第35話 契機

 天空を貫くようにそびえ立つ大木の数々。

 否、大木という言葉すら生ぬるい。何せ直径は数十メートル数百メートルに達し、高さに至っては海底から雲にまで突き抜けているのだから。

 そんな奇跡のような木々は『ジャースピラー』と呼ばれ、とある種族の住処となっている。


「王様。緊急事態でございます。このようなものが」

「なんだい? ボクはバサバサで忙しいんだけどなー」


 バサバサとはその種族において性交を指す言葉だ。


 王様と呼ばれた男は、後ろから女に抱きついていた。

 女は巨木に両脚でしがみつき、一見でそうだとわかる表情を浮かべて喘いでいる。彼女の両腕には羽がついており、それらもまた自らの快楽を示すようにバサバサと上下する。


「申し訳ございません。さきほど、このようなものが飛んできました」


 王様に報告している女もまた両腕に羽を生やしている。

 片腕で羽ばたいて滞空を維持しつつ、空いた手を差し出す。そのかぎ爪は一体の死体を掴んでいた。


「……死体? 流れ弾にしては珍しいな。貸したまえ」


 彼は性交中の女を突き飛ばし、報告者の手からも死体を乱暴に、しかし傷付けないようにかっさらう。

 しばし、まじまじと眺めていたが。


「――しい」

「……ご指示でしょうか? 失礼ですがもう一度――」

「美しいぃ!」


 常人なら鼓膜が破れるであろう音量だった。


「……その死体が、ですか」

「見て分からないのかい!? この美しさっ!」

「は、はぁ」

「この死体――人間にしては壊れ方が奇跡なのだよ!」


 男は愛おしそうに死体に頬ずりをする。


「下界の下等種にもボクレベルの火力を持つ奴はいる。誰かがこの子にそのレベルの攻撃を放ったんだろうね。この子単体なら間違いなく跡形もなかった。見たところ、レベル100にも至らない雑魚だ」

「……」


 報告に来た女の眼差しから軽蔑の色が薄れていく。

 この王様はだらしないが、それ以上に強い。レベル100――第二級冒険者の上位さえも雑魚と称せるほどに。


「ところが、別の誰かが彼女をかばったんだ。魔法やスキルでは防げにくい火力だからね、体を張ったんだろう。しかしカバーしきれなかった――でも! それが奇跡を生んだ!」


 男は興奮した子供のように語る。


 もし防御が深すぎたら、この人間はここまで飛ばなかっただろう。

 逆にもし防御が浅すぎたら、この人間はここに飛んでくる前に骨一本残さず散っていたことだろう。


「わかるかい? これは奇跡なんだよっ! ボクのような強者だからこそわかる。この程度の雑魚をここまで飛ばしてくる塩梅が、奇跡的に絶妙なんだ! わかるかい!? 海岸から一つの小石を見つけるようなものさ!」

「……」


 女は黙して傾聴していた。

 王は興奮している。下手に反応して機嫌を損ねてしまえば、首など一瞬で吹き飛んでしまう。


「これは運命とさえ言える! 神はボクに何を望んでいるんだい? うはっ、うはははっ! どうしようか!? どうしてくれようかっ! とりあえず犯してみよう!」


 王の高揚と屍姦しかんは小一時間続いた。




      ◆  ◆  ◆




「我らの偉大なる神『サクリ』様が、悪しきアルフレッドの悪女を葬ってくださった。今こそアルフレッドに進出し、教義を布教する好機! これは啓示です。サクリ様が与えてくださった啓示なのです!」


 三大国の一つ『オーブルー法国』の中央教区大聖堂内には、何万という教徒が詰め寄っていた。

 堂内は球場のような広さを誇り、段々状に配置された長椅子に教徒が腰をかけ、両手を合わせている。

 教徒の正装は青色のローブだ。ゆえに堂内は青一色に染まっている。


 教徒の海に声を届けているのは、堂内中央に浮かんでいる一人の人間。

 いや、性別はおろか人間かどうかさえもわからない。赤のローブに身を包んだそれは顔さえも判別がつかず、声もどこか中性的で機械的だ。


 ただ、それの声は絶対だった。

 赤が許されているのはただ一人――教皇だけである。


 赤きローブの声により、青色の集合体はまるでひとつの生命体のようにうごめいていた。


「いいねぇ、ワクワクしてきたよアタイ」

「私も行きたかったです」


 そんな様子を講堂の隅から見ている影が二つ。二人とも緑のローブを着ている。


「教皇様に口出しするのかいアナバ? 言ってたじゃないか。王都リンゴの地下には衝撃吸収システムショック・アブソーバーが搭載されてる。アンタとは相性が悪い」

「地上で砂嵐を起こせばいいです」

「それじゃ目立たないだろ? なぜ教皇様がアタイに任せてくれたかって話さ」


 上機嫌の方が自らのフードをはぎ取る。長い赤髪と、一目で好戦的とわかる女豹のような顔立ちが表れた。


「いいかい。今回の侵攻はほんの小手調べなんだよ。同時にパフォーマンスでもある。想像してみな――火の海に包まれる王都を」

「アングリは野蛮です」


 アングリと呼ばれた赤毛の女は、手のひらに出した燃えさかる炎を見ながら口角を歪める。


「リンゴにはアウラもいるしねぇ。楽しみだよ……」


 間もなく教皇の演説が締められ、堂内は爆弾のような盛況に包まれた。




      ◆  ◆  ◆




 とある屋外大浴場は休日夜のスーパー銭湯のごとく繁盛していた。

 その中でも一際目立っていたのが、大浴槽の中央あたりに陣取る集団だ。


「なあブーガさん。もうちっと何とかならねえか? オレは人一倍働いてるっつーのに、給金が他の奴らと同じじゃやる気が出ねえよ。なあ?」

「そのとおりよ」

「良いこと言った!」


 男の一人が湯に浮かんだぼんからさかずき徳利とっくりを掴む。

 自ら注いで一息で飲んだ後、盃をブーガと呼ばれる男に渡すも、「私は飲まぬ」彼は首を横に振った。


「相変わらず堅え御仁だなぁ」

「もうちょっと頭を柔らかくして考えてみようや」

「何ならワシらを政府で雇ってもええで? やる気が出る策を考えてやるよ」


 男達が酒気混じりにワイワイする横で、ブーガは何食わぬ顔で湯に浸かっていた。


 皇帝ブーガ。

 『ダグリン共和国』を治める英傑である。

 その肩書がわからずとも、その姿を見ただけで人は自然と畏怖を抱くに違いない。体格こそ冒険者としては珍しくないサイズではあるものの、身にまとう雰囲気は覇者のそれであった。


 実際、それがわかる者は、たとえ皇帝が平民であっても無闇には近づかない。否、近づけない。

 こうして別け隔てなく接することができるのは、そういったことに無頓着な職業ジョブの者だけだ。ブーガ自身もまた、自分のそばでくつろいでいる者達が農民であることを即座に把握していた。


「皇帝さんもたまには自分を労ってあげーや。ほれ、飲みなって」


 ブーガはもう一度首を横に振ると、重たそうな口を開いた。


「やる気は金で買うものではない」

「じゃあ何で買うんだ?」

「ワシらのような不満はごまんとあるぜ? 真面目に考えてほしいんだよ皇帝さん」

「いいから飲んでみなって。この銭湯の酒、美味――」

職業ジョブは絶対だ」


 ブーガの有無を言わせない語り方に、思わず全員が押し黙る。


「同時に義務でもある。果たせぬ者は罰するまで。獄中で暮らしたいか?」

「ちょ、ちょっと待った、そういうんじゃないですって」

「やだなぁ皇帝さん。ワシら、ちゃんと働いてますって」

「それで良い。各自、与えられた任を全うすればそれで良いのだ。不満はあれど、生活はできておろう?」

「たしかにそうですけど」

「でもなぁ……」


 不満を口には出さないが顔には出している男達。ブーガは彼らを一瞥した後、ざぶんと立ち上がる。

 一流の戦士として完成された肉体には、同性の目も惹きつける魅力があった。


「不満があるなら職業変更試験ジョブチェンジを受けよ。政治を変えたくば、役人に就くが良い」

「役人って……」

「そんな無茶な」


 そう言い捨てたブーガは大浴槽を横切り、ふちをまたぐと、ばっと両手を広げた。


「不満を持つ諸君らに朗報がある。我らダグリン共和国は、近いうちにアルフレッド王国を攻める。ゆえに臨時の職業変更試験ジョブチェンジを開催する予定だ。変えたい者は、己が行動で示せ」


 皇帝の唐突な爆弾発言に、浴場内が瞬時にヒートアップする。

 思わずブーガに詰め寄ろうとする者もいたが、本能的な恐怖で近寄れなかった。実力者であれば、それがオーラによるものであるとわかっただろう。


 かけ湯をするブーガの元に、一人の男が近づく。


「契機は第二王女の件ですか?」

「そうだ」

「あ、私、軍人として勤務している者です」

「良い。こうして近寄れるだけでも大したものだ。引き続き励むが良い」

「ありがたきお言葉。――にしても、意外ですね」

「意外?」


 身体を拭く用に積まれた布を取り、二人並んで水分を拭き取る。


「ええ。ブーガさんは国を乗っ取りたいとか戦い続けたいとかいった狂人ではないでしょう?」

「そうだな」

「だったらどうして」


 惚れ惚れするような早業であっという間に拭き終えたブーガは、既に歩き出している。

 横顔だけ向けて、彼の問いに答えた。


「この国が、長くはたないからだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る