第202話 貧民デビュー2
貧民エリアは王都リンゴの北西に位置する。エリアというとさして広くないイメージを持つが、そんなことはない。
異世界ファンタジーの街と言えば、前世でいうニュータウン――住宅街程度の広さを思い浮かべるが、あんなもんじゃない。森、丘、小川といった地形からして一つや二つじゃねえんだからな。
そのうちの一つ、竹林のような見通しのいい森に案内された。
俺達は境界で待たされて、
「おねえちゃん、魔法は切って!」
おかっぱの女の子がそんなことを言いながら、物置が並ぶ一画へと走っていった。走り方が手慣れていて、猪くらい一人で狩れそうな頼もしささえちらつく。
「面倒ね。私が本気で出せば、この森に潜む全生物を壊滅できるのに」
「壊滅させるな」
「おねえちゃん、切ったー?」
「切ったわよー」
ヤンデも適応が早いみたいで、らしくもないのにでかい声を上げる。
「どうぐ持ってくるから、からだでもほぐしてろよ」
「わたしもいくー」
お団子ヘアーの女の子と半袖半パンのわんぱく小僧もてててと走っていく。コイツらの動きも妙に玄人じみてやがるな。
運動不足のそれでは到底ないし、前世のそこいらの大人でもたぶん敵わんぞこれ。
「からだをほぐすって何よ?」
「準備運動ってことだよ」
「ジュンビ運動?」
そんな歴史の出来事みたいな発音で返されても困る。
魔法とレベルに頼り切った冒険者には無縁なんだろう。
「身体を本格的に動かす前の準備ってことだよ。とりあえず俺の真似をしろ」
ヤンデは運動神経がよろしくなさそうなので、念入りにしておくか。
前世のセオリーどおり、屈伸から始めてみる。
ぎこちないヤンデさんだったが、俺の補助もあってすぐに慣れてきた。コイツ、センスは悪くないな。むしろ羨ましいくらい。
「ややこしいから、ここまでの要点――特に
「ええ」
お互いに体を押したり引いたりしながらも、貧民エリアの面倒くさい事情を振り返ることにする。
「まず大前提として、貧民はレベル1であることが要求される。これはデフォルト・パフォーマンスの状態でつくらないといけない作物や、狩らないといけない獲物がいるからだ」
「味が落ちるから、よね?」
「ああ」
貧民の存在理由は、まさにここにあった。
作物全般と一部の獲物は、デフォルト・パフォーマンスを超えた状態で干渉すると著しく品質が落ちる。
これはジャースの理と言えるほど絶対的な現象であり、いくらレベルが高かろうが魔法を使いこなせようが抗うことはできない。
だからこそ王都では
「といっても俺はまだ信じ切れてないんだが……。なあ、ヤンデなら味を落とさずに仕留めることもできると思うんだが、どうだろうか」
「無理よ」
華奢な体をぐっぐっと伸ばしていると、意外にも即答だった。
「判定を抜けることはできないわ」
「判定?」
「
「竜人が介入してんのか?」
「もっと上じゃない?」
「上って何だ? 誰だ?」
無論、俺は天使というプログラマーと、そいつらが済む天界という世界を知っているわけだが。
「神じゃない? 私は信じないけれど」
「なんか哲学的だな」
「つまらない話はやめなさいよ?」
「まだ何も言ってねえだろ」
こういう会話は嫌いじゃないのに、ヤンデさんはそうでもないから残念だ。
「レベル1を超えた動きをするのもダメなんだよな」
「そうね」
「俺は慣れてるから平気だが、お前は大丈夫か?」
「……」
ヤンデが俺を持ち上げるターンなのだが、びくともしてねえぞおい。
「無茶すんなよ。レベル1では耐えられない負荷がかかってもダメなんだからな」
「わかってるわよ。話しかけないで。こんな肉塊、余裕で持ち上げてみせるわ」
「肉塊じゃねえし」
「同居人さんに離れてもらうよう言ってもらえるかしら?」
「誤差だ」
ダンゴとクロを合わせても数キログラムくらいしかねえぞ。「ふんっ!」おっ、ヤンデさん、ガチる気だ……っておい。
どしゃっと潰れるのだった。
「今のはセーフよ。ほら見なさい。傷一つついてないわよ?」
「いやアウトだろ」
前世基準で言うと、か弱い成人女性なら擦り傷は出来てるし、何ら捻挫にもなる力と角度だった。
しかし、ヤンデは無傷である。レベルで言えば62の防御力なのだから当たり前だ。鉄板に息を吹きかけるような負荷でしかない。
「そういうあなたはどうなのよ?」
「俺はちゃんと受身を取った」
俺が前世でどれだけパルクールに費やしたと思ってんだ。
「おねえちゃん! おにいちゃん! これつけて」
とてて、と駆け寄ってきたおかっぱちゃんが、つくしみたいな細長い茎を手渡してくる。
「こうやってまきつけるの」
ヤンデが手に取った途端、それはベージュから赤色へと変色した。
「なるほど。判定装置ってわけか」
(ダンゴ。クロ。容姿の性能をレベル1相当にしろ)
俺も一本もらって、手首に巻き付ける。最初は真っ赤になっていたものが、数秒後にはベージュ色に戻った。
無茶ぶりだと思ったが普通にできるのな。有能すぎて助かる。
「ヤンデ。準備運動の残りもやるぞ。ついでにレベル1の限界も体感しろ」
「望むところよ!」
結局ヤンデは何度も変色させることになる。
「待ちなさい! このっ……雑魚の分際で、逃げるんじゃ、ない、わよ!」
ヤンデの運動神経は予想通り、しょぼいものだった。
レベル62の下地がある分、デフォルト・パフォーマンス基準なら体力無限みたいなものだから無傷で何度でも挑戦できているが、ニャーを捕まえられる兆しは無い。
息するように転んでは、手首の植物を赤く変色させている。
「おねえちゃん……」
「これだからぼうけんしゃは」
おかっぱちゃんは憐憫の眼差しを向け、お団子ちゃんはなぜかしたり顔だ。
「オリバは黙ってなさい。ダグネス、あなたは良い度胸してるわね。あとで見せてもらうわよ」
ちなみにおかっぱちゃんがオリバで、お団子ちゃんがダグネスである。さっきヤンデに名乗っていた。
俺には教えてくれないそうだ。ダグネス曰く、ぶさいくだから。殴るぞ。
「にいちゃんもこうさんするなら今のうちだぜ?」
「誰が降参するかよ」
「ほらよ」
半袖半パンのわんぱくボーイことワスケが何かを手渡してくる。
それは先端にぽんぽんのようなものがつき、長い紐が持ち手まで繋がったもので――ああ、飼い猫と遊ぶアレか。
「要らん」
「ねえちゃんにはじさらしても知らねえぞ」
「そんな余裕は無さそうだから大丈夫だろ。それより檻だけ用意しといてくれ。とりあえず三つ」
「三匹も? ねえちゃんがいるからって、みえをはるのはよくないぜ」
「意外とボキャブラリー豊富だなワスケ」
「あ、にいちゃん! 待てよー」
俺はのんびりするほどノロマでもなければ、空気を読むほどお人好しでもない。
さっきから遠目でこちらを見ているニャーに近づいていく。
逃亡されない程度に小走りで近寄り、接近するにつれて速度と足音、体勢を落としていく。
(ニャーという呼称からまさかとは思ったが、そのまさかだ……)
狩猟の対象、ニャーと呼ばれる獲物だが――どこからどう見ても猫だった。
(動物はモンスターとの生存競争に負けたんじゃなかったか)
パオパオうるさい象女がそう言ってたはずだが。
とりあえず前世と同じ猫、それも日本の街中で見かける種を想定する。
俺は逃げられるギリギリまで接近した後、一気に踏み出した。
無論、レベル1の加減は崩さない。手元の植物が変色していないからセーフだ。この程度、ダンゴと演技しまくってきた俺には造作もない。
「兄ちゃん……。おいつくわけないじゃん」
「そりゃそうだろうな」
まず反射神経からして勝てないし、時速五十キロメートルで走る猫には追いつけるはずもないし、何より体格差の違いが絶望的だ。
小さい生物は小回りが利く上、神経の信号伝達も速い。猫サイズは、人間から見ればチートにも程がある。
(見た感じ、前世の街中の猫とパフォーマンスは大差ない。野良猫くらいか)
距離を開けてピタリと静止し、こちらをうかがうニャーに、俺は再び近づいていく。
この接近が実は心理戦である。露骨に追いかければ見失うほど引き離されるし、時間を与えすぎれば回復させてしまう。
そう。
「ニャーとの戦いは持久戦なんだよ」
トレーニングの一環で、街中の猫を追いかけていた時期がある。
パターンが分かれば飽きるのだが、人生で上位に入るほど刺激的な時間を過ごせたと思う。不法侵入や器物損壊もたくさんしたけどな。
もう手首をチラ見することもない。
パルクールとは己が身体と向き合う禅なり。
限界も、加減も、仕様も、すべてが手に取るようにわかる。覚えている。
まあそれを犯罪込みの遊びに使っていたわけで、禅を語るなどおこがましいのだが。
「にいちゃん……」
ヤンデと同じに見えるかワスケ。だとしたら節穴だ。
いいから黙ってみてろよ。動画で撮れないのが惜しいが、猫との戦いはそこいらのスポーツよりも見応えがあるんだぜ。
と、親密度を稼ぐためにワスケに披露できれば良かったんだが、どんどん離れていきやがる。
この森は街中と違って障害物が少なく、竹林みたいに密度が乏しくて見通しもいいので悪くない。
ただ傾斜と凹凸はひどくて、山中と言っても過言ではないレベル。ゆえに純粋な走力ではなく、パルクールによる移動の総合力が要求された。
反撃しては距離を置かれ、心理戦をしながら近づいて、また反撃しては引き離され――
いつの間にか、ワスケの声も聞こえなくなった。
(一番注意が必要なのが体力だな。バグってる俺は消耗にも回復にも気付けない)
実際に発揮した運動量から体力消費を、実際に休んでいる時間と体勢から体力回復を推し量る必要があった。
少しでもレベル1水準を超えてしまうと判定が入ってしまい、ニャーがマズくなってしまう。
(別に難しくはないけどな)
パルクールで扱う情報量は他のスポーツとは比較にならない。
何せ失敗したら大怪我や最悪死にも至るフィールドで動き続けるんだからな。一発勝負のエクストリームスポーツを何度もやるようなものだ。
人間は生物として運動精度がたかが知れているため、危険を回避するには頭でカバーするしかない。
これがめちゃくちゃに疲れる。一時間イメトレしただけでも、目に見えて体重が減るほどに消耗するのだ。
その分、脳の性能はグンと引き出せる。
体力の擬似再現などという離れ業もできてしまう。
(次で終わり、だ!)
二十六回目の反撃にて、俺はニャーの確保に成功した。
首を掴んで持ち上げる。
力尽くで拘束する必要などない。この戦いを経た後の猫は死体のように鈍い。
(絶命させれば判定はなくなるんだったな)
デフォルト・パフォーマンスは呼吸面も再現しなくてはならない。
独り言を発する余裕はないので、俺はひたすら胸中で呟く。ちょっと寂しいな。俺は割と口に出すタイプだ。
(首を、こうするんだったな)
ニャーの首を潰す勢いで握り、構造を確かめたところで――俺はそれを折った。
生体反応が完全になくなるのを待つこと二十秒。意外と長い。特に頭部。
「……よし、一匹」
当たり前だが罪悪感は無く、俺はこの死体の味に思いを馳せるなどする。直後、そういえばバグってて味も丸め込まれるんだったと思い直す。残念。
元々食に関心は無い方だが、恋しくなるものだな。
猫関係ねえけど、ジャンクフードとか久々に食いてえわ。
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