第36話 深夜のお説教……賢人サイド
スースーと規則的な呼吸がして、弥生が完璧に熟睡したのがわかった。
自分より年上でありながら、幼く見えるその寝顔に、庇護欲がムクムクと沸き上がってくる。タオルケットをしっかりかけてやり、二つに結んだゴムをとってあげる。
熟睡してしまうと何をされても起きない弥生だ。髪をそっと解いてもうんともすんとも言わない。麗が女の子だからいいが、こんなに無防備で大丈夫なのかと心配になるレベルだ。第一、隣に住んでいるのは弥生に執着著しい有栖川賢人だし。
しかも、弥生も賢人への感情に気づいてしまったようだし、それを知ったら賢人のタガが外れてしまうのは目に見えている。弥生が賢人のレベルについていけるとは思えない。確実に怖がりトラウマになるレベルだと思う。なにせ、中学二年の麗よりも純情なんだから。
外にカツカツと足音が聞こえ、隣の部屋で立ち止まったのがわかる。足音は一つだが、この時間まで遊び歩いているのかと思うと、麗の綺麗な眉間に皺が深く刻まれる。
「全く、あの男ときたら……」
麗はそっとベッドから立ち上がり、音をたてないように玄関へ向かう。鍵をそっと開け、そっとドアを開けると、賢人がドアに鍵を差し込んだところだった。
「遅い! 」
「……」
こんばんはもなく、舌打ち混じりに美少女に睨まれ、賢人は無言で麗を見た。弥生のところに泊まりに来たのはわかるが、何故麗が顔を出したのか理解できない。
「ちょっと話がある」
「今か? 」
「今じゃなかったら、弥生ちゃんが気にするでしょ」
賢人は大きくため息を吐き、両手を上に上げた。
「鍵は閉めろよ」
「当たり前でしょ」
玄関のところに置いてある鍵を手に麗はドアからスルリと身体を滑り出す。弥生のつっかけを引っかけ、音もなく鍵を閉めて賢人の部屋に入る。
「間取りは同じなんだ」
「ああ。ってか、もう少し恥じらいとかもてよ。そんな格好で外出んな」
賢人は自分のガウンを麗に投げながら言った。別に麗に欲情することはないが、こんな格好で夜中に部屋で一緒にいたと、唯一一人にバレて変な勘繰りはされたくない。
「だって、あんたは私なんかには……違うか弥生ちゃんと親友の私には手を出さないでしょ」
「ガキには興味ない」
「そんな常識なんかない癖に。ってか、あんた臭い! 臭すぎる!」
麗が鼻を押さえて眉間に皺を寄せる。酒の匂いに煙草の匂い、女の香水の匂いなど、移り香がいやらしすぎた。
「しゃーねーだろ。飲み会だったんだから」
「ふーん、女と二人で? 」
「な訳ねぇだろ。シャワー浴びてくっからちょっと待ってろ」
「裸ででてこないでね」
「馬鹿か」
賢人自体はそんなに飲んでいないのか、足取りも普通に着替えを持って浴室に入っていった。
十分もせずに戻ってきた賢人は、タオルで頭を拭きながら、ベッドに座る麗を見てため息を落とす。弥生の時のように同じベッドに座ることなく、ローテーブルを挟んでテレビ側に座り、麗が話し出すのを待った。
「弥生ちゃんに告白したらしいじゃん」
「だから? 」
「女は切れたの? 」
「今日、合コンしてだいたいが男見繕ってたな」
「ウワッ、最低。自分の関係した女に男あてがって関係の精算するとか、まともな神経じゃできないよね」
麗の言う通りなので、賢人は黙りを通す。
「だいたい……って、あんたの彼女は? 」
「彼女はいない」
「彼女だって勘違いした可哀想な被害者の女の子は? 」
麗は、賢人には容赦がない。
若いからとか、可愛いからとかではなく、大好きな弥生の敵認定しているからで、この世の中で弥生を一番傷つけることができるのが賢人だと、わかっているからでもあった。
「あいつは今日はこなかった」
「ふーん、割りきれないタイプか。また面倒なんに手を出したね」
「手を出してなんかいない」
「やってないのか。じゃあよっぽどだ」
見た目は天使の少女が、吐き捨てるように呟く言葉は破壊力があった。
「……似てたんだよ」
「弥生ちゃんと? 」
「真面目そうな地味な雰囲気とか、全体的なサイズ感とか、手のひらの感じとか……」
「最低だね。弥生ちゃんは一人しかいないのに。どっちにも失礼だよ」
「正論だな」
中学生に説教され、賢人はフローリングの上で正座をして項垂れる。
「で、どうすんの? 弥生ちゃんに迷惑かけるようなら、私も兄貴も全力で邪魔するよ」
「なんとかする。ちゃんとわかってもらう。弥生とはそれからだって思ってる」
「……ならいいけどさ」
初恋を拗らせ無駄に顔面閾値が振り切れているこの男、有言実行タイプなのはこの数年の付き合いでわかっている。しかも、信じられないくらい弥生に執着している癖に、いざとなれば自分の感情よりも弥生の感情を優先できる男だということも見てきたから知っている。
ただ一つ、やはり心配なのは、この拗らせ男が両想いになった時のことだ。前に付き合った時は、弥生の感情は置いてきぼりで、ほとんど脅かすように付き合ったと聞いている。その時は弥生がとにかく逃げの一手であったものが、弥生の気持ちもこの男に寄り添うことになると気づいてしまったら、どんな暴走を起こすかと思うと、かなり恐ろしくも思えた。
「弥生ちゃんは恋愛レベル小学生なんだから、いきなり初心者に上級者を要求したら駄目だよ。いい?! いくらあんたにテクがあっても、弥生ちゃんに合わせてあげなよ」
賢人はクスリと笑い、その笑顔に麗でさえドキリとした。それくらい優しい笑顔で、賢人のイメージとは真逆な表情だった。
「わかってるさ。あいつは手を繋ぐのに三ヶ月、キスに三年、セックスは結婚してからとかのたまう奴だからな」
「それって……御愁傷様」
賢人はフンッと鼻を鳴らす。前にキスまでは半年、それ以上は話し合いでと言質はとってある。
が、とりあえずは付き合うまでにもっていかなくとは……という話だ。
「ま、弥生ちゃん一番で。そんじゃ私は弥生ちゃんに抱きついてヌクヌクと眠りたいと思います」
「なるべく離れやがれ」
「無理。ベッド狭いからさ」
「布団貸してやる」
「メンドイからいい。そんじゃお休み」
麗は欠伸をしつつ賢人の部屋から出ていってしまい、音のみで隣の部屋に入り鍵を閉めたのがわかった。
「弥生の隣……。俺だって保育園の時は、隣でお昼寝くらいしたことがあるさ! 」
完全たる負け惜しみであった。
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