第6話 脱落したヒロイン

 こうして婚約破棄の件は、安易に片付いた。ハイリッシュのした行いは、貴族中に知れ渡るところとなり、貴族社会でハイリッシュの味方をする者は、誰もいないだろう。本来ならば、ハイリッシュの育った環境である、実家のキャスパー公爵家も非難されるところであったが、キャスパー公爵の素早い対応により、公爵家への非難は軽いものとなったのである。然もそのキャスパー公爵も、夫人と嫡子となったハイリッシュ弟によって、今までの愛人騒動への罰として謹慎させられている、という噂が持ち上がると、夫人と嫡子への評価が鰻上りとなっていた。

正妻が夫と愛人に苦しめられるのは、なのである。


唯一戸惑ったのは、ハイリッシュの恋人だったアレンシアだけである。彼女は未だに何が起こったのか、よく理解出来ていなかった。あの日の夜は、婚約破棄騒動で疲れていたので、両親と話をせずに眠ってしまった。異変が起きたのは、翌日の早朝である。行き成り朝から叩き起こされ、祖父の執務室へ呼び出された。

彼女の父親は商人の息子である為、子爵家を継ぐのは母親となっており、まだ見習い中なのである。しかしアレンシアは、自分は王家に嫁ぐつもりであったから、子爵を誰が継ぐのかさえ、興味も持っていなかった。


執務室には、既に祖父の他に父と母も揃っていた。最近になって生まれた弟は、ここには居なかった。アレンシアが部屋に入って来ると、早速とばかりに祖父が話し出す。その話は、昨日の舞踏会での話であり、アレンシアはもう彼が話を通したのだとばかり思って、心の中でニンマリしていた。特に彼のことが好きだった訳ではないが、何かの時の保険にはなると思っていた。しかし、祖父の話を聞くうちに、雲行きが怪しくなってきた。


アレンシアは呆然としていた。ハイリッシュとの婚約はキャスパー公爵によって阻止され、彼は家から離縁され、執事見習いとして修業に出されることに決まったというのだ。それだけなら未だしも、王家と繋がりのあったハミルトン侯爵からも抗議文が届き、このままではモートン子爵家も、貴族全員を敵に回すというのだ。

卑劣な行為に頭に来たアレンシアが、自分の言い分を通そうと祖父に訴える。


 「アレンシア。よくお聞きなさい。ハミルトン家は何も悪くないのだよ。悪いのは、勝手に公の場で婚約破棄をして、侯爵令嬢に恥を掻かせたハイリッシュ様と、アレンシア…お前なんだよ。例え、あんな公の場ですることではない。然も婚約というものは、貴族にとっては家同士の繋がりだ。嫡子だとて、勝手には破棄出来ないものだ。必ず、王家の許可がいる。然もお相手はあの…フェリシアンヌ様だ。彼女は…殿下の妹みたいなおかただ。王太子妃様の話し相手にも、なっておられると聞く。王族の血も引かれており、王族に可愛がられておられるお方なのだよ。そのお方を無碍にしたお前達の行動は、貴族中から非難されている。最早、もうお前達に罰を与えない限り、我が家も存在が危ぶまれる。」


祖父はそう言い終えると、お前の両親も了承済みだと、アレンシアを父の実家の養女にする旨を伝えた。父の実家とは、商人の家柄である。貴族とは違い、一々細かいことを気にしないのが、庶民と商人だ。取引のある貴族には何か言われる可能性もあるが、養女と言えども使用人の扱いとなる予定なので、貴族には使用人だと言えば良いだけである。これから彼女にとっては、辛い日々が始まるのだろう。


しかし、そんなことになるとは知らず、ただ商人の養女になることだけ告げられ、彼女はショックを受けていた。このままでは…である。

ヒロインのバットエンドは、攻略に失敗すると、結果的に将来は…商人に嫁ぐことになるのだから。しかし、まだ14~15歳の少女に何も出来る訳がなく。

彼女はその日迎えに来た商人に、父の父親…つまり祖父に、引き取られて行くのであった。


アレンシアは早速、商人の養女になったその日から、扱き使われることになった。

実の祖父だと言うのに、全く容赦がなかった。祖父に逆らえば頬にビンタされるし、サボれば飯は抜きだと言われ、子爵令嬢とは思えぬ扱いを受けた。

しかし、食事を抜くと言ったのは脅しであり、実際には食事は与えられた。

ビンタも良く親が子供を叱る範囲のもので、虐待とは違っていた。


当初こそ、自分は惨めだとか、逆襲してやるとか思っていたアレンシアだったが、手際が良くなる度、祖父に褒められるようになって行く。偶に頑張った褒美だと言われ、子爵家以上のご褒美が貰えたり、豪華な見たこともない食事が出たりと、この生活に慣れて行った。そして…日本食に似た食事が出た時は、アレンシアは…前世の彼女に戻り、前世の家族を思い出し…泣きながら完食したのだった。

初めて彼女が、前世に戻りたい、前世の家族に会いたい、と思った瞬間である。






    ****************************






 アレンシア・モートン子爵令嬢が、モートン子爵家から離縁されたことは、瞬く間に貴族達に噂として広まって行った。お陰で、モートン子爵家もキャスパー公爵家同様、非難は最小で済んだようである。アレンシアは商家に奉公として出されたと、専らの噂であった。然も、もう彼女は貴族ではないらしいので、王家や貴族が行う夜会には、全く出席出来なくなったのだ。


侯爵令嬢であるフェリシアンヌ・ハミルトンは、たった2日で変わってしまった状況に、内心驚いていた。彼らが罰を与えられるとは思っていたが、たった2日でとは思っていなかったのだ。もっと長引いて、2人が自分の立場を理解せず、彼女の所為だとなじって来るかと、ウンザリしていたのだ。それなのに…。随分とに、呆然としていた。


わたくし、記憶が戻っておりまして…良かったですわ。

いつ自分が同じような目に遭ってもおかしくなかったのだから、そう思うのも無理もない。噂によると、2人共それぞれ、今のところは大人しくしているという。

自分達の過ちに気が付いてくれたのならば、何も心配はないのですけれど。

もし…それでもわたくしを陥れようとした時は、わたくしも戦いますわよ?

自分にとは気付かず、1人闘志を燃やしているフェリシアンヌであった。


前世のフェリシアンヌは貴族ではないが、自国には貴族制が一部残っており、自分が貴族に転生したことには驚いたが、貴族制自体には抵抗はなかった。

自国では貴族の暮らしぶりも学ぶので、貴族の生活も多少知っていた。自分が貴族のお嬢様になるのは多少抵抗はあれど、元日本人ほどではない。それに彼女は貴族ではないものの、自国で貴族に近い暮らしをしていたので、順応が早かった。


日本では普通の平民の暮らしではあったが、自分が望んで得た生活なので、後悔は全くしていない。寧ろ、今の生活より幸せだったなあ、と思っている。大好きな旦那様が居て、子供達が居て、孫まで生まれて。生涯幸せだったなあ、と。

この世界でも…その旦那様より、愛する人が出来るのか、不安で仕方がない。

今まではあんな婚約者と言えども、彼に振り回されていたので、そういう現実的な部分を忘れていたようだ。恋愛よりも、命の方が切実であったのだから、仕方がないだろう。


これで、乙女ゲームは…終わったのだろうか?…結果的にヒロインが脱落してものの、本来ならばもう少し、ゲームの内容が続く筈であった。ルートが違えば、まだ先の物語があったのだから。アレンシアは、ハイリッシュルートに入ってしまったが、ハイリッシュルートでは結婚するまでが、ルートの流れであった。

いつの間にかバットエンドに入り、強制的に排除となってしまっている。

もう…だろう。


ゲームであれば、終了という文字が出て来て、幕を閉じることが出来る。

しかし、この世界は現実である。自分達が生きている限り、物語は続いて行く。

例え、フェリシアンヌが消えたとしても、その後もずっと続いて行くだろう。


フェリシアンヌは、すっかり気が抜けてしまっていた。目的が無くなったからか、これからどうしたらいいのか、分からなくなっていた。新しい婚約者を探す、という話は侯爵である父から聞かされている。しかし、彼女はもう少し待って欲しい、気持ちの整理が付いてからにして欲しい、と願い出ていた。また乙女ゲームの続きが始まりそうで、怖かったのである。


友人達と別れ、フェリシアンヌは図書室に向かった。少しだけ1人っきりになりたかったのである。ハミルトン家では彼女のことを心配し、両親や兄や妹が何かと、彼女の部屋を訪れて来るのだ。図書室には係の者以外、誰も居なかった。

やっと1人になったフェリシアンヌは、乙女ゲームの続編が出ていなかったかどうか、気になっていた。もしあるならば、また自分が悪役令嬢として暗躍する、そういう設定になっている可能性が、あるかもしれない。首を傾げて…ついつい呟いてしまっていた。


 「…乙女ゲームでの続編では、ヒロインが交代するのは定番でしたわね?…ただ悪役令嬢は…そのままなのも定番でしたし、その時はまた…わたくしが悪役令嬢になるのかしら?」

 「…乙女ゲームの続編?…君が…悪役令嬢?…君はもしかして……」

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