第34話

  その日以来、レナードのアイルに対する接し方は格段に変化していった。

  アイルへ向けていたあの異常なまでの敵意、それは綺麗さっぱり拭い去られた。依然、お高く止まったような態度は抜けないものの、それは副リーダーとして示すべき威厳ということで納得している。それに、今更謙虚な姿勢を見せられても、なんだか気持ち悪い。

  この前の夕飯時などは、レナードの方から、ぎこちないながらも話を振られるという珍事が発生し、それだけで場が大いに盛り上がったものだ。


  「な、何がおかしいんだ…… ?」


  と、レナードの方は上手く話せているつもりだったのが、また皆のツボにはまった。これでギルド内でアイルを否定する存在は完全に消えた。

  すると、どうだろう。氷晶の薔薇は、温かい居心地の良い空間へと変わった。それはまるでリビエール家にいた時と同じような。


  「いや」


  アイルは踏み止まる。情にほだされてはいけない。夢幻魔法の事がある以上、彼に居場所はないのだ。それを忘れてはいけない。

  こうして、個人の問題が解決した後も、ギルドが抱える根本的な問題が無くなることはなかった。

  言わずもがな、それは烈風焔刃のことだ。依頼の不正受注から、秘密裏に行われる他ギルドとの結託。これらが横行しているのは確実だ。しかし、レイリーたちも狡猾で、常に足跡を残さぬよう慎重を期して行動しているため、未だ立証に至っていない。王宮に掛け合うにも、「怪しいから」という理由だけでは門前払いされるのが関の山だ。このせいで大半のギルドは着実に疲弊していき、それは氷晶の薔薇とて例外ではない。

  烈風焔刃が食い荒らした後の、残りカスとでも言うべき極一部の難度の高い依頼は、氷晶の薔薇でもこなせるものは少ない。そのため、このギルドに所属する多くは、ここ数週間ほとんど依頼にありつけていない状態だ。したがって、本来ならば彼らは切り捨てられるか、減給がなされるのが自然の成り行きだと、アイルは推測したが、ソフィアの全て包み込むような母性はそれを是としなかった。彼女は彼らに簡単な雑用を任せたりする事で、どうにか彼らをギルド内に繋ぎ止めようと尽力しているようだ。さすが、ギルドを「家族」と形容するだけあって、彼女の献身っぷりは感服に値する。だが、その体制にも徐々に綻びが出てきていた。

  依頼が少ないと言っても、その量は少人数で回すには多すぎる。これを、ソフィアは基本的にレナード等の主力メンバーと共にこなしているのだが、近頃は、立て続けに彼女一人だけで依頼に出ることも多々あった。全体として下がった依頼の回転率。そのしわ寄せは全て彼女に行っていたのだ。


  「ソフィア様、これ以上はお体に障ります。どうか休息を取ってください」


  「レナードの言う通りだぜ、ソフィア様。あんたが倒れちまったら、元も子もねえんだ」


  「そうですよ。このままでは本当に危ないです」


  レナードやタイロン、ノエルたちが彼女の身を案じ何度も忠告した。しかし、ソフィアはそれを、毎度のこと頑として突っぱねる。


  「私なら大丈夫。それに、このくらいで根をあげるわけにはいかないから。あなたたちも、薔薇園の子たちも絶対に見捨てはしない」


  彼女は否定するが、実際アイルの目にも、ソフィアの慈母のごとき優然とした微笑みが日に日に抜け落ち、石像のように固く冷たくなっていくのがわかった。

  王国法では、特段個人の依頼受注数に制限はない。期限内に達成できなければ、多少の罰則が課される場合があるが。

  この法律が、氷晶の薔薇を首の皮一枚で繋ぐ要になっており、同時にソフィアが無理をする要因でもあるのだ。彼女は誇張なしに、死ぬ気で依頼を受け続けていた。


  「ソフィア様、あなたは王国法に背くつもりですか!」


  ある晩、帰投したアイルたちが、報告のため彼女の部屋に立ち寄ると、レナードの物々しい言葉が飛び込んできた。

 

  「それは承知の上よ。でもーー」


  ソフィアの視線がアイルたちを向くや否や、あの作られたぎこちない笑みが浮かぶ。やや遅れて、いつもの三人がこちらを向くが、皆冴えない表情をしている。その異質な雰囲気に、アイルは否応にも嫌な予感がしてしまう。


  「アイル、ライラちゃん、お疲れ様」

 

  ソフィアから労いの言葉を受け、アイルたちは軽く会釈する。


  「あの、何かあったんですか?」


  「良いところに来た。アイル、君もソフィア様を止めるのを手伝ってくれ。私たちだけではどうにもならん」


  代わって説明するレナードだが、全く本筋が見えてこない。

  因みに、彼はアイルのことを「貴様」とは呼ばなくなっていた。


  「あら、レナード。アイルとは随分打ち解けたようね」


  「べ、別にそんなことは…… って、はぐらかすのはやめてください。これは氷晶の薔薇全体に関わることです」


  「それで、一体何が?」


  アイルは再度尋ねる。


  「実は…… ソフィア様が、他のギルドと協約を結ぶと言いだしたんだ」


  ノエルが単刀直入に告げた。


  「他のギルドと…… ?」


  アイルはギョッとした。他のギルドと協力するというのは、不正行為ではないか。


  「今の話、本当なんですか?」


  「ええ…… 本当よ」


  ソフィアの人工的に薄く伸ばされた唇がいよいよすぼんでいき、露わになったのは陰鬱さの満ち満ちた真剣な表情。その幾分曇りがかったような瞳は真っ直ぐにアイルを据えていた。


  「ソフィア様、考え直してくれよ。協約なんて、烈風焔刃と同じ真似をしちゃいけねえ」


  いつもは能天気なタイロンも、この時だけは懇願するような物言いだった。しかし、当のソフィアはかぶりを振る。


  「いいえ、私は考えを変えるつもりはないわ」


  「でも、王国法でもギルド同士の結託は禁止されていているんでしょう? そんな綱渡りみたいなこと、してしまって大丈夫なんですか?」


  ここで初めてアイルも意見する。

  彼は王国法について隅々まで熟知しているわけではなく、ましてや、ギルドに関する法など素人に等しい。しかし、そんな不正を犯せば罰則などよりも、ギルドとして面目が立たなくなるのは自明の理。彼もソフィアの提案には反対の姿勢だ。


  「リスクがある事もわかってる。でも、既に烈風焔刃とは圧倒的な差ができているわ。あれに勝つには、相応の気概を示す必要があるの。これ以上、後塵を拝するわけにはいかない。それに、しっかりとした公算もある」


  「公算?」とアイルがおうむ返しし、次いでレナードが「それは一体?」と質問をする。


  「実はここ数日、周辺のギルドの調査を行ったの。そしたら、成果があまり変わっていないところ、それから私たちのように極端に下がったところが見つかったの」


  たった数日でそこまで調べ上げるなんて。おそらく、アイルの身辺を調べた時と同じく、驚異的な情報網を駆使したのだろう。その手回しの速さに、今更ながら彼は舌を巻いた。それと同時に、ソフィアのこの独断的で性急な行動は、彼女の心を絶えず駆け巡っている焦りを透けて見させているようだった。


  「こんな時分にギルドの成果に変化がないということは……」


  レナードは何か気づいたようだ。


  「ええ。おそらく、そのギルドは何かしらの施しを受けている。つまり、そこは既に烈風焔刃の囲いの中にいるのでしょう。反対に、後者はその魔の手が行き届いてない場所だと判断できる。そして、そこなら私たちと同じ不満を抱いているはず」


  「それでは、公算というのは、同族を仲間に引き入れるということですか?」


  アイルが聞くと、理解が早くて助かるといった具合にソフィアが頷いた。

  そこへ、意を唱えるように唸ったのはレナードだ。


  「確かに、それなら協力を受け入れてくれるかもしれません。ですが、仮にそうなったとしても、黒い噂はどこから漏れだすかわかりませんよ。実際、烈風焔刃も尻尾を掴めていないだけで、周囲のギルドもあれの悪行には薄々気づいてるでしょうから」


  「そうだな。それに、仲間だと思って接近したら、実はそいつも敵だった、なんて事もないわけじゃない。やっぱり、ソフィア様の考えには賛同しかねるな」


  タイロンはレナードに同調する。


  「もちろん、話が外部に漏れないよう細心の注意を払うつもりよ。それに、私が協力を仰ぐのはたった一つのギルド。それも、かなり信頼の置けるギルドだから」


  「信頼の置けるーー まさか、白翼の剣…… ?」


  再びソフィアは満足そうに頷く。


  「白翼の剣?」


  なんだか聞いたことのある名前だ。


  「元王国二位のギルドだよ。今は烈風焔刃に追いやられて、僕たちと同じく順位が下がっちゃったけど」


  アイルが思い出す間も無く、ノエルが説明してくれる。


  「アイルたちにはまだ言っていなかったけど、あそこのリーダーとは私が幼い頃からの知り合いなの。それで、氷晶の薔薇を設立したての頃はよく相談に乗ってもらったたりして。今でこそ会う機会はめっきり減っちゃったけど」


  「そうだったんですか……」


  それはギルド同士の結託に含まれないのか、という野暮な質問はやめておいた。今まで問題になっていないのだから、そういうことなのだろう。それにしても、元王国一、二位のギルドが知り合い同士だったなんて驚きだ。


  「まあ、あのギルドなら信用はできるけどよう……」


  事情は知っているようだが、タイロンは未だ歯切れの悪い言い方をする。


 「本当に大丈夫?」


 ライラさえ、心配そうに声をかける。


  「大丈夫よ、ライラちゃん。絶対に良い方向へと進むはずだから。私を信じて」


  同情を煽るその痛々しいまでの笑みに、その場の誰もがかける言葉を失った。

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