第20話 18番ホール それぞれの想い


ダブルス選手権が終わり、俺は仕事とゴルフに千夏?に追われあっという間に

12月も残り2週間となった。仕事もゴルフも僅かながら俺なりに手応えを感じ面白くなってきた


ある日、天地会長がうちの社長に年末の挨拶とかでと伺いたいと瑞希さんから連絡があった。もちろん喜んでお受けしたが、瑞希さんの言葉の奥に何か引っかかっているものがあるような気がした。それは会長が来られて初めて知る事になり、俺に取って一大事になるとは想像もしていなかった。


その日は朝から小雪がチラつき、都内の電車も遅延していた。テレビの天気予報で午後から大雪警報が出されていた。こういう日は会社も早く帰るようアナウンスが出るのだが、会長が来るのが16時だから帰るに帰れない。


「よお、沢田ちゃん。元気だったか?」会長と会うのは3週間ぶりだが、相変わらず威勢がいい。瑞希さんも一緒だったが、社用車から離れようとはしなかった。


会長と瑞希さんを児玉社長のところへ案内しようとすると、瑞希さんは社用車で

待つからいいと会長に言われた。俺は何か嫌な予感がしたが、図書館の件だとは

思いたくなかった。


会長の“夢プロジェクト”は、まず来年度中に図書館を建設し、その後2年かけて

自然公園や総合博物館、美術館を整備する計画になっていた。

後者は自治体や国の補助を受けるので予算計上に時間がかかるためだ。

応接室には会長と児玉社長の他に巽部長と榊原さんが同席していた。


「児玉さん、ご無沙汰しとります。東京は暖かくていいですなあ!」

確かに仙台は寒いだろうが、暖かいと感じるのは天地会長だけだろう。

「いやいや、こちらこそ天地さんとゴルフの約束をしておきながら、

日程が取れずに申し訳ない。春には必ず伺いますのでその時はお願いしますよ」

そんなやり取りが少しの間続いた。突然、天地会長が真顔になって言った。


「今日は児玉社長にお願いがあってお邪魔しました。是非承知して欲しいことがあります」

社長と部長は平静だったが、俺はびっくりした。今まで天地会長の姿を見たことはなかった。

「ここにいる沢田大樹くんを私に譲って欲しい」

なんだこのおっさんは!?物じゃないんだから譲ってくれはないだろう。

そもそも“譲れ”とはどういうことだ?


「天地さん、譲ってくれとはどういう意味でしょうか?」社長は落ち着いた態度だ。

「沢田くんを我が社で迎え入れ、天地の会社を背負って立って欲しいと考えとります。まだまだ若いし未熟なのは百も承知。沢田くんに将来の大きな可能性を感じてますのじゃ。私がこの手で必ず立派な経営者にしてみせる。付け加えると瑞希の婿にしたいということですわ。この通り頼みます」


天地会長はテーブルにおでこが付くぐらい頭を下げた。


はあ〜??俺の人生で一番のおったまげだ。この会長は何を考えてるのか俺には

まったく理解できない。榊原さんはびっくりした様で俺の方を見たが、その目は

明らかに面白がっていた。


「天地さん、頭をあげてください。うちの社員をそこまで評価を頂いて感謝します。私も面と向かって申し入れ頂いたのは初めてで嬉しい限りです」

おいおい、まさか俺を売るつもりじゃないだろうな。


「しかし、私も社長としてハイそうですかと、承知するわけにはいきません。

沢田はまだ入社1年目ですが、当社の将来を背負ってもらう必要な人材です。

そうだな、巽くん」

「はい、天地会長の申し出は嬉しく思いますが、この場では承知しかねます」

“この場では”というのが気になるが、さすが部長だ。


「やはりな、そうでなければいかん」

再び会長の意味不明な発言だ。


「失礼ながら沢田くんが、この場で承知される様な社員でないということが分かった。しかし私も一旦言葉に出した以上、諦める様なことはしませんよ。どうだろう、沢田くんの気持ちを聞いてみるのは?瑞希のことも含めて、是非確認させていただきたい」


社長も部長も半分諦め顔で俺の方を見た。どうも俺の望まない展開になっている様だ。

「天地会長のお誘いは大変ありがたいと思いますが、骨を埋める覚悟で児玉建設に入社しました。その気持ちは今も変わっていません。会長、野球でいえば初登板で初球何を投げるか捕手とサインの交換をしている段階です。申し訳ありませんが、この会社でもっと勉強したいと考えています」

我ながらいい例えだと心の中で自画自賛だ。


「う〜ん。では瑞希のことはどうなんだ?身内の私がいうのもなんだが、いい娘だぞ」

触れたくない瑞希さんのことを聞かれ、こういう会話をここでしていい物だろうかと迷ったが、社長も部長も何も言わないので答えるしかない。


「素晴らしいお嬢さんだと思います。でも瑞希さんもお気持ちが一番大事だと思います」

暗にお断りするつもりの発言だったが、すぐに“しまった”と気付いたが遅かった。

部長が以前瑞希さんは俺に気があるかもと言っていたのを思い出した。


「そこは心配するな。本人にはすでに確認済みだ。瑞希は沢田ちゃんにすでに

彼女がいるはずだと言っていたがな」

会長は勝ち誇った様にニコニコして俺にいった。

小憎たらしい爺さんだ。しかしここははっきり言っておかないと、後でとんでもない事になる気がした。


「会長、この場で私的な話をするのはどうかと思いますが、瑞希さんの言う通り

今付き合っている女性がいます」

会長の目が点になるのがよく分かった。社長も同じ様な反応だと気配で感じた。


「結婚するのか?」あれ、そうくるのかあ。参った、本当に参った。。。

「いえ、そこまではまだ・・・」この日2度目の“しまった”だった。

嘘でも言い切った方が良かったかもしれないと後悔した。

案の定、

「そうだろう、そうだろう。君はまだ若い。いろいろな女性を見たほうがいい。アハハ・・」

会長の笑い声が応接室に響いた。


「天地さん、そろそろうちの若いのを苛めないでやってもらえますか」

部長が助け舟を出してくれた。

「プライベートのことを会社としてどうこう言うつもりはありません。

沢田の気持ちを一番大事にしてあげたいと考えていますから。しかし天地さん、

少し急ぎすぎではないですかね。沢田にも十分考える時間をあげてください」

今度は社長が言ってくれた。


「よく分かった!先のない爺いは気が短くなっていかん。だが今の話、嘘偽りは一切ない。この天地十三郎の本心だ。児玉さん、今日はありがとう。これからも夢のプロジェクトをよろしくお願いしますよ」

「こちらこそ、有難うございます。沢田はじめ当社をよろしくお願いします。」


「ところで巽さん、今晩沢田くんをお借りできないかね。せっかく来たんでゆっくり話したいんだが」

「分かりました。沢田に予定がなければお供させます。沢田くん?」

ちょっと待った!今晩は一席設ける準備をしておこうと料亭を予約していることは部長も知ってるはずだけど・・・。

「いえ、え〜と予定は特にありません」ここは不満だが、部長に話を合わせるしかない。

「そうか。天地さん、良かったら場所はこちらで手配させてもらえませんか。

せっかく来ていただいて何もおもてなしできないとなると会社の体面もありますから」


「それはありがたい。巽さんのお言葉に甘えさせてもらいますよ」

そう言って天地会長は席を立った。一旦東京支店に顔を出してから、俺が予約した料亭に伺うとのことだった。


巽部長と俺で玄関先まで会長をお見送りした。社用車の前には瑞希さんが運転手と待っていた。俺は瑞希さんをまともに見ることができず、瑞希さんも同じ様だった。


車が離れていくのを確認して、

「モテる男は大変だな、沢田くん!」部長は面白そうに言った。

「冗談じゃないですよ。部長、そもそも今日は天地さんと会食に行くんじゃなかったんですか?正直僕に取っては地獄の様に感じます」俺は正直な気持ちを言った。


「天地会長が君と話したいと言ってるんだ。水を刺す様なことは言えないだろう。それに、こういうことは早いうちにはっきりさせておいた方が良い。

恐らく瑞希さんも一緒だろうから。君の気持ちも分からんでもないが、若いからこその悩みだ。悩め悩め!若人よ!!」


可愛い部下一人を地獄に放り投げて、はっきり言って部長は面白がっている様だ。後ろから手帳を投げつけたくなったが、残念ながら俺の射程距離から外れていた。


ところで社長と部長はいいとして、榊原さんが今の話を聞いていたのは非常にまずい。

まさかとは思うが仲良し女子クラブで情報共有されるかもしれない。

千夏の顔が頭に浮かんで離れなかった。


席に戻ると、部長と榊原さんが話をしていたが、俺の顔を見るなり部長が

「社長室に行こうか」と言われた。間違いなく、さっきの話の続きだ。

社長室に入ると、児玉社長がソファーに座る様勧めてくれた。


「さっきの天地さんの話は驚いたねえ。想像以上の行動力だな」

「そうですね。これから取引しようとしている会社の乗り込んで、先ほどの申し入れですからね。私が言うのも失礼ですが、相当な人物です」

「まあ、うちの社員が認められたんだ。私としては誇らしい限りだよ」

どうも、二人で俺を肴にして会話を楽しんでるようだ。


「ところで沢田くん、さっき私が言ったことは私の本心だ。改めて言うが君を手放すつもりはない」俺は少し安心して社長の言葉を待った。

「ただ、天地さんの話はプライベートも含んでいる。それについては、私たちが

とやかく言うことはできない。君が決断すべき事柄だ。無いとは思うが、お断りしたことによってあの会長のことだから図書館の話がなくなる可能性もないわけでは無いが、それは君の責任では無い。縁がなかったと言うことだ」


社長がそこまで考えてくれたことに感激した。会社に遠慮せず俺の気持ちを

大事にしろと言ってくれている。


「有難うございます。私はこの会社で働きたいと思っています。これからもよろしくお願いします」俺は頭を深々と下げた。

「それを聞いて安心したよ。それとゴルフも頑張ってくれたまえ」

そう言って社長は席に戻った。部長は社長室を出るなり、


「如月くんにはさっきの話はするのか?」心配そうに聞いてきた。

「話はしようと思っています。第三者から聞くより自分から言った方が理解して

くれると思いますので」

「それがいいよ。隠し事は無いに越したことはない。女性は敏感だからね。

それはすでに経験済みか!」


部長の言う通りだ。特に千夏はそういう点では女性の中でもピカイチのような気がする。

席に戻り千夏の席を見ていると、榊原さんが千夏は出張先からそのまま直帰すると教えてくれた。先読みの鋭い先輩だ。


「沢田くん、まだ終わってなかったね?」榊原さんの言う通りだ。

「まったくです。気が狂いそうです」

「何言ってるのよ。自分の気持ちに正直なのが一番よ!モテる男は辛いわね!」

部長と同じことを言われた。できることなら、22年間平均してモテる方がありがたい。


少し早めに出て料亭に向かった。普段人より大股で早足の俺だったが、

雪が舞っているせいか今日は足が重く感じた。

料亭で待っている間に、千夏に今晩話をしたいとL I N Eした。すぐに“オッケー”の返信があって俺はほっとした。

なぜか急に千夏の声を聞きたくなって、携帯に電話をした。

「もしもし、どうしたの?今L I N E返したよね」千夏の声だ。


「ちょっと千夏の声が聞きたかっただけ。もう大丈夫」この安心感はなんだろう。

「なにが大丈夫か分かんないけど、ほんとに大丈夫なの?」

「ごめん。後で電話するから。それじゃ」そう言って携帯を切った。


数分してから天地会長と瑞希さんが到着した。瑞希さんは妙に堂々としていた。

予約していた個室に女将が案内してくれた。俺は最後に部屋に入り下座に座った。


会長はいたってご機嫌で、雪の積もる青葉城址の美しさをP Rした。

そう言えば、まだ雪積もる仙台は見たことがなかった。しばらくすると会長がトイレに行くと言って席を立った。部屋には瑞希さんと俺だけになった。急に空気が重くなった。


「瑞希さん、先ほど会長からお話を伺いました」俺は覚悟を決めて話し始めた。

「天地コーポレーションに来ないかと。そして瑞希さんのことを」

瑞希さんがうなずいたように見えた。


「僕には今好きな人がいます。正直に言います。結婚とかはまだ考えられませんが、僕に取ってとても大事な女性です」

「はい、お祖父様から伺いました」瑞希さんは真っ直ぐ俺の目を見て言った。

「すいませんが、そう言うことですのでお断りさせて頂きました」

瑞希さんの視線に負けそうだったが、俺のメンタルのほとんどを使って告げた。


「私、お祖父様によく似てるって言われるんです。顔じゃなくて性格のことですけど」

そう言ってニコッと笑った。俺は目のやり場に困ったが、瑞希さんの言葉を待った。


「お祖父様と一緒で、私諦めが悪いんです。沢田さんにお会いするまで、今まで

こんな気持ちになったことは一度もありませんでした。ですから、この想いは

大事にしたいんです。ご迷惑でしょうか?」

この人はつくづく強い人だと思った。何とかしてあげたいが、こればかりは

どうしようもないのが現実だ。


「すいません。僕には瑞希さんのお気持ちに応えられそうにありません」

俺は悪いことをしているような気分になった。もしかしたら悪いことをしている

のかもしれない。


「瑞希さんは強い人ですね。僕は心から尊敬します」本心からそう思った。

「強いなんてそんなことないですよ。自分の気持ちを正直に言わせて頂いただけです。沢田さんにご迷惑をかけていることも承知しています。これからもご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします」それって、諦めてくれないと言うことか!?


そこに会長が勢いよく戻って来た。

「いや、すまんすまん。年を取るとキレが悪くなっていかん!さあ飲もうか!!」

瑞希さんはそれまでの会話がなかったかのように、楽しげに喋っていた。

会長や瑞希さんに嫌な思いはさせたくないと、最後まで俺も楽しそうに振る舞った。

この日は会長が疲れたと言って、2次会はなく10時過ぎにお開きとなった。


瑞希さんとのことは、会長は何も言わなかった。逆にそれが物足りなく感じた。

別れ際に“良いお年を”と俺は二人に言ったが、心底瑞希さんにとって良い年になればいいなと心底願った。


家に着いた時には既に11時を回っていた。風呂に入って湯船の中で、瑞希さんとの会話をしばらく考えた。瑞希さんはなぜ俺のことをそんなに想ってくれるのだろうか。

もう少し女性経験があれば分かったかもしれないが、野球しかやってこなかった

俺にはわからん。野球ではこんなに悶々とすることはなかった。投げて打って走る。上手くいかなければ、相手を研究したり練習をしてまた試合にのぞむ。


その時何をすべきかは、だいたい分かっていたつもりだ。だが、今は相手のことを理解できない。進む道は分かっていて間違いではないはずだが、なぜかしっくりこない。相手が瑞希さんだからだろうか。違う人だったらどうだ。

急に頭がボーッとしてきて、腰が湯船の底を滑りお湯を鼻から飲んでしまった。

鼻から頭にかけて、“キーーン”激痛が俺の頭を走った。


ベッドに横になって携帯をいじっていても、少し頭がクラクラしていた。

風呂に長く浸かりすぎたせいだ。携帯の履歴から千夏を選択し電話をかけた。

「今日、天地会長が来たんだって。何かあったの?」

俺は社長室や料亭での出来事を説明した。


「モテる男は大変ね!」今日だけで3回同じフレーズを聞いた。

「それで会長や瑞希さんに申し訳ないと。で、どうすんのよ?」

どうも俺はまた千夏を怒らせてしまいそうな雰囲気だ。


「俺には分からん。というかもう答えは出ている。これ以上どうしようもない」

「じゃあ、それでいいじゃない。」

「なんか冷たくないか?」

電話の向こうで、千夏のため息が聞こえた。

「大体ね、自分の付き合ってる女によ、他の女から告白されたけどどうすれば

いいって、そんなこと聞くかあ?もしかして瑞希さんを選べって私に言って欲しいわけ?」

「そんなこと言って欲しいわけないだろ。そもそも俺は最初から千夏以外は見ていない」

「ふーん・・・。しょうがないなあ。あのね、瑞希さんて多分真っ直ぐな人だね。大樹はその気持ちに正面から応えたんだからそれでいいと思うよ。大樹は間違ってないよ。後は彼女次第ね」

“彼女次第”と聞いて、俺にとってはそれが一番やっかいだと思った。


「私は信じてるよ。大樹のこと。それでいいでしょ」

「俺を信じるか・・・。面と向かって言われると一番のプレッシャーだな」

「プレッシャーって言うな!もっと喜ぶところだよ!!」

「ゴメン、ゴメン、そうだな。あとはなるようになるよな。千夏と話してスッキリした。ありがとな」

「大樹は女性に対して不器用だね。それと鈍感。ゴルフの時はすっごく頼りになるのにね。まあそんなとこが良いのかもね」

上げたり下げたり、好き勝手なことを千夏は言うが多分当たっているだろう。


そのあと、クリスマスをどう過ごすか盛り上がったが、結局何も決まらず明日また相談しようということにした。電話を切ったあと、瑞希さんや会長のことを考えまいと部屋の隅にあるパターマットで練習をした。

この間のラウンドで気になっていた、フォローで右肩が前に出てしまう癖を矯正したかった。0時も回っていたが、眠くはなかった。ただひたすらフォームだけを意識してボールを転がした。

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