第23話 とりあえず……別れてください

 あの後、まさに寸でのところでバイトの先輩の矢島に遭遇して救出してもらった。

 ラブホテルの入り口で物理的に壁にへばりついて踏ん張った甲斐があったというものだ。あんな状態でへこたれずに連れ込もうとする相手も相手だけれど、それを目撃して最初はスルーしようとした矢島も人間としてどうかと思う。

 弥生が大声で「矢島さん! 」を連呼し、一度は通りすぎた矢島がため息まじりに引き返してくれたのだ。


 矢島は性格はどうであれ、見た目はかなりなイケメンだ。イケメンもどきとは結局はもどきで、対面すると軍配は明らかに矢島に上がっており、イケメンもどきは顔面偏差値に弱かったらしい。

 お互いになよっとした体型だから喧嘩になることもなく、弥生には強気だったイケメンもどきも、そさくさと弥生から手を離して立ち去ってくれた。


 予期せず矢島に借りを作ってしまったことになったが、弥生は矢島にシフト交換したい時にシフトを代わる権利とやらを約束させられ、そして今に至る。


 弥生は玄関の前にいた。


 有栖川家の玄関の前だ。

 ピンポンとチャイムを押すと、賢人がドアを開けてくれた。


「何? 」

「用事が……あります。あの……」


 あの……の後が続かない弥生を黙って見ていた賢人だったが、あまりに弥生が話し出さないせいか、ドアを押さえながら弥生の腕を引いた。


「入って」


 弥生はうなずいて中に入った。勝手知ったる他人の家。リビングには賢人の母親の姿はなかった。


「おばさんは? 」

「おまえんち」

「そう。賢人は夕飯食べましたか? 」

「ああ」


 リビング兼ダイニングになっているテーブルに、カップラーメンの食べかけが置いてあった。


「チャーハンでも作りましょうか? 」

「いや、これ二つ目だからいいや。で? 用事って? 」

「お茶……お茶いれてきます」


 弥生が賢人の家にきた理由。別にチャーハンを作りにきた訳ではない。もちろん、食後のお茶をいれにきた訳でもない。


 弥生はキッチンに逃げ、ヤカンにお湯を沸かしながら、コンロの火を眺めて考えた。


 別れましょう!!


 その言葉を賢人に言いにきたのだ。本当はそれだけ言って、すぐさま自分の家に逃げ込む予定だった。いわゆる言い逃げである。

 けれど、玄関で言うこともできず、賢人に促されても結局言えず、ボサッと火を眺めている始末だ。


 別れましょう別れましょう別れましょう。


 心の中でひたすらイメトレをする。

 そんな弥生の後ろからスルリとおなかに手が回った。


「……ッ!!」


 声にならない悲鳴を上げ、弥生が振り返るとムスッとした顔をした賢人がいた。

 賢人の家だし、賢人の両親が帰宅していないのだから、弥生を抱き締めるだろう人物は賢人しか考えられない。逆に違う人物だった方がより恐怖かもしれない。それでも最大級の恐怖に顔面をひきつらせた弥生は、まるでロボットのように不自然な動きで賢人の腕を離そうとした。


「おせえよ」

「た……大変失礼いたしました!」

「火、止めんぞ」


 弥生のおなかから賢人の手は離れ、キッチンに囲われるように賢人は流しに手をつき、弥生は身動きがとれなくなってしまう。その状態にしばしフリーズしてしまったが、話をしなくてはと賢人に向き合うと、あまりに近い距離に賢人の顔があり、またもやフリーズ状態になってしまう。


「あ……あの……」


 弥生は自分の胸の上でギュッと両手を握り込み、そのまま固く目を閉じた。


「……別れたい!……です」


 弥生の前髪に何やらフワッとした感触がしたと思ったが、それはすぐに離れた。

 無言が怖くて恐る恐る目を開けると、無表情の賢人がそこにいた。


 さっきの柔らかいくすぐったいような感触は何だったんだろうと一瞬考えたが、そんなことより別れ話だと思った弥生は、さらに別れたい! と連呼した。


 学校でのイジメのこと、さっき賢人のハーレム女子の連れにラブホテルに連れ込まれそうになったこと、さっきまで口にできなかったのが嘘みたいに弥生は喋り続けた。賢人は無言でそんな弥生の話を聞き、全く表情の乗らない顔で弥生を見下ろしていた。


 ああ……、彫像みたいにキレイだな。


 別れたい理由を羅列しながら、弥生は見慣れた筈の賢人の美しい顔に目を奪われていた。

 俺様な賢人は、たまにしか弥生の前で笑わなかったし、いつも不機嫌そうな顔をしていた。それでもどこのだれよりも整った顔をしていたが、今の賢人の能面ぶりはその整った顔をさらに際立たせていた。見慣れた筈の弥生の心拍数を爆上げするくらいに。


 とりあえず言いたいことを言い終え、賢人の返事を待った。

 今まで、弥生の都合なんか聞いてくれたことはなかったから、賢人が弥生の都合で別れることには同意しないだろうとは思った。けれど、そこまで自分にこだわる筈ないとも思っていた。

 賢人から付き合うと言われて(脅されて)から、恋愛関係の好意を感じたことはなかったからだ。毎朝手をつないで途中まで登校していてもだ。


「お願いします。別れてください! 」


 再度言って頭を下げた。


「……わかった」


 賢人はそれだけ言うと、くるりと背を向け、リビングから出ていった。

 賢人から解放されて、本当だったら祝杯をあげたいくらい喜ばしい筈が、胃がギュッとつかまれるような変な感覚に苛まれ、弥生はその痛みから目を背けた。




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