(約3500文字) その二 branches of fruits trees

「イテエエエエ! イテエヨオオオオ!」

 男が少年から離れ、拳を貫くとがった枝をとっさに引き抜く。血が噴き出し、そのあまりの量と痛さに、再度男が絶叫を上げた。

「なんでだよッ! ユーはオイラの『ダンスダンスミラーダンス』で催眠にかかってたんじゃないのかよッ!」

 少年は答えない。いや、脳震とうを起こしているせいで頭がまだグラグラし、返事をすることができないのだ。代わりに、ゆっくりと、男に見えるように顔を上げる。傷付けたくはない、でも、殺されないために、自分が生き残るために、仕方なく攻撃してしまった。そんな悔恨を表すように涙に濡れているその顔は、ぎゅっと、瞳を固く閉じていた。

「な……ッ⁉」

 思わぬ反撃にあったという心理的ビハインドもあってのことかもしれない。驚きの声を漏らした男は、思わず口走ってしまう。

「気付いたのか……ッ⁉」

 先ほどよりはマシとはいえ、まだ頭がクラクラし、ハアハアと息を荒げる少年は、一言、やっとの思いで返事をするのが精いっぱいだった。

「…………やっぱり、そうだったんですね…………」

 しまった……ッ! 男が口を押さえるが、ときすでに遅し。男のその一言によって、少年は男が言っていた技『ダンスダンスミラーダンス』の特性について、ある程度の確信を持った。

 男のダンスを見ていたら、急に思考が飛んでしまい、何を考えることも何をすることも、男が目の前に立っていることすら気が付かなかった。

 そしてそのまま殴れば早いのに、なぜか男はそうしないで、殴る前に『ダンスを踊り』始めた。

 この二つの事実から導かれる推論は、『男のダンスには思考を停止させる』何かしらの能力があるのだろうということ。脳震とうを起こすパンチを確実に決めるために、思考停止ダンスを踊っているに違いない。

 男の思考停止ダンスの具体的な発動条件についてはまだ分からないが、少なくとも、『見る』ことがその条件の一つらしい。

 ならば対処法は簡単だ。『見なければ』いい。このことを少年は考えるよりも早く、本能的に直感的に気付いたのだ。

 『ダンスダンスミラーダンス』の催眠効果の発動条件について、少年は知る由もないし、男が戦いの中で説明することはないだろうから、おそらく今後も知ることはないだろう。すなわち以下はただの余談に過ぎない。

 『ダンスダンスミラーダンス』の催眠効果はダンスそのものではなく、男が着ているジャケットに描かれている油膜のような文様によるものだ。この文様には超常的な効果が付加されていて、着ている者――この場合は男がダンスを踊ることによって、見ている者に催眠をかけて思考停止状態に陥らせることができる。

 この催眠効果はダンスを踊っている間しか発揮しない。

 ならば男が鏡に映る自分自身を見て、催眠にかかるのではないかと疑問に思うかもしれないが、身に着けたサングラスによって男自身が催眠にかかることはない。サングラスの色合いが、ジャケットに描かれている油膜のような文様を見えなくさせているからだ。

 つまるところ何が言いたいかというと、サングラスを持たないものがこの催眠効果を打ち消す方法は、少年がとった『瞳を閉じればいい』という行為そのものに他ならない、ということだ。

 戦闘に戻る。

 ドクドクと血が流れる手の痛みをこらえて、なんとか気持ちをリセットした男が、だからどうしたと言わんばかりに不敵な笑みを見せる。

「HAHAHAHA! ちっとばかり油断したが、目を閉じたままでオイラと戦うつもりかい。甘い甘い。ダンスで殴るだけがオイラじゃないZE! いまボッコボコにしてやるからNA!」

 それを一言で表すならば、動けるデブという言葉が当てはまるだろう。その巨漢に似合わず、男は抜群の運動神経を発揮し、猛スピードで少年へと迫った。少年は瞳を閉じたまま、見えない相手に対して、暗闇の目前に迫る殺気に、身体中の勇気を総動員して、口を開く。

「……俺はあなたを、誰も傷付けたくなんかない……でも、あなたがどうしても俺のことを殺そうとするのなら……俺はッ……!」

 少年の考えていることなんか手に取るようにわかるぜ。オイラが殴ろうと目の前に来た瞬間に、目を開けて、逆に殴り返すつもりだろ! そうはさせない!

 猛スピードで少年へと迫っていた男は、彼の正面一歩手前で真横に飛ぶと、そのまま少年の背後へと回り込んだ。加えて、周囲の鏡によって男の位置が分からないように、それらの鏡を瞬時に消して、普通の壁床天井を出現させる。

 これなら土壇場で目を開けても意味はない! 怪我をしていないもう一方の拳を力強く握りしめ、少年の後頭部目がけて二撃必殺のパンチを繰り出した。

 ……食らえッ! セカンドインパクトシンドローム! 声には出さない。声で位置が分かってしまわないように。

 が。男の目論見に反して、目を開けてようが閉じてようが殴りかかってくる方向が分からないはずなのに、少年は身体を少しだけ横にずらし、男の二撃必殺のパンチをかわした。

「なにいッ⁉」

 顔の横を空振りしていく男の拳にそっと手をかざし、その手のひらを淡く輝かせて、少年は男のもう一方の拳にとがった枝を突き立てる。

「イテエエエエ!」

 拳から血しぶきを上げながらもんどりうった男は、振り返る少年の瞳が依然として閉じられていることに、さらに驚愕に満ちた声を上げる。

「なんでだよおおおお⁉ なんで⁉ オイラの場所が分かったんだよおおおお⁉」

「……ということは、当たってしまったんですね……」

 まるで自分の身に起きた痛みのように少しだけ悲しそうな声でつぶやくと、男の問いに答えるために少年は続けた。

「匂いです」

「ニオイ……?」

 少年はうなずく。

「はい。あなたが一番最初に俺を殴るときに出したミカン、それの匂いがあなたの身体についているから、分かったんです。実はいまだけじゃなくて、さっき、あなたの攻撃を受け止めたときも、それで見当をつけてたんです。これで両手は封じました。もう殴ることはできないはずです」

 無論、ここまで計算して少年はミカンを出したわけではない。そもそもミカンの匂いがついていたとしても、殴るほどの近距離まで近付かなければ感じ取ることなどできない。拳で決着をつけるというこだわりを男が持たずに、遠距離から攻撃していれば、このような怪我は負わなかっただろう。

 痛みをこらえて無理矢理に、男が突き刺さった枝を抜き取る。両の拳から噴き出す血しぶきと痛みにうめき声を漏らす男に、少年は諭すように言った。

「もうやめませんか、こんな、殺し合いなんて。俺たちが戦う理由なんてない。あなただって、ムリヤリここに連れてこられて、ムリヤリ戦えって言われてるんじゃないですか?」

「……ぐ……」

 図星だった。それまで自分の世界に住んでいた男は、ある日、突然呼び出されて、この理不尽な戦いをいられたのだ。しかしこの理不尽な殺し合いに対して、少年には戦う理由はなくとも、男には……。

 さっきまで見せていた余裕ある雰囲気を消し去り、顔をわずかにうつむかせて、男が初めてシリアスな口調で言葉をつむぐ。

「……ユーに……ユーに分かるかよ、オイラのことなんか! オイラはこのダンスでかつてトップに君臨してたんだ! でもいまは何もない、ただの負け犬さ、ただの太ったアフロの中年オヤジにすぎない……踊れないデブは、ただのデブなんだ……自分でも分かってるさ、女神が用意したこの99の戦いで、オイラはネタ要因として選びだされたってことくらい。大爆笑できるような、面白い死に方を期待されていることくらい……だからこそ……オイラは……ッ!」

 男は顔を上げる。脳震とうを起こすパンチは封じたとしても、催眠ダンスはまだ有効だ。そのため瞳を閉じたままの少年に男の表情を見ることはできないが、しかしそれでも、男の全身から放たれている、それまでとは比べ物にならないくらいの、勝利をもぎ取るための戦う【決意】を感じ取って、一瞬ひるんでしまう。

 事実、それまでのどこかしら楽観的な雰囲気を消し飛ばして、男は決然とした表情を浮かべて、言った。

「相手がユーだろうが、誰だろうが関係ない。この戦いにオイラは勝って、オイラはただのデブじゃないって、見返してやるんだ! オイラをバカにしてきたすべてのやつらを! 笑いものにした天使たちを! そして、女神を……ッ!」

 男が立ち上がり、血の滴り落ちる両手を広げて、少年へとかざした。

「オイラの信条に反するから、この技は使いたくなかったけど、仕方ない。この技で、オイラは、ユーに……勝つッ! くらえッ、サウザンドミラーナイフ!」

 男の周囲に突如として無数の鏡の破片が出現し、目の前に立つ少年の身体を八つ裂きに切り刻むため、ものすごいスピードで少年へと襲い掛かった。

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