一度決めたことならば、貫き通すが漢道
「何故」
彼女の言葉に即座に疑問を口にするのは、彩斗にとって半ば癖になりつつある。
それだけ彼女は彩斗にとって意味不明であり、なるべくならば関わり合いになりたくないような人物だった。
彼と彼女の相性が最悪なのは言うまでもない。美しい女と凡百な男、最上の地位と有名とはいえ中堅所の地位、肉親に愛された者と愛されなかった者。
彼が彼女に勝っている部分は金くらいなものだが、それとて彼自身が自力で手にしたものではない。
何もかもが対極に近いのがこの二人で、故にそもそも関係性が良くなる筈もなかった。仮に両親が双方愛したとしても、何れ二人は離れていただろう。
「私はあの気まずいばかりの生活を一家団欒とは思っていませんでした。 身内の誰かを排除している暖かな家庭など、そんなものは仮初の虚構に過ぎません。 ……けれど、もうそれは二度と変えられないのだとも解っています」
百合は両親と兄の双方に流れる雰囲気の違いを敏感に察知していた。
両親達からは和やかなものを。兄からは極寒に近い嚇怒を。兄の怒りは妹にも向けられていて、そんなものを日常的に浴びていれば一家団欒が成されているなどと思える訳もない。
アイドルに走ったのも半ば家に帰りたくない気持ちもあった。あの家に居る限りは両親は愛してくれるものの、兄には張り付いたような笑みを向けられてばかりだったのだ。
皆が皆、事態を改善しようとしなかった。そういった意味では皆に責任があるようにも感じられるが、百合は彩斗に責任は無いと思っている。
「変えられないのなら妥協を。 お父さん達が兄さんを捨てるのなら、私は本当に行きたい方に行って家族としてやり直したい。 仲良くなんて出来ないかもしれないけど、無視して逃げるだけはしたくないんです」
力強く、百合は彩斗を見る。
その目の強さはアイドルで培った部分が多く、彩斗は二の句を告げられない。
いや、怪獣と比較すれば彼女の目はまだ弱い。跳ね除ける程度容易く、ではそうしなかったのは何故なのか。
「無理な頼みをしている自覚はあります。 兄さんには大事な仕事があって、こんな場所で油を売っている暇も無いことは知っているつもりです。 ……それでも、私は早く言いたかった」
「――百合」
短く彼女の名前を呼んだ。
それは無意識の行動であり、呼んだとして次に何を言えば良いのか解らない。
彼女は真剣に関係の改善を求めている。己が悪いと思って、頭を下げろと言えば彼女は土下座すらしかねない。
邪魔な女だと、空白が広がる彩斗の思考に澪の意識が流れ込む。
このままで良いのか。このまま、彼女の泣きそうな顔に絆されて君は満足だと?
君が受けた仕打ちはこんな簡単で消えるものなのか。あの時に助けてくれなかった時点で、最早救いを与えるべきではない。
それに、僕達には楽しい楽しい仕事がある。それを邪魔されても良いのかい?
「百合、俺はもうお前達とは縁を切った。 今更な話をしたところでこっちが困るだけだ」
澪の言葉に彩斗は怒りを燃やす。
そうだとも、全ては彼女によって狂った。その美貌が、その声が、所作が、あらゆる人間を魅了して彼の周囲を狂わせるのだ。
孤独な日々を忘れた訳ではない。金を吐き出され続けた屈辱を捨てた記憶もない。
澪の言う通り、これからは自分の為に生きると決めているのだ。ならば、どうして彼女の頼みを聞く必要があるという。
彩斗の切り捨てるような声に百合の表情に悲しみが混ざった。
トップアイドルを泣かせてしまっている事実は後日話題になるかもしれないが、それでも彼は自分を崩さない。
「本音で喋ろと言うなら喋ろう。 ……ずっと、お前のことは好きではなかったよ。 お前の手足のように生きる日々は苦しいものだったし、家から離れても金を搾取されていた。 全てはお前の為。 お前自身が輝く為。 俺は所詮、ただのATMだった」
「そんなことはッ」
「あるんだよ。 客観的に見ればそれが事実だ。 ――お前が俺のことを考えてくれるのなら、プライベートでも仕事でも関わってくるな。 虫唾が走る」
姫のような人間に向けるには不釣り合いな顔だろうが、彩斗は嫌悪と敵意を剥き出しにした表情で彼女を睨む。
殺意すら伴っているような視線に彼女は本能的に怯え、反論を封じられる。
本気になった彩斗に彼女が敵う道理は無い。傷を負いながら怪獣と戦う彼と真正面から立ち向かえるのは、同じ体験をした者だけだ。
生と死を彷徨う程ではないが、それでも近い場所まで彼は一度言っている。緊張は今この場の比ではなく、既に両親は目の前の彩斗を異常者として認識していた。
「さ、彩斗ッ」
「アンタも百合が俺と会おうとしたら止めてくれ。 喧嘩になってでも全力で行かせないようにしろ。 それがアンタの役目だ」
「彩斗……」
「母さん。 俺と会おうとするのは今後絶対に避けろ。 次は殺すかもしれない」
殺すという部分で一際強い殺気を放つ。
両親の顔色は悪くなり、ただ素直に首を縦に振るしかない。今この瞬間で生き延びたいのであれば、百合ではなく彩斗の言う事に従う他無いのだ。
場の掌握者は彩斗になった。殺すという発言も、彩斗の現在の職場を彼等が知っていれば嘘だと断じることは出来ない。
有名人の親とはいえ、所詮は一日本国民。ヴェルサスの機嫌を損ねたくないのなら、彼等の死を政府は黙認するだろう。
理由をでっち上げるのは難しいが、その場合は百合も殺す。一家惨殺事件として処理すれば、ヴェルサスへの矛先はそもそも無かったことになる。
――三人の間に静寂が広がった時、唐突に胸ポケットに入れていた端末が振動した。
本日の予定については誰にも言っていない。緊急の知らせが来ても不思議ではないが、少なくともメンバー達は今日の件を知っている。
取り出して確認すると、着信相手は澪だった。
この場面で、この着信。明らかに何かが起きそうな気配を感じるものの、出ないという選択肢は存在しない。
一体どういうつもりだと澪に疑問だけを投げ付け、通話ボタンを押した。
「どうした? 今日は予定があるって言った筈だけど……」
『スピーカーモードにしてくれ。 この話が君達だけのものであるとは解っているけど、一応は僕も家族だ。 そろそろ我慢するのも限界なんだよ』
彼女の声は涼やかだった。だが、彼女の言ったことと合わせれば内面がどうなっているのかなど考えるまでもない。
背中に嫌な汗が流れるのを感じた。一応は澪とも情報を共有して我慢をさせていたのだが、予想以上に百合が攻め過ぎたのだ。
拒否することは出来る。けれど、その後が恐ろしい彩斗は息を吐いてそっと端末を机の上に置く。
両親達は不思議な顔をしていたが、そんなことは気にせずにスピーカーモードのボタンをタッチ。
「叫ばないでくれよ。 周りに迷惑になるからな?」
『勿論。 ――さて』
端末のスピーカーから流れた女の声に百合は意識を向けた。
『初めまして。 僕の名前は澪。 突然邪魔してしまって申し訳ないね』
「あ、あの、一体どちら様でしょうか」
百合の質問は当然だ。いきなり見知らぬ人物が語り掛けてくれば疑問と警戒を抱くのは自然である。
『ん? 君とは一度会っていると思うんだけど。 ほら、あの公園で』
「公園? ……あ」
言われ、思い出す。
遠くからとはいえ、百合はその姿をよく覚えている。茶色の髪を伸ばした、この世の者とは思えぬ高嶺の美人を。
『思い出してくれた? それじゃあ、改めて。 僕の名前は最上・澪。 ――そこに居る彩斗の婚約者さ』
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