第41話 カップルの日常

 7:30am

 ピンポーンと鳴ることなく、鍵がガチャガチャと開けられドアが開く。


 最初いきなり鍵の開く音がした時は、一息に目が覚め、あまりの恐怖に弥生は叫ぶこともできなかった。


「はよう」

「……おはよう」


 弥生の部屋の鍵を持つのは、実家の母親とお隣の賢人だけなのだから、こんな早くにしかも連絡も寄越さずに部屋にやってくるのは賢人しかいない。いないのだが、予測せず、しかも寝起きにいきなりドアをガチャガチャやられたら、年頃の女子である弥生には恐怖以外の何者でもない。

 まぁ、翌日からはある程度慣れたが、一応一声(ラインなり電話なり)かけてから来て欲しいと伝えると、賢人は「おはようメールか、それもいいな」などと、何故かニマニニマしながら了承してくれた。


 なので、初日以降は肝が潰れることもなく、賢人のメールで目覚めて二人分の朝食を作るというルーティーンが出来上がった。賢人は起きてすぐに弥生にラインをすると、身支度を整えてから弥生の部屋に来る。(やはりピンポンは鳴らさない)朝食ができるまでスマホニュースを見て、二人で揃って朝食をとり、歯ブラシは弥生の部屋で行う。同じ時間に家を出るが、大学では個人行動となる。

 受講している講座が全て同じではないということもあるが、主に弥生の希望からだ。賢人ハーレムガールズとは話がついたのかもしれないが、それ以外の賢人のファンからの攻撃が怖かった。


 それなりに平和な大学生活を送り、夕方買い物をして帰宅。

 夕飯を作っていると、賢人が弥生の家に直帰する。友達と出かけたりはしているようであるが、夕飯は必ず弥生の部屋に食べにくる。テレビを見たりレポートをしたりと、特に二人じゃなきゃ駄目ということをすることなく過ごし、それなりの時間になると賢人は「おやすみ」とハグのみして自室に戻る。風呂は各自の部屋ですまし、就寝となる。


 休日は特に出かけることなく、弥生と二人まったりと過ごす。弥生は一週間分の洗濯×二、掃除×二があるから、それなりに忙しく動いているけれども、賢人はそんな弥生の見える位置でゴロリと寝転がっていた。


 まるで熟年夫婦のように穏やかな毎日で、毎日繰り返されるハグだけの接触に弥生は次第と慣れ、朝夜の挨拶のハグだけでなく、いきなり料理中に後ろからハグされても、テレビを見てる時に抱き寄せられても平然と過ごせるようになった。


 俺様な賢人が、そんな時だけは甘えたような蕩けた笑顔を浮かべた。多分、本人も気づいてないだろうその表情は、十八年間付き合いのある弥生からしてもかなりレアで、あれだけ女にだらしなかった賢人に浮気の疑いを抱かない程には賢人からの愛情を信じられるものだった。


「なぁ、そろそろ大学でも一緒に飯食ったりしたいんだけど。授業とかさ、隣に座ったりしてよ」


 洗濯物を畳んでいた弥生の後ろに回り込んできた賢人が、弥生の髪の毛をすきながら言ってきた。


「無理」

「なんでだよ。最近少し喋ったりしてんじゃんよ。ちょこちょこ小出しにしてこーぜ」


 小出しってなんだ?


 弥生は地肌を擽られるような感触に首をすくめながら、畳み終わった洗濯物を賢人に押し付けた。


「賢人君と一緒に座ったりなんかしたら、回りからの視線が痛すぎるから嫌です。それにやっと賢人君の幼馴染み枠が浸透してきたのに、付き合ってるってバレたら、また身の程知らずって虐められちゃう」


 賢人と花梨が中学からの幼馴染みだというのは大学では有名な話だった。その花梨と弥生は幼馴染みで、二人で一緒にいる時にちょいちょい賢人が話かけるようになって、大学の誰かが「もしかして賢人と渡辺さんも幼馴染みなの? 」と聞いてきたので、「そうです」とうなずいたのだ。

 それから賢人と仲良くなりたい女子に親しげに話しかけられるようになったのだが、幼馴染みどころか恋人だとバレたら……。


 弥生はブルリと震える。


「じゃあ、山下がいる時だけ。三人ならいいだろ」

「花梨ちゃんがいるとこなら……」


 柔らかなハグに包まれ、弥生はしょうがかいなと小さくため息を吐く。賢人はそんな弥生の頭にグリグリと頬擦りをしているようで、しばらく放置していたら頭頂部にリップ音が響いた。


「賢人君?! 」

「口とオデコ、どっちがいい?選ばせてやる」

「何がですか?! 」


 賢人は弥生の腰に手を回したまま少し離れると、弥生の顔を覗き込んでニヤリと笑った。


「ハグには慣れてきたみたいだからな、そろそろ次の段階を調教しないと」

「調教って……」

「あのさ、俺って凄くない? 毎日一緒にいて、ハグで我慢してやってんの。一応おまえに合わせてる訳。でもさ、俺も聖人君子じゃないっつうか、本来は性欲魔神かっつうくらい本能に忠実なタイプじゃん」


 それは知ってます。知ってるけれど、自分の身の安全の為にもうなずくことはできないけれど。


「だからさ、ここは一つ弥生に選ばせてやるよ」

「できれば選びたくないのですが」

「オデコにキス。口にキス。素っ裸にして身体中にキス。まぁここまでしたら止まれる気はしねぇけど。で、どれがいい? 」

「オデコにキスでお願いします!! 」


 温かい感触がオデコに触れ、何度も何度も繰り返された。

 その時の賢人のあまりに嬉しそうな顔に、弥生も真っ赤な顔でうつむきながら、それでも頑張って賢人の腰に手をそえて、嫌ではないことを消極的だけれどアピールした。

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