人生の楽しみ方

 退屈、無為というのは耐え難く、しかし努力はどこまでも虚しい。


 十代の私は漠然と人生を浪費している気がしていた。大人たちの「今しかできないことを」という言葉や、漫画やドラマの「青春」という単語に、酷く心を痛めていた。何か素晴らしいことが待っているのに、ただただ時間だけが流れている感覚だった。部活も勉強も中途半端、いっそ気のすむまで遊べばいいのだが、それも出来やしなかった。遊ぶのにも能力がいるのだ。金銭の多寡ではない。知り合いにも、金には困っていないが、会うたびに、退屈だ、何かしたい、何処かへ行きたい、というものが居る。


 閑話休題。


 最近になってようやく、人生の楽しみ方、というのが分かって気がする。

 楽しむということは楽ではない。それなりに準備というか、学ぶことだったり、鍛えねばならないことが多い。甚だ面倒である。特に芸術方面を楽しもうとすると、どんなに努力しても、成果物がいまいちということはざらにある。かといって、やらねばあの頃の悶々とした気分に逆戻りだ。もはや、人生を楽しみたくてやっているのか、あの頃の自分への恐怖でやっているのか、判別がつかない。


 かといって、まったく楽しいことがないわけでもない。ああ、そういうことか、と言える瞬間が、ごく稀にやってくる。報われた気分になるのだが、一方で、報われたくてやっているのか、と疑問に思ったりもする。

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