 それは第三者の出現に驚いたというより、むしろ、彼女を攻撃することができないかのような、不自然な行動で――。


「ダメです……! イルフェさんをこれ以上傷つけることは、ワタシが許しません……!」


 などとユハビィは大声で言うのだが、そんな言葉より遥か前からシマモノは動きを止めているわけで。

 そもそも、許さないから何だというのか。

 シマモノに言葉など通じるわけもなく。

 だからユハビィのやっていることはあまりにも見当外れの的外れ、全く無意味で滑稽なだけなのに――


「う……そ……」


 ……なのにシマモノは動きを止めて、不服そうに唸り声を上げながら、じりじりと、渋々と、後退していくではないか。

 後ろからでは、ユハビィの顔は見えない。

 ただ、彼女越しに見えるシマモノの姿はまるで、イタズラをしていたら母親に本気で怒られた子供のように小さく映った。


(怯え、て、いる……?)


 シマモノが引き下がっていく今この瞬間にさえ、ユハビィからは何も感じない。

 いわゆる強者が放つ相手を圧倒する雰囲気――例えば『闘気』や『オーラ』、『気』などと呼ばれる要素は、この世界では魔素マナによる現象としてほぼ解明済みで、誰もが認知するところである。故にユハビィがそういった類の力でシマモノを威嚇したなら、後ろにいたとしても、イルフェにだってそれは感知可能なはず。

 しかし、その様子がない。

 ユハビィの雰囲気は、依然としてただの人間の子供で。

 それなのにシマモノは、ついに踵を返し。そそくさと茂みの向こうへ姿を消すのだった。


 緊迫の一瞬は過ぎ去り、ユハビィは大きく息を吐いて振り返る。



「――ふぅっ、良かったです、話の分かる子で……だ、大丈夫――じゃないですよねイルフェさん……っ、すぐに本部に戻って治療をっ……!」


「い、いや……そんなことより、……」



 ――話? シマモノが?

 


 


 意味不明。理解不能。ただ、助けられたということだけが事実。


 思考がぐるぐると回る。次第に、視界もまた同じように――



(――あ、……だめだ、もう、血が足りな……)


「わぁぁあっ!? イルフェさん! イルフェさぁぁぁあん!?」




 奇跡的に。

 ユハビィに引きずられて本部への帰還を果たすまでの間。

 新たなシマモノに襲われることも、そしてイルフェが手遅れになってしまうこともなく。

 二人は無事に、本部へと生還するのであった。



 *



「――流石は女王の器だねぇ」


 ――ずっと。

 ずっとその顛末を、二人は遠巻きに観測していた。

 アーティといびつ。二人は高い木の上で気配を消し、セイバーズに入って奮闘するユハビィを、陰ながら見守っていた。もとい高みから見下ろしていた。

 あくまでも見ているだけ。

 強力なシマモノが現れ、先輩セイバーらしい妖精族の亜人が窮地に陥ろうとも、決して助けに入る素振りなど見せず――ただ淡々と、静観を貫いていた。

 誰がどう生きてどう死ぬかなんて関係ない。見守りたいのはユハビィが何を願い、何を成すのかという一点のみ。

 それが決まるまでは二人は傍観者で、舞台には上がらないし、これがゲームなら、対戦席にすら着席しない。

 今はまだそうする価値があるかどうかを、見定めているだけなのだから。


『どうだいアーティ。価値はありそうかな?』

「ん……まぁ、そうだな。多分、期待通りの展開になるとは思うよ」

『あっはは。それはボクにとってなのかな。それともキミに?』

「さぁ、どうかな」


 ユハビィの性格はある程度把握している。自分が女王の器であることを悟った時にどんな行動を取る可能性があるのかも、概ね予測はついている。

 問題があるとすればタイムリミットだけだ。女王の器なら、遠くないうちにその意思を全てシマの支配者によって奪われる。だから


『いずれ彼女は、シマモノを統べる。……そしてシマの、女王になる』


 感慨深そうに、姿なき存在、いびつは言う。


『不思議だねぇ、アーティ。キミが関わるニンゲンはいつも、器に選ばれる。どうしてかな』

「……いつも、じゃない。まだたったの二度目だ」

『二度で十分だろう。だから僕が生まれた』

「………………」


 ――たったの二回。

 でも、こんなのは一回でも致命傷だ。

 それが立て続けに二度も起これば、壊れてしまうのにはあまりにも十分で。


 歪んでしまった心を支えるために。

 だからアーティには、いびつが必要だった。


 姿のない、だからこそ決して誰にも穢されることのない、唯一無二の、不可侵の、

 アーティにしか見ることのできないその姿は――かつてアーティにとって一番大事だったニンゲンの形に、少し似る。



『――彼女を村に送り込み、セイバーズに関わらせた。これできっと、あの男の目にもユハ子は留まるね。楽しみだねぇ』


「そうだな。オイラたちの復讐は、あいつが招待状に気付かないと始まらない」


『気付くかなぁ。あの馬鹿は』


「気付くだろ。そこまで馬鹿じゃない」



 あの亜人が今日、決定的なシーンを目撃した。

 その情報はすぐにプラチナ級に伝わるだろう。

 そうなれば、あの男が勘付くのも時間の問題である。



「……大事なのは、ユハビィが女王の器であることを、ユハビィよりも先にウロノスが気付くことだ」


『そうしないとユハ子はきっと村を離れちゃうからねぇ。自分の力のせいで他人に被害が及ぶなんて、耐えられる子じゃないでしょ』


「…………」



 本当は。

 その方がいいのだ。

 ユハビィにとっては。

 そうして欲しい。そうしてくれたなら。何度、そう思っただろうか。でも……。


 それだと、復讐が果たせない。


 女王の器であるユハビィの前にウロノスが現れる。

 そういう筋書きが必要なのだ。どうしても。

 ……。





 *





「うわ……ちゃんと動くわ。気持ち悪……」

「失礼な奴だな。並の施設ならば肘から下はなくなっていたところだぞ」

「はいはい感謝してるわよー」

「うぇぇぇん、良かったですよぅイルフェさぁんっ」

「なんであんたが泣くのよ。痛くて泣きたいのはこっちだっつーの」

「だって、だってぇ、ずっと、三日も、目を覚まさなかったからっ、ぐずっ、ずびびび」

「あぁもう分かったからひっつくな! 離れなさいっ、あたしの服で鼻をかむなぁっ!?」

「おーよしよし良かったなユハ子。おまえはちょっと顔を洗ってこようなー」

「あぁぁぁっイルフェさん、イルフェさぁぁぁぁぁああん!」


 ――ヒトツメ病院、治療室。先日やどりが全身の骨折を一晩で治した部屋である。

 その実力は噂には聞いていたが、イルフェ自身はこの部屋を利用するのは初めてだった。

 まさか辛うじて繋がっているだけだった片腕が、たった三日眠っている間に元通りになっているとは。しかしそんな驚きよりも、今は三日間意識がなかったことに感謝したい気持ちだった。

 あの大怪我がじわじわ修復していく様など気色悪くて直視したくないし、感触として味わい続けるのも絶対にごめんだ。

 本当に、意識がなくてよかったと、イルフェは安堵する。

 そんなわけで意識を失う寸前に、もうこれでセイバーは引退ね、後は任せたわみんな……なんてことを思いながら脳裏に描いていた楽チンな隠居生活も、晴れて台無しとなったわけだった。


 目を覚ました時、たまたま見舞いに来ていたユハビィは、同伴のケンゴに連行されて退出。

 静かになった部屋の中に残されたのは、イルフェとアルギウス副院長の二人だけとなった頃、イルフェはぽつりと呟いた。


「……あたしの計画、だいたいいつも失敗するわね」


 そしてその都度思うのだ。

 上手く行かなくてよかった、と。皮肉である。


「? 何の話だ」

「あたしの話よ。で、どうなのアル先生。正直に言ってくれていいわよ。その深刻そうな顔を見ればわかるわ。あたしはもう、二度と戦えないのよね」

「深刻な顔は生まれつきで、明後日には復帰可能だと既に本部に連絡済みだ」

「わぁお、それはご親切にどうもありがとう。死ね」

「死なん。退院届けはここに置いておくからいつでも家に帰るが良い」

「くっそ、このイケメンめ……顔が良ければ何しても許されると思うなよ……」

「……? 顔が良いのはおまえのことだろう? あまり俺を心配をさせるな。おまえの代わりなど、何処にもいないのだからな」

「ばっ……ばかじゃないの!?!?!? 顔近いッッ!」



 平気でそういうことを言うアルギウスだった。

 イルフェがお姉様一筋でなければ勘違いしていたかも知れない。危ないところだった。


 ――さて、あれから三日。

 当のイルフェが眠っていたため、ユハビィに関する不審な情報は未だセイバーズには共有されてはいなかった期間。

 ユハビィは持ち前の人当たりの良さとコミュ力をもって、セイバーズ内に順調に友達の輪を広げていた。

 意外だったのはその輪の中ににイルフェ(意識不明で入院中)が含まれていたことだろうか。弱者を嫌い群れることを好まない彼女を、どうしてユハビィがあれほど慕っているのか。その真実は当事者以外誰にも分からないが、きっとイルフェの大怪我と関係があるに違いない。……とすれば恐らく顛末はこうだ。強力なシマモノの襲撃を受け、窮地に陥ったユハビィをイルフェが命懸けで守った。だから彼女はイルフェに恩義を感じ、毎日のようにお見舞いに通っているのだ。なんだ、イルフェって俺らには冷たいけど実はいいヤツじゃん――みたいな噂が流れまくったりしたのは、きっとこの先のイルフェを囲む環境に良い変化をもたらすことになるかも知れない……のはまた別の話として。


 ユハビィの物語は概ね順風満帆。

 広げた輪の中には目を覚ましたイルフェも加わり、賑やかな日常を送っている。

 やっぱり山小屋に引きこもっているよりも、彼女はああして人々の中心にいる方が似合っていると、それを遠くから見ていたアーティが思うほどに。

 過酷な世界だけど。

 そこにはささやかな幸せがあって。

 これが永遠に続けばいいなんて月並みな感想を抱いてしまうほどに。

 ……できれば。

 できることなら。

 復讐なんてやめてしまいたいと――ほんの僅かにでもそんなことを思わなかったと言えば、嘘になる。

 でも。それでも。

 だけど。……だから。だからこそ。

 もう、止めることはできない。

 

 一人では絶対に、止めることなど……








 そして、数日が過ぎたある日。



「――以上が、彼女についての報告だ」


「そうか。ご苦労、フェルエル。もう帰っていいぞ」


「言われなくてもあなたと同じ空間に長居する気はないよ」



 村という概念を守ること――それだけを絶対の目的とし、あらゆる犠牲を厭わない男の視線が、ついに。



「――だけど帰る前に一つ言っておくぞウロノス」


「いいよ言わなくて。聞くまでもねぇ」


「ユハビィを殺すつもりなら、私は二度とあなたに手を貸さない」





 ユハビィの存在を、捉える。






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