「カレタセカイジュⅣ」


 ――混乱はさらに広がる。

 帝国軍人の活躍とその他大勢の協力によって退路こそ確保されていたが、避難誘導された人々を待ち受けていたのは、さらなる異常事態――真っ赤に燃え上がる海と、それを舞台に踊り狂う数多の黒い怪物の姿だった。


「だっ……駄目だろうがよ……無理に決まってんだろ、あんなっ……! あんなのッ、逃げ切れるわけないだろうがよぉぉおおッ!!」


 一人の男が絶叫する。

 その眼前では、ついさきほどまで優雅に航行していた豪華客船が。威風堂々たる帝国の最新鋭の軍艦が。何もかもが、大破、炎上、轟沈の最中にあった。

 黒煙を上げて傾く船たちに群がる、無数の黒い魔物。

 海からは大昔に絶滅した首長竜のような怪物。空からは渡り鳥の群れのような規模で飛び交う翼竜が。それぞれ人類に対し明確な敵意を持って、咆哮と攻撃を続けていて――さながらそこだけ原始時代に回帰したような光景が、大海原を舞台に繰り広げられていた。


 帝国海軍を中心に、各国の軍隊も必死に応戦している。

 しかし、数の差が覆えらない。倒しても倒しても現れる黒い魔物に、次第に追い詰められていく。先日お披露目されたばかりの戦艦さえ、あちこちから絶え間なく体当たりを受け続け、破壊され、今まさに沈まんとしている……。

 船に搭載された砲台は、人間が相手であれば強力無比の兵器だったに違いない。海の上での戦いなら、相手も同様に船に乗るだろう。それを、最新鋭の観測技術によって素早く捕捉し、恐るべき精度にて対艦砲を悉く命中させるのだ。開戦から僅か数発にて敵艦は撃沈。味方陣営に圧倒的な勝利をもたらす。そういう能力があると、豪語されていたばかりであった。

 実際、遠距離から来る黒い魔物にもしっかり命中させ、何匹も海に沈めている。その実力は確かに目を見張るものがある。しかし……如何せん、魔物の数が多過ぎた。

 ただ『大きくて』『数が多い』というだけことが、これほどの脅威になるなんて。

 ……いいや誰もが分かっていた。それはそうだろうということくらい。でも、この世界でそんな飽和攻撃が実現可能だなんて、誰も思わなかった。科学と魔法の全てを組み合わせても、これほどの猛攻を長時間、絶え間なく仕掛け続ける手段など、存在しないと信じて来た。


「……海はっ、海はもう、終わりだ……!」


 ――見よ。あれだけの力を有する戦艦が。撃墜された翼竜が運悪く甲板に衝突しただけで大きく傾き……それによって生まれた隙を突かれ、あんなにも呆気なく沈む姿を――!

 海はもう、人間の立ち入れる場所じゃない。

 あれは地獄だ。

 だって生者に群がる亡者の群れの如く、大量の黒い生物が島を取り囲んでいる。これが地獄じゃなくて何だと言うのだ。


 だが、だとしたらどうする?

 島に残るのか?

 黒い生物は、島の中にだって溢れかえっているのに?

 彼は――来た道を振り返る。


「え……」


 そして、知る。

 今そこに、全世界待望の絶景が広がっているということを。


「……世界樹の、花が…………?」


 絶望する人々の前で――世界樹の花が美しく、次々と、光を放つ。

 星の宝が放つ黄金の煌きは、燃え盛る広場の赤と混ざり合って、悍ましいくらい、美しい。

 これは偶然なのか?

 島で起きた異常事態と、そこに重なる世界樹の開花。

 ……偶然なものか。

 まるで誰かが、こうなるように仕組んでいたとしか思えない。

 誰が……?

 そんなの知るわけない。

 少なくとも、これだけのことが出来る奴なのだから。

 ニンゲンであるはずがない、ということだけは、分かる。


「ふざけやがって……畜生ッ、ちくしょおぉぉぉおおおッ!!」


 ――もう、悠長に考えを巡らせている時間もない。

 逃げ場がないなら、とにかく今は戦って、生き残るしかないのだ。

 ……なのに。そんな彼の叫びに反応したのか。


「――あっ」


 海から飛び上がって来た巨大な黒い塊が、彼を背後から丸呑みにし、そしてそのまま海中へと消えていく……。




 シマは昔からそうだった。

 強くなければ生き残れない。

 強くならなければ、勝ち残れない。

 そして弱者は――抗うことさえ許されない。



 シマが目覚める。


 あの日の悪夢が蘇る。


 いよいよ、終幕を綴ろう。


 もはや我らの邪魔をする者はいない。


 誰が生き残る?

 誰も生き残らせはしない。





 世界樹の花は開き、我らの願いは成就する――!








 *



「いったい……いったいこれは、どういうことかね!! 何が起きていると言うんだね、ゼク君ッ!!」


「さぁ――何でしょうね。それより今は、速やかに避難された方が宜しいかと思われますよ。何せ……ここは【居住区】ではないのですからね」


「そ、総統閣下!! ……ま、窓、窓の、外に……ひぃっ、いいぃぃいいあああああッッ!!」


「あー。に対人用の銃火器なんて効きませんよ。個人で倒すなら魔力の篭もった武器か、魔法攻撃がオススメです。しっかり首を落としてやれば、一撃で片付きます」


 ゼクの声は聞こえているのかいないのか――腰を抜かしてへたり込む護衛の黒服は、窓を突き破って入って来た黒い怪物シマモノに何発も発砲する。

 しかし弾丸は一発も通らない。鈍い金属音と共に弾かれ、床や壁に穴を開けるだけだ。


「ああぁッ、やめろ、来るなぁッ、ひぃ、ひぃぃぃぃぃいいいいぃぃいッ!?」


 悲鳴を上げる黒服の横を横切り、前に出たゼクの左手に、悪魔の翼を象ったような歪な剣が具現化される。

 魔剣精製リヴァーシェだ。そこに込められた威力は、銃すら効かない固い頭を、力強く、一撃で切断する。


「ひぃいいッ!?」

「あ、ぁ、あ、悪……魔……?! 悪魔ッ、悪魔…………!!」


「懐かしいな、そういう反応。…………やっぱ俺、幸せだったんだなぁ」


「な、なにを、何の話をし、しているのだ……!! ぜ、ゼクッ、きさまッ、これは貴様が仕組んだことなのか……!?!? どうなんだ、な、何とか言ってみたらどうだッッ!!」


「グダグダ五月蠅いですよ、総統閣下。分かり難かったですかね? 俺はさっき、早く避難した方が良いと言ったんです。……もう少し分かり易く言い換えましょうか」



 魔剣の切っ先を顔面に突き付けて、ゼクは告げる。



「失せろ。このシマは、てめぇらが土足で入り込んでいい場所じゃねぇ」



 黒い眼。瞳孔が金色に光る、悪魔の目。一国の長でさえ委縮する、圧力。



「ひぃ、ひぃいっ、ひぃぃいええあぁぁあああッ!!」


 黒服と共にどたばたと慌ただしく、よく肥えた体をあちらこちらにぶつけながら逃げ去っていくその背中を見送って――ゼクは頭をかく。


「…………はぁ。…………やっぱ、こうなっちまうんだよな」


 どうせ。

 こうなるだろうことは、分かっていた。

 ……どれほど覚悟を決めていても、それが出来るならば、最初からこんなことにはなっていなかったはずだ。

 およそ百年。今日のためにあれこれ手を尽くし、準備はしてきたけれど。

 …………結局、百年前のあの日から、この未来は決まっていたのだ。


 運命の二択。

 トロッコ問題。

 どちらか一方しか助けられない時、果たしてどうするのが正解なのだろう。


 俺はどちらも選べなかった。

 ……それこそが唯一の不正解であることを知りながら。


「…………最後の最後くらい……。格好はつけないとな……」


 背中に悪魔の翼を広げて。

 ゼクは、シマモノの破壊した窓から、飛び去って行く。

 向かう先にはフリムがいる。

 ……果たして彼女はどちらを選んだのだろうか。

 どちらでもいい。

 せめて彼女の選択に、添い遂げよう。

 それだけのために百年も、無様に生き恥を晒し続けてきたのだから……。



 *



 通信が途絶し、孤島は再び俗世から切り離される。

 果たして島で何が始まってしまったのか。

 中継用の飛空艇が残らず撃墜され、全ての映像が途絶えた今、世界がそれを知る術はない。

 ……しかし彼らもすぐに気付くことだろう。

 既に未来が閉ざされているということを。

 星の終わりまで、あとほんの十数時間の猶予もないのだという現実を。


 今度は、孤島だけでは済まされない。

 だって、シマはもう、解き放たれている。

 誰もそれを邪魔できない。

 かつてこの場所で何が起きていたのか。

 それを今宵、全人類が身をもって理解する。

 星の、終焉と共に。


 最果ての孤島から溢れ出た黒い魔物……シマモノ。

 現代にその呼び名を知る者は少ないが。島から現れた魔物だからシマモノ――などと冗談めいたことを言う者も、意外と各所にはいたかも知れない。

 群れを成し、一斉に世界中へ散っていく怪魚のシマモノたち。

 翼竜のシマモノも、空からそれに続く。

 混乱は島から世界へ、惑星全土へと伝播していく。

 もはや誰も逃げられない。

 この星の全てが、惨劇の舞台だ。

 逃げ場など、どこにもありはしない。


 あろうものか。

 誰も逃さぬ。

 全員、死ね。

 それが――貴様らにできる唯一の贖罪なのだから。



 *



「どういうことだよ…………、何を……、何をしてるんだよ、なぁ……!!」


 ――悲鳴と轟音の響き渡る、絶望の島。

 その片隅。子供たちの秘密基地。大世界樹。その根元で。


 突然、空から飛び降りて来たフリムが。

 その手に生成した魔剣によって、貫いたのは――アヤの、心臓だった。


 一撃だった。

 一瞬の出来事だった。

 悲鳴さえも上がらなかった。

 夥しい量の血を流し、呆気なく崩れ落ちたアヤは、最期の言葉すら残せなかった。

 刃を乱暴に引き抜かれ、蹴り飛ばされたその身体は本当に、糸の切れた人形のように無造作に転がって。もう、動かない。動いてくれない……。


「何とか……ぁあぁッ、……何とか言えよ、母さんッ、何でッ、あぁぁぁあぁぁぁッ!! うわぁぁぁぁぁああああぁぁああああああああああああッッ!!!!」


 ――絶叫するゼレスの前で、フリムは何も答えない。

 冷たい眼を浮かべたまま、狼狽するゼレスを見据えている。


 何? なぜ? 何が起きている? まさか今度は――自分が殺されるのか?

 分からない、分からない、何も、何一つ、何で、何が、どうして――!?


 その時。強く、頭の中から全身を支配される感覚があった。

 もう一人のゼレスが動き出す。混乱する表のゼレスの意識は脳の奥底に追いやられ、自分の状況を俯瞰する位置に立たされる。


『どういうことだ……なぁ、おいッ……! ……何か、知ってるんだな!? これが、これがおまえの罪なのか!? 僕らに、幸せになる資格がないっていうのは…………このことを言ってたのか!?』


『我は。最初から、そう言い続けていたはずだ。やめておけと。……でなければ。いざという時、手元が狂う。刃が鈍る。……アレに、情を持っては、いけなかったのだ』


『アレ……に? か、母さんのことを言ってるのか……!? なぁ……ッ!!』


 ――裏の自分に、身体のコントロールを奪われたのは初めてだった。そんなことが出来るなんて知らなかった。だが、それだけではない。彼が表に出て来たのと同時に、体の奥底から、自分の知らない魔力の溢れ出す感覚があった。

 自分には魔法の才能は無いものと思っていた。なのに彼が表に出た瞬間から――到底、人間の出力では考えられない程の魔力が、全身に漲り始めたのだ。

 そして一度も使ったことの無い魔技マギ――『魔剣精製リヴァーシェ』が、無骨で邪悪な様相の剣を、その手に具現化させる。

 知らない。こんな力、僕は知らない……。



『なんだよ……それ。……そんなの、僕の力じゃない……』


『いいや。我らの力だ。これは、紛れもなく』


『……何なんだよ……いったい……! どうしてアヤが……何で母さんが……僕は、僕はいったい、何だっていうんだよ……ッ!?』


『……知る必要はない。貴様ではもう、どうにもならぬ。……すまなかった。……せめて。一秒でも長く……守ってやる』



 ――その、歪な剣を。

 母さんに向けるのか?

 そう思った。

 しかし……違う。

 ……僕が剣を生み出すと、母さんは、再び、アヤの方に顔を向けた。


 それはまるで、僕が一人でも戦えることを確認したから、共に戦うことを選んだかのように見えた。巣立ちの時を迎えた雛鳥の前から姿を消す親鳥のように。彼女はもう、こちらを振り返らない。


 戦える?

 誰が?

 誰と?

 誰と誰が、戦うって?


 いやだ……嫌だ、嫌だ、そんなの駄目だ…………


 僕は願う。

 でないことを願う。

 違ってくれ、やめてくれ、それだけは絶対に――それしか出来ない空間で、そう願い続ける。けれど。


 僕と、母さんの目の前で。


 もう動かないはずのアヤが、立ち上がったのを見て。




 僕は理解した。

 どうして僕に、幸せになる資格が無いのかを。





「……久しいな。フルコキリム」


 アヤの口を使って紡がれるのは、別のナニカの言葉。

 魂の奥底に入り込んで来るような、不気味な声音。

 そいつはまるでずっと、すぐ傍にいたかのような。

 まるで背中をぺたぺたとついて来ていたかのような。

 この島の中で、気付かなかっただけで、いつも一緒にいたかのような。

 そういう、自然で、当たり前な存在感が――返ってその不気味さを際立たせていて。


 ゼレスは、だから自分の意識が脳内の片隅に追いやられたのだと理解した。

 現況を俯瞰する視線。見えない壁を一枚挟んで、その向こう側から見ているだけなのに、これだけの圧力を受けている。もし……本当にその場所にいたとしたら、きっと自分の足で立っていることさえ出来なかった。恐怖のあまり、全身が竦んで、何一つまともな行動なんて取れなくなっていたに違いなかった。


 神だ。

 今、目の前に、限りなくそれに近い存在が、いる。

 生物としての格が違い過ぎる。

 どうして二人は――あんなものを前にして、未だ剣を構えていられるのだ……。


「そちらのは……知らんな。誰だ? まぁ、よい。久しき目覚めである。ラヴィアは、今、とても気分が良い。そこに立っていることを、特別に許可しようぞ」


 そう言って、そいつは、風穴の開いた胸に手を触れる。

 すると密着した手の平と胸の傷の隙間から植物の蔦のようなものがうねうねと蠢き出して――次に手を離した時にはもう、傷は綺麗に塞がっていた。


「キリム!! ゼレス!!」

「――!」

「……ゼンカ……!」


 それと同時に、空からゼクが飛び降りて来た。

 しかしフリムはもう、彼をゼクとは呼ばない。ゼクもまた、彼女をフリムとは呼ばなかった。

 ゼンカと、キリム。

 ゼレスは、その名を知っている。

 それは――百年前、この孤島から初めて生還したという、歴史の本にも載っている冒険者の名前……。

 この期に及んで、同姓同名の別人だなんて思わない。

 あれは、本人だ。

 間違いなく、百年前にこの島を生きて脱出した――孤島の真実を知る者だ。

 ……じゃあ、この二人は、百年以上を生きている?

 人間じゃあ、ない?

 ああ、そうか。だから僕も、ニンゲンじゃ、なかった。

 突拍子もない妄想のはずなのに――不思議とそれは腑に落ちる推理だった。


「…………ゼク。……いや、ゼンカ、と言ったか。我が半身が、今日まで世話になったな」


 僕の口を借りて、裏のゼレスは父さんにそう言った。

 父さんは……それで何かを察したのか、悲しそうな笑みを浮かべる。


「もう、いいのか?」

「十分である。罪深き我が身には――過ぎた日々であったわ」

「……まだ終わってねぇよ。諦めんのは早いだろ」

「…………で、あるな」


 ――ゼンカを交えて。三人がそれぞれ、アヤの形をした神なる者に、魔剣を向ける。

 ……その瞬間。


「ふ、ひ、「は、ははは、はははは「は」」「ははッ、」「ゲラ」ゲラゲラゲラッ!!」」


 それは、笑った。

 いや……違う。それ、じゃない。

 ……それら、だ。

 アヤの形をしているが、存在が一つじゃない。

 寄り添い、重なり、同時に存在している――複数の魂だ。

 それらが一斉に――笑い声を上げ始めたのだ。

 怖い。怖い。怖い。僕は恐怖で震え上がる。もう何も出来ない。もう一人の僕は言った。一秒でも長く守ってやると。逆だ。違う。一秒でも早く死なせてくれ。こんなの、耐えられない――!!


「あ「あ、貴様らは」知らぬ」「何も」な「ァんにも知ら」ぬのだなァ。「此度も」我を「止め」られると「思っておる……」本気で「そう」「信じて」おる……くっくくくッ、ひぃぃ「っひひひひッ!!」」


「――はっ。よく言うぜ。きっかり十二時間。てめぇの活動限界だ。生憎こっちも不死身なんでな。今回も時間切れまで、しぶとく粘らしてもらうぞ」


「「愚かな「り」人の子よ「今こそ「知るがいい」思い「知れ」讃え「崇めよ」恐れ「平伏せ」我は「我らこそ」世界樹の不死鳥【輪廻転生開花の翼ユグドラヘイムラヴィア】である」ッ!!」



 ――ラヴィアは両手を広げる。

 その背中に、枝分かれした大樹のような形状の翼が広がった。

 その枝の先端全てに無数の魔剣が芽吹き、それらは一斉に、まるで個別に意識を持っているかのように動き出し、三人に襲い掛かる。

 ……まるで? あぁ、分かっているはずだ。比喩じゃない。本当にそうなのだ。ラヴィアは、一つにして複数の存在。無限に分割された集合意識が重なり合って、一つの形を成している。それが自在に変形、再生する不死鳥の肉体に宿ることで――単体の姿にして、同時に何百、何千、何万もの命を、体現する。

 この一瞬の光景だけを切り取れば三対一で数的有利はこちらにあったように見えるだろう。……実際は全く違う。三対百? 三対千? 三対……無限?


 鞭のようにしなる枝が、個々に意識を有し、互いと連携し、極限まで精密な動きで対象に斬りかかる。

 想像できるだろうか。

 まるで千人以上もの剣術の達人から、コンマ一秒の誤差も無く、全方位から全く同時に斬り掛かられる光景を。

 そんなの。

 どうすることも、出来るわけ無い。

 ――僕が最期に俯瞰したのはそんな景色で。

 その後すぐに、画面は真っ暗になった。

 何か、激しい音だけが暫く聞こえていたが、それもすぐに収まって。

 僕という存在も、どこか、闇の深いところに、沈んでいくだけだった。



『ねぇ』



 声がする。

 あいつじゃない。

 女の子の、声。

 僕の、一番好きだった、声。



『私が……間違ってたの?』



 そんなこと、ない。

 ……そう言いたいのに、口がない。



『私が、ゼレスを好きになったから……こんなことになってしまったの……?』



 違う。

 そんなはずない。

 君は何も悪くないんだ。

 今すぐそう叫んで抱きしめたいのに、腕がない。



『私が、生まれてさえ、来なかったら……』



 違う。違う。違う。違う。


 悪いのは、僕だ。

 僕があいつの忠告をちゃんと聞いていれば良かったんだ。

 僕が君に恋をしたから。

 君と結ばれたいと願ったから。

 だから君は、この島に帰ってきてしまった。


 君は悪くない。

 だから、そんな悲しいことを言わないで。




『私が、ゼレスを、殺してしまった……』




 いいんだ。

 僕は。

 君になら。



『ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……』



 もう、謝らないで。


 ああ。

 暗い。

 寒い。

 ……。


 これが……


 死、か。





 *





『人間になりたいなんて、変なこと言うのね』


 赤い髪の魔女は、心底不思議そうな目を向けながら、そう言って首を傾げた。

 その向かいに座る少女の姿は、フリムによく似ていた。フリムの、若い頃だろうか。いや、そうではない。あれはキリムだ。百年前、シマで暮らしていた時の……。

 ……でも、何で今、そう思ったのだろう。

 百年前なんて私。生まれてすらいないのに。


『まぁいいけど。その気持ちは、分からないでもないし。準備してあげる。私の魔法と、あなた自身の力があれば……できなくはないでしょ』


 にっと笑う魔女。

 彼女は……そうだ。

 数少ない、友達だった。

 この島で、キリムがとても仲良くしていた……大事な人。


 その人に、キリムは何かを頼んでいた。

 何を、だっけ。私はすごく反対したのを覚えている。

 え? 知らない。何、この記憶は……。百年前なんて、だから、私は、生まれてなんか……。

 なのに、でも、確かに覚えている。

 私は……強く、反対したんだ。


 それから、ひと月ほど経って……その魔法が、完成した。

 ……何だっけ。


『この魔法を使えば、あんたは自分の力で、内側からその不死鳥の特性をかき消すようになる。例えるなら、伝説の鏡の魔法エンシェントミラーと似た構造の魔法定式スクリプトね。魂に刻印が付与されて、自力では二度と解除できない、呪いの類。つまり――あんたは二度と完全な不死鳥には戻れない。あたしやフェルエルと同じ、ちょっと強いだけの人間になる。それで本当に、後悔はない?』


『――後悔なんてされたら堪ったものじゃないがな。元はと言えばその魔法のせいで私とミリエは殺し合う羽目になったんだし』


 ……そうだ。

 、だ。

 不死鳥であることを、やめる魔法だ。

 魔女はそれを、ついに完成させたんだ。

 キリムはその魔法を欲していた。ゼンカと共に生き、そして共に死ぬために。

 だから……私は反対した。死なないで欲しいって、子供みたいに我儘を言った……でも。……。


 ……その日は。

 フェルエルも一緒だった。知ってる。覚えてる。村で一番? 二番? とにかく、強かった人。敵に回すと怖い人。でも、優しい人だった。

 彼女だけじゃない。奥で心配そうな顔をしている黒髪の青年は……ゼク。……いや。ゼンカだ。若い頃のお父さんにそっくり。……だって、本人なのだから。似ていて当然か。全部、分かる。ちゃんと覚えてる。どうして……。


『……あんたは幸せ者ね。ゼンカ』

『ノーコメント。もう、勝手にしろよ。どうせ俺が何を言っても譲らないんだろ』


 そう言ってゼンカは、大きく溜息をつく。

 そっか。彼も……私と同じように、反対していたんだっけ。

 だって不死鳥の力を捨てて、人として生きて、やがて死のうだなんて馬鹿げた願い、認められるわけがない。

 でも、他の誰でもない。キリムが自分でそう決めたのだから。

 誰にもその決定は……覆せない。


 こうして。

 みんなに見守られながら。

 鳥の王は、ただの人間になった。

 ヒトより少しだけ強くて、少しだけ長く生きるかも知れない……そういう、他愛のない生き物に成り下がったのだった。


 それを、見ていたはずだ。……私も。

 ……わたしも、その場所に、いたのだ……。




『――とか言ってた割には、ちゃんとそういうのも用意しておくんだな』


『魔女はいつだって、用意周到なのだわ。何がどう転がっても楽しめるようにね』


『呪いを解く魔法、か』


『元々は呪神対策の副産物なのだわ。もしかしたらあんたの鏡の魔法の呪いを壊せるかも――ってコソコソ組み立ててたんだけど、結局間に合わなそうだから、こっちに使うことにした。にゃはは』


『それは残念――で、渡すのか?』


『……。どうせ、受け取らないでしょ』


『それもそうだ』


『だから、しまっておくのだわ』


『どこに?』


『適当に、その辺の薬箱にでも入れとくわ。いつか誰かが見つけるかも知れない。その誰かが、この指輪の価値の分かる子だといいわね』



 ……ああ。

 そうだった。

 この記憶は。

 あの時の、



『なぁ、薬箱ってどこにあるんだ?』


『そっちじゃないのだわ。下よ、下』



 わたしも、そこにいた。

 確かにいたんだ。

 ……やっと、思い出せた。



『薬箱は、床下の蔵の中』


『あぁ、こんなところに』




 わたしは。

 わたしの、ほんとうのなまえは…………




 *



 どれほどの時が経ったのか。

 悲鳴と血の雨もいつしか降り止んで。

 シマの輪郭は、黄金の煌きを湛える、幻想的な景色に包まれていた。

 ヒトではないモノを除けば、シマに生存者は、もういない。

 隣で誰が死のうとも、守るべき者が一人もいなくなろうとも、諦めることなく最後まで戦い続けていたあの鳥の亜人も、最期は百を超える黒き巨大生物に囲まれ、そのうちの十数体を打ち倒しながら――壮絶な死を遂げた。


 そして全世界で、シマと同じように終末が始まっている。

 地中より這い出した巨大な植物の根が、建物を破壊しながら隠れる人々を次々襲って。外へと炙り出された者は皆、黒い魔物の餌食となった。

 誰も生き残れない。

 魔物をいくら倒そうとも、植物から逃げようとも。

 あと少しの時間で、星そのものが終わるのだ。

 どれほどの強者が各地にいようとも、歴史の終端が既に、訪れてしまったのだ。

 今から最果ての孤島へ向かい、その深奥に潜む災厄の元凶を討ち滅ぼせる者など、いない。誰も間に合わない。




 ラヴィアと交戦し、完膚なきまでに敗れ、僅かに人の形を留めているキリムは、這いずるように、ゼンカの倒れている方へ向かっていた。


 キリムの口からは、声にならない、謝罪の言葉。

 私が二択を間違えなければ、という、慙愧の言葉……。


 本当は。

 彼女は、床下の蔵に眠る指輪の存在を、知っていた。

 その場にはいなかったけれど、遠くから、近くから、観ていたから……知っていた。

 それを使えば全盛期の、七翼の王、不死鳥フルコキリムを完全に蘇らせることが出来たであろう。その力をもって、シマに集まった大量の命の全てを吸収し、全力で戦っていたならば……もう少しくらいは、ラヴィアに対抗出来たであろう。

 ……それでも、どうせ勝てはしなかっただろうけど。

 もしかしたら、万に一つくらいの確率で、時間切れまでやり過ごして、星の終わりを阻止することくらいは、できたかも知れない……未来を守ることが、できたかも、知れない……。


 でも……彼女は箱を開かなかった。

 その中に秘められた魔女の手紙を読むまでもなく、彼女は知っていたから。

 親愛なる魔女が、その箱の永遠に開かれないことを、願っていたということを。

 キリムがヒトとして生き、人として死ぬ夢を、後悔なく、全うすることを……魔女が強く、想っていたということを。

 分かっていた。全部。

 だから……箱は一度も、キリムの手で開かれることはなく。

 誰の目にも触れぬよう、床下に封印されていたのだった。



 もう、動かないゼンカの指先に、手を重ねて。

 キリムはひたすら、声にならない、謝罪を続ける。


 それでも。

 それでも最後の、最後には。

 ありがとう、と。

 言い残した。



『百年も……私の我儘に付き合ってくれて。ありがとう……ゼンカ』


『――――』


『うん……。……私も、…………』




 シマの崩壊が始まる。

 大きな亀裂が幾重にも広がって、二人は、奈落の底へと消えていった。

 それでも、二度と離れまいと。最後までその手を、繋いだまま……。




 *




 ――【禁足区】。最果ての遺跡。

 シマの象徴とも言える、特別な場所。

 遠い昔、彼女が王であった時に建造された、地下神殿。


 アヤの姿で、ラヴィアは玉座に腰掛けていた。

 もうじき全てが終わる。

 そう思っていた。

 なのに、思いもよらないところから妨害を受けて……星の崩壊は、止まっていた。

 人類は絶滅しただろうけれど。

 歴史の終端には、あとほんの半歩のところで、届かない。


「私はただ「静かに」「平穏に」「暮らし」ていたい「「だけ」」だった」


「そうね。知ってる」


「「穏やかに、「「ずっと」」永遠に「「幸せ」」に」いつま「でも」「楽し」く……」


「…………それも、知ってる」


「「「「みんな」」」で「「仲良く」」……「……」……」「「なのに」」」


 彼女は何も偽らない。

 その口で紡がれる言葉は、たとえ相反する声が混じっていようとも、たとえ矛盾していようとも、その一つ一つが、全て彼女の大切な、偽りなき真実。

 ラヴィアが玉座から見下ろすのは、白い髪の女。黒い角の女。かつてこのシマを閉ざしていた、ウグメだった。



「あなたは悪くないわ」


「「そうだ」」「「先に」」「神が」「みんな」「おまえたちが「おまえが」」「赦せない」なぜ「どうして」「「手を出した」」のは「あなたたち」の」方」


「それも、分かってる」


「「これは」復讐「世界への」「みんな、いいから」反逆「「邪魔者は「死ね」「「殺す」」」


「あぁ」


「「死ね「死ね、」自ら「その命で」「いいから少し、下がって!!」「……」「女王……」……「……」ごめんね……「……」ウグメと、話をさせて「…………」」



 それらの中の一つが、声を大にすると。

 他のラヴィアは徐々にその気配を薄れさせる。

 そうして残った最後のラヴィアに、ウグメは目線だけで、謝意を伝えた。



「分かってたわ。活動限界しばりがまだ残っていたから、どうせ最後には邪魔が入るんだろうって。……ま、思ってた形とは少し違ったけど。他の神はどうしたの? まさか、死んだ?」


「死んではいない。それに近い形にはなったけど。……いえ、強がることもないわね。殺されたわ、ニンゲンに」


「…………ぷっ。……ふふっふっ、あははは!! なんてザマなの! あんたたちが? この私をこんな目に遭わせたあんたたちが、ニンゲンなんかに!? ふふふふっ、あっはははは! おっかしい! 何それ! だからあんたも、そんなに弱々しいんだ? 小突いたら死にそうなくらい、弱ってるんだ!?」


「返す言葉もない。その上、犯人まで分からない有様で、ほとほと困っている。このままでは――ラヴィアが神になってしまう」


「いいじゃない。諦めなさいよ。私は神になるわ。そうしたら――あんたたちを送り込んで来た、神々どもを皆殺しにしてやる。これであんたたちも、下らない使命から解放されるわね! よかったじゃない、よかったじゃない!? くすくす! あはははっ!!」


「それをされるのが一番困るから、わざわざ最後の力を振り絞って、ここまで追って来たのよ」


「……追って? …………。ああ。……あー。相変わらず、狡いことするのね。いい加減、私の翼の能力、返してくれない?」


「それは出来ない。本当に。世界が滅ぶから」


「正義の味方って大変ねぇ。くすくす。そんなに私を悪者にしなくたって、別にそう悪いようにはしないわよ? ……そうだわ。私が神になったら、みんな、みーんな蘇らせてあげる。だって私が食べたやつは、みんな私の一部として永遠に生きてるんだもの。私が神になって、新しい世界を作ってあげるわ。争いも苦しみも何もない、理想郷を作ってあげる! そこでみんなで仲良く暮らしましょう? 勿論、あんたたちも特別に招いてあげるわ。敵同士だったとはいえ、流石に全部が終わった後まで引きずったりなんてしないわ。私、それくらいの器量はあるのよ?」


「ラヴィア。人は、蘇らないよ」


「それはあんたたちの次元の話でしょ。私は違うわ。私が神に至れば、できないことなんて何もないの。何でもできる。どんな世界だって紡げるわ。意識が一つしかない出来損ないのあんたたちには、想像もつかないかしら? くすくす!」


「……まぁ、そうね。きっと、そうなんでしょうね。一つしかない意識で、一つの世界を守るので精一杯な私如きには、到底。……でもね、ラヴィア。……あなたの作った理想郷には。あなたの一番欲しいものは、きっといないわ」


「………………「……」……。「……ッ……」それを、あんたが口にするの? ……ねぇ。何様なのよ。「何様のつもりなのよッ」。「「あんたが奪ったんじゃない!」」 あんたたちがッ、あんたたちが全部壊したッ、「全部全部」ッ、「「あんたたちが壊したんじゃないの」」「「返せ」」「返せよ」「「返してよ」」――黙って、みんな!! 「…………」…………」


「……」


「……ごめんね。あんたを前にすると、みんな気が立っちゃうみたい。……一番冷静な私でも、結構、我慢してなきゃ、こうして面と向かって話すことも出来ないんだもの」


「いい。……それくらい、恨まれて、当然のことをした。……本当は、あなたが神にならないのなら、私はあなたになら殺されてもいいと思っている」


「なら、今死ぬ? その首をすっぱり落として、終わりにしてあげようか?」


「……。いつか、そうなっても良い日が来たら、お願いするわ」



 ――ウグメは。

 玉座のラヴィアに向かい、歩を進める。

 互いの実力は分かっている。

 だからこそ、敵対する間柄にも拘わらず、そこには不思議な余裕があった。


 ラヴィアの目の前まで来たウグメが、手の平を差し出す。

 それがもし攻撃だったなら、即座に決着したのではないかと思われるほどの至近距離。しかしラヴィアは動かない。ウグメの行動を、見定めるように、ただ目を細めている。


「なぁに、それは」


「想定外のことが重なって。……結局、集められたのは、これが全部だった」


「集め……何?」


「私が。あなたに、何も返すことのできない私が。それでも……あなたに返すべき、ほんの僅かなもの」


「…………?」


 ウグメの手の平から、浮かび上がった小さな光の粒が。

 宙をふわりと舞って……ラヴィアの、手の平に移る。

 それに触れて…………彼女は、知る。


 たったこれだけの。

 これっぽっちの。

 全然足りない。

 ほんの、僅かなもの――これを集めて来るためだけに、憎むべき敵であるはずのウグメが、どれほどの時間と労力を費やしてきたのか。


「あんた……まさか。これを、拾いに行ってきたの……? あの、一番最初の、壊れた世界に……?」


「私一人の力では、とても。……でも、私にはラヴィアから奪った能力があった」


「いや……それでも、おかしいわよ。どうかしてる……こんなの、海に沈んだ石ころ一つ見つけるよりも、遥かに………………!!」


「本当はもう少し探したかった。でも、こっちの世界で時間切れが近かったから」


「……馬鹿じゃないの。……あんた。その壊れた体で、こんな………………」


 ウグメが弱っているのは――ニンゲンに何かされたからだと思っていた。

 ……多分、それも正しい。百年前、何かがあった。それは間違いない。

 でも、それだけじゃない。……ウグメがこれだけ力を失っているのは、全て……この、小さな光の粒を、ラヴィアに届けるため……。


「馬鹿じゃない。本当に。そんな無茶をしなければ、あんたなら、自力で力を取り戻すことも出来たでしょ……?」


「そうかも知れない。……二択を間違えたのは、私も同じだったらしい」


「私が神になったら、困るんじゃなかったの? ……あんたが私を止めなきゃ、私は全部、本当に、何もかも、壊すかも知れないのよ? なのに、あんたは……なんで………………」



 ――理由など。

 今更、問う必要もあっただろうか。

 だって彼女は最初から。昔から。ずっとそう言っていたじゃないか。

 できることなら全てを返したいと。今まで一度だって彼女は、ラヴィアに憎しみや敵意を見せてはいない。ずっと。ずっと――でも。

 それを、信じなかったのは、ラヴィアだ。だって信じられるはずがない。神々は、ラヴィアから全てを奪った憎むべき敵。それ以外の何者でもないのだから。


 頑なに閉ざされた彼女の心の深淵に。どんな言葉が届こうというのか。

 それでもウグメは、ラヴィアのために言葉を重ね続けて来た。

 そして、致命的な事態に陥って。ラヴィアを神にさせないための結界の維持すらも危うくなって。刻限までに、自身の力を復旧できるかどうか、それすらも低い確率の勝負になってしまうことを悟った時、ウグメは……天秤にかけてしまった。


 これ以上、言い訳の言葉を重ねるよりも。

 最後くらい、行動で示そうと。

 ラヴィアから制御権を奪った翼の能力。過去と未来につながる時間軸、そこに差し込まれる無数の分岐平面に根を張り、無限に広がる並行世界を自在に操る輪廻転生開花の翼ユグドラヘイムラヴィアの権能。それを用いて、数億年前に神々によって破壊、廃棄され、時間軸上から抹消された世界へと飛び……忘却と虚無の深淵に散らばった残滓の中から、必要な世界の欠片を一つずつ、拾っては、結び直して……こちらの世界ではおよそ百年、あちらの世界からは数千億年もの、気の遠くなるようなパズルを解いて……ようやく完成した、小さな奇跡の欠片を、再びこの時間軸に繋ぎ直した――その結果が、今、ラヴィアの手の中で輝く小さな光……。

 たったこれだけの。

 なのに。

 ……そこには確かに。

 ……ラヴィアの一番、欲しかったものが、息衝いている……。

 もう二度と、戻ってこないと思っていた……大事な命が、在る……。

 これさえ戻ってくるのなら、神になんてならなくていい――そう願い続けて来た夢の欠片を、その幽かな暖かみをその手に触れて――全てのラヴィアが、言葉を失っていた。



「……。ラヴィア」


「……何」


「これっぽっちのことで。赦して欲しいなんて、言わない。……ただ、もし」


「…………」


「もし、あなたが構わないなら。その子に一度だけ、チャンスを与えて欲しい」


「……………………」



 ラヴィアの手の中で。小さな光の粒は揺らめいている。

 それは二人の神なる者からすればあまりに弱々しく、儚げな輝き。

 だけど…………ラヴィアにとっては、何より大切な。

 決して無碍になど出来ない、命の煌きだから。


「…………勝手にすれば?」


 ラヴィアは、少し考えるような素振りを見せ、投げやり気味にそう答えた。

 こんなもの渡されて、他に選択肢などあるはずもないだろう、と視線で訴えながら…………。


「そもそも、壊れたあんたが相手だとしても、根本的に相性最悪なんだもの。勝てる気しないし。最初から今回は、大人しく眠るつもりよ。こうして起きて待ってたのも、あんたに積年の恨みとか色々、言いたいこと言おうと思ってただけだしね」


「……。……ありがとう、ラヴィア」


「次。礼なんか言ったら、赦さない」


「えぇ……せいぜい、気を付けるわ」


んでしょ、このルート。私ももう出ていくわ。あんたもさっさと行きなさい。間に合わなくなっても知らないわよ。チャンスをくれって言ったの、あんたなんだからね」


「あぁ、それは大丈夫。話しながら、ついでに済ませていたから」


「こいつ…………。ふん。ま、いいわ。お休みウグメ。また百年後――いえ、今回は違うわね? また百年前に――かしら?」


「そうね。…………。……いつか、また。どこかで」



 ラヴィアはそれから、アヤの身体を離れ、シマの奥底へと還っていく。

 終端を目前に控え、破滅寸前のこの世界はこれから、ウグメの力によって封印される。だからそれに巻き込まれないよう、己の『根』を辿り、過去の世界へと逃げ帰る。


 ……そして、ラヴィアの気配が感じ取れなくなったのを見計らって、物陰から姿を見せた男がいた。

 その身体は既に肉体を失い、魂だけの半透明な存在に成り果てていたが。

 だからこそ、それは先ほどまでの少年の姿ではなく――かつてウグメに、美しいと言って手を伸ばそうとした、生前のあの男の姿に戻っていた。



『頼みが、ある』


「聞くわけないでしょう、魔王の頼みなんか」


『ならば、我が魔王でさえなければ、聞いてくれるか』


「そうね。ヒトに仇成す魔王でさえ、なければ」


『ならば……いつの日か、そうであるように、……願おう』


「……届くと良いわね。その願いが、神様に」


『……そうであるな。……心底、そう思わずにはいられぬ……』



 ――魔王ゼレスの魂は、そう言い残し、無数の光の粒となって、シマの中に散っていった。



「……さて。……あと、もう一仕事……」



 今度こそ一人になって、ウグメはふらふらと、遺跡を後にする。

 もうあと一人だけ。会っておかなければならない者がいる。

 ……時間切れまでに、会えればいいが。

 結局、最後の最後まで綱渡りだと、ウグメは嘆息するのだった。







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