二次元都市の探偵事務所

 仙台駅に着いてから徒歩五分ちょっと。


 低めなビル群の一階部分に軒を連ねる生鮮食品店などの賑わいから、やや外れた一角にある路地裏。ボロい雑居ビルを訪ねた。

 二階部分の八枚の窓には一文字ずつ、『二次元探偵事務所』と刻印されている。同様のことを掲示する小さな看板も路肩で客を待っていた。

 内部の階段を登ったそのフロアの入り口ドア前で、大きく深呼吸をしてからチャイムを鳴らす。

「あ、あの。助手を募集する求人情報を拝見して面接に参りました、和田成です」

 名乗ると、愛嬌のある少女の声がインターホン越しに応えた。

『入ってわたしがいる事務室まで進みたまえ』

 それだけで終わる。

 ころころとした声色によるあっけらかんとした応答。履歴書を送って面接の日時を電話で指定されたときもこうだった。


 恐る恐る玄関を開けて進むと、短い廊下を挟んで〝事務室〟と書かれた扉を開けた。

 緊張の空気が流れ込むような感覚。そこは、整頓された広い空間だった。

 壁際には、図書館と見紛うばかりの調査資料らしき書物を孕んだ本棚たちが整列し、中央には来客用と思しきテーブルとそいつを囲むソファー。突き当りの壁の上には、額縁入りのどでかい横文字で『三次をわらう者は二次に泣く』という、達筆な書道がしたためられていた。この下には外から窺えた窓を背に机で席へ座し、こちらを向いている人影がある。

 カチューシャで飾った銀の長髪に、片目が紅いオッドアイ。外見はせいぜい小学校高学年かそこら。ゴスロリ風の黒いドレスを纏った美少女だった。


「よく来たね」

 彼女が口を開く。

「わたしが二次元探偵事務所の名探偵、複家紗流ふくやしゃるだ。二次元関連事件を専門に扱っている。さあ、近寄りたまえ」


 卓上をトントンと指で叩いて示した。

(自分で名探偵って言うのか、つーか君が二次元だろ)

 などとツッコみたくなる衝動を必死で堪える和田。とりあえずはおずおずと、指示通りに机を挟んだ少女の目前まで歩いた。

 紗流はなにもかもが常人離れしているが、勾当台公園にいた人々のような質感ではない。アニメや漫画でなく、紛れもない普通の人間なのだ。

 実写やそれと見分けがつかないCGの可能性は捨てきれないが、その実体化は人権の扱いに関する多様な問題が生じるなどとして規制され、当初より〝二次元実体化装置〟の製造段階から不可能にされていた。

 疑って調査したマスコミらもいたが、彼女にはれっきとした三次元人としての経歴があり偽造の形跡もないという。


「ふむ、役所の帰りに寄ったというところかな」

 来客が目近に立つなり探偵は看破した。机上のマグカップに満たされたコーヒーをひと口啜る。

「えっ、どうしてそれを?」

「肩に髪の毛がついている」

 カップを置いて、彼女が指差した。驚いた和田は、指摘されて初めてそれに気付いた。

 途端、赤と青の二本は〝三次元化さんじげんか〟されて蒸発する。

「二次元では珍しくない配色だが」

 彼女は言ってのける。


「正確にはカラーコードで#EA0010と#001DB0だな、対象は限定される。仙台でそんな組み合わせの二種とくれば、まずあの男女の伊達政宗がピンとくる。さっき決闘の合図である法螺貝の音色もした。毛髪の主と遭遇してから地下鉄で真っ直ぐここを訪ねたとすれば、時間的にも間がいい。そこまで長く二次元化が解除されずに残りはしないし、仙台に着いて間もないだろう君がこうした場に外出するなら、役所などの用事のある地点をいくつか同時に回った方が楽だろうしな」


 茫然とする助手志望。

 どうやら雷名通り、〝名探偵〟は伊達じゃないらしい。

 あの正宗たちの法螺貝は、決闘場所を発信源として仙台のどこへでも一定音量で届くように二次元化で調整されているとは和田も知っていたが、たいていは青葉城から聞こえるはずのそれがなぜ勾当台公園からのものと断定できたかまでは判然としなかったが。


「さて、とりあえず面接を始めようか」

 これまたいきなり、外見少女は切り替えてきた。

「へっ!? ……え、えーと。ぼくは……」

 初対面のインパクトに上ずった声の和田。それでもとっさに挨拶をしようとすると、彼女は手で空を切って制した。

「教本通りのめんどうなやり取りはいらない。君はなぜ二次元探偵の助手を志したのか、情熱を語ってもらおう。どうぞ」

 求人情報誌の募集要項にも、同様の注文が明記されていた。

 中学を卒業したばかりでバイトもしたことがないから高校入学時以外の面接については無知で調べたつもりが、やはり勝手も違うらしい。

「隠しごとはしないでくれ」紗流は繰り返した。「正直に全てを吐き出したまえ。忠告しておくが、先客の半端な志望者は全員落としたぞ。雇うのは一名だけだ」

 和田は、重たいつばを飲み込んだ。こうなったら覚悟を決めるしかない。

 幼少期の追憶が脳裏でちらついた。


 大好きなアニメのグッズを手にしながら、そのキャラクターが出演する様を楽しもうと高揚した気持ちでテレビ前に陣取った自分。

 突如中止された番組は悲劇を伝える臨時ニュースに打って変わった。

 アニメキャラたちの実物が実写の風景に現れ、三次元の人々と争い、両者の倒れる中継映像が網膜に飛び込んできたのだ。

 あのとき、将来を決めたのである。


 一息吸って心を落ち着けてから、和田ははきはきと吐露しだした。

「ぼくは物心がついたときには、アニメや漫画やゲームが好きでした。それもちょうど〝新虚構実在論〟が証明された時期で、二次元と一緒にこの世に生まれたみたいで嬉しくて、親近感も湧いていたんです。でも、幼稚園児のときに、〝強制実体化事変〟が起きて――」



 二二世紀初め。

 宮城県仙台市にある北東ほくとう大学の教授、黒瀬東智くろせとうちを中心とした研究チームが〝新ホログラフィック宇宙論〟を証明した。宇宙は、〝事象の地平面〟という二次元上に記録された情報ホログラムのようなものである、という理論だ。

 彼らは研究を進め、〝新虚構実在論〟も証明した。こちらはホログラフィック宇宙論を下敷きに、二次元などのフィクションの世界も別宇宙として実在する、というような理論である。

 こうした功績で黒瀬教授はノーベル物理学賞を受賞。主張に基づいて二次元実体化装置が発明され、仙台市で本格的な実証実験がスタートした。


 ところが。


 約十年前。二次元実体化装置は原因不明の暴走を起こし、仙台市を中心に推定一億体ほどの二次元人を無作為に実体化させた。

 多くの二次元人は突然の事態に錯乱し、三次元人も過剰反応したために両者は衝突。〝次元大戦〟という戦争となった。

 ほぼ壊滅した仙台を中心に、世界中で三次元と二次元合わせて数千万人の死傷者を出したとされている。

 各国の軍隊などが鎮圧に当たったが、二次元には通常兵器が役に立たなかった。むしろ、次元的優位性から三次元の生身の肉体や精神こそが有用だとのちに判明する。

 二次元人同士の二次元化は純粋な力比べになるが、彼らがこの世界に来て以降の二次元化を三次元人は赤ん坊ですら紙に描いた絵や不要なデータのように扱える〝三次元化〟という自然の法則があると広く明確になるまで、騒乱は半年続いた。


 一連の出来事のきっかけとなった実体化装置の暴走は、正式名称を〝仙台二次元大量強制実体化事変〟と呼称されている。


 以降、惨状を目の当たりにした他国は実体化の研究を中止。すでにそれを行ってしまった仙台は日本政府によって閉鎖都市とされ、世界で唯一のその研究場所となった。

 黒瀬教授は責任を追及され非を鳴らされたが、事変最中に行方不明となっている。

 二次元と三次元、双方の穏健派たちの働きでなんとか両者の和平は結ばれ、二次元の技術も活用されたことで復興は早かったが。

 それでも、強制実体化の惨劇から次元間のぎくしゃくとした関係は拭いきれてはいない。

 現在の仙台は人口約三〇〇万人。

 二次元人はこの三分の一。特殊な形態なため数えにくい者や届け出ていない者もおり独自に子孫を増やすことが可能な人々もいるが、把握されているだけでおよそ地球に現存するとされる総数一千万人の十分の一である一〇〇万人が暮らす世界最大の二次元都市となっている。



「そんな親しみを持っていた二次元人との関係が大変なことになっていたわけですから、どうにかして助力になりたいと望んできたんです。ぼくは二次元の素晴らしさを三次元の人たちにもっと伝えたい。そうすることで、両者の溝は埋まっていくのではないでしょうか。二次元人の近くで生活に係わる様々なことに協力できるこのお仕事は、彼らについて直接学べる魅力的な場だと思えました。あなたの評判も伺っていましたし――」


「二次元人の素晴らしさか」

 和田の訴えに、紗流は口を挟んできた。

「彼らは三次元人と違うところもあるが、同じところもある。君は、二次元人のどんなところを魅力と捉えているんだ?」


「……ええと」

 途中で質問されて、助手志願者は冷や汗を掻く。しどろもどろになりながらも、回答を試みた。

「そ、それぞれのキャラに沿ったいろんな特色があるでしょうから、一概には説明しにくいですが。実体化以前から、二次元が実体化したらいいなと夢見させるような良さがあって――」

「キャラに沿った、ね」

 どきりと和田の心臓が飛び跳ねると、探偵は椅子の背もたれに深く身を沈めて宣告した。


「不合格だな。君の二次元愛は足りない」


「どうして!」

 自信満々だったのに浴びせられた辛辣な言葉に、和田成はたまらず抗議する。

「とはいえ」ところが、紗流は付言した。「名前がおもしろいから合格にしておく」

「へ?」

 今度は別な意味での衝撃で、少年は立ち尽くす。

 そんな様を名探偵はおもしろそうに眺め、コーヒーを一口啜ってから呼んだ。

「ワダソン。小説という二次元世界の古く高名な探偵、シャーロック・ホームズの助手ワトソンみたいじゃないか。彼らは日本に実体化していないしちょうどいい。君は今日からわたしの助手、ワダソンくんだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る