出逢いと別れ 4

街をふらふらとした覚束ない足で歩く。

見慣れない風景。

知っている街なのに、知らない場所。

無我夢中で走っていたため、いつの間にか迷子になっていた。

何も食べずに飛び出してきてしまったせいで、足取りもままならない。

夕刻には帰らなければ。

少年と会って、ペンダントを返さないといけない。

でも、帰れるのだろうか。

忽ち不安が膨れ上がる。日があるうちに帰らないと。

意に反して、身体から動く気力も抜けていき、立っていることもつらくなり、そばの壁際でうずくまる。

人々の行き交う足音と、活気づいた声が嫌に耳にこびりつく。

これは、人の声なのか。

それとも、亡霊たちの声なのか。

頭の中で、音が反響する。

雑音。ノイズ。甲高い声。

うるさい。

何も、聞きたくない。

膝を抱えて、ぎゅっと小さく身体を丸める。


「キミ、大丈夫?」


水のような透明な音が突如として鼓膜を揺らす。

伏せていた顔を上げ、瞼をゆっくりとこじ開ける。

心配して声をかけてきたのは、どこか見覚えのある少年。

キャスケットから流れこぼれる白銀の髪。つばの下には蒼く深い空を吸い込んだ綺麗な瞳が見え隠れする。

膝をおり、ミヤと目線を交じり合わせる。


「キミとは、夕刻に合う約束をしていたはずだけど。どうして、ここにいるの?」


夕刻。合う約束。

ミヤの頭の中で、昨晩の鎌を持った少年と目の前の少年が結びつく。


「君は、昨日の……」


「うん、こんにちは。具合悪そうだけども、どうしてここにいるんだい? キミの家はここからもっと中央の方だった記憶があるのだけど」


「それは、……」


ミヤはうつむき、視線を逸らす。

少年はそれ以上のことは踏み込まず、穏やかに微笑んだ。


「立てそう? ここは日差しが強すぎるから、別の場所に移動しよう」


ボクは太陽の光があまり好きではないんだ。と、吸血鬼のようなことを言う。

ミヤは立とうと、足に力を入れるも、くらりと目眩がしてまたその場に座り込んでしまった。


「ごめん、なさい……」


「いいよ、無理しないで」


「しばらく、休めば……大丈夫だと…――――」


思う。と続けようと口を開いた瞬間、声よりもお腹から獣が唸るような音が鳴った。


「………………」


ミヤは恥ずかしさのあまり、少年の顔から視線を逸らす。

盛大なお腹の音に、少年は小さな笑みをこぼし、「待ってて」というと立ち上がり近くの店に入っていった。

しばらくして、紙袋を小脇に抱えて出てくる。

袋からは甘い食欲をそそるいい匂いがした。


「はい」


少年は、丸まるとしたパンを一つミヤに差し出した。


「え、えっと……」


ミヤは困惑していた。受け取ってもいいのだろうかと。

自分は貧しい人間じゃなく、むしろ階級は上から数えた方が早い家の生まれだ。

食べ物を渡すなら、もっと貧しい困った人々に差し出されるべきもの。食べることもせず走り逃げた自業自得の人間が受け取るべきじゃない。


「あの……」


「遠慮しないで、お腹が空いているんでしょう」


もし、いりませんといったところで、少年は有無をいわさずパンを口に入れてくるのではないか、と感じた。

素直に応じよう。

おそるおそるミヤは少年の手からパンをとり、いただきますとひとかけらちぎって口に入れた。


「……おいしい」


とろけるような甘みが口の中に広がる。


「このパン、すごくおいしい。中にはいっているの、チョコレート?」


「うん。そこのパン屋の一押しのチョコレートパン。外はさくっと、中はとろり甘いチョコレートが入っていてる。ボクのお気に入り」


そういいながら、少年もパンを取り出し、ぱくりと口に頬張る。言葉遣いや仕草が大人らしいと思っていたけども、幸せそうに食べる姿を目にして、同じ年頃の子供なんだとミヤは嬉しく思えた。

友人、と呼べる子がいたら、きっとこんな感じなんだろうなと。

幸せを一つ一つかみしめるように、ミヤは大事に味わいながらパンを食べていく。

すべてを平らげてから「ありがとう、美味しかった」と感謝を伝えると「そう、よかった」と少年はうっすらと微笑んだ。

少年は小さくふぅと満足げに息を吐き、行きゆく人々を眺める。


「キミはまた、家を飛び出してきたんだね」


少年が徐に口を開く。彼の言葉に、ミヤは小さく頷く。


「……家にいると、否応なしにおばあ様がなくなったんだって突きつけられる。僕はまだ、うまく飲み込めてない。おばあ様がなくなったんだってこと、まだ受け止め切れてない……」


ずっと傍にいた。手を握って、最期の時まで片時も離れずにいた。

泣いて、縋った。

孤独で寂しかった。

一人になるのが怖かった。

なのに、家族は誰もミヤの気持ちを汲み取ることせず、あざ笑った。


「いなくなって清々したと言われて、僕はショックを受けた。あぁ、そっか。僕はまた一人になるんだって途端に実感が湧いて、怖くなった」


もう、頭を撫でてくれる人はいない。

大丈夫だと抱きしめてくれる人はいない。

嘘つきだって言われて、ミヤは嘘ついてない子って慰めてくれる人は、もういない。


「僕は、おばあ様が亡くなった事実を認めたくなかった。ずっと傍にいてくれるんだって、そう信じてた。でも、それはかなわないことなんだって……わかっていたことなのに。いつかは別れがくることなんて」


多くの亡霊を見てきたというのに。いざ大切な人が同じような存在になったら、目を逸らしたくなった。

だって、僕だけが見えているって知ってしまったら、それは死を認めたことになるから。


「どうして、僕には見えてしまうんだろう……」


見えなければきっと、こんな苦しみは味わわなくてすんだだろう。

胸が苦しい。

また、涙があふれ出てくる。


「わからない。でも、見えているのに、見ない振りすることはできない。だって、ボク等の瞳に映る世界に、彼らは確かに存在している。目を合わせて、笑ったり、泣いたり、感情を露わにする。そんな人たちのことを見えないなんて存在を否定することはできない」


行き交う人々の中に、混ざり込む亡霊。

必死に話しかけても、振り向いてくれず。

手を伸ばしても、透き通る。

二人の目にしか映らない儚いものたち。


「それに、彼らの存在を否定したら……ボクの存在も否定されることになる」


それはとても悲しいことだな。と少年は小さく呟いた。

少年はさまよう魂を導く案内人であり、落ちた魂を狩るものでもある。

亡霊たちの存在をなきものにしてしまえば、少年の存在価値も揺るがされてしまう。


「君は、怖くないの?」


「怖くないさ。だって、彼らもボクらと同じ人間だ。魂だけの存在になっても、彼らの根底はかわらない。人間であることに、かわりはない」


「昨日襲ってきた悪霊にも、同じ事いえる?」


「うん、怖くない。彼らもボクと同じ。どこにも行けず、此の街に彷徨う哀れな者たちだから、ね……」


少年は一瞬顔を俯かせるも、すぐにミヤの方へと視線を戻す。


「キミは、怖いと思った?」


「……うん」


ミヤは正直に頷く。今でも、あの光景は脳裏に焼き付いて、恐怖を蘇らせる。


「そうだね。キミからしたら、彼らは恐怖の対象でしかない。それは仕方のないことだ」


ミヤは悪霊からすると御馳走だ。食べ物を目の前に迫る獣のように追いかけられれば、恐怖しかない。

少年もそれをわかっていたから、理解を求めようとは一切してこなかった。


「キミの体質は生まれ持ってのもの。でも、キミは悪霊に追いかけられるようになったのはここ数日の出来事なんだろう?」


少年の問いかけに、ミヤははっとした。

そうだ。悍ましい者たちの襲来が始まったのはここ二三日での出来事。

少年の言う通りであれば、なぜミヤは今まで平穏な暮らしが出来ていたのか。


「どうして、今まで悪霊に追いかけられずに済んだんだろうね」


ミヤは黙りこくる。

思い当たることなど、一つしかない。


「キミも、もう気づいているんだろう?」


「……うん」


僕はずっと守られていた。

優しい手のひらで、頭を撫でてくれた人。

僕のことをただ一人愛してるといってくれた人。

ヘレンおばあ様がずっと、守ってくれていた。でも、おばあ様は亡くなり、守る力がなくなってしまったために、悪霊に追われることになった。


「人はいつか死ぬ。それは生まれたときから人間に与えられた唯一の平等のもの。嘆いても、悲しんでも、事実を変えることはできない。……―――キミも、自分の足で立たないとね」


少年は立ち上がり、ミヤの前に小さな三日月の形をしたペンダントを垂らした。


「……これは?」


「自分の足で立つための、お守り」


差し出された手のひらにコロンと三日月の石が転がる。淡く月明かりみたいに光る石をじっと眺める。

あたたかい。

途端、ミヤははっと思い出し、慌てて、ポケットの中をせわしなく探す。あった。大きな石をつかみ、今度はミヤが少年に手を伸ばした。てのひらの上には、大きな星の形をした石が乗っている。


「君の大切なものを貸してくれて、ありがとう」


少年はふんわりと微笑んでから、「ありがとう」といって首にかけた。

星のペンダントはそこが本来の居場所とでも伝えるように、青白く光り出す。


「あれ、石の輝き色が違う……」


ミヤが手にしていた時はずっと、蜂蜜色に輝いていた。けれど、少年が持っている今は、青い光を放つ。


「此の石は溢れる霊力に反応して輝くんだ。霊力の性質や、力の強さによって輝きは変わる。赤、オレンジ、黄色、白、青と色が変化していく。ボクの霊力は少し特殊で、キミより強いから青い光になる。キミの霊力の質は、黄色。人間にしては強い力だね」


手のひらの上で輝く三日月の石。

それは夜を明るく照らす月のよう。


「これ、もらってもいいの?」


「うん。その石がキミを守ってくれる。その石があれば、キミももう守られなくてすむ。自分で立てるだろう?」


「…………そうだね」


ミヤはぎゅっとペンダントを握りしめて、「ありがとう」と呟いた。


「決心はついたかい?」


少年がミヤに問う。


「うん」


俯いていた顔をあげ、少年をまっすぐにみる。

その顔であれば、大丈夫だろう。

少年は、ミヤに手を伸ばす。


「それじゃあ、旅立ちの見送りにいこうか」

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