第16話「不穏な放課後デート」(後編)

 それは一瞬だった。私が空の色が変わったと思いチラリと空を見上げたその一瞬、茶髪くんがいきなり鋭い右ストレートを繰り出してきた。即座に体が反応して手刀で弾きつつ上体だけを反らして避けるのが限界だ。今後ろには狭霧が私のブレザーを掴んでいるのだから。


「っ!! いいストレートですね。危なかった」


「避けたっ!? 避けんじゃねえよ!! メガネぇ!!」


「狭霧、少し離れていて下さい。彼は少し興奮しているので落ち着かせます」


「シン!? 何言ってんの!? 早く逃げようっ!!」


 まったくもってその通り、狭霧の言うことは正論だ。しかし、それは叶わないとも思われる。こちらから少し間合いを取ろうとした相手の動き、そして私からの反撃までを想定して左右に体を揺らウィービングしながら後退していた。

 そこまで強くは無いが格闘技の経験者であることが分かる。このまま逃げた場合に大人しく逃がしてくれる可能性も有るが、後顧の憂いはしっかりと断つべきだ。


「それは難しいかと、狭霧はとにかく離れて下さい。それにしても拳闘、いえボクシング……ですか。相性はあまりよく無いかも知れませんね」


「はっ!? テメ―もボクサーかよ!? サラッと回避スウェーしやがって!!」


「いえいえ。私は、ただの器用貧乏です。少し心得が有るだけの素人ですよ?」


 その後、茶髪くんは何度か同じような攻撃を繰り出してくるので、これ幸いと相手をよく観察する。少し肩で息をして相手は改めてオーソドックスに構え戦闘態勢になった。幸いサウスポーでは無いようなので一対一なら何とかなると判断出来る。


「おい、止めとけ!! よそで問題起こしたら今度こそ部活停止だぞ!」


「そうだよ!! もう止めとけって」


「はぁ、はぁ、うるせえ!! 一発殴らせろ!!」


「素人を路上で殴ったら色々とマズイと思いますが? この辺りで見逃して頂けませんか?」


 そう言いながら私はここで初めて構えを取る。今までは回避に専念していたのでいつもの構えが取れなかった。半身に構え相手の死角を伺いながら自分の死角を無くすように半歩軸足を進める。臨戦態勢で最悪ぶつかることも想定して、いつでも動けるようにした瞬間。来る、相手の敵意が増大した。


「ふっ!! シッ!!」


「んっ!? もう一つ!?」


 今までとは違う速さに相手の全力に近いスピード、そして明らかにこちらのリーチの外からの強撃が二打、左右それぞれの連打。少し違うが属に言うワンツーパンチと呼ばれる技に似ている。右の一撃を小手返しで、さばこうとするも左は速くて追いつかず首だけ反らして何とか回避した。もしも相手がグローブを付けていたら肩や首筋にはかすっていたかも知れない。


「はっ? 今のも避ける!? 素人とかぜってぇ嘘だ!! しかもパーリングでこっちの拳をっ!?」


「はぁ……今のは手刀で弾いただけなのでパーリングでは無いのですが……ま、似たような防御方法ですからあながち間違いではありませんか」


 実際は合気や古武術とボクシングなので全然違うのだが、私からすれば防御技としか認識してないので同じ事で、そう言って軽く首を回す。どうやら問題無く動く、急激に動かしたから痛めたかも知れないと思ったが杞憂なようだ。だが、この行動を見た相手はどうやらこっちが臨戦態勢を再度取ったと勘違いしたようだ。


「おいおい。もう止めとけって……マジでヤベーからよ!! 人集まって来てるし」


「そうだよ!! もう帰ろうぜ!! じゃ、じゃあ俺らはこれでな!! 悪かったなデート邪魔して!!」


「お、おい離せよ!! クッソ!! 覚えてやがれ!!」


 中々に三下セリフを吐きながら他二名に両脇を掴まれる茶髪くん。彼の左側を掴んでいた方の学ラン生徒が私と狭霧を見てペコっと会釈して謝ってくる。私は気にしていない趣旨を目で伝え、狭霧もコクンと頷いた。それを見るとまた茶髪くんが騒ぎだしたので左右の二人が必死になだめている。


「いいから!! もう止めとけ!! 後で何か奢ってやるから!!」


「えっと……お前たしか甘いもん好きだったろ? 何か奢ってやるからっ!! 急ぐぞ!! いつ警察来るか分からねえ!!」


 そう言うと彼らは駅方面へと走って行った。正直なところ直接的な戦闘にならなくて良かったと思う。この間のニワカ不良とは違って三人共がそれなりに鍛えている相手だ。もしこれ以上長引くか私が手を出していた場合、本格的な多対一もしくは乱戦に発展する可能性もあっただろう。そしてその場合、私の勝ち目は薄い。狭霧の手前、負けるわけにはいかないが無事では済まなかっただろう。


「ふぅ……ある意味、命拾いしたと見るべきですかね」


 喧嘩の多対一の場合、対応できるのは余程の実力差が有り尚且つ善戦しても運が良くて三対一が限界だ。本当なら二対一でも厳しいだろう。乱戦、不意打ち、各個撃破など古来から人が知略・謀略・戦略を用いるのはそういう事なのだろう。と、久しぶりの実戦の空気に浸っているとブレザーが引っ張られる。


「シン大丈夫? 怪我とか平気?」


「ええ。問題有りません。あちらも本気では有りませんでした」


「そうなの? 相手は凄い早いパンチ二発もしてたし、シンもそれを弾いたりして本気に見えたんだけど?」


 正直驚いた。前から狭霧は目が良く、そして観察力が高いのだが今の攻防も正確に見えていたようだ。視力が良いのなら動体視力も悪くはないだろうがそれでも凄い。やはり彼女もスポーツ特待生となるだけはあるという事なのだろう。だが、今はそれよりも言う事が有るので狭霧をしっかりと見つめる。


「それよりも狭霧、周りはよく見て下さい。倒れて怪我をするのは狭霧の方だったかも知れなかったのですから」


「うっ……それは。ゴメン」


「なので、またどこか行かないようにですね……手を出して下さい。繋ぎましょう」


 さり気無く言えただろうか?そして声は緊張して無いだろうか。そっと手を出すと手は握り返されなかった。やはりカッコつけ過ぎたのだろうかと考えてチラっと狭霧の方を見た瞬間に顔を真っ赤にした彼女は弾かれたように腕に抱き着いて来た。


「こ、こっちの方が安全だと思うんだけど……ど、どうかな?」


「うっ……そう……ですね。安全……ですね。では参りましょうか」


「うん……」


 気付けば空はすっかり陽が落ちていたが、街灯や商店の明かりのおかげでここまで暗くなっている事に気付かなかった。暗くなる前には狭霧を家の前まで送ろうと思っていたのに失策だ。取り合えず件のスポーツ用品店に向かって歩いているが、奥に行くに従って徐々に寂れて行く。まだ工事している場所もある。それに比例して辺りは少し薄暗くなっていた。


「あ、信矢!! あそこの店だよ。端っこなんだけど結構大きいでしょ? 赤音ちゃん指定のお店なんだよね~!!」


「赤音ちゃんて……中野先生ですか? 気になってましたが先生に対して『ちゃん付け』はどうかと思いますが」


「でも赤音……先生? が、それで良いって言うから」


 そんな事を話していたら狭霧の目的地の店の反対側に位置する某牛丼チェーン店から人が出て来るので何の気なしにそちらを見ると二人組の男性が出て来る。一人はこの近くの県立高校の制服を着崩した茶髪男子、もう一人はジーンズに白の少しヨレたワイシャツを着て頭は淡い青と金の二色のメッシュのどこかホスト風な男性だ。


「っ!? あぁ……りっ……」


「けっ……行くぞ。レオ」


「オーケー。良いものが見れたね? 新市街もたまには悪くない」


 ズキンと頭が痛んだが、私はその二人から目を逸らす事が出来なかった。一方でその二人組はチラリとこちらを見ると一人はムスッとした顔で、もう一人はニヤニヤしながら反対の方に歩いて行った。そちらに行こうとするが、腕に抱き着いている狭霧に促され店に入る。


「シン!? どうしたの? 早く入ろっ!? 早く!!」


 自動ドアが開いた時にもう一度振り返ると二人はだいぶ遠くに見えたが確かに目が合った。そして二色メッシュの男は軽く手を振っていた。その後に狭霧の目的のものを見た後にテープを買うと二人で店を出た。


「うわ~真っ暗だね。気付かなかった」


「そうですね。少し遅くなりましたが、家までキチンと送りますからご心配なく」


「うん。ありがと……あ、ごめん連絡来てた。…………母さん、今日も残業か」


「奈央さんお忙しいのですか?」


 スマホを確認した狭霧の呟きについ反応してしまった。母さん経由で今は狭霧の母である奈央さんは働いていると聞いている。なのでつい気になった。一瞬、本当に一瞬だけ狭霧がイラっとした顔をした後にこちらに向いた。


「う、うん。そうみたいだよ。はぁ……でも家に帰っても一人だし……ご飯の用意めんどうだな~」


「またそんな事を……早く行きますよ」


「あっ!! そうだっ!! これか――「さて、これ以上時間が遅くなる前に帰りますからね?」


 この顔は何か思いついた顔だ。しかも悪い方に……主に彼女の妹の霧華ちゃんや私などを巻き込んで三人で盛大に叱られた時などは大体こういう顔をしていたので嫌な予感しかしない。


「まだ最後まで言ってない!! よく考えたら私たちって二人きりで外食したこと無いよね? 幼馴染なのに……。ちょうどいいから、このまま行こうよ!!」


「いえいえ遠慮しておきます」


 そんな事だろうと思ったので即お断りです。これ以上何か言う前にすぐに家まで送ろうとするが彼女は諦めなかった。


「え~!! じゃあ私この後一人でファミレス行くしか無いかな~? さっきみたいに変な男の人絡んで来たら嫌だな~」


「狭霧……さすがにこれ以上連れ回すのはマズイですから大人しく帰りますよ」


「あと一軒なら付き合ってくれるって言ったのに……ウソツキ」


 そう言えば、さっきの騒動のせいですっかり忘れてたが、あと一軒だけ付き合うと言う約束はした。いやしかし状況が変わったわけだしここは強引にと思った瞬間に再び腕に柔らかい感触が……だが、負ける訳には行かないと狭霧を見る。


「ぐっ……狭霧……」


「ダメかな?」


 毎回それで落ちるとは思わない事だ狭霧、世の中そう簡単に……あ、目が潤んで本気マジ泣きの表情になっている。どうする?なんて選択肢は無い……ええい!!私が最後までキチンと彼女を送れば問題無い。奈央さんに怒られても私が庇えばいいだけ……頭の中で今後のことを計算して内心ため息をつく。色々頭で言い訳をしているが私もまだ居たいんだよ……君と。


「ふぅ……今回だけですよ?」


「うん。ありがと……じゃあすぐそこのファミレスの『サイですか?』に行こう!!サイデサイデ~♪」


 実は少しこの外食に私自身ウキウキしていた。それは彼女と二人での食事というのも有るのだが、久しぶりのファミレスに少し心が躍っていた。

 そう言えば前にみんなで来ましたね。だけど今はそれを振り払うように彼女を見る。満面の笑みを浮かべた狭霧に私は引っ張られて行く、まるで何かから逃げるように私たちは歩き出した。

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