第3話・更紗と世界樹
気がつくと遠くにランチュウがいた。
「おややん? 何でこっち向いてんのさ?」
3人称視点に設定しているとはいえ、アバターは常に背中を向けている訳ではない。
スティックを手前に引けば、振り向きモーションで顔くらい見れる。
だが半透明の壁を挟んだ向こう側、しかも数十メートルも離れているとなれば話は別だ。
そもそもヘスペリデスは、画面に対してアバター表示の比率が高いゲームである。
「バグかな? やけにアバターが遠いんだけど」
ランチュウは走っているように見えるが、ぜんぜん進んでいない。
「それになんか妙に画面がリアルだし……」
視界のどこにもPCモニターがなかった。
キーボードもキーパッドもフットコントローラーまでも、である。
「酒飲んだらゴーグル式アイトラッカーが疑似VRになったってか? すっげーなアルコール!」
身じろぎすると手足に抵抗感があった。
「ここって水の中? でも息はできるよねえ。羊水みたいだ」
視界が妙に赤い。
「さっき見た果実の中……かなあ?」
だとすると更紗は先ほどの果実の中にいた人間(?)の視点でランチュウを見ている事になる。
「なんか触感もあるし……ひょっとして、これが噂のフルダイブVR? きっと夢だけど、疑似体験でも嬉しいよ! ありがとうアルコールの神様!」
バッカスやデュオニソスやパテカトルなど、酒神の名前がずらりと思い浮かぶ更紗だが、まあどれでもいーやと両手を合わせて感謝の意を捧げてみる。
『感謝されるいわれはありません。あなたは何という事をしでかしてくれたのですか』
いきなり頭の中で声が響いた。
きっとアルコールによる疑似骨振動に違いないと更紗は勝手に解釈する。
「あんたがエタノール神かい?」
『否定します。ここは、この世界を包む世界樹のネットワーク……その数ある端末樹の1つです』
「世界樹なら知ってるよ。ヘスペリにはない設定だけど、まあ神様みたいなもんだよね?」
『ただの環境制御ユニット群です。私は中枢樹から通信している世界樹ネットワークの統括管理支援システムで、名前はありません』
「世界を管理してんなら、やっぱ神様でいいじゃんよ。ありがとう! ありがとう!」
更紗は例え夢でもフルダイブVRを体験できたと大喜び。
『ですから神ではありません……この話は堂々巡りになるので、やめておきましょう。もう神でも悪魔でも構いません』
「へいへい。で、冗談はさておきアタシが何やらかしたって?」
夢の中でもゲームのプレイ中だし、罪を犯したなら、何かストーリーの進展があって然るべきだと思う更紗であった。
回避不能なミスで始まるシナリオ展開はRPGのお約束である。
『あなたの記憶を参照したところ、異世界転生が最も近い表現と判断します』
「転生……アタシが? やったあ! でもチートはヤだよ?」
更紗の記憶を調べたのなら、異世界でもゲーム用語くらいは通じるはずだ。
『チートどころの話ではありません。あなたは世界樹の管理者、樹王のスペアボディを占拠してしまったのです』
「何だか知らないけど、それってアタシが神様になったって事?」
神に等しい世界樹の管理者なら、神になったのと一緒である。
『樹王は世界樹の自立型外部感覚ユニット、あなたにわかりやすく言うとオペレーターに相当するものです。しかし限定的ながらも神に近い能力を持つ存在といえるでしょう』
「やっぱ神様でいいんじゃん。でも神なんてアタシのガラじゃないね。他を当たっとくれ」
『そうしたいところですが、あなたを元の世界に戻す方法が存在しません』
「戻れないの?」
『手遅れです。あくまで推測にすぎませんが、おそらくあなたの肉体は、すでに生命活動を停止していると思われます』
「ハッキリしないねえ」
『あなたはPCデスクに座ったまま絶命したと思われます』
「おんやまあ。でもPCなんてよく知ってるね」
『あなたの記憶をスキャニングしましたから』
「ほうほう、話を途切れさせて悪かったよ。続きをどーぞ」
『あれから3日ほど経過しています』
「そりゃ腐敗が始まってもおかしくないねえ。元々腐ってるけど」
頭の中はショタ×ショタのBL妄想でいっぱいである。
「……死んだ? アタシが?」
ようやく意識が鮮明になって来たらしい。
アルコールはとっくに抜けている。
『あなたの事です。更科更紗さん、あなたは3日前に死亡しました。あちら側の状況は確認できませんが、あなたがここにいる以上、本来の肉体が死亡しているのは確実です』
「夢じゃ……ない?」
頬をつねってみた。
「痛っ! この体ツメ伸びすぎ!」
見ると手足が鶏足のような形状に変わっている。
アキレス腱の上に蹴爪が生えていた。
『スペアボディに傷をつけないでください。あなたの体ではないのですよ?』
「悪かったよ。いまはアタシの体だけどさ」
『樹王の予備です』
「それはもうわかったって。それで樹王って何なのさ? 自立型外部感覚ユニット? オペレーター? 限定的でも神様なんでしょ?」
死後の話は死んでから考えればいいと割り切っている更紗であった。
いまの状況が、たとえ走馬灯の一種だとしても、最期まで全力で楽しむつもりである。
『世界樹ネットワークの端末樹を使って死者の魂を回収して転生させるなど、生態系の維持管理を行うオペレーターです』
「転生? そっか……果実で培養した肉体に魂を入れて生まれ変わらせるんだ」
いまの更紗と一緒である。
『ご理解が早くて助かります。とりあえず、こちらをご覧ください』
視界にイメージ映像が割り込んだ。
「おおっ、なんだやっぱりVRじゃん!」
多数のウィンドウが開き、地球やヘスペリデスとは少し違った海や山、そして市街地の映像が表示される。
「ちょいと違うとこはあるけど、地球と大差ないねえ……のわあっ⁉」
風景が雪山に移った時、いきなり目の前を巨大生物が横切った。
「ドラゴン? いや羽根が8枚ある……」
ムカデのような無数の足も生えていた。
「でも顔がドラゴンっぽいから、アイツも竜でいいのかな?」
『そのようなものです。お気になさらず』
「いいねえ異世界! どーせ夢なんだし戦ってみたい!」
『マスペペはとても温厚で気高い動物です。喧嘩を売ってはいけません』
「ほほう。じゃあ他に強そうな生物はいるかい?」
『大型肉食動物ならおりますが、あなたがたの世界と一緒で、ラノベやゲームに登場するような狂暴なモンスターは存在しません』
「あんな大怪獣見せといて、同じってこたあないでしょ」
『それは、そのうちご自分で判断してください。それよりも……』
視点が平野に移る。
「おんやまあ、ちゃんと人間いるじゃん……獣人だけど」
フサフサの犬(っぽい)獣人や、ネコ(っぽい)獣人たちが、笑顔で会話しながら田畑を耕していた。
『この世界の人々は、あのように平和的な生活を営んでおります』
暗に【人間とは違うのだよ人間とは】とバカにされているような気がする。
「あれれん? ここって暴力と入力機器が支配するヘスペリじゃなかったっけ?」
『何をいまさら。ここは異世界、異なる次元の異なる惑星ですよ?』
「ゲームは……あそこにランチュウいるじゃん」
アバターが離れている事自体が異常なのだが、まだ更紗は気づいていない。
『ランチュウの周囲が極彩色に染まっているでしょう?』
「羊水が赤いから、よくわかんないよ」
『そうでしたか。ともかく、あのあたりが魔界との境界線です』
「魔界? まあヘスペリは魔界に侵食されてるって設定だけどさ」
『いいえ違います。この世界が魔界……ヘスペリデスの侵食を受けているのです』
「な……なんだって――――⁉」
『ネタで誤魔化すのはやめてください』
「そっか、アタシの記憶持ってんだっけね」
この世界樹、人工知能っぽいのにネットのオタクネタが通用する。
「黒歴史とか暴露されたらアタシ死んじゃうから、くれぐれもやめとくれよ?」
『あなたがおとなしく、こちらの言う事を聞いてくださるのなら、多少は考慮しましょう』
「へいへい、お手柔らかに頼むよ。まあ、とにかく説明してよ。夢でも一応解決しとかんと、安心して眠れないからさ」
『まだ夢だと思っているのですか。とりあえずご自分の体……いえ樹王のスペアボディをご確認ください』
「やっぱアタシの体でいいんじゃん」
『樹王のスペアです』
中枢樹はなかなか頑固な性格をしている模様。
「へいへい。この体、さっき見たラブリー坊やだよね? お〇んちん見えなかったやつ」
『培養中の幼体で、れっきとした女性です』
「そりゃ残念。道理で股間がスースーすると思ったよ」
むしろ慣れた感覚のはずだが、絶対ついてると期待と確信を抱いていた更紗にはショックが大きかったらしく、動揺を隠しきれていない。
「で、あそこで走ってるのが、さっきまでアタシが操作してたランチュウか。結構距離あるねえ」
『あのあたりに侵食を阻む結界が張られていました』
「結界? そっかー、それで走りモーションのまま止まってんだ……過去形?」
『ただいま絶賛崩壊中です。あなたが侵食因子を持ち込んだのが原因ですよ』
「あそこで止まってんじゃん」
ランチュウはまだ走り続けている。
『あのアバターを通して、あなたの汚染された魂がスッポ抜けて侵入したのです。元々そのように設定された結界なので、防ぎようがありませんでした』
「アタシの魂はそんなにばっちいか」
「ゲームの侵食を受けていました」
廃ゲーマーがどうとか性格の話ではないらしい。
「ありゃそっちだったんかい。でも何でそんな仕掛けにしちゃったかなあ……?」
『そのお話はあとにしましょう。とにかく結界は崩壊寸前で、すでにヘスペリデスの侵食が始まっております。もうすぐここもヘゲーム世界へと変貌を始めるでしょう』
「ありゃりゃ。全部アタシのせいか」
『元より時間の問題でした。それでもやはり、あなたのせいですが』
「へいへい悪かったよお」
更紗に反省の色はない。
『要するにあなたは絶命し、あそこにアバターを残して魂のみで結界を越え、樹王のスペアに取り憑いてしまったのです』
「じゃあ、お祓いすれば? タダで祓われる気はないけど」
『先ほど申し上げたでしょう? 世界樹は死者の魂を集めて次なる命を作る、生態系維持システムだと』
「あっ、それで転生か……記憶は?」
異世界転生モノのラノベやアニメならともかく、普通はフォーマットされて赤ん坊状態になるのが輪廻転生のルールである。
『樹王だけはスペアに記憶を引き継げるようになっていました』
実際に更紗の腐敗した記憶と人格は、スペアボディに転生した現在も維持されている。
「ほうほう、そりゃ便利な仕掛けだねえ」
『本来は生物の棲息数を保持ための転生システムですが、樹王に生命の危機が及んだ時のために、この端末樹でスペアボディを培養していたのです。ですが、あなたに奪われてしまったので、新たなボディを培養しないといけません』
「だからわかった悪かったって。要するに異世界が、どーゆー訳かアタシの世界にあるネットゲームに侵略されてるって訳ね?」
『そうです。なぜこのような事態になったのかは不明ですが、一刻も早く侵食を止めないと、いずれ世界中がゲームに取り込まれてしまうでしょう』
「なるほどねー、なんかラノベっぽいノリになって来たなあ……で、本物の樹王は何してんのさ? この体がスペアなら、本体が別にいるんでしょ?」
『おります。しかし私の制止をふり切って侵食エリアへと向かい、そこで予想通り変貌して魔王になってしまいました』
返り討ちより酷い無能っぷりである。
「魔王ねえ……そっか、侵食エリアに行くから結界の近くでスペアを作ってたんだ」
瀕死になっても結界付近で幽体離脱すれば、新たな肉体に交換できる。
あるいは死んでから結界を越える手段もあるだろう。
『もう少し離れた場所で培養した方が安全なのですが、あいにく端末樹は魂回収の受け持ち区画が狭いもので……』
「侵食エリア内の端末じゃダメなの?」
『それらは、あなた方が魔界樹と呼ぶものに変貌しております』
「ああ、あれか……」
ワールドマップの各所に配された破壊不能オブジェクト。
魔獣がギッシリ詰まった果実を実らせる、敵キャラクターの発生源である。
「そういえば先月、魔界樹のそばで大規模イベントがあったなあ。魔王パルミナ討伐ミッション……ギリギリで逃げられちゃったけど」
ボコッたのは主にランチュウと、その仲間たちであった。
「あいつが樹王の成れ果てだったんかい。でも魔界樹を使えば、樹王は無理でも魔王のスペアくらいは作れるんじゃない?」
『あれらは世界樹への侵食を防ぐために地下茎ごとネットワークから切り離したので、現在は中枢樹のコントロール下から逸脱しております』
「別の端末で作りゃいいじゃん」
『樹王は端末樹1本につき1体しか作れないので、周囲の生態系を維持できなくなる可能性があります』
生産体制に余裕がないらしい。
「世の中うまく行かないもんだねえ」
『そうでもありません。あなたの記憶を読み取るまで、樹王の消息は不明のままでした。その点だけは感謝しております』
「いまだって十分行方不明だと思うよ。あれから全然見かけないもん」
『あなたのおかげで侵食エリアの正体と原因が異世界のネットゲームと判明したので、おおむねの予想がつきました。おそらく魔王化した樹王はゲームの自動生成シナリオに取り込まれ、本来の自我を失っていると思われます』
「散々ぶっ叩いたアタシが言うのも何だけど、あいつ生きてると思うよ。いまは消えちゃってるけど、期限いっぱいまで依頼リストに魔王討伐ミッション残ってたもん」
期間限定イベントミッションだったので、誰か他のプレイヤーたちに倒されたなら期日前に依頼がリストから消滅し、クリアしたプレイヤー全員のアバター名が公表されるはず。
それがなかったという事は、パルミナはまだ討伐されていない。
『樹王に何かあれば、すぐスペアに乗り換えられるように、魂だけは結界を素通りできるよう設定したのですが……』
「それをアタシが乗り越えちゃったと。それでアタシゃ何すりゃいいの? 樹王の代行?」
『いいえ、すでにこの端末樹はヘスペリデスの侵食が始まっています。スペアとはいえ、あなたが樹王でいられる時間は、ごくわずかでしょう』
「おおっ、ひょっとして魔王になるんかい! アタシ魔王になっちゃうの⁉」
『そんな嬉しそうな顔をしないでください』
「だって魔王だよ? カッコいいじゃん!」
更紗は末期症状ギリギリで快復に転じたばかりの中二病患者である。
26歳で社会人だった事もあり、それなりに抑制していたのだが、魔王になれると聞いては黙っていられない。
『異世界人の魂を持つあなたなら、もしかしたらシナリオに取り込まれず自我を維持できるのではと期待しています』
「魔王……魔王ランチュウ! いやランチュウはあっちにいるんだっけ。じゃあ魔王更紗だねえ!」
『少しは話を聞いて……いえ、それでいいなら話が早くて助かります』
「これから何頼まれるかは察してるよ。ヘスペリの侵食を止めて、できれば消滅させるんでしょ?」
つまりゲームのサービス終了である。
『お察しの通りです。すでに侵食エリアは最大直径150キロに及び、ごくわずかではありますが、現在もその範囲を拡大しつつあります』
「ヘスペリのワールドマップと同じサイズか……」
マップは自動生成機能で、常に変質と拡大を繰り返している。
範囲の拡大こそ結界により最小限に留まっているが、侵食エリア内は運営サイドがプレイヤーを飽きさせまいと、できればもっと課金させようと常に変貌を続けているのだ。
「魔界に侵食された世界を救うゲームなのに、まさかヘスペリの方が異世界を浸食してるたあ、こりゃ皮肉だねえ」
『ついでにパルミナの保護もお願いします』
「ついでかよ。まあ役に立ちそうになけりゃ放置して、ヘスペリのサービス終了を優先するよ。ゲームの侵食エリアが消えりゃ、アイツも樹王に戻って万事解決でしょ?」
『それで構いません。できればもう少しスペアボディの培養を続けて、あなたを万全な状態で送り出したかったのですが……孵化の時間です。ではごきげんよう』
「えっ? もうちょっと話を……」
『さようなら! さようならあ!』
更紗を包む果実の皮がベリベリと裂け、赤い羊水が溢れ出した。
「そんな太陽系を離れる宇宙戦艦の艦長室から手を振るみたいな別れ言葉は嫌だよ!」
どうやら世界樹の管理支援システムは、更紗の記憶を読み取ったせいで重度のオタク趣味に侵食されてしまったらしい。
『続きは樹王の使用人に聞いてください……いよいよ最後、さようならみなさん、さようなら!』
世界樹の中枢はまだゲームの侵食を受けていないはずなのに、とっくに手遅れな感じであった。
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