第40話

 「よくわからねえが、これは大発見なんじゃねえか?」


 突如として出現した隠し階段に、タイロンはいささか興奮気味だ。おっかなびっくり階段の奥を覗きんでいたレナードも、遅れて感嘆の声を漏らす。


 「ライラ、一体何をしたんだ?」


 アイルはこっそり尋ねる。


 「私は何も…… あの紋章、どこかで見たことある気がして、触ろうとしただけ……」


 「見たことが…… ? じゃあ、別に自分から何かしようとしたわけじゃないんだな?」


 ライラは、良からぬ事をしてしまった子どものように、おずおずと頷く。

 あの紋章が彼女の記憶に関係ある。さらに、それはおそらく夢幻魔法のことではあるまいかと、おぼろげながら直感した。

 アイルは言いようのない胸のざわつきを覚える。ライラが手をかざしたことで、この大掛かりなカラクリが起動したのは疑いようもない。だが、問題はその理由。

 彼女が触れる前、アイルはべったりと石に指をつけていた。しかし、その際は、紋章はだんまりを決め込んでいた。

 なぜ、ライラだけに反応を。二人の間に何か決定的な差異があったのか。そう考えると、夢幻魔法の適性者とは無縁のように思えてくる。


 「今話したことは、他の誰にも話さないようにな」


 ライラは再び頷いた。


 「どうする?」


 ノエルが皆に聞く。その表情から、彼はあまり乗り気でないとわかった。


 「王都に知らせるのが最優先だろう。勝手なことをして、お咎めを受けるだけなら良いが、何か罪に問われたら大変だ」


 さすが副リーダーだけあって、レナードは慎重派なようだ。


 「少しくらい覗いてってもバレねえって。そもそも、俺たちが見つけたんだから、そのくらいの権利はあるだろ?」


 対するタイロンは、階下に何があるのか知りたくてしょうがないらしい。

 体面を取るか、自己の欲求に流されるか。もはや、当初の依頼内容など皆の頭からすっぽり抜け落ちているようだ。


 「タイロンくんはまたそんな勝手なことを。忘れたの? 僕たちがここに来た理由はーー」


 「行ってみましょう」


 ノエルの説教は、出し抜けに響いたソフィアの声により中断させられる。そして、それは他の反対を跳ね除け全く寄せつけない、独裁者の命令も同じだった。

 本当に行っても大丈夫だろうか。アイルは抗議の声を上げ、この奇妙な圧政をどうにかして翻すべきか悩んだ。下へ行くのは不確実な危険が多すぎる。しかし、彼の胸中にはまた、淡い期待が漂っていたのも事実。何かライラの記憶に関係するものが、はたまた夢幻魔法関連の情報が出土するかもしれない。この機を逃せば、国が再び遺跡の調査に乗り出し、侵入できる可能性は著しく下がる。彼は終始無言を貫いた。

 先頭に立つソフィアが、最初の一段目に足を置く。すると、彼女のすぐ近くにあった両の壁が淡く光り、その羅列がずっと奥の方まで続いて行った。


 「お、歓迎してくれてるみたいじゃねえか」


 「またそんな暢気なこと……」


 一体何段下だったのだろう。数百段、あるいはそれ以上。おそらく真上はもう遺跡の外なのではないか。そこまでして、ようやく終わりが見えてきた。


 「これは……」


 アイルは言葉を失った。


 「遺跡の下がこんなになっているなんて…… 隠し部屋なんてものじゃないな……」


 周りを見渡しながら、レナードが言う。

 階段を下った先に待ち受けていたのは、さっきの遺跡内部と同等かそれ以上の広大な空間。ただし、その広い地面の大部分は、真っ黒な奈落に占領されていた。前方には灰色の十字の形をした橋が、それぞれ三つの入り口に向かって伸びている。それとアイルたちのいる十メートル四方ほどの足場以外は、遙か下へと続く穴。


 「すげえな。これは財宝の一つや二つ期待してもいいんじゃねえか?」


 タイロンは悪い笑みを浮かべる。


 「さっきも言ったけど、そういう目的でここに来てるんじゃないんだからね」


 「まったく、ノエルは夢が無さすぎなんだよ。人生そんな現実ばっかり見て、お堅く生きてちゃそのうちーー」


 側では、お馴染みのタイロンの講義が始まった。そんな二人の茶番をよそに、アイルはソフィアの横に立った。覗いてみると、やはり生気の失せたような顔をしている。


 「ソフィアさん、どうします?」


 「と、とりあえず奥の方に行ってみよっか」


 ソフィアは逃げるように先を急いだ。その後を少し遅れてアイルとライラが追い、他の皆もぞろぞろとそれに続いていく。

 橋の中間を過ぎた辺りだった。


 「どうした、ライラ?」


 気づくと、ライラは足を止め橋の下を覗き込んでいた。


 「あそこから、何かが見てた気がする……」


 アイルは急いでそちらに向かい、ライラの指差す方に目を凝らした。相変わらず、身がすくむような暗闇である。


 「何もいないぞ? 勘違い…… じゃないか?」


 そう説得すると、ライラは「うん」と納得してないような言い方をして、また歩き始めた。しかし、それからすぐ、アイルは彼女の言葉を真摯に受け止めるべきだったと後悔する。

 真下から、聞いたことのない、低い魔物が出すようなけたたましい鳴き声が轟いた。


 「なに…… !?」


 ソフィアのすぐ横から、深淵と同じ真っ黒な触手のようなものが飛び出してくる。おそらくその太さはアイルの身長ほどあり、その長さは目に見えるだけで七、八メートル。


 「なんだあれは!?」


 「依頼の魔物か!? それにしても規格外すぎやしねえか!?」


 レナード、タイロンは揃って仰天し、慌てふためく。その正体についてまるっきり見当もついていないようだ。だが、アイルにはその色合いについて思い当たる節があった。


 「まさか、アーテル…… ?」


 「ソフィア様!」


 ノエルが叫ぶ。触手は大きくしなった後、皆から少し離れたところに立ち竦むソフィアを狙っていた。

 助けなければ。

 二つのぼやけたイメージが頭に浮かぶ。アイルはすぐさま一つを選び出した。そこへ"力"を目一杯注ぎ込んだ。


 「くっ!」


 一気に低く跳躍。黒い触手はもうすぐそこまで迫っていた。


 「間に合え…… !」


 手が、ソフィアの肩に触れた。アイルは彼女の身体を抱くようにして、勢いのままに奥へと転がる。

 橋が粉々に砕け散る音。すんでのところで間に合ったようだ。


 「あ、ありがとう……」


 「安心しないでください。アーテルはまだーー」


 アイルはふいに浮遊感を覚え、下を向いた。橋の陥落はここまで届いていたのだ。


 「しまった! 床が!」


 「アイル!」


 ライラの声が頭上の方から響き渡る。後から、レナードやらも大声を出すが、それは段々と遠のいていく。

 アイルはソフィアの身体をしっかりと掴んだまま、視界の効きづらい辺りに懸命に目を光らせた。だが、先ほどの触手の本体は、暗闇と同化しているのか全く見えない。相当な大きさのはずだ。それが攻撃を仕掛けてくる様子もなく、こちらを凝視しているのかもしれない。しかし、それならばと、アイルは一旦アーテルのことは棚上げする。目下の最優先事項は、無事に着地すること。


 「くそ、この高さじゃロープは無理だ。どうすれば……」


 暗闇は次第に自分の身体すらも飲み込んでいった。今では、真上に等級の大きい微弱な星みたいなのが浮かんでいるだけだ。

 風を切る音。耳元で鳴る鼓動の音。ソフィアの体温。

 心細さに似た恐怖が心を侵食していく。

 いくら強力な身体強化とはいえ、これだけの高さ。地面についた部位から順に、身体がぐちゃぐちゃに変形してしまう。仮にアイルが耐えられたとしても、身体強化を施していないソフィアの命運は絶望的だ。


 「ごめんなさい…… !」


 ソフィアの小さな声。続いて、さらにか細い声で「ローズ」と聞こえた。もしや、一寸先の死を悟り、一足先に走馬灯でも見ているのではなかろうか。


 「まだ諦めちゃいけません!」


 アイルは叫んだ。彼は再び生きる術を考えることに集中した。

 その時だった。


 「あれは……」


 アイルは光を見た。まだ、かなり下の方。壁にできた亀裂から、光が漏れ出しているのだ。あの壁の向こうには何か空間が広がっているのかもしれない。


 「ソフィアさん! 氷を! 真下に出せませんか!」


 「え、どういうーー」


 「急いでください! 死にたくないなら、足場を!」


 「わ、わかった!」


 暗闇の中、アイルは自分の肩に置かれたソフィアの片手が離れるのを感じた。魔法の発動態勢に入ったのだ。

 方向の感覚が鈍り、瓦礫の間から漏れ出した光が、物凄い速さで上がってくると錯覚する。急がねば。あれを逃せば、死は確実となる。

 と、その時、アイルの耳が氷が生成される微かな音を捉えた。目を細めると、漏れた光を反射し、氷の表面が僅かに輝いているがわかる。


 「できたよ!」


 「よし! 掴まってください!」


 ソフィアの手が、再びアイルの肩を強く握った。


 「どうするの!?」


 「飛びます!」


 「え?」


 アイルは身体をひねり、思い切り暗闇を蹴飛ばした。確かな硬い感触。ソフィアの悲鳴を置き去りにして、彼らの身体は光へと一直線に突っ込んでいった。

 ヒビだらけの脆い岩壁が音を立てて崩れ去り、直後、アイルの背面が硬い地面に衝突した。


 「ぐぅっ!」


 前後から急激に質量が加わり、肺に溜めていた空気が情けない声とともに漏出する。しかし、意識はある。身体は痛むが、身体強化のおかげで難を逃れたらしい。


 「私、生きてる……」


 ソフィアの声が、ごく近くで聞こえた。彼女の顔は息のかかるくらい近かった。


 「そ、ソフィアさん、離れもらっていいですか?」


 アイルは今更ながら、女性に抱きつかれていることに羞恥を覚えた。しかし、ソフィアから返事はなく、放心したようにこちらを向く目をパチパチとさせていた。

 それに、今はライラの身が心配でもある。急いで上に戻らなければならない。身体をよじり、強引に引き剥がそうと決心したアイルだが、今度は彼自身も思考停止に陥った。彼女の瞳が潤んでいたのだ。


 「ソフィアさん…… ?」


 涙はついに一杯になり、大粒の水滴が長いまつ毛を濡らして、白い頬を滑っていく。

 死から逃れられた事への喜びか、先ほどの発言との関連なのか。とにかく、今目の前で泣くソフィアは平素の、母親の如く気丈に振る舞う彼女ではなかった。否、時折そういう兆しはあった。その脆さがここに来て決壊し、こうして表に出てきたのかもしれない。

 こういう場合、アイルは気の利いた、悪く言えばキザな行動は取れない性分だ。彼はソフィアの気が済むまで、ハンカチ役に徹するのが最善だとじっとしていた。


 「ごめんなさい、私のせいでこんなことに……」


 目元の水滴を指で拭きながら、ようやくソフィアが嗚咽混じりに口を開く。


 「あの、とりあえず、離れてくれませんか…… ?」


 「ご、ごめんなさい…… !」


 ソフィアは慌てて身体をどける。別に彼女は重くなかったが、その時アイルはひどく開放的な気分になった。

 アイルは自分の顔色を悟らせまいと、すぐさま穴の穿たれた壁の方に行く。顔を出して見上げると、満月のような明かりが。


 「一体何十メートル落ちたんだ…… ? それに、下はまだ続いてる……」


 「どうしよう。みんな今頃、あの魔物と。私のせいで、こんなことに……」


 「ソフィアさんの魔法で、ここから一気に上に上がれたりしませんか?」


 「一気にはさすがに…… 簡単な足場を作るくらいならできるけど……」


 確かに足場を作ってもらえれば、いずれは上にたどり着ける。しかし、その道中、どこかでアーテルが息を潜めているかもしれない。途中で足場を崩されでもすれば、次こそ助かる見込みは無くなるだろう。


 「ごめんなさい……」


 なんだか別人のように平謝りを続けるソフィア。


 「とりあえず、ここから上がれる道を探しましょう」


 

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