第14話:宣戦布告
カーテンのすき間から差し込む光は緩やかに海翔の意識を覚醒させる。
寝ぼけ眼で時計を確認すると針は七時の辺りを指していた。
普段ならば学校に行くため起きなければならない時間ではあるが今日は日曜日だ。
海翔は少し考えたのち、再び布団をかぶりなおした。
普段ならば二度寝はあまりしないのだが、激動の毎日を過ごしてきた今日はどうも体が言う事をきかないのだ。
(まぁたまには昼過ぎまで寝る日があってもいいでしょう……)
そう思い寝返りをうつと、勢いよくドアを開けたクロウと目が合う。
今日も朝から不機嫌そうな顔をしている。
「おい、いつまで寝てんだ」
「日曜日なんだけど……」
「あ? だからどうした」
どうやら天使に休日という概念はないらしい。
クロウは「先に行ってるぞ」とだけ言い残し階段を下りていった。
「……。まぁ、やっぱり一日寝ているよりはいいか」
ベッドから降りて私服に着替える。
着替えるで思い出したがクロウは細身の鎧のような戦闘服以外の私服は、どのように調達しているのだろうか。
もちろんだが、クロウの私服も彼がいつもつかっている赤いマグカップも海翔が用意したものではない。
(まさか僕がいない間に買い物にでも行っているのかな? いや、そんな事ないか)
そんな事を思っていると、
「おい! てめえ今何か失礼な事考えてなかったか!」
下からクロウの怒鳴り声が聞こえてきた。
まさか契約者の考えている事は全てお見通しなんて能力があったりするのだろうか。
もしそうなら勘弁してほしいものだ。
そんな事を考えながら着替えをすませ一階へ降りる。
リビングに入ると、クロウは既に朝食を準備し、勝手に食べていた。
海翔も自分の分を準備し、いつも通りクロウの正面の席に座る。
するとクロウはテーブルの上に置いてある紙切れを見るように、視線で訴える。
「これは?」
その紙切れには地図が描かれていた。
中心に位置する一番目立つ黒い点が、おそらく目的地だろう。
「ラインが寄こしてきやがった。死にたい奴から順番にかかってこいってな」
朝からこんな挑戦状が送り付けてこられたのだ。
クロウがいつもにも増して不機嫌だったのにもうなずける。
「へぇ。えっとここは……ああ、あの廃ビルか」
地図を軽くみただけで場所を把握した海翔を見て、クロウは少し驚いている。
「知ってるのか」
「まぁね。この辺りの人間ならみんな知ってると思うよ」
これは海翔が特段地図を読むのが得意という訳ではない。
この町に住んでいる人間ならば、誰でも知っているほど有名な場所だったのだ。
この辺りでは珍しい十二階建ての高層ビルなのだが、役員の汚職事件の影響で本社が倒産。
その影響で支社だった高層ビルからも人が消えてしまったという訳だ。
高層ビルは潰すのにもそれ相応の金が要る。
しかしその金を出さなければならない会社は倒産。
結果、巨大な箱だけが残り悪い意味で注目を集め続けているという訳だ。
「そのビルはこっから近いのか」
昔はシャトルバスが走っていたが、今はあの一帯がゴーストタウンと化しているの徒歩で行くしかない。
「三十分くらいかな」
大体の計算をしてクロウに伝えると「そうか」と言って、考え事をしている。
「今晩ラインに殴り込みをかける。ちょうどゴルトの力を試したい所だったしな」
クロウはそう言って悪人顔で笑った。
「分かった。覚悟だけはしておくよ」
「……反対しないのか。もうちょっと落ち着けとか」
反対されると思っていたのか、クロウは少し拍子抜けの表情を浮かべる。
「言っても聞かないでしょ? それに僕のできる事は覚悟を決める事だけだからね。なら僕は君のペースに合わせる」
「フッ、お前も分かってきたじゃないか。一応アイツらにも伝えとけ」
クロウはそう言って席を立つ。
「ちゃんと詩織たちにも伝えるんだ」
「契約だからな。俺は契約を破る奴が一番嫌いなんだよ」
「そっか。案外真面目なんだね」
「うるせぇ。精々覚悟を決めとくんだな」
クロウはそう言ってどこかへ行ってしまった。
ここ数日クロウと過ごして少しイメージが変わった気がする。
初めて会った時から傍若無人で自己中心的なのは変わらないのだが、なぜだかそれを憎めない自分がいる。
なぜ自分でもそう思うか全く理解ができないのだが、クロウとはもう何十年も一緒に暮らしているような安心感があるのだ。
自分がこう思うことに不思議な感覚を覚えながら海翔は朝食のパンをかじった。
朝食の後は特にやる事もないので、何となく自室でぼんやりとする。
覚悟を決めるとは言ったものの、不安どころか緊張をしている感じは少しもない。
これからラインという天使と戦うという予定が、まるで日常の一予定に過ぎないような感じがするのだ。
ぼんやりと考え事をしていると、静かな部屋でスマホが鳴る。
画面を見ると、詩織からの返事だった。
『分かった! 私たちも今夜向かうね。私にも来てたから、もしかしたら今残っている天使皆に来てるのかもね』
さっき送った事に対する返事だった。
あんな挑戦状を全員に送っているなんて、ラインという天使はとても好戦的な天使なのかもしれない。
海翔だけではなく、詩織にまで挑戦状を送るとは、ラインはどうやって情報収集をしているのだろうか。
情報というのは戦いにおいて一番重要だとまで言われている。
そんな情報戦で一歩先を行かれているのだから、この戦いが楽に運ばない事は明らかだった。
(……。……。……)
つい考え事に夢中になっていたその時、詩織とのチャット画面が目に映る。
人間が緊張したり恐怖したりするのは、自分を守るための本能だからもしも海翔にそれが欠けているのだとしたらそれは大問題だ。
しかし今、そんな事は些末事だ。
今もっとも重要なのは、詩織にどう返信するかどうかだ。
こんなのは何も考えずに『分かった、よろしくね』くらいでいいとは思う。
しかしそんな事務的な返事で終わらせてよいものかと思っている自分もいる。
「あぁ、僕はいったいどうしたらいいんだ……」
そう言いながら頭を抱えていると、クロウと目が合った。
「おい、なにしてんだ。気持ち悪い」
クロウが残念な人を見るような表情で海翔を見ている。
「なんでもないよ。てかノックくらいしてくれる?」
「あ? お前が気持ち悪いからいけないんだろうが」
理不尽な言葉を残してクロウは去っていった。
クロウはよく人を小バカにしたような表情をするが、哀れみを含んだような表情は始めてみた。
少し傷つく。
いや今はそんな事はどうでもよい。
今重要なのはどんな返信をするかなのだ。
いつもはもっと働く頭が今日に限って全然働かない。
こんな事は初めてだ。
悩みに悩んだ結果、送ったのは『分かった!』という一言だけだった。
午後十時。
すっかり日は落ち、辺りは奇妙な程の静寂感に包まれていた。
詩織とはあの後数回連絡を取り合い廃ビルの近くの公園で待ち合わせする事になった。
今思い出しても、脂汗が噴出してくる。
あんな緊張感はもう味わいたくないものだ。
「おい、なにニヤニヤしてんだ気持ち悪ぃ」
そんな事を思っていると、隣を歩いているクロウからまた心無い一言が飛んできた。
クロウの顔を見ると、汚物でも見るような冷たい視線をこっちに浴びせてきていた。
「何にもないよ」と海翔はそっけなく返す。
思い返してみれば今日は朝からクロウに暴言を吐かれっぱなしだ。
若干腹が立ってきた。
まぁ確かに部屋を開けたらベッドの上でニヤニヤしている男が座っていたら気持ち悪いかもしれない。
だがそれでも言い過ぎではないだろうか。
「あ、海翔君。こっちこっち!」
そんな事を考えながら歩いていると、とつぜん詩織の声が聞こえてくる。
公園の入り口にある腰ぐらいの高さの柵に詩織は腰掛けており、こっちに笑顔で手を振っている。
ソウはまるでお姫様を守る近衛騎士よろしく、一歩後ろに立っていた。
「おう、早いな」
クロウがポケットに手を突っ込みながら大して悪ぶれず言った。
海翔もそれに続き普通に挨拶をしようと思ったのだが、その瞬間ふと淡いながら記憶が蘇ってくる。
そう言えば何かの本で読んだことがある。
女性との約束には遅くとも三十分前に到着しろと書いてあった気がする。
時計を確認すると待ち合わせ時刻五分前。
遅刻はしていない。
しかし、これは男友達と約束していた場合だろう。
しかし今回待ち合わせしているのは決して男友達ではなくクラスメイト。
しかも女子。これは最早、時間通りに来た時点で大遅刻ではないのか?
まずい。これは非常にまずい。この最悪の状況、いかにして突破すべきか……。
「……。……」
「ど、どうしたのかな……?」
海翔から漂う只ならぬ雰囲気を察したのか詩織は明らかに戸惑っている。
強烈な雰囲気を放っているクラスメイトが目の前に立っていたらそりゃ戸惑うだろう。
ただ、今の海翔にそれを気遣っている余裕は無かったのだが。
「大変、申し訳ございませんでした」
「ええ!?」
海翔は突如腰を九十度直角に曲げ、謝罪に来たビジネスマンも驚くであろう程の美しい謝罪を披露していた。
「あ、ごめん。つい……」
「お前今日ずっと気持ち悪いな」
海翔の突然の謎行動に、クロウは一日を振り返りまた暴言を吐き、詩織はより戸惑い、ソウは全てを悟ったように優しい笑顔で海翔を見ていた。
「と、とりあえず行こうか。さ、みんな気合入れて行こう!」
皆の視線が辛かったので、先陣を切って廃ビルに向かう。
すると、ソウが小走りで近づいてきて、ポンと海翔の肩を叩いて言った。
「海翔。気持ちは分かります。次は頑張ってくださいね」
ソウの慈愛に満ちた表情を見ると、大変顔面を殴りたくなった。
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