10-①
十連休明けの火曜日。眩い陽光がカーテンの隙間から差し、俺は仕方なく、のそのそとベッドから這い出て学校に行く準備をする。あー……学校行きたくね〜……。両隣と気まずいなんて嫌すぎる。俺にはやはり歩しかいない。歩たんマジ天使。
冗談はさておき。結局のところ、実はバレッタを買いに行った日から、梨紗も相原も今日まで一回も家に来ることはなかった。まぁ入り浸っていた方がおかしいというのはあるんだが。それにしても連絡すらなかった。梨紗と一日も会話しなかったのはいつぶりだろう、と不安でそわそわしてくるくらいには気が滅入っていた。幼馴染と喧嘩って案外しんどいな……。
だから、当然よろしくお願いされることもなし。母さんと妹にもたいそう詰られた。家はひどく閑散として、一〇連休は夢だったんじゃないかと思ったりもした。
まぁ、梨紗が怒るのはわかる。幼馴染として変な虫がつくのを心配してくれているのだ。俺はなんかすげえ騙されやすいし。エロサイトの架空請求をマジモンだと思って梨紗に相談した時はほんとに怒られた。ちょっと過保護かもしれないけど、それでもだ。俺が全面的に悪い。……相原と出かけて怒られたのはようわからん。梨紗も公認の友達だと思ってたんだが。
謝る気はあるし予定もあるよ?でもメールの返信こないんだもん。死ぬほど謝ったけどうんともすんとも言わないし。そのまぁほら、いろいろあるじゃん?
それにしても問題は相原だ。どこで機嫌を損ねただろうか。帰ってから冷静に俺の言動を分析でもしたのかな。粗相はしていないはずなのですが……。
「はァ〜〜……」
いろいろ考えているうちに、朝から何度目かの大仰なため息をつきつつ家を出る。朝からこんなに日が照っているのに、心なしか色褪せているようにすら思える通学路を一人で歩く。最後に一人で登校したのはいつだったっけなぁ…、なんていう俺の心配は幸か不幸か杞憂に終わった。
「ぁ」
「ん?あ……」
後ろで聞こえた小さな声に振り返ってみると、一昨日別れたきり顔を合わせていなかった相原が神妙な面持ちで佇んでいる。ここの道はだいたい長い一本道なので隠れようにも隠れられなかったのだろう。うわ〜〜話しかけづれぇ〜……。見なかったことにして歩き出すこともきっと選択肢の中にはあるのだろうけど、俺にそれを選ぶ勇気はなかった。こいつと仲良くしたいと思っていて、ようやく少しだけ仲良くなれたんだから、無視するなんて嫌だし俺には無理に決まってる。とりあえず平静を装って挨拶から始めよう。
「お、おはよう相原……」
おう……顔が引き攣っているのを感じる。嫌になっちゃうぜほんとに。とっとと梨紗と仲直りして連休前の感じを取り戻そう。しばし動揺していた相原は、こちらに向き直ってにこりと微笑んで、続けて言葉を発しようとした俺を遮って言った。
「おはようございます、松島くん。今日は西木さんと一緒じゃないんですか?」
「ん、あぁまぁな……」
「大変ですね。応援してますよ。それでは、失礼します」
そう言い残すと、可憐に一礼してから相原はすたすたと歩き去って行く。あっけに取られてしまった俺はしばらく口をぽかんと開けたままその場で立ち尽くした。んん……?何かおかしいぞ。いつもなら「早く梨紗ちゃんと仲直りした方がいいよ〜」とかなんとか言っておちょくって来るの…に…。
「あ……」
先程の会話を反芻しながら、俺はこれまでとの決定的な、そして致命的とすら呼べる違いに気づいた。
いつから、お前は梨紗のことをそんな他人行儀な呼び方で呼ぶようになったんだ。
結局、その日は最悪だった。梨紗と相原は一度も俺と目を合わせないし、話しかけんなオーラが窓際の席一帯に充満していた。歩はもはや半泣き状態だったし、里穂ちゃんにいたってはHR中泣いてたまである。里穂ちゃんごめん。いやほんとに。
それでも六限が終わると、GWも明けたばかりだというのに明日に控えた企業見学を前に教室中が(俺の周りを除いて)にわかに騒がしくなる。おやつはいくらまでとか終わったらどこ行くとか。おいおやつってなんだよ。明日現地集合現地解散だぞ。
そんなクラスメイトの間を縫ってそそくさと教室を出て行く少女が一人。あっぶねえな、気配遮断スキル高すぎるだろ。危うく見逃すところだったわ。俺は荷物を引っ掴んで、慌てて後を追った。
「ちょっ、梨紗待って、待てって!」
大急ぎで階段を駆け下りて、なんとか昇降口のところで捕まえることに成功した。顔だけをこちらに向けた梨紗は心底うんざりという表情をしている。
「なに」
「いやぁ……その……この前のメールなんだけど」
「それが」
「あれは誤解なんですよ」
「だから、それで、なんなの」
「まぁなんだ?それについてちゃんと説明して謝っておきたくて」
「ふーん」
昇降口に響いた梨紗の声は、いつもにまして冷たかった。こんなに怒っているのを見るのは初めてだと思う。俺をまじまじと見つめるその視線に、俺は思わず目をそらして、身をよじる。
「今は嫌」
「は?」
「嫌って言ってんの。例え何されても今の雄太は許さない。別のこと考えてるって顔に書いてあるし。じゃあね」
そう言い残して梨紗は歩き去っていった。昇降口はだんだんと増えてきた生徒は、呆然としている俺を追い抜いていく。
「なんだってんだよ……」
どうしようもなく立ち尽くす。五月の午後の太陽は眩しく、向こう側では陽光に照らされた地面が明るく輝いてる。昇降口の内側には光が届かず、外の明るさに目がチカチカする。ふと肩にぽんと手が置かれた。誰だよこんな時に。少し苛立たしげに叩かれた肩の方に顔を向ける。
「よっ、お疲れだな」
「雄太くん大丈夫?大変だったね」
「なんだ、隼人と歩か……」
「いや〜なに、せっかくのハーレムライフを一瞬でおじゃんにしちまった親友を冷やかしてやろうかと思ってな」
「まぁほんとは雄太くんが心配なんだけどね。それに今日部活ないし」
背中をばしばし叩いてくる隼人の言葉を歩が通訳する。
「いやそんなこともないわけではなくないというか?」
途端に目を白黒させる隼人。……いや、それはわかりにくすぎるわ。匂わせヒロインかよ。しかもそれ否定してんだろ。思わず苦笑してしまう。つられてくすっと笑った歩が続けた。
「明日は授業ないし今日は息抜きしようよ、ね?」
「そうだな。どうせ今日帰ってもなにもしねえしな」
「わかってるじゃねーか雄太。俺らも部活続きで疲れてたんだよ」
「んでなにするんだよ」
遊び……は無理だよな。息抜きにはなるだろうけど疲れは取れないだろ。靴を履き替えながらそれとなく考えてみる。息抜きといえば風俗かな。うんきっとそうに違いない。可愛いお姉さんにエッチなことして貰おっと!まぁそんなことしたら後々梨紗にぶちのめされるだろうな……。いや今は梨紗と喧嘩してるんだった……。
「エロい店だな」
俺の心を見透かしたように隼人がニヤリと笑って言った。ので思いっきり頭をはたいてやった。心を読むな。だいたい俺らはまだ一八歳未満だろが。歩も赤面して下を向いている。可愛い。このままでは埒があかん……。
「まぁ映画見てから飯とかでいいんじゃねえか」
「妥当だな。何か食いたいもんあるか?」
パッと思い浮かんだ代案を口にすると、さもありなんと隼人は頷いた。歩夢もほっとしている。いや、風俗とか行かんし……。てか賛成すんなら冗談より先にマシな案を言え。
なんの気もなしに口から『ラーメン』と出そうになったその瞬間にこの前のことがふと頭をよぎってしばし逡巡する。
「サイゼかな」
「金欠か?」
「金欠だね」
こいつらひどくね?サイゼをなんだと思ってるんだ。絶対に値段をあげない千葉の誇る超優良企業さんだぞ。秋には消費税が八%から一〇%にあがるけど値段は上がらないと俺は読んでる。日々助かってます。他のところだと今はギリギリお金足りてるけど増税で値上げされると若干足りないことがままあること請け合いだ。なんせ俺の財布の中には四桁円入ってることの方が少ない。あれ?今俺の金欠が叩かれてたんだっけ。そうでしたか……。
「うっせ、他だったら奢りか貸しにしといてくれ」
実際のところ、もしかしなくても金欠なのだ。だいたいは鞄の奥にしまってある『アレ』のせいなのだけれど。財布は軽いくせに他のところはやけに重い。主に心とか。今思い出したことでバッグもずっしりと重く感じる。
「まいいや。とりあえず映画行こうや。飯はその後適当に決めようぜ。俺今観たいヤツあるんだよ。マンガ原作の古代中国が舞台のやつ」
「あ!それ僕も観たかったやつ!」
「おーじゃあそれでいいか。俺もそれ読んだことあるし」
そんな俺をよそに隼人がとっととみる映画を決めて、歩が同調する。笑顔が可愛い。世界が明るい。あぁそうだ、母さんに夕飯いらないって連絡しておかないとな。スマホを出してぽちぽち打って、母さんからの連絡を待つ。数分もしないうちに『了解!』という返信とスタンプが帰ってくる。返信早いな。暇なのかな。
学校から出ながら、近くの映画館で今からちょうどいい時間に始まる回を見繕う。残念なことに津田沼駅周辺にあった映画館は数年前に閉まったので、船橋か幕張まで行かないと映画が見られない。津田沼唯一の欠点だと思うんだよね。早く作ってくださいほんとに……。
どうやら都合に合うものを見つけたのか嬉しげに隼人が画面を見せてくる。
「お、シネプレックスに良い時間の回があるぜ。今から行けば間に合いそうだな、席も残ってそうだし」
「じゃあ行くか」
「おー!」
拳を突き上げる歩。可愛い。ふひっ。いやこの笑い方はキモいな。これからは出さないように注意しようと心に決めつつ、俺らは映画館へ向かった。
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