第11話 第三部 頼房 第十章 天下人降臨
(一)
島津が
しかし、相良の形勢不利が定まったころ、
名和は長年、相良と同盟を結んできた間柄であった。城は
そして、最初耳にしたときは「何たる物好きか」と
仕方がないので、かつて薩摩にも下向した近衛
島津の当主、
――すぐに手をつけるのがまずければ、時間を掛ければよいだけのこと。
その方策として、相良
都合のよいことに、相良義陽は「使いで」のある男だった。大口接収などで
それが、緒戦ともいえぬ
義久は慌てた。
――相良の童子二人は勝手に死んだり、死にそうになったりしているのだが、外から見れば、まるで島津が謀殺したように見えるではないか。
それでも義陽が元気なら何ということもなかろうが、島津の命で出陣した父が命を落とし、島津の手に庇護されている子供二人が時を同じくして
今は、島津家にとって大切な時期であった。
難敵といえるのは、もはや
「薩摩は信じられぬ」とて、ことごとく歯向かってこられたのでは、対竜造寺戦どころの話ではなくなってしまう。そうでなくとも、すでに手中に収めたはずの
もう、相良などという小族を潰すかどうかが問題ではなくなっていた。島津の声望を、いかに
そのためには、手を触れなくても勝手に落ちそうな球磨の領主一族に、何とか
――相良義陽。なんというときに、なんという死に方をしてくれた。
薩隅日三国の太守義久は、死んだ男の相貌を苦々しげに思い浮べた。
まず、国中から名だたる
さらに庭には、弓兵がずらりと並び
その夜半、相良宗家の唯一残った血筋、
球磨の森の中の、もう堂宇とも呼べぬ崩れ落ちた板切れや草の
「おのれ島津、なんということを。これで一気に決着がつこうと思うたに、なぜおのれらが邪魔をする。島津といえど、我が大望に立ちはだかるなれば、
……まあ、よい。島津とて、相良の家を無きものにしたい考えを、捨てたわけではなかろうて。なれば、ときを貸してやろうかい。相良はもう、血筋も絶えた。残っておるというても、別筋の
突然湧き起こった哄笑は、途絶えるのもまた突然であった。
「じゃが島津、こたびの代償、いずれ必ず払わせてくれようぞ」
突然の静寂が、辺りを打った。
相良の遺児頼房の体力が回復するのを待ち、島津は
島津の当主義久は、亡き相良義陽の忠義を激賞し、頼房の跡目相続を許した。敗戦のこととて加増の沙汰はなかったが、球磨一郡から一郷も欠けることなく、父の所領がそのまま頼房に安堵された。
そうした中、球磨とその南西に位置する薩摩北域では、小さな騒乱が
薩摩側では、これと利害で結ぼうとする者、相良滅ぼすべしとの己の信念から策動する者が、
この領内の不穏な情勢に対し、新任の国老
結局、これらの騒乱が完全に鎮まるには、島津義久による
外部からは、領主としての統治能力を半ば喪失し、島津の助けがなければ長年の本拠地である球磨ですら満足に治められなくなったように見える、相良の
(二)
先陣を
阿蘇は、その後二、三度の
残るは、すでに
島津軍はいまだ大友の勢力圏であった
このころすでに中国の
秀吉の先遣軍と島津の攻略軍は、大友の本城
このときが、戦国島津氏の絶頂であった。
領内に不安を抱えながらも、相良が内政に専念することは許されなかった。義陽死後も常に島津の尖兵となることを求められた相良は、阿蘇
こうした中、相良の軍中で一人の若者が次第に注目を集めるようになる。先君義陽の置き
義陽死後の相良軍は当初
その戦い方も積極果敢であり、島津の将と先陣を争うような例も見られたが、この若い将を、島津はかなり好意的な目で見ていた。
――何より、懸命に戦う。島津への偏見がない。そして、かつて島津の諸将と直接刃を交えたというような経歴も持ってはいない。
島津の重臣の中からは、「相良の現当主である幼い頼房を廃し、この新介に後を継がせてはどうか」という声が、秘かに出始めるほどであった。
島津にすれば、「新介が相良宗家の血を受け継いでいるか」といった正統性に興味はない。
――一族の端に連なるとのことだが、わずかでも血がつながっていれば
島津のために役立ってくれる者が、一番なだけであった。
こうした島津の意図について、相良家中でも一部の者は気づき始めていた。
だが、
「軍功を上げるはよし。しかし、いたずらに兵を損ずるなかれ」
これが、休矣から新介に突きつけられた要求であった。
新介は反論する。
「軍功を求めるは、相良が生き延びるため。なれば、ある程度兵を損ずるも、やむを得なきこと。兵を惜しんで勇を避ければ、相良は島津より見捨てられん」
いずれも正論であり、どちらも己の主張を譲ることはなかった。
島津の動静に何よりも気を配り、その結果新介の肩をもつ者らの中では、己を超える手柄を挙げ続ける若き将に、
相良の家中は、周囲の皆の眼が、激しい論争からいつ反目に移るかと、二人を不安の面持ちで見つめていた。
先遣軍の敗報を聞いた豊臣秀吉は、指揮官の仙石久秀を召喚、職を
ついで、いよいよ秀吉自身が腰を上げる。毛利に露払いをさせた秀吉は、
この豊臣の大軍勢に対し、日向方面では島津
それだけの圧倒的な兵力差であったといえるのだろうが、これまで何度も、相手より大きく劣る兵力で難敵を打倒し続けてきた島津が、このたびに限っては「善戦して惜しくも敗れる」形にすらもっていくことができなかった。
その理由の一つは、戦さの規模の違いであろう。兵数が一桁上がった軍勢に力を発揮させるには、戦闘想定から
島津に限らず九州の将兵には、それが必要になる規模の戦闘経験がこれまでなかった。一方、秀吉麾下の将は、織田政権時代から、各方面軍指揮官やその配下として、万の兵を率いながら全体の一部として機能するという感覚を肌で知っている。
島津にとり今までとは勝手が違う戦の最初の相手が、
島津の九州制覇の夢は露と消えた。
義久は
なお、豊臣秀長の日向方面軍に降伏した義久の末弟家久が、秀長の道案内として南下する途中で
(三)
島津は、薩摩大隅二ヵ国の大名として残された。肥後には新たに
小国が生き延びるための、二枚舌外交であった。己の手を逃れ、佐々の下で延命を果たした相良を、九州全土を手に入れ損ねて元の二国に押し込められた島津は、どのような思いで見ていたであろうか。
球磨の騒乱も、ようやく鎮まった。秀吉の九州制覇によって、相良の球磨統治が確立したからである。国衆にすれば、今さら背いたところで薩摩は助けてくれず、ただ見殺しにされるだけという形に、世の中の情勢が変わってしまったのだった。
秀吉から直接の安堵を得たことは、相良頼房の領主の地位も確定させたことになった。
島津より秘かな期待を寄せられていた相良新介は、その後も何事もないような顔で日々の勤めをこなしていった。
秀吉はこのころ、後に
小領主の群立が長く続いた肥後は、それぞれの領主と土地の民との結束が強かった。つい最近までの征服者島津家は、軍政上の都合だけで領主を強制的に入れ替えるような統治法を肥後でも採用したが、その結果小さな反乱が頻発していたのである。
島津義久が豊臣軍を相手に戦わずして撤退する際には、いまだ勢力圏に納めているはずの肥後で、まるで落ち武者狩りのような土民の
一方、佐々成政は、先に秀吉が
功を焦る成政は命に逆らって検地を断行、秀吉が心配したとおり、肥後国内では一揆が続発し、成政単独では押さえきれぬ情勢となった。佐々成政は、本拠と定めた
薩肥国境の要衝水俣で街道に設けられた関所に、相良の老職、深水宗方が自ら出張っていた。宗方は関を背にして、道の真ん中に据えた
従っているのは、日除けの唐傘を持たせた中間一人だけだ。守兵は全員、柵門を閉じた関の向こう側に潜んで配置を終えていた。
戦を恐れて
軍勢は、ことさら急ぐでもなく整然と道を進んでくる。進軍してくる兵どもの顔が見分けられるほど近付いてくると、傘の柄を持った中間が身じろぎした。
「もうよいぞ。畳んで、お前も関の中に入っておれ」
「しかし、殿様……」
「なに、斬りかかってこられたら、お主の一人や二人、いてもいなくても変わらぬよ。お前の主が言うておるのじゃ、行け」
中間は逡巡しながらも、背に安堵を滲ませて関の中へと逃げ込んだ。
やってくる軍勢も、関の前で
「これは、島津の皆様方と存ずる。お出張りご苦労にござる。これなるは、相良の家臣深水宗方にござる」
騎馬武者の一人から返答が返ってきた。
「深水宗方殿と申さば、相良家の老職。このようなところに関を設けて、何をなされておる。早く我らを通されよ」
「当方が名乗っておるのに名乗り返しもせぬ軍をどなたが指揮されておるかは存ぜぬが、ここより先は肥後にござる。薩摩の兵が断りもなく通ることは
「なにを――ええい、これなるは、島津家家臣、
「そこもとが梅北殿か」
宗方の問いに、やや後ろにいた騎馬の大兵が馬を出した。
「
宗方は、のんびりと応じた。
「これは、そなたが梅北殿か。だが、なにか取り違えておられるようじゃ。肥後は、一揆はあったがもう取り鎮めも適おうというころ。島津様のお手を
「馬鹿なことを。ええい、ときが惜しい。開けねば、蹴散らして通るぞ」
脅しをかけてきた相手に、宗方はどっかりと床几に腰掛け直した。すると、それが合図だったのか、関の柵門から火縄銃の銃口がずらりと並んで突き出された。
「面白い。無理矢理通ろうというなら、やってみられよ。それがしは斬られても、関の兵どもがせいぜいお相手つかまつろうぞ」
「深水、相良の老職がこのようなことをしてよいのか。義久公が我に伝えた命は、元をたどれば関白豊臣秀吉様より出されているものぞ。お主のその行い、相良をつぶすぞ」
このころ、関白の地位には
「ほう、関白殿下のご命令とな。して梅北殿、その豊臣様よりのご命令を伝えた書状はそこもとがお持ちか。ああ、後続の伊集院様がお持ちというなら、お手数じゃがそれがしにご
梅北は相手の言葉に含まれる
「馬鹿な。書状は義久公がお持ちであらせられるわ」
「梅北殿。なれば聞くが、相手が関白殿下のご命令と申さば、そこもとは確認もせずにご主君義久公の直接の命に背くや」
「なにを――深水、よいのじゃな。このままだと、義久公より関白様に、相良が関白殿下のご下命の邪魔を致しましたと、報告をすることになるぞ」
「梅北殿。佐々様の命を受けてご帰還をお願いしておるのは、この深水宗方じゃ。関白殿下に申し上げるなれば、そのように申し上げられよ」
「そのような屁理屈、通ると思うてか」
「そこもとが我らを蹴散らしてここを押し通らんとせば、関白様には島津が肥後の動乱に乗じて領地を
馬上の男と床几に座る男が睨みあった。
関で柵門の隙間から銃を突き出していた兵の一人が、思わず
薩摩の軍と相良の老職との睨み合いはなおしばらく続いた。先陣からの使い番の報せで状況を聞いた伊集院忠棟は、強行突破を断念し、兵を返すことにした。ここで騒ぎを起こしても、島津の得にはならないと自重したのである。
「やむを得なんだとはいえ、きわどいの……」
憤然として馬を返していく梅北の背中を見送りつつ、相良の老職はぽつりと呟いた。
(四)
秀吉は、肥後の一揆鎮圧のために
佐々に背き一揆を起こした肥後の国衆は、秀吉の討伐軍によって徹底的に粛清される。秀吉は、この機に乗じて国内の検地も断行させた。この間、肥後の中で静かなときを過ごしていたのは、相良の統治する球磨だけであったといえる。
一揆全てが鎮圧され、結果的に検地も実施できたとはいえ、秀吉の命に背き一国中を揺るがすような騒乱を引き起こした佐々成政は責任を問われた。肥後を取り上げられ帰坂させられた後に、
成政は秀吉に弁明する機会を与えられることもなく、その寺で詰め腹を切らされ、生涯を終えた。
肥後騒乱の責任の追及はなおも続いた。島津からは、秀吉の命で派遣した救援軍を、相良が阻止したとの訴えが上がった。「相良の行為は、関白殿下への反逆だ」という主張である。裁くのは、一連の始末のために大阪より奉行として派遣されてきた秀吉の
相良新介は、久しぶりにその家の門をくぐった。勝手知ったる場所である。
気さくに声をかけると、案内もそうそうに中へ踏み込んだ。が、今日は様子が少し違っていた。
慌てて顔を出した
呼ばれたのは
家宰が中に声を掛け、新介一人を入れて襖を閉じた。屋敷の主は、明り取りの障子窓のほうを向いて何か書きものをしていたようであった。
「お呼びだそうにござるな」
掛けた声にようやく振り返った休矣は、これまで見たこともないほどに厳しい顔をしていた。
――これは、通り一遍のお叱りでは済まぬな。
新介は内心溜息をつきながら、相良の重職の前に座った。
その日、相良新介と荗季休矣の間でどのような激論が交わされたか、相良家中に知る者はいない。ただ人々は、その日を境に相良新介が球磨を
島津が北へ侵攻していく途中、覚兼も何度か入ったことのある城だったが、当時とはどこか様子が違っているように感じられた。新たに手を入れられたところもあるかもしれないが、中で働く人々の動きの無駄のなさが、その印象の主な原因であろう。
せわしなく動き回る人々の中を通り過ぎながら、これが大坂風かと覚兼は思った。
三成が執務に使っている座敷は開け放たれ、部屋の外にも下僚らしき男が控えていた。覚兼が続きの間まで来ると、なにやら書き物がなされた紙の束を
「おう、これは上井殿」
己よりはるかに若い
「まあ、こちらへ」
紙束を手に持ったまま、頷くようにして
「して、上井殿。今日は何用かな」
目は紙束に戻してしまい、口だけで聞いてきた。
「は、相良に関する訴えのことにござりまする」
覚兼は、あくまでも丁寧に応える。ようやく、相手の目がこちらに向いた。
「島津の話は先日聞いたはずじゃな」
無駄を嫌う、
「は、実はその後、薩摩より追加で
「何、追加の証とな。わざわざ報せにくるほどのものか」
いつの間にか、形ばかりはつけていた丁寧語が抜けている。言っていることは、わざわざ覚兼が持参するほどのものかということではなく、わざわざ多忙な奉行に面謁を願い出るほどの内容かという意味であった。
「相良は、関白殿下の命に反する検地強行には難色を示しておったし、この島津の軍を通さなんだのも、佐々殿の命に従うただけだと、強弁致しておるそうにござりますな」
「詳しく釈明を聞くのは明日じゃが、事前に出してきた書面にはそう書いてきておる」
苛立ちを抑えるようにして、そう教えてくれた。これ以上、先ほどの問いに対する答えが遅れれば、即座に
「検地強行は、相良が佐々殿に吹き込んだこと。関白殿下も驚くほどきれいに仕上げてみせて、佐々殿の復権を助けんとするとともに、己はその老職格となって、肥後全体に号令をかける立場にならんとした。
一揆の勢力が思っておったよりも強くて
天下人お気に入りの文官の眼が、きらりと光った。
「ほう、それは面白き話じゃが、その相良に遮られて、時間稼ぎを許してしまった島津が、
覚兼は、相手の皮肉は無視して必要なことを口にした。
「生き証人を得てござりますれば」
「生き証人――小国とはいえ、大名格の家をひとつ潰すかどうかの話じゃ。なまなかな者では、証にはならぬぞ」
「相良の中のことをはっきり知る者にござりまする」
「誰じゃ、それは」
「相良新介と申し、相良一族の末流にあたるとか。今では、軍を率いるときに相良家中で真っ先に名が挙がるほどの将にござりますれば、こたびの件で申すことに間違いはござりませぬ――とりあえず、当人の証言を聞き取った
覚兼が、持ってきた書面を差し出した。控えていた下僚が受け取り、三成のもとへ届ける。
「その者、今は、島津が押さえておるということか」
「この隈本の島津屋敷に。薩摩より証が届いたとは、この者が着いたという意にござった」
三成は、手にした口書をぱらぱらとめくりながら黙考した。ときをかけず、答えを出す。
「明日、その者をここへ伴え。相良の弁明に対決させる。それで、よいか」
「ははっ」
島津の名代である覚兼は平伏した。
――これで、相良も完全に終わりだ。
直った覚兼の顔は、満足のために緩んでいた。
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