第62話 手掛かり
サーモンとクリームチーズを挟んだスクエアサンドウィッチを片手に、わたしは大きな溜め息をついた。サンドウィッチにうんざりしたからではない。オニオンスライスとディルソースが利いたこれは、文句なく素晴らしい。
机上には、王都の地図を大きく広げている。ウェイン卿を見送った後、侍女達に考え事をしたいからと伝え、一人にしてもらったのだ。こうして時間が出来たからには、有効に使うべきである。
――ふむ……王都中の生花店を虱潰しに当たる……ですって?
そんなまさか、非効率的な――と首を振る。一体、いくつあると思っているの。
少しは頭を使うのよ。安楽椅子探偵よろしく、こめかみを人差し指でぽんぽんと叩いてみる。
アリスタによると、早朝に屋敷を出たアナベルは、午前中には戻っていたらしい。途中から馬車に乗った可能性もあるけれど、徒歩だったとすれば、範囲はだいたい絞られる。
頭の中の地図に、屋敷を中心にぐるりと円を描く。それでもまだ広い。
アナベルは、お別れの挨拶に来てくれるだろうか。
けれど、状況次第では引き留める暇もないかもしれない――もしかしたら、手紙でおしまいの可能性だってある。そりゃできるなら、わたしの方から会いに行った方が良い。攻めの姿勢は大切だもの。
さて、他に手掛かりは――早朝から営業している生花店であること……それから……土曜の朝、屋敷を出たアナベルが足を向けた方角が分かれば……使用人たちに確認してみなければ……誰か、見かけた人はいないだろうか。
ティーカップに手を伸ばしかけ、地図から顔を上げると、窓の外の廊下を歩く見知った騎士の姿が目に入った。
俯き加減の金色の頭、どこか憂鬱そうな、長身の――
お行儀悪く、食べかけのサンドウィッチを口にむぐっと押し込んで、紅茶で流し込む。
「――カマユー卿!」
声をかけると、彼は足を止めてこちらを見た。
「ご休憩中ですか? カマユー卿」
窓辺に寄って話しかけると、彼は背を伸ばし、優雅に礼をしてみせる。
「ええ、レディ・リリアーナ、ごきげんよう」
ごきげんよう、と窓越しに返すと、カマユー卿はにっこり笑う。騎士様達はきりりとしていて、隙なんか見せないのだ。
少し不思議そうに、カマユー卿は図書室を覗き込んだ。
「令嬢は今日、ウェイン卿とお出かけのはずでは?」
「ええ、少し、急用ができまして」
「仕事で呼び出しですか?」
そんなところです、とごまかして応えると、カマユー卿は呆れたように苦笑いした。
「ウェイン卿も本当、真面目な仕事人間だなぁ……。仕事は誰かに任せて、デートを優先すりゃいいのに」
独り言のような台詞に、あら、とわたしは首を傾げて笑う。
「第二騎士団の皆さまは、どなた様も真面目でお仕事熱心でいらっしゃるようお見受けします」
騎士とは、他人のために命をかける仕事だ。真面目で忠誠心に溢れていなければ、とても勤まるまい。
けれど、お仕事モードのカマユー卿は、穏やかに笑った。
「いやあ……少なくとも俺は、そうでもありません」
「あら、そうですか?」
ええ、と軽く頷いて、それじゃあ、と立ち去りかけるカマユー卿を、わたしは再び呼び止める。
「あのう、カマユー卿? よろしければ、こちらでお茶でもいかがです? 実は……お尋ねしたいことがございます」
いやだわ、わたしったら。
――誰よりもアナベルを見ていた人が、ここにいるじゃない!
§
「こうして、二人でお話しさせていただくのは初めてですよね。何度か護衛についていただきましたのに、意外なような気も致しますが……」
「ええ、まあ、そうですね……」
向かいの椅子に腰かけて、カマユー卿はぎこちない笑みを浮かべた。
わたしはこの人について、ほとんど何も知らない。
確か、生まれついての騎士の家系でいらっしゃるとか。端正な顔立ちをした、礼儀正しい人だ。
そのサラブレッド的な家柄と優しげなマスクはともすると、彼を騎士としては弱々しく見せている。けれどノワゼット公爵がブランシュの専属に任命するということは、心身ともに健やかな上に、剣の腕も確かだということだ。
そして、この人は間違いなく、アナベルを大切に思っている。
「ほとんど毎日、屋敷でお会いしていましたのに。さ、どうぞ、お茶が冷めないうちに」
ティーカップに紅茶を注いで差し出すと、ああどうも……と恭しく頭を下げたカマユー卿は、どこか居心地が悪そうに、椅子の上で身じろいだ。
にっこり笑って見つめると、カマユー卿は軽い咳ばらいを落とす。
「どうしても、令嬢の前では緊張します……ほら、我々は、令嬢に引け目がありますから」
「引け目?」と首を傾げると、カマユー卿は困ったように微笑する。
「最初の頃、すごい感じ悪かったでしょう? 俺達。何事もなかったように振る舞うには、なんと言うか……こう……」
胸の辺りを押さえて、カマユー卿は続ける。
「……過去の愚かさや失敗が蘇って、うわあって頭を抱えたくなるんです。他の騎士も、たぶんそうでしょう。あ、もちろん、皆、令嬢のことは大好きなんですよ。これは、こっちの心の問題です」
カマユー卿が眉尻を下げるので、あら、とわたしは口元を押さえる。
「それは困りましたね……でも、わたくしにも沢山あります。うわあってなる過去。ですから、ちょっとわかるような気もいたします」
「令嬢にもありますか。対人関係で失敗などされなさそうですが」
「はいそれはもう。失敗だらけです。だから、あんなに怪しく振る舞って、周りを怖がらせる羽目に陥っていたんですわ」
へへ、と笑い合う。カマユー卿の目尻が下がり、さらに優しげになる。
この人は、にこにこ穏やかに人に合わせているように見えるけれど、本当は揺るぎなさそうでもある。
「以前のことはお互い様ですから。もう終わったことです。オデイエ卿やキャリエール卿やラッド卿は普通に親しくしてくださいますし」
「もちろん、令嬢が気にしておられないことは分かっています。これはもう、自分の黒歴史をどう乗り越えるか問題です。あの三人はまあ、メンタル鋼ですから」
どこか冗談めかして聞こえたので、わたしはまた笑う。
「では、こういうのはいかがです? 今回、わたくしを手伝ってくださったら、その黒歴史はもう、きれいさっぱり水に流してしまうのは?」
カマユー卿が、ゆっくりと首を傾げる。柔らかな弧を描く空色の目の奥は、思慮深くこちらを伺っている。
「……手伝う? 何をでしょう?」
「……わたくし、アナベルを探して、引き留めたいと思っています。お手伝いいただけませんか?」
ああ……、と言って天井を見上げたカマユー卿は、黙ってしまう。言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開く。
「……いやあ……どうでしょうね? 残念ながら俺では、お役に立てそうにありません。アナベルは、もう戻ってこないと思いますよ」
平然を装いつつ、寂しさを隠しきれない声音だ。まあ、とわたしは驚いて口を押さえた。それは……つまり――
「俺が追い出してしまって、令嬢には申し訳ないとは思いますが」
「……カマユー卿? あれから、アナベルにお会いになりました?」
びっくりしたように僅かに目を瞠ってから、カマユー卿は感心したように微笑する。
「……令嬢は、勘が鋭いですねぇ……。驚いたなあ……。だけど、ノワゼット公爵とウェイン卿には黙っていていただけると助かります。いや、まあ……言ってもいいけど……。一応ほら、俺は立場上、アナベルを見つけたら捕まえなくちゃいけないことになっているから」
しんみりした空気が、カマユー卿の周りに漂う。
「まあ……それでその時に、『もう戻らない』とアナベルが言ったのですか……?」
ええ、とカマユー卿は空色の瞳を伏せ、立ち上がる素振りを見せる。
「――ですから、見つけ出しても無駄ですよ。アナベルは――」
「それなら、脈がございますね!!」
「は?」
腰を浮かしかけたカマユー卿が、ぽかんと口を開けた。
わたしは思い出していた。立ち去るカマユー卿の背中に向けられていた、アナベルの眼差しを。
お別れの挨拶だか、何か用事があったのかは知らないけれど、そんなの、手紙で済ませることもできたはず。わざわざ姿を見せたのは――
――アナベル……カマユー卿に会いに行ったのね。
彼女は、どうしても会いたかったのだ。会って、最後にその声を聴きたいと願った。
わたしは両手を胸の前で組む。
「それで、アナベルは何て?」
「え? ええーと、いや……もう新天地に行くのは決めたことだそうです。それから、……俺のことは嫌いだそうです」
自嘲するような声に、わたしはぽかんと口を開ける。
「嫌い? アナベルが? カマユー卿を?」
ええ――とカマユー卿は椅子から立ち上がる。
「ごちそうさまでした。俺、そろそろ行かないと」
「ねえ、カマユー卿? ここはひとつ、騙されたと思って、協力していただけませんか? お話を聞かせていただくだけで構いませんから」
「……」
悪いようにならないと思うのに、肩を落としたカマユー卿は溜め息を落としながらゆるく首を振る。
こほん、と軽く咳払いしてから、わたしは言い切る。
「わたくし、アナベルが好きなんです。新天地に行くことが本当にアナベルの幸せなら邪魔いたしませんが、そうでないなら、断固、邪魔いたします。引き留めるためには、なりふり構いません。もし会えたなら、泣き落としくらいは試してみなければ気が済みません」
カマユー卿が困惑したようにぱちぱちと瞬く。
「……泣き……? そ、それは、最強そうですね……」
「――早速ですが、お聞きしたいことがあります。カマユー卿は、この屋敷で一番、アナベルと親しかったでしょう?」
「親しい……っていうか……」
「土曜日の朝、アナベルがどちらの方向に出かけていたか、ご存知ありませんか?」
「……土曜の、朝、ですか?」
不思議そうに首を傾げるカマユー卿に、わたしは力強く頷く。
「アナベルが、土曜日の朝に頻繁に花を買っていたらしいのです。もしかしたら、何かあるんじゃないかって」
「花屋……」
カマユー卿の視線が天井を仰ぎ、記憶の引き出しを探るように瞬く。
「はい、そうです! ひとつの可能性に過ぎませんが、その生花店には――」
勢い込んで説明しかけた途中で、カマユー卿は、あっさりと言った。
「俺、その花屋なら、知ってますけど?」
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