5.都会の風景
この時代に来てから一週間以上経過した。
元いた時代に戻る方法は依然分からないままだが、怪我は一通り治った。左足も良くなりほとんど元通りだ。怪我が治って一安心、ではあるのだが帰ることもできないのでこれから自分はどうなるのだろうという不安はより一層増していく。
そもそも自分が志木家に置いてもらえているのも怪我があったからだ。その怪我が治ってしまえばここに居られる理由も無くなってしまう。ここを出たとしても行くあてがない。働き口を見つけようにもこの時代をよく知っているわけでもなく、人脈があるわけでもない。志木家のコネクションを期待するというのも都合が良すぎる。正直言うところ不安しかないのだ。出来るなら出ていきたくはない。しかしいつまでも居座れるほど神経が図太いわけでもない。毎日ああでもないこうでもないとは考えては堂々巡りだ。
いつもの通り居間から庭をぼーっと見つめながら思案していると、背後から声がした。
「よう、啓太。暇しているようだな。」
声の主は敏郎だった。敏郎とはあの一件以来、初対面の時に比べて驚くほど距離が縮まった。最初は無愛想で素っ気ない感じだった敏郎も一緒に過ごすと意外と明るく話しやすい奴だとういうことが分かった。そして少し心配性なところもある。
左足の怪我のこともあったが、この前志木家の庭でまたしても草毟りを手伝うこととなったのだがその際草で指を切った時の敏郎の狼狽ぶりは今思い出して笑ってしまいそうになる。なんてことない傷だったのだが敏郎は心配したらしくわざわざ手当てまでしてもらった。敏郎の様子から見てもしかしたら同い年ではなく弟のように思われているのではないかと考える。それかあの程度の怪我でも世話を焼きたくなるほど貧弱だと思われているのかもしれない。確かに敏郎より背が低いしやわに見えるかもしれないが、頼りないと思われているようじゃ余り良い気はしない。
しかしそれと同時に敏郎は自分と同い年なのだということを実感させることもしばしばある。素直じゃないところや照れ屋だったりするところは時代が違えど同じ18歳の少年なんだと感じる。
敏郎は初めて出会った時とはうって変わった笑顔で言う。
「午後から空いてるか。」
「うん、空いてるけど。どうしたんだ?」
「一緒に出かけないか?」
敏郎の思いがけない言葉に驚く。敏郎と共に過ごす時間は増えたものの、今まで二人で出かけるということはしたことがなかった。出かける、ということは近所の散歩ではなくもっと遠方に行くということだろう。以前は左足の怪我があったので気遣っていたのかもしれないが、自分としてはあまり遠方へ出かける気はなかった。
変わり映えのない田園風景を歩くことが飽きなかったと言えば肯定しかねるが、この時代のことは未知が多い故むやみに行動範囲を広げたくなかった。この時代の都内中心がどのような様相なのか興味はある。しかし、この時世に余所者が歩き回るほどの胆力はない。
「出かけるって近所とかじゃなくて遠くまでってことだよな?」
「そうだ。行きたくないか?」
眉を下げて笑う敏郎にこちらも返答を言い淀んでしまう。さっきも言った通り興味がないわけではないのだ。歩き回る度胸がないというだけで。しかし敏郎となら大丈夫なんじゃないかとも思う。それに敏郎ともっと色んなところへ行ったりやったりしたいという気持ちは大いにある。敏郎の言葉に気圧された半分、興味半分で承諾することにした。「良いよ、行こう。」と言うと敏郎は「それじゃあ、決まりだな。」とにんまり笑った。
*
晴れやかな天気の下、志木家を出発した。敏郎にどこに行くのかと尋ねれば日本橋だと答えた。都市部の繁華街へ行くからかいつもより身仕舞いしている。敏郎が着ているシャツはきちんとアイロンがあてられ皺一つなくジャケットも型くずれなく手入れされているということがよくわかる。それに加えて上等な帽子と磨かれた革靴でいつもより男前だ。自分は流石に元いた時代の服装をするわけにもいかないので、敏郎の服を着させてもらっている。と言っても、敏郎とは身長体格違うので着なくなった服のお下がりを家政婦の喜代が繕ってくれたものだ。そのおかげで服はちょうど良いサイズだ。ここまでしてもらって申し訳ない。
閑散としている田畑横の道を抜けて街へ出てからバスに乗る。上野で降りてそこから都電の上野線と本通線を使って日本橋へ行く。電車を降りてからは志木家周辺とは余りに違いすぎる光景に少々気後れする。都市部なのだから賑わっているのは当たり前だし、元いた時代でも日本橋は来たことがあった。しかしこの時代の街並みとはかなり違うのでまるで全く違う場所に来たかのような気がするのだ。公道にはたくさんの車が走り和装洋装をした人々が行き交い、近代的なビルディングが立ち並んでいる。この街全体の一瞬一瞬の景色がフィルムに収められた映画のワンシーンのようでひとたび不思議な感覚に陥ってしまう。かつては液晶越しにしか見られなかったこの光景を直接まぶたに焼き付ける日が来ようとは誰が思おうか。
茫然と目の前の景色を眺めていると「行くぞ」と敏郎が歩いていくので慌てて付いていく。人混みを抜けてしばらく歩くと近代的な建物が見えてきた。百貨店だ。
入口にお洒落な洋服に身を包んだ若い女性たちが立っている。案内嬢だ。エントランスの外装も元いた時代のものとは若干違っていて見慣れない光景に思わずきょろきょろ見渡してしまう。
「おい、勝手にどっか行ったりするんじゃないぞ。迷子になっても知らないからな。」
「ま、迷子って子供じゃないんだぞ…」
あまりに挙動不審だったせいか見かねた敏郎が呆れたように笑って言う。子供っぽく思われてしまったかもしれないと思うと恥ずかしい。
百貨店の中に入ると内装はかなり豪華で1階の売り場には装身具だったり服飾品だったりと高そうなブランド品が多くある。週末の午後だからか人の数も多く色んな年齢層の客が見られる。若い女性にはモダンな服装に身を包んでいる人が多くいて思わずそちらに目が行く。
「啓太、どこか行きたい場所あるか?」
敏郎から不意に話しかけられて一瞬思考が止まる。慌てて情報を処理して考える。行きたい場所と訊かれて数秒の黙考の後、すぐに答えは出た。
「俺、書店行きたいんだけどいい?」
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