第295話 めいろ
カレンの
真ん中の廊下コンテナの天井には発光石が食い込んである。石の上半分は外に露出しており、日中は自動でチャージされる仕組みだ。お手製であり、要はDIYであった。
そのおかげで、夜の八時半でも不自由無き明るさが担保されていた。
中央の座卓に身体を預けるガーナも鮮明に映し出されている。
「――あ、待って。お母様に渡しておいてほしいものがあるの」
あぐらをかくガーナが股に手を突っ込む。風魔法で束ねられたそれは、白濁した小石サイズの粒だった。
それをゲート越しに使用人に手渡し、
「アタシはあと数時間くらいこっちにいるわ」
シュッとゲートが閉じたところで、カレンが寝室コンテナから戻ってくる。
「何を渡したの?」
「
精液を土と氷で固めたものであるが、カレンにもその程度の知識はある。
「アンラーくんの? 犯罪じゃない?」
「娼館の人間なら問題無いわよ。ブーガ様は懐が深くて助かるわ」
カレンは空の水筒を掴んでガーナに投げた後、どかっと向かい側に腰を下ろす。「ウォーター」ガーナの魔法によって注がれた水筒を「ありがと」ぱしっと受け取り、ごくごくと喉を鳴らした。
精液を運んでいる件には言及しない。既に知っているからだ。
「……ふうん」
「なあに?」
「疑問に思わないのね。たかが一般人の精液をわざわざ採取したことについて」
「疑問というより興味が無いかな」
「カレンは淡白よねぇ……。人生楽しい?」
「氷は欲しい」
「はいはい」
ガーナがかざした指から、ヒュンヒュンと一口サイズの氷が飛ぶ。それをカレンは水筒で受け止めた後、地面に水滴が散ったのも気にせず、からからと振り始めた。
氷魔法による冷却をねだらないあたり、一線を弁えている。スパームダストの肝は氷魔法の繊細な制御であるが、機密事項でもあるため、制御を要する行動は無闇に晒さない。言われても断られるだけ、ということをよく理解している。
天井にはめこんだ発光石に、特区では金持ちの部類に入るセブンコンテナ。
身体能力や体術もお手の物だし、娼者として生きていける程度のスキルと胆力もある――
そんな友人のお気に入りがアンラーである。だからこそガーナもわざわざスパームダストを採取しておいたのだ。
「ねぇカレン。アンラーってどんな人?」
「んー……」
先ほどからちびちび飲んでいるが、ようやく納得の温度に至ったのか、ごくごく飲み始めた。
ぷはぁ、と中年のような反応をした後、
「――掴みどころが無い」
「それだけ?」
「意外と不潔。というか無頓着」
「皮の内側まで綺麗に洗ってあったわよ」
「私が洗ってあげたんだよ」
「したの?」
「してないけど、なんで?」
「そうじゃなくて、こっちよ」
ガーナが手で竿をしごくジェスチャーをする。
「しないってー。やるなら挿れるでしょ」
カレンはてっきり遊び方を語り合う流れになるかと思っていたが、返ってきた言葉は全く異なるものだった。
「精液が薄かったから」
「ん? どういうこと? 精子溜まりまくった青少年の濃さに見えたけど」
「見た目はね。味はかなり薄かったわよ」
「口で受けたのは二回目よね? 薄くなるでしょ」
「それを踏まえてもよ」
ぺろりと舌なめずりをするガーナは、すぐに思案顔を浮かべる。
もう一度味わうのがてっとり早いだろうが、立場がある。他国の、一介の一般人に入れ込むわけにはいかない。方法を模索しているのだろう。
カレンはそんな友人の様子を、興味無さそうに眺めながらちびちび飲んでいた。「あ、そういえば」どんっと水筒を置く。
「『めいろ』が好きなんだって」
「……迷路?」
「うん。自分で描いて、自分で遊ぶんだってさ。描くものある?」
「【
ガーナが唱えると、座卓の上に小さな砂場が出来た。
カレンは中指を突っ込み、無造作に線を引いていく。
「こんな風に道をたくさんつくって、ここからここに行くんだよ」
「迷路は知ってるわよ。ダンジョンも割とこれじゃない。こんな直線的な構造じゃないけど」
「楽しいのかなーこれ。私にはわからん」
カレンはしばらくなぞっていたが、飽きたのか砂迷路を破壊し始める。
「マッピングを楽しむ冒険者は珍しくないけど、アンラーのそれは迷路の創作ってことよね? しかも自分で遊ぶだけ」
「変わり者だよねー」
「アタシもあまり教養は無いけど、迷路の創作は聞いたことがない」
ガーナは独り言ちながらも、何となくカレンの所作を眺めていたが、ふとタンクトップの襟ぐりが伸びていることに気付いた。
「どうしたのよそれ」
風魔法でぐいっと引っ張ってみせる。この友人は自分で伸ばしてしまうほど間抜けではないし、誰かに引っ張られるほど緩い人間でもない。
「あー、これねー……」
「言いたくないなら言わなくていいけど」
「ううん。言っちゃう。私さ、懲罰隊員に犯されてんの。これは我慢できなくなったソイツが無理矢理手を突っ込んだときになったの」
「やるわね」
ダグリンの社会は監視も懲罰も厳しい。される側はもちろん、する側も例外ではなく、より上位の者によって絶えず見られていると考えて良い。
その隙を突けているのだから、少なくとも無能ではない。
「大丈夫なの? 加減間違えたらすぐ死ぬわよ?」
高レベル者が低レベル者に性的暴行を加える最中、力加減を誤って殺してしまうのは珍しくない。
だからこそどの国も強姦には厳しく、ほぼ死罪である。もちろん加害者が処刑されるからといって、自分も死んでいいかというと、そんなはずはない。
「その辺も上手だから大丈夫だよ。気持ち悪いけど。乳房ばっかり攻めてくるんだよ?」
「あぁ、こじらせた純潔によくあるわよねぇ。男ってなんで胸が好きなのかしら? アタシも嫌いじゃないけど」
「魔法で触るのやめてくんない?」
カレンが水筒をぶん投げる。まだ水が入っているが、後片付けも含めてガーナにやらせる形だ。下手に殴るよりよっぽど面倒くさくて効く。
この友人は油断すると本当に襲ってきかねないし、その気にさせるテクニックも持っている。こうして明示的に反撃するくらいがちょうど良い。
ガーナはこぼれた水を掃除しつつ、おかわりの水も補充しながら、少し声音に心配の色を乗せて、
「そんなことより、対処はしないの?」
「レベル1にはお手上げだよ。ガーナが何とかしてくれるなら助かるけどねー」
「すぐには難しいわね。というより、下手に刺激したらあなたが危ないんじゃない?」
「だよねー。粘着気質があるからさ、激昂したら何するかわかんない」
前世におけるストーカーの心理も心得ている二人であった。
「格上との鍛錬だと思って生かすくらいしか無さそうね」
「だーよねー」
強かな二人にとっては、強姦程度のイベントも話の種でしかなかった。
◆ ◆ ◆
就寝時間まで一時間を切っているというのに、アンラーのコンテナには帰宅した形跡が無かった。具体的には、発光板が外に立てかけられたままであり、遠目でも目立っていた。
フレアは少し開いた扉から暗闇に顔を突っ込み、
「まだ帰ってきてないのかな、お兄さん」
申し訳程度につぶやいた後、我が家のように扉を開け切ってから発光板を運び込む。
廊下、寝室、排泄コンテナと覗いた後、廊下で腰を下ろした。いわゆる体操座りで、間もなく頭も伏せる。
「……」
姉ユレアとの折り合いが悪くて居心地が悪い。クレアもいるし、表面上はいつもどおりに振る舞っているが、明らかに見えない壁があった。
そのクレアも今日はユレアに懐いており、手持ち無沙汰である。
「何してるのかな……」
フレアがぼーっと思い浮かべたのは自分や姉妹ではなく、この家の主だった。てっきり『めいろ』を描いているものとばかり思っていたが、なぜか不在。
お金も大して持ってないだろうし、友達もいなければ体力もたかが知れている。出かける用事など無いはずだ。
「いいもん。居座ってやる」
消灯時間以降の外出は禁止されている。ここで消灯時間を迎えれば、帰ってきたアンラーと二人で一夜を過ごすことになる。『夜這い』と呼ばれる行為であり不健全だが、フレアにその気はないし、アンラーくらい余裕で退けられる。
喧嘩した姉と不在のアンラーの双方を攻める妙策だとフレアは自賛し、ふふっと相好を崩した。
気分が晴れたこともあり、立ち上がる。
改めて各部屋を物色するも――数分と経たずに終わった。
寝室コンテナの壁に寄りかかって、暇そうに体を左右に揺らす。
「お兄さんは持たない人なのかな。姉さんも見習ってほしいです」
フレアの自宅は結構散らかっている。主にユレアのせいであり、フレアが片付けても散らかすし、捨てても増やす。「あとでやる」と「もったいない」が口癖だ。
そんなだからいつまでも貧乏人なのである。やることとやらないこと、重要なこととそうじゃないことを見極めて、専念するのが世渡りではないのか。アンラーの助言がなければ、ギルドマスターの件も未だに引きずっていたに違いない。
「はぁ……」
油断するとすぐ姉のことを考えてしまう。
フレアは頭を振ることで脳内から追い払う。
それでふと目に入ったのが、地面に置かれた板――
「めいろ……何が楽しいんだろ」
アンラーに寄り添うためには、この『めいろ』も理解しなくてはいけないのだろうか、と考えると憂鬱になる。
直後、「な、なんでうちがそんなこと!」慌てて胸中のあれこれは見なかったことに。首もブンブンと振る。何なら両腕も振る。
次に目についたのが、隅に積み上げられた板だった。
「うちでも楽しめそうな『めいろ』がある、とか……」
適当な言い訳をつぶやいているが、もう内心は決まっている。ただの好奇心、そしてまだ帰ってこないアンラーに対する一方的な仕返しだった。
早速、板を一枚ずつ取り始める。
「重いぃ……。よく運びましたよねこれ。運搬屋に頼るお金も無さそうなのに」
十代前半で年相応の体格でもあるフレアにとっては重労働に思えた。
しかし、ライオットやアンラーも認めるだけあって、身体センスは抜群に優れている。二枚目の時点で、もう上手い運び方を確立した。
てきぱきと一枚ずつ地面に並べていく。やがて――
「これは、え……。文字、ですよね……」
『めいろ』ではなさそうな、しかしジャース語とも異なる何かがびっしりと書き込まれていた。
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