1-44 ただの教師

「……な、なななななな、なんだあれは……なんなんだあれは……ッ!?」


 その一部始終を遠見の魔法で見届けたベルダは、自分の想像とは全く真逆の有り様を前に、腰を抜かしてその場にへたり込んでいた。

 自前の軍隊が一瞬で塵芥と化したその光景は、この男にとってはただの地獄だった。


「白亜の塔の最高の失敗作なのだぞ!? 僅か百体で一万の軍を殲滅出来る生物兵器なのだぞ!? それを瞬殺など、何なのだあの男は!?」


 遠見の術式はまだ継続中。

 空中に映し出されるその怪物の像を、狂信者は怒りと恐怖に塗り潰された形相でひたすらに睨んでいた。


 絶対に許してはならない。我らが宿願を邪魔するこの男だけは絶対に許してはならない。今は無理だとしても、いつか必ずこの雪辱を


「見つけましたよ、ウジ虫」


「――なっ」


 直後、ベルダの背中に刃がめり込むような鋭い衝撃が走った。

 右肩から左脇腹を一直線に走ったそれは、確かに抜身の刀身に切り裂かれたもので、


「……? おかしいですね。叩っ斬ったつもりなのですが、まだ生きている」


 突如襲来した青髪の眼鏡の男は、殆ど無傷なベルダと己が剣を見比べて不思議そうに小首を傾げていた。


「ククク……! 異教徒風情が、この私に傷を付けられるとでも思ったか?」


 気配なく自分の背後を取った男の実力に感心しながらも、ベルダの顔からは余裕綽々な禍々しい笑みは消え去らない。


「この法衣は、司教以上の階級の者に与えられる『創星の法衣ユグドラシル・ヴェストメント』。大陸中央に鎮座なされる星樹ユグドラシルの繊維を編んで縫われたもの。何人たりとも、我ら神の遣い手を害することは叶わんのだよ」


 大陸中央部に根を張る、天を貫く世界最大の樹『ユグドラシル』。


 神器創星弓ユグドラシルの本体とも言えるその大樹は、繊維一本で魔導戦車の突進を止められる程強靭だという。


 加えて圧倒的な衝撃吸収力から、普通の防弾チョッキのように衝撃で肉体にダメージがいくこともない。


 世界最上級の素材として知られるその繊維を編んで縫われた法衣ともなれば、確かに剣の一撃程度受け止めて当然なのかもしれない。

 眼鏡男も、その法衣の強度に敵ながら天晴れと感心して、


「ええ、流石は噂の法衣。中まで裂いたと思ったのですが、中々上手くいかない」

「は……?」


 何を言っているのだと、ベルダがそう口にしようとした瞬間、その背中から一枚の布切れが落ちていった。

 その綺麗な断面を覗かせる布切れは、ベルダの法衣と全く同じ色合いをしたその切れ端は、ゆらゆらと風に乗って帝都へと落ちていった。


「な、な、なぁああ…………!?」

「一つ、授業をしてあげましょう」


 眼鏡男が一息でベルダに肉薄し、その白刃を振り抜く。


「『創星の法衣』に使われる繊維は、老朽化して剥がれ落ちたユグドラシルの木片から採集されたもの」


 刀身が法衣の右袖にめり込み、食い込み、編み込まれた繊維をも突き破り、両断する。


「当然、その強度は内側から生えた若い部分とは比べ物にならないほど脆い。精々鋼鉄の程度の強度です」


 ベルダの法衣が再び切り裂かれ、今度は中にあった右腕に赤い線が薄っすらと浮かび上がっていた。


「星の大樹が、その程度の強度なわけがないでしょう。常日頃本物の相手をしている私からしてみれば、出来損ないに過ぎる一品だ」


 眼鏡男はレクチャーを終えると、自分の生徒達に向けるのと同じように、にっこりと微笑んで、


「それではサヨウナラ。気を付けて還って下さいね」


 その首筋に、一気に刃を突き出した。


 しかし、ベルダの首を刎ねる筈だったその白刃は、まるで虚像を切るかのように透けたベルダの肉体を透過していった。


「……転移で逃げましたか。あの規模の術式では城壁の結界を越えるのは不可能。逃げる先と言えば――」


 男がそう言って目を向けたのは、不可視の大規模結界。


 「これは手が出せませんね」と早々に諦め、男は眼鏡の位置を直しながら眼下に広がる帝都の惨状を傍観する。


「これで出番お終いとはいきませんか。本当、こういう面倒ごとに駆り出されるのは勘弁なんですが。私はただの教師なのですから」


 深く溜息を吐き、自称教師の男は諦観と共にその身を空に投げ出した。

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