第28話:恋する乙女は強い
「ソウ。もういいよ」
詩織がそう言うと、どこからともなくソウが現れた。
「随分楽しそうでしたね、詩織」
ソウは微笑ましいものを見る様に詩織を見ている。
その全てを見透かしている様な目は若干腹が立つ。
「それで? やっぱりソウが感じた魔力って……」
「ええ、彼でしたね。間違いありません」
ソウが異常と感じる程の魔力を海翔が有している? 一体どういう事だろう。
「でも中川君は普通の人間だよ? 天使と間違えるって一体どういう事?」
海翔は人間だ。
それは詩織よりもむしろソウの方が分かっている事であろう。
天使というのは人間とは違う独特の雰囲気を漂わせている。
始めて会った時でもソウからは天使、と分からなくても少なくとも人間ではない何かであるといいう事は理解できた。
詩織はその気持ち悪い感覚は海翔からは感じないのだ。
「ええ。ですがあの魔力量ははっきり言って異常です。天使にも引けを取らない程ですからね。彼の事は注視しておく必要がありそうです」
「そっか」
詩織はそれだけしか言えなかった。
「あ、そう言えば……」
詩織がソウに話しかけようとした時、ソウが突然大声を上げた。
「静かに! この魔力量は? 向こうでは一体何が!?」
「どうしたの!? ソウ。そんなに慌てて」
ソウが大声を上げて詩織の言葉を遮る事などこれまで一度も無かった。
つまりそれ程の緊急事態であるという事だ。
「これまで感じた事のない魔力量です。天使間の戦闘が始まったかもしれない」
ソウが指さしながら言った。
その方向は偶然かもしれないが海翔の家の方向だった。
詩織は反射的に駆けだしてしまう。
その詩織の腕を力強くソウは掴んで止めた。
「なに!? 時間が無いんだけど!?」
もしかしたら海翔が巻き込まれているかもしれない。
そう思ったら詩織は走らずにはいられなかった。
自分が行ったって何も変わらないという事が分かっていても詩織を突き動かすその衝動は止められなかった。
「あなたがそうしたいのなら行く事には反対しません。ですが、走っていては間に合いませんよ!」
ソウはそう言うと詩織を力強く引き寄せ、お姫様抱っこをした。
「ちょっ、え? 何するの!」
驚いてしまって力が抜けてしまったので、抵抗は出来なかったのでせめて口では文句を言った。
「なにをするかと問われたら……こうするのですよ!」
威勢の良い声と共に、ソウは青色の美しい羽根を出現させ、勢いよく飛び立った。
「口を閉じていてください、舌を噛みますよ!」
詩織は叫ぼうとした口を慌てて閉じた。
凄い勢いで空を飛んでいくソウ。
もしかしたら車より早いかもしれない。そう感じる程の早さだった。
一、二分空を飛んだ後、ソウはとあるビルの屋上にフワッと降り立った。
「あぁ怖かった、腰が抜けるかと思ったわよ」
不満をソウにぶつける。
「申し訳ありません、詩織が急げとおっしゃたので」
ソウは苦情など意にも介さないといった感じだ。
「あ、そうだ中川君は!?」
慌てて眼下の街並みを見る。
「ええと……あそこですね。ムム、あれは……」
ソウが難しい顔をした。
何かマズい事でもあったのだろうか。
ソウが指さしている方向を見てみる。
そこには海翔と、近くには赤い天使。
そしてその赤いのに向き合っている紫の天使が見えた。
「うん? あれは赤いのが……中川君を守ってる?」
小さくてよく見えないが、赤い天使が海翔を守りながら戦っている様に見える。
「当然でしょうね。彼、中川と言いましたか、クロウと契約してしまったようですね」
契約? 海翔もこの戦いに巻き込まれてしまったという事か? それは駄目だ。
海翔を危険な目に合わせるわけにはいかない。どうにか出来ないだろうか。
「あ、マカイズが撤退しましたね。どうします詩織」
「ソウ……。クロウとマカイズってどっちがどっちなの?」
「赤がクロウで、紫がマカイズですね。それで恐らくマカイズが殺人犯と行動を共にする天使かと思われますね」
海翔の方へ行くか、ずっと探していた手掛かりを追うか……。
「マカイズを追いましょう。手がかりを逃す訳にはいかないわ」
「かしこまりました」ソウはそう言うと、再び詩織を抱き、夜の空へ飛び立った。
正直すぐに海翔の方へ行って契約なんてやめなさいって言いたかった。
だが、契約した以上、それだけ彼にも叶えたい願いがあるのかもしれない。
そう思うと彼の気持ちを邪険にするような邪魔は出来なかった。
「はぁ、疲れた……」
何とか着替えてベッドに倒れこむ。
あの後、マカイズを尾行して拠点を突き止める事が出来た。
契約者は近くの大学に通う大学生で名前は湊。
名前が分かったらあとは簡単に調べられると、ソウが言ったので今日は帰ってきた。
折角明日の放課後は海翔と二人でいられるのに、何だかモヤモヤする。
さっきは海翔の願いは邪険に出来ないって思ったが、やはり海翔には危ない目にあって欲しくない。
どうやったら契約をやめさせられるか考えなければならない。
やはり疲れていたのか睡魔に勝てず、詩織はそのまま眠ってしまった。
翌朝、家を出る前にソウにこう言っておいた。
海翔が契約をやっぱりやめるように仕向けて欲しいと。
彼にも叶えたい願いがあるのかもしれない、だけど命あっての物種だ。
詩織には命に代えても叶えたい夢がある。
「葵……」
天に向かって名前を呼ぶ。
彼女の身代わり……いや、本来のあるべき道に戻る。
それが詩織の願いなのだ。
「葵、あなたは私が必ず救うから」
決意を再確認する様にボソッと呟いた。
「失敗した……」
静かな住宅街にボソッと詩織の不満げな声が響く。
彼のお人好しは私の想像を超える程のものだったようだ。
学祭の準備をしている間にやんわりとほのめかしておいたが、全て徒労に終わった。
もう詩織に出来る事はない、あとはソウに任せた。
少しばかりの期待を胸に、家路についた。
「彼らは明日マカイズの拠点に突撃するようです」
「え、なんで!?」
驚きで口がポカンと開く。
今の詩織の顔を鏡で見たらそれはもう間抜けな顔をしているだろう。
なんせ帰宅したソウが開口一番にそう言ったのだ。
「別の商品が来たのだけれど返品は可能かしら……」
詩織は頭を抱えボソッと呟く。
詩織は契約をやめるように説得して来いって言ったのだ。
なぜこうなった……。想像もつかない。
「返品? 何を言っているのか分かりませんが彼をけしかけたのは私です。むしろオーダー通りなのでは」
(けしかけた? それはあなたが戦いに巻き込んだという事じゃないの? 何てことをしてくれたの?)
「ソウ。どういう事? 私は契約をやめるように説得してこいって言ったのだけれど?」
あくまで冷静に。
ふつふつと湧き上がる怒りを、爆発しないように何とか抑えながらソウを問い詰める。
「勿論やりましたよ。ですが彼の信念にはすばらしいものがある。第三者が何を言ったところで彼は止まらないでしょうね」
ならなぜもっと分かるまでしつこく言わなかった。
自分でも分かっているがこれはソウにとってはいわれのない文句かもしれない。
だがぶつけるしかなかった。
「でも私は彼が危険にさらされる事が許せないの。彼を守るためならどんなことだってできる程にね」
これは明らかに八つ当たりだ。
だがこの好意がもし一方的だったとしても詩織は彼が危険な目にあうという事が許せなかったのだ。
「詩織、私は彼を説得するのに諦めて帰ってきたわけではありません」
ソウはため息交じりに言った。
「え?」
今にも怒りで爆発してしまいそうだった詩織の感情は風船が萎んでいくように落ちついていった。
「いいですか。彼はああ見えて人の話を聞かないタイプです。それなら一度天使の戦闘をその目で見て、恐怖をその身で実感した方がいい」
「でもその戦闘でもしも彼に何かあったら……!」
想像もしたくない事だったが海翔が鎌で引き裂かれるシーンをつい想像してしまう。
それだけで涙が滲んでくる。
「その点は大丈夫でしょう。彼が契約したのはクロウですからね。彼は一番契約者を欲している天使ですから。性格は粗暴ですが海翔の安全はある程度保障されるでしょう」
ソウがそこまで言うのならある程度は信用できるのだろう。
まだ腑に落ちない部分はあったが。
そんな詩織の表情を悟ったのかソウは更に付け加えた。
「詩織、そんなに心配ならあなたがずっと海翔の側にいてあげればよいのでは?」
「え?」
ずっと側にいる、とはどういう意味なのだろうか。
意味が分からずポカンとしている詩織を見かねてソウは言った。
「つまり共同戦線という事ですよ。そしたら誰でもないあなたが海翔を守ってあげられるのでは?」
共同戦線……か。それはいいかもしれない。
「ですが詩織。クロウと手を組むという事はあなたも戦場のすぐ近くに足を運ばなければならないという事です。これは本来負う必要のないリスクです。あなたにはそのリスクを背負う覚悟はありますか?」
ソウは普段見せない真剣な表情をしている。
これまでソウが笑顔を絶やしたのは出会った時くらいだったか。
覚悟はあるか。と問われればそんなの決まっているだろう。
「ええ。恋する乙女は強いのよ」
恐怖は無い、といえば嘘になる。
だがそれ以上に詩織の中での海翔の存在感は大きかった。
海翔は私が命に代えても守る。
それが彼に惚れた詩織の責任だ。
「それに……ソウが守ってくれるんでしょ?」
いつかした約束を思い出しながら言った。
「ええ、勿論です。我が騎士道にかけて」
ソウはいつものように片膝をつき、詩織の手をとった。
「全く……。毎度毎度その大袈裟な仕草はどうにかならないの?」
「ええ。これが私なりの敬意の表し方ですから」
ソウは自分の事を騎士だと言うけれど、毎回これをやられては少し恥ずかしい。
できれば外では遠慮して欲しいところだ。
「それじゃ、私はもう寝るわ。おやすみ、ソウ」
「はい、それでは失礼します」
ソウは深々とお辞儀をしてから部屋を出て行く。
最近気づいたけどソウは毎回音を全く立てずにドアを閉める。
あれは一体どうやってるんだろう。
どうでもいいけど気になる。
「ま、いっか」
こんな事気にしても仕方ないので今日はもう寝ることにした。
自分では気づかなったが疲れていたのか、ベッドに入るとすぐに眠気が襲って来る。
明日で学祭の準備も最終日。
海翔は夜にマカイズ討伐という大仕事があるので、準備は私が率先して頑張らないと。
そんな気持ちを胸に抱えながら詩織の意識は薄れていった。
詩織の目線は集中していた。
海翔の指先一点に。
海翔が持っている人形をこのテーブルに置けば長かった学祭の作業は全て終わる。
昨晩は海翔の分まで頑張ると、張り切っていた詩織だったが自分よりも手先が器用な海翔のスピードには到底追いつけず、ほとんどの作業を海翔にさせてしまった。
若干の後悔を覚えつつ、海翔の指先に改めて集中する。
「「いえーい」」
海翔が全ての総仕上げを終え、長かった作業の終わりを祝して自然と二人はハイタッチをした。
流れは自然だったが、詩織の心臓は海翔の手に触れた事で激しく波打っていた。
見た目からは想像出来ないゴツゴツとしながらも滑らかさも兼ね備えた手。
詩織はそのままギュッと手を握ってしまいたかったが、我慢してそのまま手を放す。
「ありがとう、遠藤さん。今度何かお礼するよ」
(お礼!? ええとどうしよっかな。う~ん、う~ん)
「気にしないで。好きでやってた事だから」
やりたい事が多すぎてまとめられなかったので、とりあえず欲張ってませんよ感を出してみる。
「そうはいかないよ。何か欲しい物とかある?」
海翔には珍しく粘ってくる。
自分が引き受けた事に人を巻き込んでしまった事に引け目を感じているのだろう。
そんな所も愛しいが。
だが、考えても思いつかない、いや正しくは思いつきすぎたので、
「じゃ、ひとまず保留って事で!」
という事にしておいた。
これが今の詩織の限界だった。
間違ってもデートになんて誘えなかったのだ。
「分かった。遠藤さん、本当にありがとう。たぶん一人だったら間に合わなかったよ」
海翔は少し遠い目をした。
きっと自分だけでは間に合わなかったとでも考えているのだろうが、実際作業のほとんどは海翔がしていた。
詩織はむしろ邪魔になっているのではと思えるほどにだ。
「いいのいいの。困ったらお互い様でしょ? それより、明日の学祭楽しもうね。折角準備頑張ったんだからさ」
押し付けられたとはいえ、折角こんなに頑張ったのだ。
海翔には明日の学祭を思いっきり楽しんでほしい。
「そうだね」
海翔はほのかに微笑んで言った。
その笑顔からはこれからマカイズの討伐に向かうとは思えないような素敵な笑顔だった。
もしかしたら彼は何も知らない私を心配させないように気を使っているのかもしれない。
胸がキュゥッと締め付けられる感じがする。
海翔がこれから戦場へ赴くと知っておきながら止められないという後ろめたさか、この時しがみついてでも止めなかったことへの後悔か。
そのどちらでもあってどちらでもない。
そんな複雑な感情を胸にしまい込んで、そんな感情をばれない様に隠しながら詩織は微笑んだ。
「じゃ、今日はもう帰ろうか」
そんな詩織の気を知ってか知らずか海翔はほんわかとした調子で言った。
出来るだけいつもの通り返事をして、二人廊下を歩く。
「ねぇ中川君。明日もちゃんと学校来るよね?」
抑えきれなかった。
海翔が心配で心配でたまらなかった。
恋する乙女は強いんじゃなかったのか。そう自嘲する。
「え? うん。風邪を引く予定はないけれど」
普段なら「何そのギャグ、あんまり面白くないね」なんて軽口を叩けるのだが、
「そう……だよね。ごめん、気にしないで! それじゃ、またね!」
今日は無理だった。
海翔の顔をこれ以上見れなくて、思わず走り出してしまう。
「ただいま」
とぼとぼと歩いていたので、普段の二倍の時間をかけて家まで到着した。
静かにドアを開ける。
「お帰りなさい、詩織」
いつもの通りソウがエプロンをつけて玄関に立っていた。
この前は犬か! なんて言ったが今日ばかりは嬉しい。
「ええ、ただいま」
ソウに弁当箱を渡して自分の部屋へ向かう。
「詩織!」
詩織の雰囲気を察したのかソウは詩織に声をかけた。
詩織はゆっくりと振り向く。
きっと今の詩織は心配でひどい顔をしているだろう。
「良かったら見てきましょうか、彼ら」
ソウが玄関に向かって親指を立ててウインクをした。
「ええお願い、頼むわ」
「かしこまりました」
ソウは簡単に述べて出かけて行った。
ソウがあれだけ言うのだ。
クロウという天使は乱暴そうだったが、きっと海翔をきちんと守り抜くのだろう。
だけどもし海翔の身に何かあったら……そう思うと頭痛が襲って来た。
詩織は倒れこむようにベッドへ飛び込み、そのまま意識を失った。
「……おり。……しおり。……詩織」
何となくだけど自分を呼ぶ声がする。
「ハッ……!」
寝てはいけない時に寝てしまった。
詩織は慌てて飛び起き、周囲をキョロキョロ見渡す。
当たり前だが、ここは詩織の部屋。
意識を失う前と同じところに詩織はいた。
「詩織、おはようございます」
さっきから自分の名前を呼んでいた声が後ろから聞こえて来た。
振り返るとソウが立っている。
「ソウ! 海翔君は!?」
思わずソウに駆け寄り胸に掴みかかる。
ソウは優しくその手を外し、言った。
「大丈夫ですよ。彼らは勝ちました、海翔、クロウ共に無傷でね」
ソウは優しく微笑んで言った。
その言葉を聞いた瞬間、詩織は力が抜けてしまったのか膝から崩れ落ちてしまった。
「はぁ……良かった。本当に良かった……」
ずっとさらされていた緊張状態から急に解放されたからか、足腰に力が入らない。
ずっと詩織を襲っていた頭痛も気づけば消えていた。
「安心なのは分かりますが、あなたにとってはこれからが本番なのですよ」
ソウが言ったように、海翔が勝った事により詩織たちはこれから海翔との共同戦線を張る事を目標として動くことになる。
つまりそれは海翔だけでなく詩織にも身の危険が及ぶことを意味するのだ。
詩織にとってはまさしく本番はこれからという訳だ。
そもそも海翔達が共同戦線に乗ってくるとは限らないのだが、詩織にとってはそんな事は、今どうでもよかった。
「ええ、分かってるわ。だけど海翔君が勝った……それだけで今は十分なの」
神は信じていない詩織だったが今は神に感謝したい気持ちでいっぱいだった。
「まぁそうですね。今日くらいは勝利を喜んでもいいでしょう」
海翔とクロウ、マカイズと湊孝輔との戦いはこうして海翔達が勝利した。
この勝利は海翔達だけでなく、詩織達の行く末も決めた。
そして明日は学祭。
詩織は海翔に「一緒に学祭を回ろう」
明日はそう言うと、固く心に決めてからベッドで横になった。
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