1章 なんで、真っ赤なんだ? 3
「よし、と」
イーゼルにキャンバスを立てかけ、その他の道具も準備完了。服も、汚れてもいいようツナギに着替えている。
場所は美術室。室内には、俺ひとりだけだ。
放課後はほとんど毎日、ここで絵を描いている。俺の通う、この県立・
もし今年結果が出せなかったら、ここ、使えなくなるのだろうか。そうなったらそうなったで、仕方ない気はするが。
美術室の
このトロフィーは去年の夏、「日本一絵の上手い高校生を決める」と国が新設した美術コンクール、その油絵部門で俺が
美術室が使えるのは、主にこの功績によるもの。
我ながら、よく一年生で獲れたなと思う。多くはきっと、運がよかったのだ。
「……コンクールに出す絵、かー」
どうすっかな。
今は六月の
わかっちゃいるんだけど。うーん……でもなあ。
今、俺が向き合っているのはコンクールに出す絵ではなかった。
それよりも優先して仕上げたいと、どうしても思ってしまう別の絵だ。
「……うん、いいや」
やっぱり、先に仕上げるのは今
パンパンと両手で軽く自分の頰をはたいてから、絵筆を
「…………──」
絵を描く。その状態に入ったとき、時間の感覚は頭から消える。
「ん、……と」
意識が絵の世界から現実へと帰り、グッと伸びをする。
──おー、結構やってたな。
壁にかかった時計を確認すると、二時間ほど
「ん、……あれ? うわマジか!」
満足感に
駆け寄った窓際で外の様子を確認。やはりそうだ、雨が降っている。
窓を開けて手を出してみると、当たる雨の量はさほど多くはなかった。向こうのグラウンドでは、強豪の野球部が「こんなもの雨の内に入らん」とばかりに練習をしている。
だが、雨は雨だ。……傘、持ってきてない!
俺の家までは、ここから歩いて二十分ほどかかる。いかに小雨と言えども、家へ着くころにはずぶ
絵は順調でも、この状況はよろしくない。
「いやー…………まずい」
俺は、情けない話だが、体の強さにあまり自信がない。ずぶ濡れで帰ったくらいのことでも、すぐに調子を崩す。
そうなれば、絵を描くのに
両親は何年も前にいなくなってしまったし、祖父母は遠くに住んでいる。ひとり暮らしの俺には、迎えにきてくれる家族はいない。
「…………どうすっかな」
しかしこうなれば、雨が今よりひどくならないうちに強行突破で帰るしかないか。
なんて、腹をくくりかけたときだった。
「空也、いますか~!? 入ってもい~ですか~!?」
コンコンコンコン! と元気なノックの音とともに、そんな声が聞こえた。
「お? ああ、いるよ。入ってくれ」
「あ、よかったまだいた! おっじゃまします!」
ドアを開けて入ってきたのは、一人の女子生徒だ。
ぱっちりした目つきはいかにも元気そうで、明るい色の髪がその印象に
しかし、なにより俺の目を
そんな彼女が手に持った物を見て、俺は思わず目を見開いた。
「……あ、それ」
「はい! 空也が無理に帰っちゃってなくてよかったです、間に合いました!」
女の子はそう言って、手に持った傘を
「わたしと一緒に帰りましょう! この傘はおっきいのでふたり余裕で入れます!」
たとえ百メートル離れていたってわかるくらいの、輝くような笑顔が咲く。外が雨降りで薄暗くても、彼女の周囲は明るく見えた。
「助かる! ありがとう、
一つ年下の一年生である彼女は、俺の幼なじみだ。
「傘、持ってもらっちゃってすみません……」
「これくらいはさせてくれ。俺の方が背も高いわけだし」
昇降口で靴を
「翠香は、こんな時間までなにを?」
「クラスの子たちに頼まれて小テストの解説を! それから、女子バスケ部の
「あいかわらず
「そ、そんなこと絶対思ってないくせに!」
「思ってる思ってる、ありがたやありがたや」
「あ、あ、あ~わわわわ! やめてください空也ぁ!」
彼女の頭に手を置き、その柔らかな髪をぐしゃぐしゃとかき回すと、むくれた顔で「もう!」と
コミカルなほど、翠香は表情がいつもはっきりしている。
「翠香が人気者なのは本当だ。校内の有名人」
「そんな、別に大したものでは……」
本人は謙遜しているが、実際、一年生ながら翠香は、校内で本当によく顔の知られた生徒だ。親しまれているし、
幼なじみの
ノリこそ明るくライトだが、
コミュ力は
その人柄を見込まれ、入学早々、生徒会執行部にもスカウトされている。
考えてみると、すごい話だ。
人を愛し、人に愛され、いつでもみんなの中心にいる。それが吾道翠香という女の子。
ちなみに言うなら家柄まで良く、彼女は、このあたりの地域で名家と名高い吾道家の
「……空也? どうしました? 人の顔をじいっと見て」
「いや、なんでも」
さっき冗談めかして恐縮だなんて言ったが、それはまるきり
「むむ、お疲れですか? もしかして、休憩なしにずっと絵を描いていたんですか?」
「ああ、気がついたら雨降っててビビった」
「むむう……」
その形の良い
「力を入れるのは良いことですが、適度に休憩はとらなければ。体を壊しては元も子もないのですから。集中したら止まらないのは昔からよく知っていますが……」
「そうかな……そうだな、そうかも」
「そうです! そもそも、空也はいつもがんばり過ぎなんです! わたしはとても心配しています。何より大事にすべきは自分の体なんですから、どうかもっと……あっ、そこに水たまりがあります! 気をつけてください」
「おっと、ありがと」
「いえ。それと、傘をもう少しあなたの方に寄せてください。そのままでは肩が濡れてしまいます、体が冷えてはいけません! もしもう雨がかかってしまっているなら、ハンカチがありますから」
「大丈夫、濡れてないよ」
俺は思わず苦笑する。年下ながら、翠香は昔からずっとこんな調子だ。
体が強くない上に、絵のことになると自己管理がおろそかになりがちな俺を心配し、ひどく手厚く気を配ってくれる。
しかし、あんまり心配やら面倒やらかけないようにしないとなあ……なんて、思っていた矢先だ。
「すまん
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