否定の入り口は契約に有り

 生えた氷壁が徐々に下がり、姿を消していく。

 溶けて消えた訳ではなく、まるで壁が地面に落下するように消える様はやはり異様だ。しかし誰もそれは見ず、視線が集まる先は氷の使い手である澪で固定されている。

 氷が全て消え、辺りは暫し無音になった。間に割り込んだ彼女は数歩足を進め、呆れたように頭を痛める仕草を取る。

 勿論演技だ。顔が出せない以上、仕草で自身と声で自身の心情を露にする必要がある。


『レッド、流石にやり過ぎだ。 怪獣が世間に露出したことで我々もあまり隠さずに活動が出来ているが、お前の勝手な考えで事態を動かされては困る』


 白いパーカー服の女の発言に、早乙女は目を瞬いた。

 

『別に構わんだろう。 物事には相応の対価が必要であることを説明して挑まれただけだ。 巻き込まれたのは俺の方だと思うが?』


『操作したのはお前だろう。 こんな戦いをする必要は無い筈だ』


 操作。

 その二文字に、思わず早乙女はレッドに顔を向ける。どういうことだと顔は問い掛けを発し、レッドはその顔に勝つことは出来ない。澪の発言に手をひらひらと振って負けを宣言。即座に戦闘態勢を解いたことで場の緊張感も露散した。

 

『まったく、空気を読め。 薬を渡すのには正当な理由が必要となる。 どんな奴でも納得出来る理由がな。 ただ善意で渡すだけが正解だとでも言うつもりか』


『そう言うつもりはない。 私が言いたいのは、態々拳を交える必要があったのかどうかだ。 ただ試すだけであれば言葉で十分だろうに』


 澪の詰問にもレッドは軽く答えるばかりだ。

 どちらが上でなく、どちらが下でなく、二人の関係性は正に対等。その関係を早乙女も見抜き、だからこそ状況の変化についてこれないでいる。

 一体二人は何を話しているのか。もしや、この戦い事態には何の意味もなかったというのか。

 言葉だけで二人を納得させられたのであれば、最初から薬を打って拳を交える必要は無かった。レッドと白パーカーの発言を咀嚼して思考を回せば、そのような結論に行き着く。

 ならば、ならば、ならば。次々に浮かび上がるその発言の裏側に、奇妙な喜びを抱いた。つまり此処で彼女が止めたのなら、その時点で証明は終了したことになる。

 澪は期待に胸を膨らませている早乙女の顔をマスク越しに視認しつつ、頑張った御褒美を差し上げようと口を開いた。


『そこの少年はもう十分に合格だ。 彼であれば力を悪用することもないだろう。 他の連中も納得はする――――お前も同じ結論に行き着いたのではないか?』


『――否定はしない。 確かに、この男の覚悟は合格に値する』


 そして告げられた二人の言葉に、早乙女の鼓動は高鳴った。

 これまで褒められたことはある。学校では悪い意味で注目を集めているが、家で両親に褒められることは何度もあった。だが、それでも二人の言葉の方が彼に響いている。

 自身の本質を見抜き、その上で肯定しているような気がするのだ。お前の選択は決して間違ったものではなく、勇猛果敢な素晴らしき人間であると。

 激痛を上回る喜びが胸を支配する。存在全てを肯定するその発言に、どうしようもなく引き込まれた。

 澪が彼の前へと歩み寄った。先程までは一切存在感を抱けなかったというのに、実際に視認すると彼女の姿から目を離せない。

 レッドのような力強さは無くとも、何時消えるかも解らぬ儚さが彼女にはある。

 目を離したら雪となって消えてしまうような。そんな印象が出てくる所為で目を離したいと思えない。


『頑張ったな』


「……え?」


 気付けば、早乙女の頭は撫でられていた。

 優しく優しく、母親が子供を慈しむように撫でる。その手付きは慣れたものではなかったが、逃げたくなる欲求を無くしてしまう。第二の母が居るとしたら、それは彼女自身だ。

 思わずそう断じてしまう程の感覚を暫く味わい、彼女は手を離してパーカーの懐をまさぐった。

 出てきたのは二つの粒上の物体。それが薬であるのは明白で、エメラルドに輝く楕円の形状は宝石のようだ。如何にも価値のある物が目の前に出され、早乙女は直ぐには手を伸ばせなかった。

 

『一つはお前が飲んでおけ。 もう一つはお前の妹に飲ませろ。 水は不要だ』


「ほ、本当に良いんですか? 何か払わないと駄目なんじゃ……」


『そうだな。 レッドが言ったように、この薬は貴重品だ。 そう簡単に作れる代物ではない。 ……だからお前には、暫くの間アルバイトをしてもらう』


「アルバイト?」


 そう簡単に作れる代物ではないという発言に総身を震わせながらも、アルバイトの五文字に困惑を顔に出した。

 

『額を支払いきれるまでアルバイトをしてもらう。 内容は怪獣襲来時における避難誘導だ。 毎月の支払分を除いた給料は出そう』


「え、えっと……そういうのは自衛隊や警察の方々がするのでは?」


『勿論そうだが、それは相手が怪獣の接近に気付いた時だ。 我々は他の誰よりも怪獣の接近に気付けるから、最優先に避難指示を下せる。 お前の存在を内外に周知させれば、皆お前の言葉にある程度は従うだろう』


 驚くべきは怪獣時の察知能力か。

 未だ一体しか出現していない関係で怪獣の事については知らない者しかいない。どのような理由で出現するのか、どのような過程を経て誕生するのか。その全てが不明な怪獣の動向を一早く察知できるのであれば、成程早期の段階で避難指示を出すことも出来る。

 何故それを自衛隊達に提供していないのかは、少し考えれば解ることだ。

 特別な力は権力を強固にする。現状怪獣に立ち向かえるのは自衛隊のみの為、彼等に澪達の技術の結晶を渡せば途端に国政に口を出す軍人が出てくることだろう。

 それが混乱を招くのであれば、違反者であろうとも技術は秘匿しておいた方が良い。早乙女の目から見ても二人は犯罪者となることに何の躊躇も抱いていないようだった。


「その、アルバイトの件については了承しました。 妹を助ける為だったら何でも構いません」


『よし、では行くぞ。 レッド、お前もだ』


『……はぁ、了解』


 渋々と反応したように見せつつ、二人は学校の体育館に向かう。

 その後ろを早乙女が付いて行くが、その前に薬を飲み込んだ。こんな話の後で実は毒薬でしたと一瞬脳裏に過ったが、痛みも熱も無く回復が急激に進む様を見てその考えは喪失する。

 砕けた骨は元の形に再度固まり、裂けた皮膚は塞がり傷跡一つ残さない。失った血液だけは肌に付いたままだが、新たに流れるようなことはなくなった。

 ビデオの逆再生のような回復速度に驚き、同時にレッドがあんなにも試した理由にも納得がいく。

 この薬を飲めるのは明確な理由がある者だけだ。どんなことがあってもその薬に見合う結果を残せる人物だけが、命を救う恩寵を得ることが出来る。

 逆に言えばその薬を飲んだ時点で結果を残すことは絶対だ。これからの自分の人生を想像して、胸の内に重いものが溜まった。

 

 自衛隊達も彼等の一幕は見ている。

 此度の結果で早乙女・蓮司の重要性は一気に高まった。今後、彼を取り巻く環境は一気に騒々しいものに変わるだろう。

 国内だけに留まれば良いものだが、二人の活動は国外にまで響いている。何れ国外の誰かが早乙女に接触するだろうことは、容易く予測させられた。

 隊員達は互いに顔を見合わせる。緊張の面持ちで首を縦に振り合い、通信機の電源を押して何処かへと連絡を取る。

 この日、ある一人の少年の人生が狂い始めた。虐められながらの陰惨とした生活は幕を閉じ、極彩色で染め上げられた鮮烈な生活が幕を開ける。

 果たして、最初に早乙女に接触する人間は誰だろうか。

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