1-13 繊細な良心

「何か上が騒がしいな。いつもこんな感じなのか?」

「気にするな。馬鹿共が騒いでいるだけだ」


 一方、ライトは酒場の地下――丁度今ジンと愉快なチンピラ達が騒いでいる場所の真下に位置する秘密の部屋で、『スカルホーン』を束ねる男――スラムの王、ミルド・ヴェリアラーと面会していた。


 と言っても、一対一の対等な面会ではなく、ライトの右方左方後方にはスカルホーンの幹部と思しき者達が立っており、いつでもライトを攻撃出来るよう、一挙一動を親の仇でも見る目で睨んでいた。

 漏れる怒気殺気がバレバレなのだが、ライトは敢えてこれに気付かない振りをする。


「いやー、今日は突然押し掛けたってのに、こんなお膳立てされちゃって悪いねー。てっきり追い返されるもんかと」

「憲兵騎士を敵に回すなど、儂らにとって害でしかない。賄賂を少しでも渋れば、翌日に冤罪をでっち上げるような外道共を相手取るなど、想像するだけで恐ろしい」


 その外道の弱みを握って思うように操ってるのは何処のどいつだ白々しいと、ライトは呆れながら内心それを鼻で嗤う。


 ライトは今、己の本来の身分を隠し、憲兵騎士と名乗ってこの場を訪れている。

 ここと繋がっている憲兵騎士を数人縛って吐かせて分かったことだが、何でもミルドはパイプ作りに随分と熱を入れているらしく、それを名乗った方が容易に潜り込めると判断したためだ。


 パイプという意味では、竜撃隊を名乗る方が憲兵騎士よりも上層部に近しいという意味で効果的かもしれないが、確実に追い返されるだろうし、絶対その日の内に姿を眩ませるに違いない。


 このスラム街でも、竜撃隊は話題に挙げることすらタブーのヤバい奴らと認識されているのだ。失礼な。


「なら、その憲兵騎士からのアドバイスだ。近頃アンタらが派手に動き過ぎているせいか、上層部がここに集まっている金の存在を嗅ぎ付けつつある。割のいい商売をするのは勝手だが、そろそろ手を引くべきじゃないのか?」

「知らんな」

「またまた。やばそうな案件抱えているのはとうにお見通しだぞ? 証拠も集まり出している。いい加減やめたらどうだ。摘発でもされたら、楽しい老後を檻の中で過ごす羽目になるぞ」


 遠回しな、自首の要請。

 随分と回りくどいことをしていると、ライト自身、自分の行動を振り返って失笑を禁じえなかった。


 わざわざこんなことをしなくても、こいつらがやらかしてきたことの証拠は十分揃っているし、こんな柄でもない演技などせずに真正面から乗り込んでしまえばいい。


(けどまあ、依頼人の頼みなら断れねえわ)


 任務が言い渡されるより以前に、既にライトはある人物からの依頼でこのギルドを嗅ぎ回っていた。

 その依頼内容とは、『スカルホーン構成員全員の逮捕』。


 殺すでも復讐でもなく、その人物は切に彼らの逮捕を望んだ。

 それ以上の報復を願ってもいい立場だというのに、その想いを呑み込んで、ライト達にそう依頼してきたのだ。


 素直に自首するならそれでよし。逆に、抵抗する素振りを少しでも見せたのなら、僅かでも惚けるようであれば、ライトはもう容赦はしない。


「どうなんだミルドさんよ。言っておくが、上層部が本腰を上げれば、テメエらなんざあっという間にお陀仏だ。素直に自首を勧め――」

「くどい。知らんと言った筈だ」


 言葉を遮られる。

 短い二言の言だった。だがその僅かな言葉に込められていた感情は、あまりにも多大で。

 その場にいた、スカルホーン幹部を含めたミルド側の殺気が、部屋中に爆発するように蔓延した。


「貴様の言っていることは、何もかも的外れな妄想に過ぎん。まさかそんな戯言をほざくためだけに、この場に足を踏み入れたのか?」

「まさか。そんなわけねえだろ」


 なるほどなるほど。よく分かった。

 こいつらには罪を認める気も、それを止めるつもりも毛頭ない。

 こうなるだろうとは確信していたが、ここまで堂々とされると――実に、虫唾が走る。


 ――もういい。今すぐ終わらせよう。


「今のは悪かったよ。いきなりズケズケ言い過ぎた。そりゃもう六十過ぎてたんだったよな。多少ボケてても仕方ねえ」

「……何だと、小僧」

「だってそうじゃなきゃおかしいだろ? 歳で頭がすっからかんにでもならない限り、知らねえなんて言う筈がないだろ。その中心にいるテメエが」


 空気が変わった。

 ライトが確信を持って投げたその言葉は、部屋の温度が数度下がったかのような錯覚を齎し、同時にミルドと他に部屋にいた『スカルホーン』の幹部の纏う空気を一変させた。


「……身の程を弁えろ小僧」

「分相応を知れ老害。シラを切るつもりなら腹を括れ。俺達の全戦力を掛けてテメエらを叩きのめす。こいつらのようにな」


 ライトは予め持って来ていた巨大な麻袋ーー中身が張り裂ける程詰まったソレを、正面に座るミルドへと放り投げる。

 宙を舞う麻袋は、ライトの手から離れたことによって口が大きく開かれ、中に詰まっていたソレらを辺り一帯に撒き散らした。


「こ、これは……!?」

「大変だったんだぜ? お前らの取引先全部潰すの」


 吐き出されたのは、数えるのが馬鹿らしくなる大量の掌大のビニール袋。その中にはどれも白い粉末が密封されており、それを視認した瞬間のミルドの顔が蒼白となり、引き攣った。


 種類こそ様々だが、それらはどれも国際的に使用を禁止されている危険薬物。しかもどれも毒性と依存性の極めて高いものばかりだ。


「あるところに、一人の正義感の強い憲兵騎士がいた」


 瞠目するミルド達を見向きもせず、ライトは淡々と語っていく。


「男はスラムの孤児院の出だった。子供の頃から誰かを助ける仕事に就きたかったようで、決して恵まれなかった環境の中努力を重ねて、二年前にようやく憲兵騎士に昇格した」


 憲兵騎士というのは、帝都で勤務する無数の憲兵の中から選ばれる、たった千人という狭き門を潜り抜けた者にのみ与えられる称号。


 大半が貴族や大物商人の次男三男が占めるため、何の後ろ盾もない平民には夢のまた夢の場所。

 ましてやそれ以下の扱いをされるスラムの孤児など、夢見ることすら叶わない。


「貴様、一体何を――っ!?」


 憤慨したミルドが血管を浮かび上がらせながら叫ぼうとするが、ライトの目を見た瞬間、蛇に睨まれた蛙のように萎縮し、動けなくなる。


「憲兵騎士になった男がまず目指したのは、自分が育ったスラムを綺麗にすること。蔓延る汚い悪を一掃して、孤児院の皆が安心して笑顔を浮かべるようにすることだった。――だが失敗した」


 ライトは何の感慨も無さそうな顔で、だが必要以上に力の込もった足で足下のビニール袋を踏み抜いた。

 ビニールがあっさりと破け、一千万コルは下らない価値の白い粉が床に撒き散らされる。


「テメエらと繋がっていた汚職塗れの上司に嵌められ、踊らされ、最後にはテメエらにこのクソッタレな粉を致死量分打たれて何も為せぬままお陀仏だ。更にその一件は、男が憲兵騎士の権力を乱用し、押収されていた薬物を使用しての中毒死と片付けられた」


 だがライトは足の動きを止めることはなく、踏み応えのない粉末を何度も何度も踏み付ける。


「数日前に、俺らのところに一人の女の子が訪ねてきた。そして言ったんだ。『お兄ちゃんを殺した悪い奴らを捕まえて』って、涙流しながら千コル紙幣渡しながらな。孤児院の皆で、そいつにプレゼントを送るために貯めていた金なんだとよ」


 たった千コル。一日分の食事もままならない、吹けば飛ぶような金額。

 少女が依頼したのは、スラムを支配する密売組織の摘発。


 どうやら彼女は、そこのところに関しては信じられないまでに無知だったらしい。

 これでは、あまりにも割に合わない。割に合わないにも程がある。


「知らねえのか嬢ちゃん。後ろ盾の失ったゴミを掃除するのに、一コルも必要ねえんだよ」


 ――これではあまりにも、高すぎる。


 その穏やかな声を最後に、ライトの目から、僅かに残っていた暖かさが、消えた。


「俺は基本的に人でなしだ。他人の気持ちなんざ理解出来ないし、人が殺されても殺されたのが俺の嫌いな奴だったら幾らでも容認する。けど、それでも人でなしなりに、越えちゃいけないラインってのは弁えている。そしてテメエらのクソみたいな活動は、著しく俺の逆鱗に触れた」


 そしてライトの目が、底知れぬ憤怒に支配される。


「さっき言ったよな? シラを切るなら腹を括れ、竜撃隊俺達が全戦力でテメエらを潰しに掛かると」


 さっきまでのは、謂わば最終宣告。

 罪を認めるならそれでよし。心の底から謝罪の意を見せるならよし。

 問答無用で殺してもいい中、ライトが見せた最後の慈悲を、しかしコイツらは知らぬ存ぜぬで押し通した。


 スカルホーンが築いてきたパイプは無残に破壊した。その厄介な後ろ盾も今日中に全員豚箱行き。敵対勢力のギャングとも話をつけた。


 後に残るのは、井の中で胡座をかいているだけの醜い蛙だけ。


「テメエらスラムのウジ虫風情が、人様の人生台無しにしてんじゃねえぞッ!」


 情けは在らず。温情は在らず。

 解き放たれた雷の獣の目に宿るのは、底知れぬ殺戮衝動のみ。


 スラムの染みよ、人非る害獣よ。


 後生の頼みだ。


 降伏してくれるな。今更詫びてくれるな。


「抗ってくれよ。無抵抗な相手を殺すなんて蛮行、俺の良心が耐えられねえからよぉ」


 そして獣は、吼えた。

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