王妃の病

カブトムシ太郎

第1話 王妃の病

ひどく綺麗な女の子を泣かしてしまったことがある。


当時僕、レイノート・アシュトンはまだ若く、15歳だった。


15歳というのは今振り返れば、ひどく馬鹿馬鹿しい年齢だったと思う。未熟で、周りが見えておらず、愚かで、恐ろしく傲慢だった。


大人になり、自分を少しは冷静に振り返ることができるようになった。そう思っていた。でも結局、僕は全然変わっていなかったのだ。


物事の一つの側面しか見ない癖も。全体がまるで見えていないことに気づかないところも。


そうした自戒を込めて、自嘲も込めて、僕はあの時起こった出来事を記録しておこうと思う。


この国を揺るがした大きな事件「王妃の病」。この顛末を記録した公式文書とは別にごく個人的な手記として、そこに関わった人たちについて全てを書き終えたなら、このノートはグラシン紙に包んで、本邸の書架の立ち入り禁止区域に保管するつもりだ。


はじまりは15歳の秋だった。


15歳だった僕には婚約者がいた。同じ歳の15歳。彼女は長く北にある領地で過ごし、12歳になって学院スクール入学のために王都にやってきた。


黒髪が肩の下まであった。初めて会った時に何を話したかは覚えていない。口数が少なく、控えめな子だな、と思っただけだった。


僕には、好きな子がいた。学院スクールで知り合った、子爵家の子女。僕は完全に熱に浮かされていた。そして親同士が決めた婚約者を疎ましく思った。


真実の愛だの、初恋だのに浮かれていた僕は確かにその彼女に夢中になった。でも今ではその子の顔も、名前すらも思い出せない。


覚えているのは婚約者だった女の子と、まるで正反対だ、ということだけだ。


婚約者だった女の子、彼女のことならはっきりと思い出せる。


スラリとした長身で背が高い。あまり話さないのは口数が少ないからというより、彼女は周りにまるで関心がなかった。成績は常に一位。常にだ。


今思えば、僕は彼女に腹を立てていたのだと思う。同じ教室にいながら、いつもどこか遠いところをみているみたいだった。僕のことなど、まるで興味がなさそうなところも。


だから僕が、あの日泣かせてしまった彼女の、遠くからみた顔だけは、今でも思い出すことができる。


長く石が石が敷き詰められたの回廊を取り囲む、赤いレンガの壁をくり抜く丸いアーチ。その下で僕は当時夢中になっていた女の子の前に跪き、愛の告白か何かをしていたのだ。


夕暮れ時、西日がぐっと伸びて長い影を作っていた。小さな足音がして目を向けると、そこに彼女はいた。


背肩下まである長い髪が風に揺れていたっけ。


黒い瞳が濡れていた。それでいてダイヤモンドみたいに光っていた。


「…待って!」


僕が立ち上がった瞬間、彼女は消えた。静かだった。まるでそこには最初から誰もいないみたいに。


彼女が泣いた!一瞬心に浮かんだ仄暗いはすぐに消えた。残ったのはザラついた鉄の味だ。今でもこのことを思い出すと、僕は喉の奥に同じ匂いを感じる。


次の日から、僕の婚約者だった彼女は学院スクールに顔を出さなくなった。婚約は白紙になった。


その後、彼女の消息は全く知れない。下級貴族…それでいてこの国の金融界を牛耳る大財閥の子女だった彼女について、社交界からもその存在はふっつりと消えた。


彼女の双子の兄が、病気で亡くなったのを聞いたのは、あの出来事から少し経ったあとだった。


僕はひょっとして、彼女にひどく残酷なことをしてしまったのではないか?


後悔しても、後の祭りだった。


あれから10年の歳月が経った。


本当にいろいろなことがあった。


それら全てを大きく変えた「王妃の病」について、今、語ろうと思う。

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