第2話 ファンレター

 「ファンレター?」

 如月さんは少し眉をひそめて聞いた。


 「はい、あぁ…。」

 僕は赤子にでも退化したかのように口をもごもご動かして声を発した。


 「何、それで動揺??

  とりあえず中身読んでいいの?」

 如月さんは事の事態を掴むことができずに僕の方に顔を寄せて言った。

顔が近づいた時に、ふと滑らかで白い女性の頬を思い出して…僕はビビッと震え身体を背もたれの方へできる限り引いた。


 「何だよ、それ。

  ヒキガエルかよ(笑)。跳ねのけちゃって。」

 空気を呼んだウェイトレスが物音立てずにそっと運んでおいてくれたお冷を如月さんは口にした。そしてグラスをテーブルに置き直すと、メニューを広げてランチを選び始めた。


 「仕事にだってこだわりがあって高くつく僕なのにさ、

  君は、意味も分からない呼び出しをするんだね。

  一生笑いのネタになりそうだよ。(笑)」


 そう言って彼は、カフェの定番のパスタを上から下まで眺めて吟味し、

そしてこちらも人気なカレーの種類を確認しているようだった。


 「カレーは仕事人のサラリーマンの心を生け捕るよね。

  がっつり食わいついた瞬間に、午前も頑張ったって思える。

  ハハ。フリーランスの僕はそんなに肉体的にも消耗しないけどね。

  僕はさ、淑女みたいな気分でさ、

  パスタなんてフォークとスプーンで上品に絡めたいと思うんだよね。

  独身貴族、生涯、女なんていらないかな。(笑)」

 如月さんはさも可笑しそうにこちらを一瞥した。だけど目には鋭利な光が宿ってた。僕は、座席から動けずにただ、彼の声を、姿を、見入っていた。


 「ったく。ちっとは笑えよ。」

 そう言って呼び出しベルを押した。

僕はやっとその場の雰囲気を立て直そうと心を奮い立たせ、身体を持ち上げてメニューを手早く確認した。


 ウェイトレスはすぐに来て注文を伺った。

 「海老とアボカドのサンドイッチとミックスサラダサンド。

  後、アイスティ。食事と一緒に持ってきてね。」

 如月さんが注文し終わると僕も注文した。

 「BLTサンドとハムとたまごとチーズのホットサンド

  あと、アイスコーヒーを一つ。こちらも一緒にお願いします。」

 ウェイトレスは注文を手早く確認して去って行った。


 「ハハッ。ただ事ならぬ成田さんの話をじっくり聞こうと思って

  手軽なサンドイッチにしたよ。麺と絡み合ってる時間なんてないね。(笑)」


 「ありがとうございます。本当にすみません。」


 「こちらも時間が限られているとはいえ悪いとは思わないけどさ、

  でも、普通込み入った話、悩み事なんかはさ、友達にするものなんじゃないの?」

 如月さんは鷹のような冷静で、真面目な顔で、すっと僕を見つめた。

そして僕が謝る前に言った。

 「読ませてもらうよ、その要因らしい、ファンレターとやらを。」



 如月さんのたくましい指はファンレターの封をか弱い小動物を愛でるようにやさしく開けた。

手紙は何枚も重ねられてしまわれていた。

僕が何度も読み返したせいで便せんに皺が少しよっていたが、その以前に書き手―ファンレターの主も何度も読み返したんだろう、最初から人の温もりが直に残っていた。

とは言っても、黒のボールペンの一発書き。消した後もない。きちんと別の紙か何かで下書きをしてこの便せんに清書したと思われる。


―――—以下ファンレターの内容―――

拝啓

 今年もまた果てしなく青空が広がり、生い茂った木の葉に金色の光の粒が輝く季節になりました。蒸した重みのある夏の薫りに、初めて、成田 湊さんの本を手に取った時の、新鮮な感覚とその日の本屋のにぎやかさを思い起こします。


 尊敬する成田 かなで様、突然のお手紙失礼致します。

僕は成田さんのファンです。

一昨年、一躍有名になった小説『神は僕と彼女の琴線に触れる』で成田さんを知りました。

 前世に自殺という罪を犯してしまい大人になれない妖精として生きる彼女とごく普通の人生を送ってきた少年との出会いにより、少年は生きることについて、そして前世から人とうまく付き合えうことができない社会的弱者であった彼女という一人の存在の個性についてを考え、少年は彼女を受け入れていくというストーリ―感動しました。そして二人の姿を美しい情景表現と共に描かれていて、ストーリーのテーマは自殺と個性という暗いものですが、小説全体にどこか幻想的な美を感じ心に染み入りました。

また、そうして大人になれず人間でもない彼女に対する思いが同情から愛情へかわり愛し方を模索していくという部分も感慨深いものがありました。


 それから、昨年の作品、『生きるという本能と幻相』もまた感動しました。

心臓病で既に亡くなってしまった映画監督兼脚本家の元同級生から最後の映画の試写会の案内を受け取った女性が、亡くなってしまった元同級生の作品に触れ、死を目前にしていた彼が伝えたかった事、彼が生涯悩んできた一人の人としてのアイデンティティとは何かを模索するというストーリー、息を飲んで一気に読みました。

物語の中で映画として描かれた、第二テーマとも言える第二次世界大戦で戦争被害を受けた中国人と日本人の話もまた、僕にも色々と考えさせられるがありました。


 と、ここまで書くと普通のファンレターなのですが、

実はファンレターの領域を超えてしまうのではないかと申し訳なく思うのですが、僕にはある悩み、があります。

それをどうしても聴いて欲しくて手紙をしたためた次第です。

もちろん、成田さんの作品をとても称賛してます。

ただ、成田さんの小説を読むと僕は、ある、女の子のことを思い出しすんです。


 僕は田舎に生まれました。山に囲まれ自動車がなければ移動に不便な場所ですが、電車が通っていて、都会との行き来がしやすくなっているので人口は比較的多い町です。中学の時にはクラスは8クラスもあり300人もの同級生がひしめき合っていました。

僕は地味な性格なので、クラスで目立つ存在ではなかったですが、勉強だけはできましたね。でも、目立つのも、嫉妬という濡れ衣をかけられるのも、嫌なので要領よくクラスの隅の方で可でもなく不可でもなく存在してました。だから、僕は順調な方だったと思います。

高校も町一番の進学校へ入学でき、大学も国公立大学を卒業しました。


 僕が大学を卒業した時は少々就職難でそれなりに苦労はしましたけど、希望の職種につけ、かれこれもう10年働いていますね。そんな順風満帆な人生を送っているような僕ですが、心の奥に誰とも共有しきれない痛みがあります。


 春、桜が舞う頃、夏の日差しに目が眩む頃も、

秋に葉が色づいて風に遊ばれる頃も、暗い影を落とす寒い冬の日も…

ある、女の子の姿が僕の心の中でちらつきます。

どんな子だったかって聞かれただけで涙が滲んできます。自分から持ち出した話なのに。


 彼女は暗い子ではありませんでした。純粋に人に好かれたくて笑顔を振りまく子で、僕みたいに人は時に嫉妬するものであることを知りそしてそれを回避するという計算などを考えられない子でした。そして周りの子たちの感情に鈍く、更に彼女は不器用で時々周りのお荷物になる子でした。

周りからはずれて自分だけ勉強とかお裁縫とか上手にできないと静々と泣き始めてしまう素直な子で、それは周りに迷惑でもありました。

だから、彼女には友達は少なく、周りのみんなの後についていくのが大変で遅れてついていく子でした。

だけど、真面目で決められたことは、ずるせずきちんとしなければならないというこだわりもあり、そうした性格が功を奏したのか中学ではテストの順位が300人中一桁と(おそらく3番)と成績がぐっと上がったことがありました。


 僕はこうしてはたから見ているようですが、真実はもっと親密な関係でした。家が近所だったのです。

幼稚園も同じ所に通い、幼稚園の頃はよく一緒に遊びました。

本当、その頃から不器用で人の話もきちんと聞けてなくって、でも、笑うと本当に可愛かった。

小学校に上がる頃は一緒に習い事教室に通いました。ピアノや英会話、そろばん…。

どれも僕の方が上手で彼女は才能はなかったけど、

僕より簡単な譜面を弾く彼女のピアノの音はどこかピュアで、そして一生懸命取り組んでいる姿に嘘はありませんでした。

そして、自分はできない奴だと自覚しているらしい彼女は、僕に何度も

 「ピアノを弾いて。」

 とねだったのでした。


 中学に入った後、僕たちは同じクラスになることはありませんでした。部活に勉強と本格的に忙しくなり、そして二つの小学校の生徒が入学してくる中学校は人数は小学校の二倍で、人、人、の中で僕たちは離れていきました。

不器用な彼女は運動部に入部しました。

彼女が“へたくそで困っている。迷惑している。”そういう噂が立ちました。仲間外れにされているとか退部するしないとかそういう話を聞きました。

でもついに退部せずに部活を最後まで続けたらしいです。

人間関係はもう悪くて、周りも彼女に気を遣ってはいるのですが距離ができるのは当然のことでしょう。そのことが肉体的な疲労と合わさり彼女も疲弊し弱っていきました。そして、ついに彼女は学校に来なくなりました。

中体連を終えた秋のことでした。

彼女が学校に来なくなって、控えめにすることで彼女を一応気遣っていた皆は、突然悪口を言い出しました。そう、自分たちのせいで学校こなくなったんじゃないかと思うのが心痛かったに違いないです。

 皆、進学し、高校、大学と進んで彼女と疎遠になるに連れて彼女の風評はますます悪くなりました。高校をサボって遊んでいるだとか、彼女は私たちのことを恨んでいるとか、学校行けないのを私たちのせいにしたとか…色々言われてましたね。

そして、家に通ると親との喧嘩の声が聞こえることもあって、性格悪い奴だと皆は口々に言いました。


 あまり知られていないのですが、彼女の両親は離婚し、婿だったらしい父親は家から去っているらしいです。家庭環境の微妙なコンディションの崩れも彼女を落ち込ませたのでしょうね。

僕に言わせたら不器用だけどいい子だったと思います。

不器用でも不器用なりに学校生活を送れたと思います。顔が可愛い子だったからそれで得してますし。(嫉妬もされるでしょうが。)

疲れてしまったのでしょうね、運動音痴なのに合わない運動部に入って、うまくいかなくて人間関係もめて辞めるに辞められなくて、勉強もついていくのが大変で。

でも、それで人生棒に振って、今は一体何をしているのか、僕にはわからないほど彼女とは距離ができてしまいました。

彼女に会えなくても近所だから僕の母が彼女のお母さんに会うこともあったのですが、彼女のお母さんは

 「彼女はぼちぼちやっているよ。」

 というくらいで何してるかは話したがりませんでした。

僕も彼女が心配で彼女と色々と話がしたかったのですが、学生時代は学生時代で忙しくて、仕事をするようになったら年月経ち過ぎで交わす言葉も会う動機さえ見つけられなくなりました。


 長々となってすみません。

成田さんの小説を読んでいるとそんな彼女のことを思い出して、今まで泣くに泣ききれなかったのに涙が思いっきり溢れました。

僕は成田さんの、『神は僕と彼女の琴線に触れる』を読んで、その主人公になった気持ちで彼女を救えるような気持を何度も味わいました。

そして『生きるという本能と幻相』では、自分や彼女のアイデンティティや社会の歯車として生きることについても再度考えさせられました。

 

 彼女は単純に自分が不器用で運動音痴だったから、自分がダメな人間だったからと思って劣等感にさいまれて心まですさんでいるのではないかと僕は憂慮してます。もし、彼女が成田さんの小説作品に触れたら、その一つの劣等感に凝り固まった考えも思い直して前向きなってくれないかと思うんです。

でも実際彼女に会ってないのでこんな悩みは僕の杞憂で彼女はもう乗り越えて本当は元気なのかもしれないです。

だけど、きっと成田さんの小説を読んだら、彼女も、彼女の“心の琴線”にも触れるのではないかと思います。

だから、ぜひ、成田さんにはもっと幅広い世代に有名になってもらいたい。

彼女の手元に届くように…。

僕は彼女の為とかなんとか言って、なんでこんなにくよくよしているのでしょうか。

彼女に声をかけることができないまま年を重ねて、取り返しがつきそうもないことを悔やんでるんでしょうか。

まだ悩みやもやを消化しきれない、こんな僕を救ってくれる新しい作品を僕は楽しみにしています。


敬具


田河 実


追伸 僕は成田さんへこの手紙を書くことで彼女への思いを消化しようと思います。

   心の奥底の渦が少し和らいだ気がします。ありがとうございます。

   彼女とは別々の人生をこれからも歩んでいくと思いますが、

   僕も彼女も幸せに生きていけることを切に願うばかりです。

   そして、成田さんのご健康と益々の御活躍をお祈り申し上げます。

   駄文、申し訳ありませんでした。

   心から尊敬いたしております。


―――――――――――――――――――――――――


 如月さんは、早いスピードで手紙を読みほした。

そして最後の便せんには写真が一つ挟まれていた。

それは子供の写真で女の子と男の子が肩を寄せ合って並んで微笑み合っていた。写真の裏には、“僕と彼女の名前はなずな”と書かれていた。


 「ハハハ」

 読んで写真を眺めて、如月さんはとにかく笑っていた。

 「大衆に人気が出るとこんなこともあるんだね。(笑)

  だけど、それで、成田さんそんなに震えてたの?」

 僕はさっきまで如月さんが広げていた写真にくぎ付けになっていた。

 「へ?」

 如月さんは、心ここにあらずのような僕の間の抜けた返事に、また眉をひそめた。

 「成田さん、一体どうしたんですか。」

 如月さんは理由を言わなければ絶対に引き下がらないという顔でじっと僕を睨むように見た。

 「ただの、ファンレターですよ。ファンレターに身の上話はよくあるものですよ。

  一体、どうしたんですか?」

 僕は深く息を吸い込んで、(言おう、否、言い逃れようか、いやだめだ、言おう…。)と頭の中でどうしようもできないねとねととした感情が渦巻いた。

そしてまたもう一息吸い込むと一気に言った。

 

 「僕、その、なずなっていう女性を知っているんです。」


 その瞬間、如月さんの目は点になった。

見開いた目、開ききった口からは予想外に如月さんの言葉は漏れず、

ただ、どう反応していいか分からない不思議な空気が辺り一面を支配した。


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